2021年09月13日版:松尾 豊(企画担当理事)

  • 2021年09月13日版

    「デジタル庁発足に想う

    松尾 豊(企画担当理事)


     本会の企画担当理事を拝命して1年が経過した。私が普段活動している人工知能学会よりも格段に大きく、その活動の全容を把握するだけでも大変で、なかなか貢献できていないが、少しずつ頑張っていきたいと思う。

     この原稿を書いているまさにその日、9月1日にデジタル庁が発足した。大変に喜ばしいことだと思う一方で、私は同時に何か、寂しさ、やるせなさのようなものも感じてしまった。会員諸氏はどうお感じになっただろうか。

     私が小学生のころ、1980年代、カシオの小さなポケットコンピュータを買ってもらって夢中になって遊んでいた。次に、SHARPのもう少し大きなポケコンを買ってもらった。コンピュータというものに、無限の可能性を感じた。中学になり、NECのPC-8801やPC-9801が全盛になった。私は親に無理を言って、2年がかりの懇願の末、X68000というSHARPの高価なパソコンを買ってもらった。このパソコンを自分の思うがままに動かせることは夢のようなことだった。当時、確かに、日本は、デジタルに向かっていたし、「デジタル」という言葉も溢れていた。デジタルの未来を、世界の誰よりも正確に理解していたのは日本だったのではないだろうか。

     その後、少しずつおかしくなってきたのは、90年代、インターネットの時代に入ってからだろうか。インターネットの無限の可能性から、多くの人は目を背けた。日本がある意味、頂点に立った気分になっていたからかもしれない。傲慢になり、新しい挑戦をする若者や新しい技術を否定したい、ある種の「老害」が始まっていたのかもしれない。インターネットはオタクのもので、彼らが作り出す技術やサービスは、メインストリームのものとは関係ないという雰囲気だった。

     その後、2000年代、2010年代のインターネット、スマホを中心とする、大きな技術とビジネスの変化に日本はついていけず、ようやく危機感が顕著になってきたのがここ数年だろうか。私の専門とするAIでも、ディープラーニングが重要だと2014年くらいから声を大にして言い続けたが、やはり保守的な人たちは多く、せっかくのAIへの投資も、深層学習という新技術への投資と国際的な競争力の確立にうまく結びつかなかったという、忸怩たる思いがある。

     そういう意味で、デジタル庁ができたということは、日本が自分たちの弱い部分、この20年の敗戦を正面から捉えるようになったという意味で、とても良いことだと思う。発表されたメンバにも素晴らしい方々がたくさん入っており、期待は大きい。と同時に、「今になって、ようやく」という気持ちもあり、失われた年月の大きさを感じて、どこか寂しくもなってしまう。

     私はいつも考えてしまう。異なる未来はなかったのだろうかと。もしこの状況が分かった上で、20年前の2001年に戻れるとしたら、自分はいったい何ができただろうか。あるいは、30年前の1991年に戻れるとしたら、どういう変化を生み出せただろうか。翻って言うと、日本のさまざまな企業や能力ある個人は、本当にやるべきことをやってきたのだろうか。デジタルの中心であるはずの本会は、これまで本当に果たすべき役割を果たしてきたのだろうか。

     これから先、20年後、30年後に同じ思いを抱かないように、未来から見た今日の1日に、自分のベストを尽くしたいと思うと同時に、本会の活動も、未来から見たあるべき一歩であり続けて欲しいと思う。