2019年09月02日版:寺田 努(企画担当理事)

  • 2019年09月02日版

    「情報技術とパーソナルデザイン」

    寺田 努(企画担当理事)


     情報処理学会で理事をしていると、情報技術がいったい何に貢献できるのかを考えることになる。この記事では、ユニバーサルデザイン・パーソナルデザインと情報技術について私見を述べたい。

     ユニバーサルデザインという言葉を知っている方は多いと思うが、これは1985年に建築家ロナルド・メイス氏が提唱した概念で、ものをデザインする際に「どんな人でも公平に使えること」「身体への過度な負担を必要としないこと」といった7つのルールを守ろう、という取組みである。高齢者でも若者でも、男性でも女性でも、障害者でも健常者でも、右利きでも左利きでも、ちゃんと使えるようにモノをデザインしようという考え方は素晴らしく、両利き用はさみやノンステップバス、視力が悪くても読みやすいユニバーサルデザインフォントなど多様な商品やサービスが提供されている。

     一方で、誰でも使える、というのは最大公約数的なデザインになりやすく、ものの使いやすさから考えると、当然個々人に最適化したパーソナルなデザインが施されたモノの方が使いやすいはずである。ただ、パーソナルデザインを実現するためにはコストの高さやそれぞれの人の個性をどう計測するかが問題となる。そこで情報技術の出番である。最近ではスマホを用いた計測によって自分の体型を計測してオーダースーツを作るサービスが始まるなど、情報技術を使ってパーソナルデザインを実現する取組みが始まっている。また、PCに関しても人に情報を伝える方法は一般のディスプレイだけでなく、スマートウォッチや頭部装着型ディスプレイもあり得るし、画面が要らないから音声のみや振動のみでいい、という要望もある。特にハンディキャップのある人は、自分が使いやすい部位を最大限活用するような入出力が行えるコンピュータの実現など、情報技術を活用したさらなるパーソナルデザインの進歩が求められ、情報処理学会としても高度な情報技術利用をサポートしていきたいと考える。

     さて、私の話はここで終わりではない。上で述べたようなパーソナルデザインが情報技術によって実現されていくと何が起こるだろうか。たとえば、私が子供のころは、「みんな必ず見るテレビ番組」「みんな必ず見るマンガ」「みんな必ずやるゲーム」といったもの(=ユニバーサルな体験)が存在し、学校ではその共通の話題によって盛り上がるといったことが多かった。また、コンサートや映画などが分かりやすいが、場にいる人たちの一体感(=ユニバーサルな感情)を感じることはとても良い体験である。一方で現状でも、動画コンテンツのオンデマンド配信サービスや放送の多チャンネル化で、共通の視聴体験が得づらくなっているが、情報技術によってあらゆるモノが個人適応して共有体験がますます行われなくなるならばそれはとても悲しいことである。コンサートにおいても、実験的に視聴者に頭部装着型ディスプレイを付けさせ、推しアイドルの付加情報を出すようなサービスも登場しているが、こういったサービスは観客間の視聴体験に差を付けることになり、これが一体感を失わせる可能性がある。

     したがって、情報技術に関する開発者や研究者が行うべきことは、より良い社会を実現するために、パーソナルデザインとユニバーサルデザインのバランスを取ること、ではないだろうか。特に、古典的なユニバーサルデザインが「統一されたデザインにみんなが合わせること」であるのに対し、「パーソナルデザインにより個人化されたシステムが、ユニバーサルな体験を与える」、言い換えれば、他の人と違うことをするためのパーソナルデザインではなく他の人と共通体験をするためのパーソナルデザインを情報技術により実現する、ということが我々に求められているのではないだろうか。