情報処理学会60年のあゆみ
第3編―情報技術の発展と展望
[SPT]セキュリティ心理学とトラスト研究会

 

1. 最近10年間の動向

情報セキュリティでは,技術的な対応を行うことで安全・安心な環境を利用者に提供できるとの考えから,主に工学的観点から研究が行われてきた.しかしながら,攻撃者の中には,ソーシャルエンジニアリングと呼ぶ,被害者の心理的な面の弱さを利用する者が台頭し,サイバー攻撃対策においても,心理学的な側面を考慮せざるを得ない状況にある.SPT研究会は,2008年に研究グループとして産声を上げ,2011年に研究会として発足以降,心理学やヒューマンファクタ,安心とトラスト,ユーザブルセキュリティ等の研究を推進してきた.また,東日本大震災を契機に「情報セキュリティ心理学とトラスト研究」から「セキュリティ心理学とトラスト研究」に改称し,さらに広い視野で新分野の開発に取り組むこととした.

SPT研究会の特徴は,年5回の研究発表会開催(図1),参加者600名規模のコンピュータセキュリティシンポジウムの共催だけではなく,東日本大震災をきっかけとして活動を開始した「災害コミュニケーションシンポジウム」,国際会議SOUPSの論文を読破して討論する会を拡大して開始した「ユーザブルセキュリティ・プライバシー(USP)論文読破会」「ユーザブルセキュリティワークショップ(UWS)」など,セキュリティ心理学とトラストにかかわる新しい研究分野を常に開拓していることにある.2017年からは,トラスト基盤とその応用分野の発展として,CSIRT(シーサート)を新しい研究分野として取り上げ開拓を進めている.

図1 研究会登録数と研究発表会発表件数

2. 研究分野の変遷

2.1 災害コミュニケーション

1995年に阪神・淡路大震災が発生したときには,インターネット環境は発達しておらず,被災地外から来訪するボランティア間の情報共有がいわゆるパソコン通信等で行われたという災害コミュニケーションの実践が記憶に新しい.2011年3月の東日本大震災では,地震による被災だけでなく,津波による広域被災が社会インフラにも大きな影響を与えるに至った.その中で,マイクロブログやSNS,被災後しばらくして復旧した現地のインターネット環境などを介して,被災地救援にICTを用いる試みが広く行われた.

リスクコミュニケーションが,将来の災害の脅威に備えて行う専門家や住民等当事者間の意思疎通であるのに対し,災害発生直後から必要な当事者間の意思疎通を災害コミュニケーションと呼んでいる.これは新たな実践的な研究領域であり,震災についての対応をどのように捉えているかを社会に示す機会である.

SPT研究会では,2011年12月より,災害コミュニケーションの在り方,被災地支援へのICT活用の研究に寄与することを目指し,さまざまな分野の方々が参加する学際的な場として災害コミュニケーションシンポジウムを開催してきた.8年目となる2018年には,IOT研究会,IS研究会,SPT研究会による共催へと活動も広がり始めている.

2.2 ユーザブルセキュリティ

国際会議Symposium on Usable Privacy and Security(SOUPS)は,セキュリティやトラストにおける心理学やヒューマンファクタの研究が発表される場であり,2005年に第1回が開催されている.国内でも,セキュリティやプライバシに関する研究の裾野は大きく広がってきており,高度な技術によるセキュリティの担保やプライバシの保護が行われてきている.その中で,セキュリティやプライバシ保護技術で守られる対象がその本来の目的を効率的にそして満足度が高く実現されているかというユーザビリティの観点での研究が,2010年代後半にはいってから注目を集めている.

SPT研究会では,2011年より研究者間でのトレンド把握や専門知識の蓄積のため,「SOUPS論文読破会(現ユーザブルセキュリティ・プライバシ(USP)論文読破会)」を開始した.2017年には,さらにユーザブルな研究開発を行い発表そして議論する場となるユーザブルセキュリティワークショップ(UWS)開催へと発展させている.UWSでは,セキュリティと高いユーザビリティを両立させる技術だけではない分野横断的な研究の発展とその成果普及の促進,さらに研究者や技術者の相互協力の促進を目指している.

2.3 トラスト

トラストは,セキュリティに限らずプライバシやコミュニケーションなどさまざまな研究分野において隣接する課題であると同時に,分野毎課題毎に定義やとらえ方が異なるため,これまで分野横断的な研究が難しかった.

一方,2017年に科学研究費助成事業の特設分野研究として「情報社会におけるトラスト」が新設された.2018年の内閣府戦略的イノベーション創造プログラム第2期研究開発計画では,研究課題「IoT社会に対応したサイバー・フィジカル・セキュリティ」の研究開発項目すべてが信頼を扱うなど,産学両面からの重要性が高まっている.

こうした背景をふまえて,SPT研究会では,「トラスト勉強会」企画セッションを開催するなど,人文社会学も含めた分野横断的なトラスト研究コミュニティの拡充を推進している.

2.4 シーサート

サイバーセキュリティ対策の一環として,トラストに基づく活動としてCSIRT(シーサート)が注目されている.シーサートとは,サイバーセキュリティにかかるインシデントに対処するための組織の総称(機能),インシデント関連情報,脆弱性情報,攻撃予兆情報を収集分析し,対応方針や手順の策定などの活動である.特に,2013年以降,国内ではシーサート設立が急速に進んでいる.しかし,シーサートに規格はなく,シーサートの目的,立場,活動範囲,法的規制などの違いから,それぞれの組織で独自に実装し活動している.すなわち,シーサートやシーサート活動が体系化されているわけではないこと,技術だけではなく,人,組織,法律など幅広く学術系での異分野交流を図ることのできる研究分野であり,未着手の研究分野である.

SPT研究会では,このような状況をふまえ,新たな研究分野としてだけではなく,学会横断で取り組める場,産学連携で取り組める場の整備を目指している.

3. 今後の展望

複雑なサプライチェーンを考慮して,サイバーセキュリティ環境を維持ならびに推進していくためには,公衆衛生モデルのように,社会全体でサイバーセキュリティ対策を全方位から支援可能な状態へと導く必要がある.また,公衆衛生モデルを展開していくためには,心理学やヒューマンファクタ,安心とトラスト,ユーザブルセキュリティなどの実践的な研究テーマの科学的評価を通した推進が必要不可欠である.今後とも,良い研究を行い安全・安心な社会の実現に貢献していきたいと考えている.

(寺田真敏)

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