トランザクションデジタルプラクティス Vol.5 No.4(Oct. 2024)

ITと教育–高等教育機関と社会の繋がり

堀 真寿美1,2

1大阪教育大学  2NPO法人コンソーシアムTIES 

1Osaka Kyoiku University, Kashiwara, Osaka 582–8582, Japan  2NPO Consortium TIES, Tennoji, Osaka 543–0054, Japan 

1. 編集にあたって

日本の高等教育機関はこれまで,若者の学位取得に主眼を置いた経営を展開してきており,社会との連携を必要とする成人の生涯にわたる学びについては積極的に取り組んでこなかった.企業の教育もまた,長らく年功序列制度に基づく雇用を前提としたキャリア形成のためのものが主流であり,成人の学び直しについての動機は薄く,未だにキャリアチェンジのための環境整備は整っていない.

しかし,社会全体が激しい変革の時代を迎えている今日において,個々人は適応力と競争力を維持するために,生涯にわたる自らの能力のアップデートを求められ,成人の学び直しは不可欠となっている.同時に企業も,超高齢化社会を前にして,新たな労働力の創出や労働年齢の延伸を希求するようになっている.

こうした背景から,高等教育機関は社会との連携を強化することで,人々の生涯学習を支援するとともに,個人が自己成長や自己実現を追求するための場としての機能を求められるようになってきている.具体的には,産学連携や地域との連携を進め,地域のニーズや産業の要求に即したカリキュラムやプログラムを開発することで,社会との関わりを強化することが求められている.

現在,高等教育機関も企業もそして個人も,従来の枠組みを超えて人々が生涯学び続けるための仕組みを構想する段階に来ている.

本特集では,IT技術による学び続けるための教育の仕組みを通じて,高等教育機関と社会との広範な関わりを促進し,人々が生涯学習を続けられるような実践的な取り組みや実証研究の展開を求める企画とした.

1.1 特集号編集委員会

本特集号は,次の編集委員会を組織し,編集した.

編集委員長:堀真寿美(大阪教育大学・NPO法人コンソーシアムTIES)

副編集委員長:宮下健輔(京都女子大学)

コーディネータ:坂下秀(株式会社アクタスソフトウェア)

編集委員:喜多敏博(熊本大学),児島完二(名古屋学院大学),重田勝介(北海道大学),白井詩沙香(大阪大学),新村正明(信州大学),古川雅子(国立情報学研究所),望月雅光(創価大学),山川広人(公立千歳科学技術大学)

2. 本特集の論文について

本特集では,二本の招待論文と四本の投稿論文を掲載している.

まず,新矢貴章氏らによる招待論文「日本IBMのリスキリングに関する取り組みにおける成功要因と考慮ポイント」では,日本IBMにおけるリスキリングの取り組みとその成功要因を詳細に報告している.本稿では,IBMに根付く「自律的に学び続ける文化」を基盤とし,全社的なスキル育成施策やFuture Skillingプログラムなど,具体的な取り組みを紹介している.特に,ビジネス戦略との連動,スキルギャップの可視化,そしてスキルを発揮する機会の創出という3つの要素が効果的なリスキリングには不可欠であると指摘している.また,AIを活用した学習プラットフォームの導入や,コミュニティ・ラーニングの促進など,最新の取り組みも紹介されている.トップダウンによる推進といった現場での実践,デジタルツールの活用,そして組織文化の醸成など,多角的な視点から取り組みが分析されており,他企業にとっても参考となる多くの知見が含まれている.

また,柴辻優樹氏らによる招待論文「日立グループでの学習体験プラットフォーム(Learning Experience Platform: LXP)を起点とした自律的なリスキリング・アップスキリングの学び活性化の取り組み」では,日立グループにおけるLearning Experience Platform(LXP)を活用したリスキリング・アップスキリングの取り組みを詳細に報告している.カスタマーアナリティクスに基づく学習促進・習慣化支援の取り組みを実施しており,行動変容ステージモデルを用いたユーザの分類,AIを活用したパーソナライズ化された学習支援,そして効果的な学習支援方法の検証などを報告している.データ駆動型のアプローチでユーザの行動変容を促す試みは,他の組織にとっても参考になる貴重な知見を提供している.

梶田将司氏らによる投稿論文「教育用端末サービスのBYOD化・クラウド化におけるアーキテクチャ的視座~TOGAF標準援用の試み~」では,京都大学の教育用コンピュータシステムの変遷について,特に第10世代から第11世代への移行に焦点を当てて解説している.BYOD(Bring Your Own Device)の導入やクラウドベースのシステムへの移行について,オープングループのエンタープライズ・アーキテクチャーのフレームワークであるTOGAF標準を援用したシステム移行の体系的な分析が行われており,大学のIT基盤の戦略と変革が詳細に説明されている.高等教育機関におけるIT戦略の長期的な実践例として興味深い内容となっており,IT戦略立案者や管理者にとって有用な知見を提供している.

平井佑樹氏らによる投稿論文「信州大学全学必修科目:データサイエンスリテラシーの開講とその成果」では,信州大学において2023年度から開講された全学必修科目「データサイエンスリテラシー」を報告している.科目の概要,実施結果,および今後の課題について詳細に記述されている.大学におけるデータサイエンス教育の実践例として参考になる内容であり,オンデマンド授業の設計や運営,学生の行動分析,課題の抽出方法など,実用的な情報が多く含まれている.同様のプログラムを検討している大学関係者や,データサイエンス教育に興味のある教育者・研究者にとって有益な資料となる内容となっている.

竹田一旗氏らによる投稿論文「Comfortable PandA: Student-Developed Extension for Enhancing the Usability of Sakai LMS at Kyoto University」では京都大学の学習管理システム(LMS)「PandA」の学生の視点に立った使い勝手を向上させるために,学生主導で開発されたブラウザ拡張機能「Comfortable PandA」に関する論文である.拡張機能の開発背景,機能,大学との連携,ユーザ評価などが詳細に記述されている.高等教育におけるデジタル化と学生参加型の開発プロセスの重要性を示す貴重な事例であり,LMSの使いやすさ向上が学習効果に与える影響や,大学と学生の協働による教育環境改善の可能性を示している点で,教育工学や情報システム管理に関心のある研究者や実務者にとって参考になる内容である.

川又泰介氏による投稿論文「研究業績情報を用いた大学教員の階層的分類」では,大学の研究情報を可視化するために,教員の業績タイトルから特徴を抽出し,階層的クラスタリングを適用した研究を報告している.茨城大学の教員のresearchmapから収集した業績タイトルに対して,Sentence BERTを用いた特徴抽出とWard法による分類を実施している.大学の研究情報管理や可視化に新たなアプローチを提案しているおり,特に,自然言語処理技術を活用して研究業績を自動的に分類し,視覚化する手法は,大学の研究戦略立案や学際的な共同研究の促進に役立つと考えられる.大学の研究マネジメントや情報システムの開発に携わる実務者,および自然言語処理や情報検索の研究者にとって,有用な知見を提供する.

招待論文は会誌「情報処理」のデジタルプラクティスコーナー,投稿論文は論文誌デジタルプラクティスに掲されている.

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