会社等組織における人事評価の手法[1], [2]は経営に携わる者にとって長年の共通テーマである.筆者の一人はこれまで会社の生産性向上,社員の仕事に対するモチベーション向上,会社に対する満足度向上等実現のため,様々な人事施策を試みてきた.その中でも,1年を2期に分けて社員を評価し,職歴,職能,役職で決まる「基本部分」,半年間の収益と成果で決まる「成果評価」および会社への貢献で決まる「情意評価」に基づいて賞与を配分する賞与査定に関して,様々な取り組みを行ってきた.
筆者の一人が長年経営に関わっている会社(以後,自社と呼ぶ)はシステム開発を請け負うIT企業で,プロジェクト制を採用している.したがって,「成果評価」部分に関しては賞与査定期間内におけるプロジェクト単位の売上・収支とプロジェクト遂行に要した作業時間等客観的なデータに基づいて査定を行い,賞与を配分してきた.一方,「情意評価」とは業務の枠を超えた社員の会社への貢献を評価するもので,たとえば全社的なイベント運営への協力や,自発的に行う勉強会等の開催,協働の自発性による貢献等が該当し,従来は上長による面談等で対応してきた.
その後客観的な人事評価の導入検討の一環として360度評価や多面評価法等[3], [4]の導入を検討し,2014年に360度評価の導入実験を実施した.その際に用いた評価項目は,当時他社で行われていた事例を調査して自社に合った項目を選別し,次の13項目とし,各項目6段階での評価を試みた.管理技術を評価する項目としては1:コスト管理,2:品質管理,3:提案力,4:リーダーシップ,5:マネジメント,6:営業力を用いた.情意評価項目としては7:チャレンジ(新技術への挑戦),8:確実性(最後までやりきる),9:提供力(持てる技術を教える),10:規律性(会社の決まりや上司からの指示を守れたか),11:責任性(与えられた仕事を最後までやり遂げたか),12:協調性(組織全体の業績向上にむけて,周囲と協力して業務を進められたか),13:積極性(与えられた仕事の範囲を超えて,工夫や提案,自己啓発を行ったか)の7項目を用いた.
被評価者の評価は,職能上位者6名(うち3名は被評価者を仕事上良く知る部署の者)と下位の職能者2名が行った.この結果と被評価者の自己評価結果をもとに被評価者と上長が面談を行う方式で実施し,4人の被評価者を対象として実験を実施した.その結果,職能上位者と下位者との評価点の差異が大きいほか,被評価者の一面しか知らない評価者は点数をつけられないなど,運用上の問題が判明したため,本方式の全社的導入は断念した.
このように,従来の方式に替わる人事評価方式の導入は,自社では困難であることが明確となった.特に,いずれの方法でも面談等を実施する時点での評価しかできておらず,査定対象期間全般において,動的に変化する組織の途中過程における情意等を把握することができないという問題点がある点と,評価者側の負担が大きい点が問題であった[1].
そこで,筆者らは社員同士が交換するメッセージを情意評価に利用すれば,査定対象期間全般における客観性を確保した情意評価が可能なのではないかと考え,新たな情意評価方法として提案する.社内におけるメッセージ交換は,従来からメールやビジネス用のチャットシステム,対面による口頭等で行われているが,本研究では将来における拡張性等の観点から,社内メッセージ交換システム(以下tBCともよぶ)を新たに開発し,2019年から社内での運用を開始した.本システムは自社を含む関連会社等組織の活性化に将来応用しようと筆者は考えているため,セキュリティやプライバシー等への配慮を検討したうえでtBCシステムにおける自社特許[5]を取得した.本稿は,tBCの社内における賞与査定の情意評価への応用について述べたものである.
情意評価に利用するために社員同士が交換するメッセージの内容としては,仕事に限定せず社員同士で“感謝の気持ち”を表すための“謝意”と“謝意の重み”とした.
謝意を用いた第一の理由は,マルセルモースが“贈与論”の中で「貨幣は感謝の気持ちを伝える方法である」と述べており[6],社員のモチベーションには“貨幣”という賞与として与えられる有形のものと,“感謝の気持ち”という無形のものとが関与していると考えるからである.
第二の理由は,“感謝の気持ち”を利潤最大化原理とは対立する対話原理としてとらえ,ビジネスゲーム「幸せのおカネを創るワークショップ」の実施を通して,“感謝最大化原理”と“利潤最大化原理”を参加者は体験できたと報告されており[7],謝意と賞与における情意評価とは関連性が高いと考えるからである.
社内メッセージ交換システムtBCは,社員間で感謝の気持ちを表す電子的なメッセージである「サンクスカード」を日々取り交わすことができるもので,送信者は“謝意”に加えて“謝意の重み”と“自由メッセージ”を付与できる.また,謝意の種類を送信者が表意することができるように,6種類のカテゴリー(個人的/プロジェクト内/プロジェクトの枠を超えて/会社全体/客先を含む/業界全体を含む)を送信時に選択するようにした.
賞与査定期間全般にわたってこのサンクスカードが社員間で交換されれば,社員が受信した“謝意の重み”の総計を基本として賞与の「情意評価」部分が計算可能となる.更に,従来の賞与配分では面談等による情意評価の割合が約10%であったが,“謝意の重み”の総計が従来と同等の割合となれば,実際の賞与査定で利用可能であることを示すことができる.ここで述べた本提案方法が賞与査定で利用可能となるために満たすべき条件を,条件1~5として以下に示す.
【条件1】 tBCの導入により社員間の謝意メッセージ交換を把握し可視化できる
【条件2】 査定期間全般にわたってtBCが利用される
【条件3】 過去の賞与査定の実績と比べて,本方式による査定結果による配分総額が妥当である
【条件4】 本方式による査定結果に従来と同様の個人差が現れること
【条件5】 情意評価として妥当な項目が謝意メッセージによって交換された
本稿では,本提案方式およびtBCの概要を述べ,2019年11月から2021年11月までの2年間を,6ヶ月を1期とする4期にわたって社内で運用した実績をもとに,謝意の重み1単位を100円として社員に周知して実際の賞与査定で用いた結果を示し,本方式の限界について述べる.
本稿のデジタルプラクティスに対する貢献は次のとおりである.
会社には規模や業種等に応じて様々な形態が存在するが,本研究では,社長や各部署のリーダがそれぞれの頂点として階層的な指揮系統を備えたピラミッド状の構造を有した会社[8]における人事評価を対象とする.このような会社では,社員の状況把握や人事評価を行う方法として,様々な方法があり,先述したとおり自社においてこれまで様々な方法を適用してきた.ここでは,自社で実施してきた人事評価方法と賞与査定方法について述べた後に,人事評価の定量化に適用可能と考えた組織内における謝意メッセージの交換を利用する方法について述べる.
会社等の組織では,構成員が毎年期初に上司と面談して自己目標を定め,期中に複数回面談を行い,期末に自己評価を行った結果を上長と面談する方法が一般的である[9], [10].本方法は,構成員の考えを上長に自己申告することから,職責や立場を考慮した考え等を収集するのに大変適している.しかし,面談の実施者と受ける者との関係や,面談の実施方法に依存して結果が異なり,公平性の面で課題がある.
これらの問題を解決するため,近年は能力主義と成果主義に基づく人事評価のための基本とした360度評価[3]や多面評価法[4]の導入が期待されている.これらは上司と部下という1対1の評価ではなく,多数の社員からの評価を用いる方法であり,従来の面談等による方法では困難だった成果に対する公正な評価の実現には効果的である.しかし,評価が匿名回答であっても組織規模によっては回答者の想像がつくため,本音が現れにくいという問題がある[3].
上述したいずれの方法も,自己申告,面談,多面評価,アンケートの実施時点における評価であり,評価対象期間全般における評価ではないという問題点があった.また,数多くの評価属性を管理者が読解する必要があり,管理者による解釈の差が出やすいという問題もあった.更に,評価者に対する負荷が多いという問題もあった.
先述した人事評価結果の会社における報酬の応用先は「給料」と「賞与」であるが,本研究では「賞与」に着目し,ここでは賞与査定方法について従来方法を述べる.
賞与査定方法は会社ごとに異なるが,賞与がない会社も多い.本研究で実験対象とした自社では会社の業績に応じて全体の賞与総額が決まり,各社員の配分額は次の式(1)に示す計算式で毎年12月と6月の2回計算し支給してきた.
賞与=賞与基本部分+賞与成果評価+賞与情意評価(1)
ここで,基本部分は職歴,役職,職能で一律に決まる部分を示し,成果評価の部分は当該社員の仕事の結果に対する評価部分で,所属する部署における担当プロジェクトの収支と,社員の作業時間等によって定量的に決まる部分である.情意評価とは,仕事に対する取り組み姿勢,意欲,態度を対象とした評価のこと[1]で,自社では従来2.1に示したような上長との面談を実施するとともに,1.で述べたように360度評価の導入を試みてきたが,客観性確保と自社での導入可能性が両立する評価方法の確立は困難であった.
本研究で提案する社員同士が交換する謝意を情意評価に利用する方法は,既存のメールやビジネス用のチャットシステムを利用することも可能である.また,市販されている社員間の謝意交換システムを利用することも可能である.たとえば,Uniposは従業員同士が日頃の仕事の成果や行動に感謝・賞賛するメッセージとともに,ポイントを送りあうことができるシステム[11]で,THANKS GIFTは社員の貢献・成果を独自のコインを相互に送りあうシステム[12]である.
感謝の気持ちを社員同士で交換するのが目的であれば,既存のシステムを導入することも可能であるが,自社における情意評価は先述した7項目で行うため,既存システムをそのまま利用することはできないという問題点もあるため,tBCシステムを開発した.
本研究は,従来から自社で実施してきた式(1)に示す賞与配分における賞与査定のうち,情意評価の方法および情意評価部分の賞与額計算方法に関するものである.先述したとおり,筆者が提案する情意評価方法は,社内メッセージ交換システム(tBC)を社員が利用することを前提とし,以下に示す手順および制約下で賞与査定期間内にシステムを運用する.
本手順に基づいて賞与査定を行うことにより,従来は主観性の排除が困難であった情意評価部分についても客観的なデータに基づいて賞与査定を行うことが可能となる.
次に,内作したtBCシステムの概要を述べる[13].tBCは社員間で交換する「謝意」,「謝意の重み」,「謝意の種類を示すカテゴリー」および「自由メッセージ」を,「サンクスカード」の形式にまとめて電子的に送受信してデータベース上に蓄積し,適時データを可視化することができるシステムで,図1に概要構成図を示す.tBCシステムはブロックチェーンを用いた分散台帳管理部分とtBCエンジンから構成され,図に示すように複数組織を連携した運用が可能である.本研究の範囲内では,図中組織Aシステムの部分を用いた.
「サンクスカード」の送受信には身近なPCやスマートフォン(以下,端末)を用い(図2),職場内だけではなくてリモートワーク中には社外等でも送受信することができる.ユーザDBにはtBCを利用する社員のアカウント情報,謝意DBには社員間で交換されたサンクスカードのデータが蓄積され,経営者は謝意DBを分析することによって後述する可視化により統計的データを把握することができる.
なお,先述したとおり自社においてはtBCを用いた社内の活性化が目標の1つであるため,全社員がほかの社員の「サンクスカード」を閲覧可能とし(図3),同一組織内では常時組織全体における謝意の交換状況を把握できるようにした.組織の単位は利用者側が任意に構成でき,同一社内の事業部等や会社を組織単位とすることができる.
また,システム上には社員間の交換状況が蓄積されるため,経営者はどの社員間で送受信が行われているか,様々なグラフ形式で可視化することができる.図4は期末における可視化の一例で,図中ノードを円で示した全社員がどの社員とメッセージを交換したかを示すとともに,送受信数の多い社員が中央に位置するよう表示したものである.
また,図5には部署ごとに各社員が何人の社員と謝意メッセージを交換しているかを週単位で示しており,経営者は部署ごとの週単位での状況変化をこのグラフから把握することが可能である.
2019年11月から2020年11月まで6ヶ月を1期とする2期にわたり,先述した条件1と条件2を確認するため,自社の4つの部署に所属する各期間それぞれ76人と71人の社員を対象としてtBCの運用実験を行った(表1).
【条件1】 tBCの導入により社員間の謝意メッセージ交換を把握し可視化できる
【条件2】 査定期間全般にわたってtBCが利用される
予備実験に際しては,社員1人が1期の間に送信可能な謝意の重みの総量は100とし,運用方法を試行するため役職者には追加で重みを配分したほか,一部の社員には途中で要求があった際に追加配分を行い,重みの配分量については試行錯誤を行った.なお,各期の途中における運用者側から社員へのフィードバック等は2ヵ月に1度実施した.以下実験結果を示しながら各条件について検証する.
tBC利用期間中,送信件数の日時変化を棒グラフにしたものを図6に示す.図が示すとおり,期中の送信件数が少なく,賞与評価期間の終了間際に感謝メッセージが集中するという特徴を確認できた.
また,総送信数および各社員の平均送信数,週あたりの平均送信数について表2に示す.表2から分かるとおり,2020年夏について各社員は週に平均0.93件送付していた.予備実験により,図4,図5や図6等tBCを用いた謝意メッセージの交換が様々な方法で可視化されたことから,経営者が社員間の謝意メッセージ交換を定量的なデータとして把握することが可能となり,条件1を満たすことが確認された.
一方,条件2については査定期間の終了間際に送受信が集中したことから,条件を満たさないことが確認された.すなわち,期末に面談を行う従来の情意評価と同様に,期末においてまとめて謝意が送信されるため,情意評価としてtBCは利用できないことが予備実験により判明した.また,2020年冬は2020年夏よりも一人あたりの送信件数が減少しており,査定期間全般にわたってtBCが使われるようにするための運用上の改善が必要であることが判明した.
予備実験において条件2が満たされなかったのは,tBCが期中全般にわたって利用されなかった問題点と,2期目のほうが1期目よりも利用回数が少なかったという問題点である.これらの問題点に共通するのは,利用者に対して連続的かつ継続的な利用を促すことができてなかった点である.
この問題点を解決するためには,たとえばゲームが持つ2つのチカラである“人の知的好奇心をあおるチカラ”と“人を夢中にさせるチカラ”について考慮するのが効果的であると考えられる[14].そのためには,tBCのシステム側にゲームが持つ要素を新たな機能として導入する方法と,システムの運用上の工夫,すなわちゲーミフィケーションの導入[15]により問題を解消する方法とがある.本研究では,後者の運用上の工夫による問題点の解消を目指し,以下の3項を実施した.
上述した運用上の問題点を解消し,予備実験と同様に2010年11月から2021年11月まで6ヶ月を1期とする2期にわたって本実験を実施した(表3).
本実験の実施にあたっては,条件2と条件3についての確認により実際に社内での賞与査定と配分への適用可能性確認を目標とした.実際の賞与査定として利用するため,従来賞与の情意評価部分として配分していた賞与の総額維持を目標とし,毎月社員が送信可能な謝意の重みの総量が100単位であることと,受信した重み1単位を賞与査定時には100円と換算して配分する旨を社員にあらかじめ周知した上で実験を行った.なお,謝意の重み1単位の換算レートは,従来の賞与配分額から当該期末の賞与の見込みを予測し,送信可能な謝意の重み総量から計算して決定した.
先述した3項による運用方法の改善後の送信件数の日時変化を図7に示す.
図7が示すとおり,毎月月末に送信が偏っているものの,期末への集中はなくなり月単位で平準化されたことが分かる.よって,運用方法の改善により条件2は満たされたことが確認された.
また,表4から分かるとおり,2021年夏について各社員は週に平均2.30件,2021年冬については平均2.63件の謝意メッセージを送付しており,予備実験時に期がすすむにつれてメッセージ数が減少した問題点も解消された.
よって,図7および表4から,条件2で示した査定期間全般にわたったtBCの利用が確認された.
自社における賞与は従来から式(1)に示されるように配分を行っており,賞与情意評価の部分に関して賞与全体における割合はこれまで約10%で運用してきた(表5).
従来の方式に変えて式(2)に示す計算式で賞与情意評価により賞与を計算する本提案方式が妥当であるか否かを確認するためには,次の2項を確認する必要がある.
以下実験結果を示すにあたっては,部署ごとにわけて示すため,まず表6に本実験を実施した際の自社における部署ごとの社員数を示す.
本実験では毎月送信可能な謝意の重みの上限を100として運用したことは先述したとおりであり,各部署からは毎月最大部署構成人数を100倍した総量を発信することが可能である.表7には部署ごとに送信した謝意の重み総量,表8には受信した重みの総量を示す.
ここで,本実験期間および一部予備実験期間中における各部署の特徴を,謝意メッセージの送受信状況も含めて述べる.
特徴的な結果を示しているのは表8に下線を付与したNo.2部で,受信した重みのほうが送信した重みよりも多く,他部署の社員から受信した謝意が多いことが分かる.
No.2部は他部署からの受信が多い理由を考察する.No.2部には全社向けのイベントである毎週月曜日に約1時間実施する全員ミーティングの運営等に関わった入社2年目以内の若手社員が6名で,これは部員の30%であり,No.1部の0%,No.3部の8%およびNo.4部の23%と比べて多い.よって,全社向けイベントへの関与者が多かった結果,他部署社員からの謝意メッセージ受信が多かったのではないかと考えられる.若手社員に対する教育の一環として,従来から入社後3年間は社内イベントの責任者を経験させて将来プロジェクトの責任者になるための準備としてきたが,謝意メッセージの受信量で確認することができた.
なお,No.2部の若手社員の場合,全員が入社当初からtBCの予備実験に加わっており,このことは,今後tBCの利用が全社員に浸透していくことによって謝意メッセージの交換が更に活性化する可能性を示唆している.
続いて,表9には本提案方式により式(2)に示す計算式により配分した賞与情意評価部分の社員平均額を示す.
ここで,賞与は会社の業績に応じて増減するものであるが,先述したとおり,本実験中の2期は謝意の重み1単位をあらかじめ100円相当と固定し,社員にもあらかじめ周知して配分した.各期の賞与総額中賞与情意評価部分の占める割合を算出するため,予備実験中の1期目である2020夏の賞与総額を1.0とし,2021夏と2021冬について2020夏の賞与との比で正規化し,賞与の総額と賞与情意評価部分の割合を示したのが表10である.
表10に示したとおり,全社員に対する賞与配分における情意評価部分が,本実験の1期目(2021年夏)は11.0%,2期目(2021年冬)は8.0%となった.この配分結果は従来の約10%と同等であることが分かり,条件3で示した過去の賞与査定の実績と比べて総額として妥当な配分ができたことが確認できた.
賞与の情意評価部分は,当社では従来から先述した7項目の査定結果に基づいて賞与が反映され,個人ごとに異なる額が配分されるものである.よって,前節で示した総額の範囲内で,個人ごとにどのような差で配分されたかを確認する必要がある.そのために,個人ごとに情意評価部分が賞与全体に占める割合を求め,会社への在籍年数との関係が分かるようにグラフ化したのが図8である.
図中横軸は在籍年数の短い社員が右側となるようにソーティングされており,在籍年数が短い社員の方が情意評価部分の比率が高いことが分かる.この結果は,成果等の実績で評価されにくい若手についても,謝意メッセージの受信が多い社員は情意評価の結果が高くなり,仕事に取り組む姿勢等が評価された結果が賞与に反映されていることを示している.
また,一部の社員は情意評価部分の割合がゼロであり,これは感謝メッセージの受信がゼロであることを示している.この結果は,本提案方式だけでは情意評価ができない限界を示すものであるが,従来の情意評価方法でも同様にゼロの社員がいたことから,条件4で示した従来と同様の個人差が現れたうえで社員の情意評価を本システムにより実施できたことが確認できた.
なお,このような社員に対しては従来も中間管理職等による面談時におけるアドバイスで対応してきたが,tBCの導入後は図8に示した結果等を基に,当該社員等に対する今後の指導方針を中間管理職が検討する際の参考として利用可能であることが分かった.
情意評価で用いる評価項目は会社ごとに異なるものであり,自社では各社での導入例を参考に,先述したとおりチャレンジ,確実性,提供力,規律性,責任性,協調性,積極性の7項目を情意評価として運用してきた.実際にこれらの評価項目が謝意メッセージとして交換されたことを確認するため,謝意メッセージと同時に送信された自由文を解析した.ここで,「チャレンジ」と「確実性」は「挑戦度」に含め,「提供力」と「協調性」と「責任性」は「責任感」に含め,表11に示す4項目にまとめて,交換された自由文の送受信例を示す.
表から分かるとおり,謝意メッセージには日々の業務におけるなにげない行動等に対する謝意が交換されており,情意評価項目との関連性が高いことが確認できる.すなわち,従来は上長等が年に数回面談等でこれらを評価して点数を付与していたものが,日々の活動の中で行われる謝意メッセージにより,定量的かつ客観的なデータに基づいて情意評価が行われたことを確認でき,条件5は確認された.
これらにより,本実験の結果条件2, 3, 4, 5のすべてが確認されたため,賞与査定における情意評価として本提案方式が利用可能であることが確認されるとともに,実際に賞与配分を行って実業務において安定的に運用可能であることが示された.
前章まで,賞与査定における情意評価を社内メッセージ交換システム(tBC)を用いて行う方法を提案し,2年間自社で実運用して賞与配分に適用できることを示した.本章では,経営者としての経験上感じていた収支と情意評価の関連性と,tBCシステムの導入による社員の感想をアンケートにより定性的評価した結果を考察する.
経営者としての長年の経験上,「情意評価」の部分に関する評価結果が高い社員が多い部署は,組織内の風通しも良く活性化しており,その結果として収支も良いのではないかと感じていた.tBCシステムの導入により,この関係を定量的なデータに基づき示すことができるとともに,本提案方式により実施した賞与配分の適切性を補強することが可能となると考えられる.
まず,表12に本実験の各期における各部署の社員あたりの平均送信数と平均受信数を示す.
次に,本実験で実施した1年間2期における部署の収支と一人あたりの謝意メッセージ数との相関を求めた結果を図9に示す.収支の実データを本稿中で示すことはできないため,各部の収支を正規化したデータを用い,送信数および受信数との相関を図に示した.図から分かるように,送信数と収支の相関係数は0.61,受信数と収支は0.75であり,特に受信数について収支との間で強い相関性を確認するができた.
よって,先述した経営者としての経験上感じていたことは事実であったことが,本実験の結果から考察することができた.
これまで主観を排除できなかった情意評価部分に,tBCを使うことによって客観的なデータに基づく自動的な計算が可能となった点は,経営者として本実験を通して得た経営および人事評価システム上の大きな成果であった.更に,毎週社員の謝意メッセージ交換状況を把握できるようになったため,経営状況と照らし合わせて適時中間管理職に対するアドバイスの発出時に利用可能となる等,経営上の意思決定を支援する新たな手段が得られた点も大きな成果であった.
一方,tBCの導入による社員の意識変化等を確認するため,表13に示す5問および自由記述による感想から構成されるアンケートを,予備実験および本実験における各期末に4回実施した.各アンケート項目は4件法で次のような回答項目(あてはまらない(1),あまりあてはまらない(2),ややあてはまる(3),あてはまる(4))を設定し,カッコ内に記載した点数を付与して集計した.
表14には全社員の回答結果を各項目に対する平均値で示す.結果から分かるとおり,2020夏を起点とすると,本実験における2期はいずれも平均点が向上したことが確認できる.
続いて,自由記述による感想の中から,経営者および管理職社員から得た特徴的なものを次に示す.
同様に,査定を受ける側の社員から得られた感想の一部を以下に示す.
アンケートの結果等を含めて経営者の視点から総括すると,tBCの導入は賞与査定に効果的であったばかりではなく,若手社員による先輩社員の評価への関わりや,社員の意識や行動変化等,組織を活性化するうえでの可能性を感じることができた.社員の意識や行動変化,組織の活性化とtBCの関係については,今後システムの拡張等と運用上の工夫を継続的に実施して究明していくことが今後の課題である.
本稿では,会社等の生産性向上と密接な関係にある人事評価を,賞与査定の評価指標の1つである「情意評価」部分に着目して定量的なデータに基づき客観的に行うための方法を提案し,2019年から2年間4期(前半2期:予備実験,後半2期:本実験)にわたって社内で運用し,本実験では実際の賞与査定で用いて評価し,本提案によるtBCを用いたシステムが以下の各条件を満たしたことを予備実験および本実験により確認した結果について述べた.
【条件1】社内メッセージ交換システム(tBC)の導入により,社員間の謝意メッセージ交換を把握し可視化できる
tBCは本提案手法を社内で運用するために必須となるシステムで,社員同士が日常的に行う謝意の交換を電子的に行うことを可能とするものである.ここで,謝意には重みを付与して送信でき,送信できる重みの総量には上限があるものとし,プライバシーに対する配慮と社内での運用に向けた拡張性を備えるため,内作した.tBCの利用者である社員はスマートフォンやPCを利用して運用できるため導入と運用が容易であるとともに,職場に限らずテレワーク環境等職場外でも利用できるという利点もある.2019年から2年間4期にわたって社内で実運用した予備実験および本実験の双方において,社員間の謝意メッセージ交換は社員同士のつながりや時間変化との関係等が可視化され,条件1は満たされた.
【条件2】査定期間全般にわたってtBCが利用される
予備実験では,1年間2期の各査定期間全般にわたって社員にtBCを利用してもらい,利用状況をメッセージの送受信数の時間変化で評価したが,2期とも期末に謝意メッセージが偏って交換された.また,2期目は1期目よりも謝意メッセージ数が減少したことから,tBCは社員に継続的に利用されなかったことが確認された.
予備実験における問題点として挙がった期末への謝意メッセージの偏りを解消するため,本実験での2期では運用方法を改善した.改善点としては,従来は1期の評価期間を6ヶ月としていたものを,1ヶ月の評価期間を6回実施するように変更した.本変更とあわせて,送信可能な謝意の重みの総量は,毎月新たに付与されるようにし,残った重みは消失するようにした.また,毎月社員に対して途中結果のフィードバックを謝意メッセージのランキング公表等を行うとともに,朝礼時に社員に対する働きかけ等を実施することにより,tBCの利用促進策を導入した.その結果,謝意メッセージが期中全般に平準化して送受信されるとともに,送受信の総量が増大し,条件2は確認された.
【条件3】過去の賞与査定の実績と比べて,本方式による査定結果による配分総額が妥当である
自社における賞与は,式(1)に示されるように配分を行っているが,賞与情意評価部分に関して従来は主観を排除できない上長による面談により実施していた.また,賞与全体における賞与情意評価部分は,概ね10%で運用してきた.
従来の方式に変えて,tBCによる定量的なデータに基づいて式(2)により賞与を計算して配分する方法を,本実験で2期にわたって施行した.
謝意メッセージを送信する社員には送信可能な謝意の重みの上限が毎月決まっており,本実験においては謝意の重みを100円として賞与配分を行った.その結果,全社員に対する賞与配分における情意評価部分が,本実験の1期目(2021年夏)は11%,2期目(2021年冬)は8%となった.この配分結果は従来と同等であり,賞与の情意評価部分の総額として過去の実績と比べてとして妥当であるため,条件3は確認された.
【条件4】本方式による査定結果に従来と同様の個人差が現れること
賞与の情意評価部分の査定を個人ごとにどのような差で配分されたかを確認した結果,在籍年数が短い社員のほうが情意評価部分の比率が高いことが分かり,従来と同様の個人差が情意評価としてなされたことが確認された.
また,本実験の結果一部の社員が受信した感謝の重みがゼロであったことも分かり,tBCの導入だけによる方法による限界を感じた.このような社員の対策としては,上司が積極的に当該社員に対する全社的イベントへの関与を働きかけるなどの方策が考えられるが,今後の課題である.
【条件5】情意評価として妥当な項目が謝意メッセージによって交換された
自社において従来から情意評価で用いていた評価項目である7項目が,tBCにより送受信された謝意メッセージの自由文を解析することによりいずれの項目も利用されていたため,条件5は確認された.
更に,部署単位での謝意メッセージ送受信件数と収支には相関があることが確認されたことから,tBCは賞与査定だけに有効であるだけではなく,会社全体の活性度向上への応用の可能性が示唆された.そのためには,社員の会社や仕事に対する満足度との関係の解明についても,今後検討と実践を進めていきたい.加えて,自社以外の規模や業種等特質の異なる組織においても適用可能であるか否か,個別に各社と導入実験を行って検証することも今後の課題である.
また,その次の課題としては,会社という組織を超えた社会全体を対象とし,謝意の交換により様々な世の中の問題解決に応用できるよう,本研究の成果を活かしていきたいと考えている.
謝辞 本研究の実施にあたり,試作システムの開発,運用および実験に協力していただいた(株)東京技術計算コンサルタントの社員の皆様に深謝の意を表す.
1982年日本大学生産工学部数理工学科卒業,現在,日本大学大学院生産工学研究科博士後期課程学生,(株)東京技術計算コンサルタント代表取締役社長.社内における20%業務外活動推奨ルールの導入,360度評価制度の導入,社員間の感謝メッセージ送信システムの開発・運用等,組織の活性化と新しい人事評価システムの導入等に向けた様々な取り組みを実施,現在は社会人ドクターの学生として現場での実践経験を研究成果としてのとりまとめに従事.情報処理学会会員.
2021年神奈川大学理学部数理物理学科卒業,同年(株)東京技術計算コンサルタント入社.社員間の感謝メッセージ送信システムの運用・分析・広報等を担当,組織の活性化に向けた様々な取り組みに従事.
2017年日本大学大学院生産工学研究科博士後期課程修了,博士(工学),現在日本大学理工学部精密機械工学科,助手.教育を目的としたシリアスゲームの構築法,歴史等を対象としたモデリング&シミュレーションの研究開発に従事.2018年度日本デジタルゲーム学会若手奨励賞を受賞.情報処理学会会員,日本デジタルゲーム学会理事.
1982年広島大学総合科学部総合科学科卒業,1994年イリノイ大学大学院MS in Computer Science修了,2004年慶応義塾大学大学院開放環境科学研究科博士後期課程修了,博士(工学).現在日本大学生産工学部数理情報工学科教授.モデリング&シミュレーションおよびシリアスゲームの研究開発に従事.情報処理学会,日本バーチャルリアリティ学会,日本シミュレーション学会等各会員,日本デジタルゲーム学会副会長.
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