会長挨拶
会長挨拶
会長就任にあたって
ポスト・コロナ時代の新しい価値の創造に向けて
—会長就任にあたって—
森本典繁
情報処理学会会長/日本アイ・ビー・エム(株)
(「情報処理」Vol.64, No.7, pp.316-318(2023)より)
このたび,徳田前会長の後を継いで,第32代の会長を拝命いたしました.皆様とともに,本会の活動をより活発に盛り上げるべく努力して参りたいと思いますので,どうぞご支援のほど,よろしくお願い申し上げます.また,この場を借りて,これまで60年以上にわたり本会の発展にご尽力いただきました歴代の会長,役員,会員,事務局の皆様の努力に敬意を表したいと思います.
ポスト・コロナに向けて
さて,2020年に緊急事態宣言が発せられてより,私たちの日常生活や社会に大きな影響を与えてきた新型コロナウイルスの世界的な大流行も3年が経過してようやく収束を迎えました.人,物の流通やビジネスを含めて世界的に回復基調となっている中で,この間に世界中が経験したことは,さまざまな形で我々の今後の行動に不可逆的な影響を与えています.たとえば,リアルな移動や接触ができないためにリモート会議やオンライン授業が一般化したり,オンラインショッピングやフードデリバリなどの利用が拡大したり,それに伴う事務処理のデジタル化やオンライン対応可能な業務の拡大(いわゆるDX)なども大きく進みました.これらの技術や習慣は,新型コロナウイルスが収束した後も我々の生活や社会に定着して,日々の暮らしや働き方,企業や大学などの組織の在り方,そしてコミュニティや社会に対する価値観などにも長期的に影響を及ぼしていくこととなるでしょう.一方では,これらのアプリケーションやサービスの普及に伴い,スマートフォンやPCの需要が急速に高まり,一時的に半導体を含めて世界的に品薄になる等の現象も引き起こされました.さらに,度重なる局所的な災害や事故により世界的なサプライチェーンの脆弱さが露呈したこととも相まって,医薬品や半導体,レアメタルを含むいわゆる戦略物資の確保や資源の国際競争にも関心が集まるようになりました.これらの物資の確保に対して各国は今後も引き続き多大な努力を続けていくと予想され,2023年5月に広島で行われたG7サミットにおいても,経済安全保障の文脈で戦略的物資の確保は重要課題となりました.
情報技術に対する関心の高まり
新型コロナウイルスの世界的な流行の間,全世界的に進んだデジタル化によって,情報技術に対する関心も大きく高まりました.特にこの数年間のAIの発展に関しては,ChatGPTなど,一般の利用者が直接使えるインタフェースで提供される生成系AIの登場によって社会のAIの利用に対する理解が進み,適用へのハードルは一気に下がりました.機械学習,深層学習に続く大規模言語モデルの登場とその目覚ましい性能向上の速さは世界中で話題となり,AIを身近で認識して日常的に利用できるものへと変えました.新しいアルゴリズムの登場やその利用範囲の拡大に世界は再び注目し,生成系AIは一般社会に急速に広まろうとしています.それと同時にこのような急速な技術進化の負の側面についても世間の注目するところとなり,AIの透明性や倫理性,利用範囲の制限や悪用の防止なども大きな社会的な関心事となっています.また,大規模化,複雑化するAIの学習を実行するためのコンピュータ・ハードウェアの演算性能や膨大な消費電力に関する課題も浮き彫りになり,コンピュータの演算処理性能に対して,従来のムーアの法則を超えるペースでの進歩(特にエネルギー効率)が期待されるようになりました.
この流れを受けて,コンピュータ,特に先端ロジック半導体に関しては改めて日米欧で最先端の技術開発や量産能力を持つ必要性が高まり,各国で相次いで大型の公的な資金の投入がなされ始めました.日本においてもTSMC 社の熊本工場誘致に続いて,昨年はRapidus社が設立され日米連携の枠組みの下でまずは2nmノードの先端ロジック半導体の製造に向けて活動を始めています.また,将来の飛躍的な演算速度を供給できると期待される量子コンピュータに関しても,2018年に慶應義塾大学がIBM社の量子コンピュータのクラウド・サービスを使った産学連携の研究ハブをいち早く立ち上げたのを始めに,2021年には東京大学が「量子イノベーションイニシアティブ協議会(QII)」コンソーシアムを創設し,IBM社製のゲート型商用量子コンピュータを新川崎に設置して量子技術の産業応用に関する研究活動をさらに加速化させました.本年(2023年)3月には理化学研究所の国産のゲート型量子コンピュータの稼働開始の発表があるなど,ハードウェアの開発と産業応用の可能性を探索する研究活動が活発に進行し始めています.
このように,コンピュータのハードウェアの発展に呼応して情報技術分野の技術革新も活性化するということはこれまでもありました.今日の私たちの環境においては,大規模なAIの本格的な普及による社会的な需要と,半導体,量子コンピュータ等の基盤技術のブレイクスルーが重なった状況であり,まさに情報技術分野のゴールデンエイジの到来を予感させるものだと言ってよいと思います.
新しい環境における開かれた学会の役割
新型コロナウイルスの流行とは別の次元で,世界では地政学的なリスクが高まる事象が多発しています.地球環境,エネルギー,SDGsなど各国が力を合わせて取り組まなければならない喫緊の課題が多くあるにもかかわらず,世界では戦乱や紛争が続いている地域もあり,民族や国家間の分断が産業・経済にも大きな影を落としています.
このような環境の中で,本会を始めとするアカデミック・コミュニティは,組織や国を超えた開かれた学術交流の場として,今までにない重要な役割を担う必要性,そしてチャンスがあるのではないかと考えています.
まず,産業界との連携に関しては,より密に連携を進め,国内だけでなく国際的にも技術革新の連携を止めないことが重要であると考えています.本会は,情報学分野での広いカバレッジを持っており,多くの分野の研究会を通して,企業と学術界の研究者や技術者,学生が最先端の成果を議論できる場を提供することで,新しい分野の創出や相互の技術交流に大きく貢献しています.今後は,より産業や社会課題解決の観点から必要とされる技術について,学問分野にまたがる知を融合し新たな価値を創造していく場としてもっと活用されるように発展させていきたいと思います.特に先端的な技術分野であるAIや量子コンピュータについては,産業界で先行している部分もあり,組織や領域を超えた活発で開かれた技術交流と社会実装に向けた課題の共有が技術の進歩を早め,世界をリードするチャンスを広げるものと確信しています.
次に,国際交流です.本会は,これまでも海外の国際学会との交流を行っていますが,多様な分野の知識や経験を持った研究者・技術者の積極的な参加を促し,世代の違いや産学の枠を超えた人材の交流や国際交流も含めて進めていく必要があると考えています.2015 年度に開始したジュニア会員制度を始め,学生や若手研究員の参画や育成にも積極的に取り組んでいきたいと思います.
情報技術は,現代社会のあらゆる側面に浸透し,基盤的な分野となっています.また,その発展はほかのすべての科学技術分野を加速させる力を持っています.そのために異なる分野や立場,組織からの視点や経験を結集することは,情報技術分野において新しいアイディアやイノベーションの創出に不可欠です.新しい時代の新しい価値を創造していくオープンで多様な議論ができる場として,本会の魅力をさらに高めていけるように努力して参りたいと思いますので,ご支援のほど,お願いいたします.
(2023年5月23日)
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