認知症ケア向上のための多視点観察情報に基づく状況理解と共学に関する研究

 
柴田 健一
(一社)みんなの認知症情報学会 調査研究部長

[背景]加齢が最大の危険因子である認知症の人が急増
[問題]多様で複雑な認知症の人の状態像把握
[貢献]複数のケア関係者による多視点観察情報を活用する認知症支援システムの提案


 加齢が最大の要因である認知症は,高齢化が進む世界各国で大きな課題と認識されている.2007年に超高齢社会となった日本でも,「認知症の人が住み慣れた地域の良い環境で自分らしく暮らし続けるために必要としていることに的確に応えていく」を基本方針に,当事者を重視した認知症支援およびケアの実現に向けた取り組みが推し進められている.

 認知症は「いったん正常に発達した知的機能が持続性に低下し,複数の認知機能障害があるために日常生活・社会生活に支障を来すようになった状態」を指す.認知症は病名ではなく「状態」であり,認知症の状態にさせる原因疾患と認知症の人に現れる症状は多様である.改善が期待できるものと進行が著しいもの,身体的要因,本人の置かれた環境や介護者の問題などを含めると非常に複雑である.

 認知症の人の状態像を把握する上で,脳画像や認知機能評価尺度などによって認知機能障害を把握することにつながるが,これら直接的な評価だけでは,本人の日常生活における行動や抱えている心理症状の把握など,日常生活・社会生活における本人の客観評価は難しい.認知症の人の状況理解には,本人の認知機能の程度だけでなく,本人の日常生活を支える「ケア」の視点で,本人がどのような行動をしているのか,どのような症状を抱えているのかについて介護関係者間で共有することが重要である.

 状態像把握のために,認知症に関わる各分野の多種多様な専門家および家族が連携することは,情報共有や情報提供によって問題解決や支援者個人の成長の促進,相互のアセスメントの補足といった,認知症ケア向上につながることが指摘されている.家族などのケア関係者間で,認知症の人の暴力や暴言の背景に存在する欲求を検討し,認知症の人の情報をもとに本人の状況や個性を考え理解することは,認知症の人への対応改善につながる可能性があり,本人の生活を支える上で重要である.そして,認知症の人の生活全体を支えることを目的に,本人の生活場面を多面的に理解するためには,各場面で接する多職種の専門家および家族が,生活の場面によって変化する認知症の人の行動や振舞いを,主観だけではなく多視点で理解することが望ましい.しかし,家族を含めたケア関係者の支援および共学を目的とした,多視点の観察情報を活用した認知症の人の状況理解深化に関する取り組みはほとんど見られない.

 認知症の人が生活の中で支障を来す状況を客観的に評価する手法として,行動観察方式AOS(Action Observation Sheet; AOS)がある.AOSは,認知症の人の生活状況を問う設問に対し,ケア関係者が行動を観察して記述する観察式認知症評価法である.AOSを活用することで,専門的知識と豊富な経験が求められる状態像把握を,家族を含めたケア関係者につなげるため,2つの観点に基づきシステム化した.

 1つ目の観点は,AOSで得られる観察評価情報と,認知症の人を直接評価することで得られる認知機能評価情報を組み合わせた状態像把握のプロセスである.2つ目の観点は,一人の観察者では観測しきれない部分も含めた,多面的に認知症の人の状況を理解するための多視点観察評価による状態像把握のプロセスである.

 本研究では以上2つの観点に対し,医療介護現場と連携してICTによってAOSを発展・改良し,認知症の人の状況理解を深化する認知症支援システムを開発した.

・観察評価情報と認知機能評価情報を組み合わせた状態像把握
 1つ目の観点では,認知機能評価と観察評価に基づく状態像把握を支援するため,認知機能評価に用いる脳機能評価バッテリー(Brain Function Battery; BFB)をAOSと組み合わせることで,脳の状態も考慮した分析が行えるように改良した.認知症の人の症状理解や客観評価の高度化のため,連結可能な両評価法によって得られる観察情報と認知機能評価情報を集約するデータ構造を設計し,多視点観察情報としてケア関係者に提供する認知症支援システムを開発した.認知症ケアの入口である病院にて4カ月間におよぶ実運用評価を通して,提案システムが提供する多視点観察情報が,家族の認知症の人に対する理解を深化し,医師と看護師による定性評価から運用の効率化につながること,また,デイケアでの評価実験を通して,提案システムが提供する多視点観察情報が,ケア従事者に対する定性評価から認知症理解深化につながることを示した.

・多視点観察評価による状態像把握
 2つ目の観点では,多視点観察評価による状態像把握を支援するため,複数人によるAOSの記述内容に着目した.複数人のケア関係者によるAOSの記述内容を集約し,各観察者による記述内容の比較提示による多面的な認知症の人の状況理解を支援するシステムを開発した.提案手法によって,1つの認知症評価観点に対して多視点性をもたせた.医療現場にて評価実験を行った結果,問診場面の会話分析から,医師と家族・認知症の人とのコミュニケーション促進によって認知症の人に関する新たな気づきを促したこと,また,ケア現場であるデイケアでの評価実験では,家族と本人との関係性や家族の関心の程度の理解深化につながることを示した.

 さらに,他者の視点の学びが認知症理解深化につながったことから,ケア関係者が他者の視点を学ぶことで,多視点で認知症評価ができるように支援するための認知症学習支援コンテンツを制作した.コンテンツを用いた共学の定性評価実験を行い,医師が解釈を付与したコンテンツによって看護師が他者の視点を学ぶことで,多視点による認知症の人の状況理解深化につながることを示した.

 多視点観察情報の概念をAOSに導入して発展させたことで,ケア提供者が連携して共に学ぶこと(共学)につながり,認知症の人の状況や状態を考慮した多職種連携による認知症ケア実現につながることを示した.

 
 
(2018年5月31日受付)
取得年月日:2017年9月
学位種別:博士(情報学)
大学:静岡大学



推薦文
:(高齢社会デザイン研究会)


高齢社会の喫緊課題である認知症ケアの高度化と社会変容を促す方策に関する研究である.著者が認知症ケアの最先端現場と協業し,IT利活用によって構築した当事者の状態像を多職種が共有し共に学べる環境は画期的で,継続実践によって効果を実証した例はほかにない.当事者重視の認知症ケアの啓発と普及を躍進させる研究である.


研究生活


研究生活を通して,多様な分野の専門家の方々と交流する機会が増えました.分野が異なっても,専門家の考え方や物事を観る視点には気づきが多く,研究自体の進め方や自身の生活スタイルなど,自己内省につながる良い刺激を多く受けました.

また,看護・介護・医療の第一線の現場で働く方たちが全国各地で行っている認知症の人を支える地域づくりなどの取り組みにふれて,私自身が研究を通して社会に貢献できることとは何かを考えるきっかけとなり,自身の研究をさらに深化させることにつながったと感じております.

そして,研究を進める中で,自身で問題・課題の設定,解決するためのシステムの設計,開発,評価改良のサイクルをまわす経験を多く積むことができたのは,研究者としても開発者としても良い学びを得る機会になりました.