「論文誌が紡ぐ知の循環」
稲見 昌彦(論文誌担当理事)
論文誌担当理事として2年目を迎え、改めて学術論文誌の役割について考える機会が増えています。かつて私が博士課程の学生だったころ、光学迷彩の研究発表で山下記念研究賞をいただき、その後論文賞までいただいたことが情報処理学会との出会いでした。あのときの喜びは、単に賞をいただいたことだけでなく、自分の研究が学術コミュニティに認められ、論文として後世に残る形になったことにありました。
現代において、論文誌は単なる研究成果の記録媒体ではありません。それは、研究者同士の対話の場であり、知識の体系化を促進する装置であり、そして何より、次世代の研究者を育てる苗床です。私が会誌編集長時代に「繋ぐ」をキーワードとしたように、論文誌もまた、さまざまな「繋がり」を生み出す役割を担っています。しかし、論文誌における「繋ぐ」は、より深い学術的な対話と知の継承を意味します。一つの論文が、時を超えて別の研究者にインスピレーションを与え、新たな研究を生み出す。この知の循環こそが、学術コミュニティの生命線なのです。
情報学分野の良いところは、分野が比較的若いゆえに歴史的な人物がご存命で直接お会いできることもあることです。学生時代に論文で知っていた殿上人のような方から、自分の研究へのコメントをいただく喜びはかけがえがありません。私もVRの父であるIvan Sutherland先生と言葉を交わしたり、da Vinciを開発したKenneth Salisbury先生から「自分も第三のロボット腕を開発しているのだけど君の研究はとても面白い」と声をかけていただけたりしたことは、何事にも代えがたい喜びでした。今でも時折自分の指導教員や歴史的な研究者が自分よりも若かったころに書いた論文を読み返します。すると行間からも生き生きと先人の考えが再生され、時空を超えて対話をしたかのような感じを受けます。
このように論文誌は、まさに時空を超えるメディアとして、過去と未来を繋ぐ架け橋の役割を果たしています。今日投稿される論文が、10年後、20年後の研究者にとって貴重な知的資産となり、かつて私が先人の論文から学んだように、未来の研究者が時空を超えた対話を体験できるよう、私たちは長期的な視点で論文誌を運営する必要があります。同時に、現在の若手研究者が論文執筆を通じて成長し、将来の学術コミュニティを担う人材となることを支援する仕組みづくりも重要です。メンタリングプログラムの充実や、学生向けの論文執筆ワークショップの開催など、具体的な施策を展開できればと考えています。
実際本会の査読システムには「石を拾うことはあっても玉を捨てることなかれ」という基本理念があります。これは加点方式による査読を意味し、論文のオリジナリティを重視し、学術上の議論を活性化する可能性があるものを積極的に採録する姿勢を表しています。私自身、今でも査読コメントから多くを学んでいます。時に厳しい指摘もありましたが、それらは研究を深化させる貴重な示唆でした。優れた査読システムは、論文の質を担保するだけでなく、研究者を育てる教育的機能も持っています。特に学生や若手研究者にとって、査読は単なる関門ではなく、研究力を磨く機会となるべきです。
情報技術の進展により、論文の発表・流通・活用の方法は大きく変わりました。オープンアクセスの推進により、研究成果へのアクセシビリティは飛躍的に向上しています。今後は検索エンジン最適化(SEO)ならぬAIエージェントに学習されやすい論文誌の在り方も検討していかねばならないかもしれません。そして論文に付随するデータやコード、デモ動画などを統合的に管理・公開する仕組みの構築を進めています。研究の再現性を高めるだけでなく、論文を起点とした新たなコラボレーションを生み出すプラットフォームを目指しています。
情報処理学会の論文誌が、単なる研究成果の記録ではなく、研究者の成長を促し、新たな知を生み出し、社会に貢献する「生きた」メディアとなることを目指して取り組んでまいります。皆様のご協力とご支援を、心よりお願い申し上げます。