2014年01月06日版:大沢 英一(調査研究担当理事)

  • 2014年01月06日版

    計算的思考のすゝめ」

    大沢 英一(調査研究担当理事)


     近代以降の日本の初等教育における基本に「読み書き算盤」という言葉がある。英語ではそれを“three Rs”と表現する。それは,reading,writing,そして,arithmeticの3語に“R”という文字が含まれていることに起因する。この,読み書き算盤という初等教育の基本は,20世紀以降に多くの国で追求されてきたことであろう。しかしながら,21世紀に入り,それらに新しい要素が加わりつつある。それは「コンピュータ」である。現代では,文化・社会・経済・産業・政治などのあらゆる分野で情報処理技術が不可欠となっていることから,たとえば学部の導入教育で「コンピュータ・リテラシ」なる教育を行っている大学が多い。また,人間社会の多くの部分が情報技術との関係性を深めつつあることにより,たとえば,高校教育課程でも,2003年より「情報」の教科が導入されていることはご存知の通りである。

     この情報(教科)の目標をみると,「情報及び情報技術を活用するための知識と技能を習得させ,情報に関する科学的な見方や考え方を養うとともに,社会の中で情報及び情報技術が果たしている役割や影響を理解させ,社会の情報化の進展に主体的に対応できる能力と態度を育てる。」とある。これはとても重要な目標であり,その目標を達成するための情報教育は意義深い。しかしながら,実際にその教育のプログラムの詳細をどうのように設計し,また,どのように実装していくかは,さまざまな方針があり,また,教育内容の選択の幅なども考えると,これはなかなか容易なことではない。

     ところで,私が2006年から注目している,ある教育的な取り組みがある(私はこれまでに,以下のことについて,日本では他の人から耳にしたことは皆無である。その存在があまり知られていないか,もしくは,注目している人がきわめて少ないのだろう)。それは米国カーネギーメロン大学において“Computational Thinking”という思想の下に行われている教育上の取り組みである。興味のある方は,CACM2006年3月号に掲載された以下の記事をご覧いただければと思う。

     また,CMUでの当該教育の取り組みについては,以下のWebサイトに詳しく紹介されている。

     さて,この“Computational Thinking”であるが,あえて日本語に訳せば「計算的思考」となるであろう。そして,その本質は,情報処理エージェント(システム)による効率的な問題解決が可能となるように表現される問題の形式化,および,その解決に伴う人間の思考(の育成)にある。平たく言えば,人間社会におけるさまざまな問題を情報処理技術を用いて解決可能となるよう,問題の形式化から解決までの過程を情報処理で行えるように表現・加工する思考のことである。私が考えるに,そこでは,問題領域や問題そのものが計算可能となるよう抽象化を行うことが最重要であり,そして,問題解決の過程については,当該問題の領域,および,それに関わる人間や社会に内在するある種の力学を計算可能な形に表現することが求められる。

     そして,その過程に関係する重要な事実として,計算機システムを構成するさまざまな概念の多くは,元々は人間が大昔から持っていた実世界に関する概念,認知,思考,行為,そして知恵などから比喩的に借りてきたものであるということがある。たとえば,オペレーティング・システムのキャッシュは,毎日出かけるときに持っていくバッグに対応している,などである。それは一例であるが,その他にも,計算機システムおよび計算にかかわる多くの概念やアルゴリズムなどは,実世界における我々の活動との概念的関連性・親和性が高い。このことにより,計算的思考は,数学のようなきわめて抽象度の高い思考とは異なり,発想の転換をすれば,誰もがそれを比較的容易に身につけられるものなのである。

     現在の日本の学部における「コンピュータ・リテラシ」教育をみると,大学ごとにさまざまな工夫がなされているようである。その教育の中身をみると,情報倫理にはじまり,情報処理システムの概論,情報処理に用いるさまざまなツールの習熟,そして,プログラミング技術などが主なようである。ソフトウェア設計に関する基礎教育も重要ではあるが,学部導入教育では,コマ数や時間数の制限により,なかなかそこまで手がまわらないのが現状である。しかし,大学教育においては,「計算的思考」が主張するような思考方法を身につけることが,情報処理システム,情報処理のためのツール,そして,プログラミング技能を身につけるよりも,より基本的で,また,本質的な事柄である。

     そして,情報処理にかけられるように問題とその解法を表現可能とする思考は,計算機科学や情報技術に従事する者だけでなく,社会との関わりを持つ人であれば,おおよそその職業や職種が何であっても,今後はますます重要となることであろう。そして,国民の多くがそのような思考方法を身につけたとき,その国家は,今後の国際的な情報化社会において大きな力を持つこととなる。

     諸外国の動きに関するニュースなどから明らかなように,今は世界のいくつかの国で,初等教育の段階から「読み書き算盤コンピュータ」が開始されている。日本も,その方向に動き出すことは必至であるが,特に,大学学部においては「計算的思考」に類似の導入教育が,全国の多くの大学で,広く深く模索される必要がある。繰り返しになるが,重要なことは,陳腐化の激しい情報通信技術における現行技術の習熟だけではなく,(ノイマン型計算機を使い続け,オペレーティングシステムの基本概念・設計が大きく変わらない限り)長く未来にわたり通用するであろう基本的能力であるところの計算的思考の育成にある。大学などの高等教育機関で教育に携わる者は,そのことを常に意識しておかなければならないと考える。