Vol.61 No.12(2020年12月号)



Vol.61 No.12(2020年12月号)

反魂太郎
反魂太郎
高校生

 

   意識などを機械に移して永遠の命を手に入れたとき,その人は死ぬことができるのでしょうか.

  僕は今,赤ちゃんを育てているのですが,毎日変わっていきます.昨日まで見られた可愛らしい仕草が,ある日を境に見られなくなったりします.成長の証でもありますが,喪失感もあります.生きることは変化であり,小さな死,喪失の連続かもしれないと思います.最近,自分の生まれた頃の写真を見たのですが,名札でもない限り自分だと分かりませんでした.同じ人間ですが,別人のようにも感じます.さて,ご質問の件ですが,人間から機械に魂を移したら,色々なことが変化するでしょう.前と同じように考えたり感じたりできるのか分かりません.できたとしても,その命が長く続けば,ますますいろんなことが変わるでしょう.あなたがあなただと思っている何かは,どこかで消えているかもしれません.
  「死を回避したい」という気持ちは,多くの生物にビルトインされています.しかし「より良い生とは何か」を哲学的に考えられるのは,地球で人間だけかもしれません.生を問い続けた先に,「機械に意識を写す」とは一味違う世界があるかもしれない.そんな風にも思ったりします.とはいえ,長生きしたいですけどね.

山田胡瓜

山田胡瓜
漫画家

すがやみつる
すがやみつる
[正会員]
京都精華大学国際マンガ研究センター/マンガ家

  鋭い質問ですね.まず「死」について考えてみましょう.日本の法律では「呼吸と血液循環と脳の全機能の完全停止」を死の判定基準としています.人間の「意識」に関係しているのは大脳ですが,ほかに運動を制御する小脳,呼吸や心臓の動きを制御する脳幹があります.大脳や小脳が働かなくなっても脳幹が働いていれば,ヒトは生きられます.いわゆる植物人間の状態です.「脳死」はすべての脳が機能を停止した状態を指しますが,脳幹が働いていなければ数日で死に至ります.
  「意識」を移植すればヒトとしての命は維持されるのではないか? そんな「夢」を扱った創作も多く生まれてきました.
  『8マン』(原作・平井和正,作画・桑田二郎(次郎))というマンガは,殉職した刑事の意識を人工頭脳に移植したロボット刑事でした.
  『サイボーグ009』(石ノ森章太郎)というマンガの主人公は,生きた脳を機械の身体に合体させた機械人間で,いつも「自分は人間なのか機械なのか?」という悩みを抱えていました.石ノ森は,『人造人間キカイダー』というマンガで,アンドロイド(ヒト型ロボット)の主人公に「良心回路」という意識を制御する装置を与えることで,「ロボットは人間になれるのか?」という命題にも取り組みました.
  『鉄腕アトム』(手塚治虫)は,事故死した少年の身代わりにつくられましたが,成長しないことから人間ではないと判断され,サーカスに売られた過去を持つロボットでした.
  「人間か機械か」という相克(そうこく)はサイバー空間にも持ち込まれ,『攻殻機動隊』(マンガ・士郎正宗,アニメ監督・押井守)という作品も生まれています.
  永遠の生命は人類にとって古来からの大きな夢でした.マンガ『キングダム』(マンガ・原泰久)でも知られる古代中国を統一した秦始皇帝は,徐福という方士(仙人になる修行をする人)に不老不死の霊薬を探すよう命じ,東方の海に旅立たせたことが知られています.また日本にも,人魚の肉を食べて不老長寿を得た八百比丘尼(やおびくに)の伝説が各地に残っています.こんな伝説も,永遠の生命への憧れが生み出したものではないのでしょうか.
  でも,全人類が永遠の生命を持ったら,人口は増える一方になり,限られた資源を奪い合って殺し合うようになりそうです.また,老化や死は,人類の進化と引き換えに得たものだともされています.「生と死」について考えることは,医学や生物学から哲学や宗教についてまで考えることです.ここで紹介したマンガを読むだけでも,考えるヒントがたくさん得られると思います.ぜひ読んでみてください.
  あ,そうだ.あなたの質問に,まだ答えていませんね.意識などを機械に移すことが永遠の命を得たことになるのなら,その命は簡単に絶つことができます.機械の動力や電源のスイッチを切ればいいのですから.これを人の死というのなら,スイッチを切った人は殺人罪に問われるかもしれませんね.

 すがやみつる写真2

  死ぬことがあるか,ではなく「できる」かどうか.良い観点ですね.機械でも壊れたりすることはありますが,その前にいろいろな形で意識の複製を作っておけば,どれかは生き残り続けそうです.すべての複製を消した,と思っても,誰かが何かからまったく同じ意識を「再生」するかもしれません.「死ぬ」のは簡単ではなさそうです.
  そうした世界では,おそらく現在の人間とは死生観も変わってくるでしょう.元通りに再生されても,壊されたりした意識自体は死んだ,と感じるかもしれません.時間を経て元の意識との共通点が少なくなってきたら,今の意識は生きていても元の意識は死んだ,とみなすかもしれません.長く生きて最早新しい経験ができなくなり意識の中身に意義ある変化がなくなることが「死」だと思うかもしれません.存在したことのある意識は,たとえ消えても「死」ではなく,今も生きているのと同等と考えるかもしれません.
  いずれにせよ,何かが「(不可能ではないが,ほぼ)できない」となれば,どうにかしてそれを「できる」ようにすることを目指す人は現れそうに思います.そして,永遠の時間があれば,いつかそれを実現してしまうでしょう.

綾塚祐二
綾塚祐二
[正会員]
(株)クレスコ

折田明子
折田明子
[正会員]
関東学院大学

  映画『トランセンデンス』(2014)では,主人公が死の間際にコンピュータに意識をアップロードすることで,人工知能として甦る物語が描かれていました.この映画では,コンピュータを止めようとする友人に,「シャットダウンするの? これは彼よ!」と妻が叫ぶシーンがありました.
  生物としての肉体に限界がきたとき,意識をコンピュータに移せば生き続けられるのであれば,「死ぬ」ということはそのコンピュータが停止したとき,と考えられます.では,人工物であるコンピュータの管理や制御は誰が行うのでしょうか.意図的に止めたならば殺人なのか,過失で故障させたら過失致死となるのか……死ぬことができるとしても,意識の容れ物が人工物である以上,その設計や運用に携わる第三者が非常に重い責任を負うことになるのかもしれません.

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