計量文献学による『源氏物語』の成立に関する研究

 
土山 玄
同志社大学研究開発推進機構 特別任用助教

[背景]『源氏物語』は作者及び成立巻序に諸説あり議論の余地がある
[問題]作者複数説と成立過程の計量的な検討
[貢献]人文学研究への新たな研究資料と視点の提供
 
 『源氏物語』は日本を代表する古典文学作品であり,およそ千年前に成立し広く読み継がれ,研究史の長い物語である.しかし,未だ多くの研究課題が存在し,作者の問題や成立過程の問題は有名である.前者は作者が紫式部単独であるのかということ,後者は成立巻序を明らかにするという課題である.このような研究課題は人文学の研究に加え,計量的にアプローチすることで新たな知見が得られるものと考えられる.

 現代文や欧米諸語の文献に対する,書き手の識別を目的とした計量分析の有効性は広く報告されている.一方,古典作品の多くはオリジナル原稿が散逸しており,書写によって継承されていることから,原作者の文体的特徴が希釈されている可能性が想定される.従って,古典文への計量分析の有効性を検討する必要がある.

 そこで本研究では,『源氏物語』と同時期に成立した物語文学である『宇津保物語』,『源氏物語』の擬作である『山路の露』『雲隠六帖』『手枕』を分析対象に加え,『源氏物語』との作者の識別を試みた.なお,擬作とは『源氏物語』と世界観を共有し,『源氏物語』の文体を模倣し執筆された作品である.

 対象となる作品における語の出現率などを分析項目として採り上げ,多変量解析を行った結果,『源氏物語』との間において作者の識別は可能であり, 古典文における作者の識別に計量分析が有効であることを明らかにした.またこれらの分析を通じ,助詞の語の出現頻度などの作者が異なるときに出現傾向が相違する分析項目を指摘した.

 以上の分析結果を踏まえ,『源氏物語』において論じられる作者問題に検討を加えた.『源氏物語』の最終10巻は宇治十帖と称され,一条兼良 (1402-1481)の 『花鳥余情』(1472)において,宇治十帖の他作者説がすでに指摘されている.また,宇治十帖に先行する匂宮三帖と称される3巻においても,同様に古くから他作者説が提起されている.本研究では,これらの13巻について他の諸巻と作者が同一であるのか分析を行った.結果,匂宮三帖および宇治十帖の作者が他の諸巻と異なることを支持する積極的な根拠は認められなかった.

 次いで,一般に匂宮三帖と宇治十帖の13巻は『源氏物語』の第三部と称され,成立過程の研究では第三部が採り上げられることは少ない.宇治十帖に おけるヒロインの1人である浮舟が「宿木」から登場することから,宇治十帖はストーリー上前半4巻と後半6巻に分けられる.あるいは「橋姫」「宿木」「手習」の3巻は共通して「そのころ」という発語によって開始されることから,構造上3つに分類されると指摘されるなど,諸説がある.第三部について多変量解析を行ったところ,匂宮三帖と宇治十帖との間に量的傾向の相違が認められた.この分析結果は国文学の成果と合致すると言える.しかし本研究の分析結果から, 従来の指摘とは異なり,宇治十帖の前半5巻と後半5巻との間に顕著な量的傾向の相違があることが明らかになった.従って計量的判断に基づくと,第三部の13巻は匂宮三帖・宇治十帖前半5巻・宇治十帖後半5巻という3つのグループに分類され,この13巻は段階的に成立した可能性が考えられる。
 
 

(2015年6月11日受付)
取得年月日:2015年3月
学位種別:博士(文化情報学)
大学:同志社大学



推薦文
:(人文科学とコンピュータ研究会)


本論文は,『源氏物語』の成立過程について計量的な観点から統計手法を用い考察を加えたものである.本研究により,巻ごとの量的傾向の相違を明らかにし,宇治十帖が段階的に成立した可能性を示した.本論文は,計量文献学的アプローチの典型的な研究であり,人文科学とコンピュータの融合という意味で価値ある研究である.


著者からの一言


博士論文の執筆にあたり,多くの力添えをいただいた先生方に深く感謝しており ます.特に,指導教授の村上征勝教授,金明哲教授,矢野環教授,沈力教授, そして国文学研究資料館の今西祐一郎館長には博士課程在籍中の長きに渡ってご 指導ご鞭撻いただき,心よりお礼申し上げます.