トランザクションデジタルプラクティス Vol.7 No.2(Apr. 2026)

ITと教育–マイクロクレデンシャルが変える社会

堀 真寿美1,2

1大阪教育大学  2NPOコンソーシアムTIES 

1Osaka Kyoiku University, Kashiwara, Osaka 582–8582, Japan  2NPO CONSORTIUM-TIES, Tennoji, Osaka 543–0054, Japan 

1. 編集にあたって

マイクロクレデンシャルは,「単位以上,学位未満」と位置付けることができ,小さな単位で学習成果を可視化・証明する教育の枠組みである.短期間で,特定のスキルや学習目標に対応した知識・能力を集中的に習得できるほか,それらを組み合わせることにより,柔軟で多様な学習機会を提供する枠組みとして,近年,世界的に注目を集めている.

マイクロクレデンシャルの登場は,2000年代以降に進められてきた,OCWやMOOCに代表される大学教育のオンライン化の取り組みと連続して捉えることができる.これらの取り組みは,当初は大学教育のオンライン提供を目的としていたが,次第に,大学と社会との接続を志向する活動へと展開してきた.その結果,社会の多様なニーズに応える必要性が高まり,教育提供,教材公開,評価・認証といった大学の機能が切り分けられるようになった.こうした大学機能のアンバンドリングが進む中で,学位という一括した枠組みでは捉えきれない学習成果を扱う仕組みとして,マイクロクレデンシャルが形成されてきた.

一方で,我が国においては,このような動きが本格的に議論されるようになったのは比較的最近のことである.その背景には,我が国特有の18歳人口の減少という構造的課題がある.大学は,若者教育を中心とした従来のモデルだけでは立ち行かなくなり,18歳人口以外の社会人層を含む新たな学習者をいかに大学に呼び込み,学び直しの機会を提供するかという課題に直面している.こうした状況の中で,マイクロクレデンシャルは,大学が社会人教育やリスキリングに関与するための1つの有力な選択肢として注目を集めるようになってきた.

このように期待が高まる一方で,マイクロクレデンシャルは,なお十分に実践が蓄積された概念とは言えない.質保証をどのように担保するのか,クレデンシャルの信頼性をいかに確保するのか,発行・管理・流通を支える技術や制度をどのように設計するのかといった課題については,依然として試行錯誤が続いている.また,学習機会の拡張への期待が高まる一方で,教育の過度な市場化に対する懸念が併存している点も,この分野の特徴である.

本特集「ITと教育―マイクロクレデンシャルが変える社会」は,このように世界的な潮流と日本固有の課題とが交差する過渡期にあるマイクロクレデンシャルを,多角的に検討することを目的として企画したものである.理論的整理から技術的考察,具体的な実践事例まで,現時点で共有すべき知見を集約することで,今後の議論と実装に向けた基盤を提供したい.本特集が,マイクロクレデンシャルをめぐる議論を前進させる一助となれば幸いである.

1.1 特集号編集委員会

本特集号は,次の編集委員会を組織し,編集した.

編集委員長:堀真寿美(大阪教育大学・NPO法人コンソーシアムTIES)

副編集委員長:小川康一(群馬大学)

編集委員(順不同):白井詩沙香(大阪大学),新村正明(信州大学),古川雅子(国立情報学研究所),望月雅光(創価大学),重田勝介(北海道大学)

コーディネーター:坂下 秀(アクタスソフトウェア),坂下幸徳(プルデンシャル・ジャパン・テクノロジー)

2. 本特集の論文について

本特集では3編の招待論文と1編の投稿論文を掲載する.招待論文については会誌「情報処理」のデジタルプラクティスコーナー,もしくはデジタルプラクティスのWEBサイト(https://www.ipsj.or.jp/dp/)の掲載論文一覧を参照されたい.

富士榮尚寛氏らによる招待論文「学修歴デジタルクレデンシャルの現状と課題」では,マイクロクレデンシャルを社会実装する上で不可欠となる「学修歴デジタルクレデンシャルの相互通用性」に焦点を当て,その現状と課題を体系的に整理したものである.筆者らは,学修歴デジタルクレデンシャルが直面している課題を,①識別子・プロトコル・データモデルといった技術的側面,②セマンティクス,質保証,トラストフレームワークといった非技術的側面の二層構造として整理し,単なる形式統一では解決できない問題の所在を明確にしている.

さらに,現行のデジタルクレデンシャルを,Open Badges/CLRを中心とする北米系スタック,DID/Verifiable Credentialを基盤とするW3C系スタック,欧州委員会が主導するEDC/ELM/EUDI Wallet系スタック,およびプラットフォーム独自方式という四類型に分類し,それぞれの設計思想と通用性の限界を比較検討している点が特徴的である.特に,標準の乱立や実装依存による「サイロ化」のリスクを具体的に指摘し,今後求められる要件を提示している点は,本特集全体の問題意識を理論的に支える基盤をなすものである.

長岡千香子氏らによる招待論文「学修歴証明のデジタル化とオープンバッジの利活用―プラットフォームおよび実践事例の考察―」では,学修歴証明のデジタル化を支えるプラットフォームの動向と,オープンバッジの実践的な利活用に焦点を当てた考察である.学習証明書のデジタル化により,発行者,学習成果,取得条件をデジタル署名とメタデータを通じてオンラインで検証可能となり,証明書は「提示するもの」から「活用されるもの」へと変容しつつある.本稿は,この変化を具体的な技術標準と国内外の事例を通じて丁寧に整理している.

特に,海外機関における既存プラットフォームの構造や運用を紹介した上で,オープンバッジがどのような目的で利用されているのかを分析し,単発的な証明にとどまらず,ラーニングパスの形成や学習の可視化に資するための視点を提示している点が重要である.オープンバッジを教育実践に根差したツールとして位置付け,教育設計と技術基盤の接続可能性を示した本稿は,実装段階にある国内の取り組みに対して多くの示唆を与えるものである.

坂口菊恵氏による投稿論文「プラットフォームに依存しない学習歴のデジタル流通に向けて―さまざまなクレデンシャルの標準をつなぐ―」では,高等教育指向のクレデンシャルとスキルベースのクレデンシャルをいかに共存させ,プラットフォーム非依存で流通させるかという課題に正面から取り組んだものである.北米を中心に発展してきたデジタルバッジ等の代替クレデンシャルと,欧州を中心とする高等教育の質保証枠組みとの間に存在する設計思想や要件の差異を丁寧に整理し,両者を接続するための技術的・制度的論点を明確化している.

特に,トラストレジストリおよびメタデータレジストリの必要性を指摘し,Open Badges 3.0とVerifiable Credentialの関係性を踏まえた上で,将来的なロードマップを提示している点は,本特集における技術的議論を一段深めるものである.マイクロクレデンシャルの拡張が避けられない中で,標準間の接続とガバナンス設計の重要性を示した本稿は,今後の制度設計と実装の双方にとって意義深い貢献である.

MITSUSHIRO EZOE氏らによる投稿論文「Structuring the Japanese Course of Study with CASE: Development and Evaluation of a System for Visualizing Learning Progressions」では,CASE(Competencies and Academic Standards Exchange)を応用し,日本の学習指導要領を構造化・可視化することで,学習の道筋を明示し,学習支援に資するシステムを開発・評価した実践的研究である.学習進度や到達点を可視化することにより,学習者中心の学びを支援するという観点から,K-12教育におけるデジタル実装の可能性を具体的に示している.

本研究は,カリキュラム設計,ラーニングアナリティクス,クレデンシャリングという複数の領域を横断的に扱っており,国際標準を取り入れた点も含め,デジタルプラクティスにふさわしい実装事例と位置付けられる.マイクロクレデンシャルを直接の対象とはしていないものの,学習成果の構造化と可視化という基盤的課題に取り組む本稿は,今後のクレデンシャル設計や学習成果の認証を考える上で重要な示唆を与えるものである.

3. 結語

マイクロクレデンシャルは,生涯学習社会における学びの成果を可視化し,流通させる新たなインフラとして期待される一方で,質保証や信頼性の担保,技術的標準の整備といった課題も多く残されている.本特集で取り上げた論文は,これらの課題に対して,デジタルクレデンシャルの相互通用性,プラットフォームの動向,標準化の課題,そして具体的な実装事例という,それぞれのアプローチから貢献するものである.

今後,マイクロクレデンシャルが真に社会的価値を持つためには,教育機関,企業,政策立案者,技術開発者といった多様なステークホルダーによる継続的な対話と協働が不可欠である.本特集が,そうした対話の一助となり,我が国におけるマイクロクレデンシャルの健全な発展と普及に寄与することを期待したい.

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