デジタルプラクティスは,実務に直接役立つ情報を提供することを目的として,2010年に創刊された論文誌です.現場で得られた有用な知見や経験の共有を重視しており,社会への貢献を目指してまいりました.創刊当時と比べて,情報技術を取り巻く環境は大きく変化しています.スマートフォンやAIなどの情報技術を日常的に活用する利用者は,国内だけでも数千万人,世界全体では数十億人に達しています.こうした現場の技術者や利用者が,日々のIT活用の中で得た貴重な経験や知見は,本来であれば広く共有されるべきものですが,実際には個人や限られた範囲でしか再利用されず,SNSなど膨大な情報の中に埋もれてしまうことも少なくありません.デジタルプラクティスでは,そうした知見を社会全体で共有し,より多くの方々に役立てていただくことを目指しています.本特集では,こうした活動をさらに推進することを目的として,「企業における情報技術活用のプラクティス」をテーマに,企業や団体による優れた実践成果をご紹介する論文特集を企画しました.
BIPROGY研究会から推薦いただいた,藤野智昭氏らの論文「西部ガスグループネットワークの再構築~安全・快適・低コストなネットワーク環境をめざして~」では,通信遅延が課題となっていた西部ガスグループのネットワークを,「安全(セキュリティ強化)」「快適(通信品質改善)」「低コスト(コスト削減)」の3つの観点から再構築した取り組みが紹介されています.公共インフラであるガス事業への影響を最小限に抑えながら再構築を完了し,安定したネットワーク環境の提供を継続しています.
IBM Community Japanからは2編の論文を推薦いただきました.
菊池秋郎氏らによる「テキストマイニングを活用した用途探索手法」では,企業の継続的成長に不可欠な新製品・新事業の開発において,その役割を担うR&D部門が従来行ってきた発想法や特許検索による新用途探索の限界,特に現事業領域以外での新用途が見つかりにくいという課題に着目しています.本論文では,数万~数百万件に及ぶ広範な特許情報をテキストマイニングで分析し,素材・技術・機能特性・用途間の相関に着目することで,新たな用途を効率的に探索する手法を提案しています.
戸簾隼人氏らの「教育現場へのICT導入を促進する意思決定過程の質的研究」では,特性の異なる2校の高校を対象に半構造化インタビューとアンケートを実施し,ICTが教育現場に定着するまでのプロセスを明らかにすることを目的としています.本研究では,ICTの本質的理解をコアカテゴリとする6つのカテゴリを抽出し,さらに「受益者の体験価値創出」「意思決定者による役割明示化」「受益者すり替え認識」の3つの概念を導出しています.これらの知見は教育現場へのICT導入・利活用に関して,より実践的な示唆を提供しています.
アシストソリューション研究会から推薦いただいた坂本光氏らの論文「DX推進を指向したデザイン思考ハンドブックの開発─デザイン思考の具体的・実践的な活用方法の検討─」では,DX推進に向けた問題解決手法として,デザイン思考を体系化し,実務に即した形で活用できるよう整理されたハンドブックの開発成果を紹介いただきました.
プログラミング能力検定協会から推薦いただいた飯坂正樹氏の論文「大学入学共通テスト『情報I』と高校現場でのプログラミング教育」では,2025年1月に実施された大学入学共通テスト「情報I」について,入試問題におけるプログラミング領域の難易度,プログラミング能力検定による尺度,および高等学校の現場における指導と受験結果の観点から考察しています.特に,検定レベルと照らし合わせることで,出題内容の難易度を客観的に評価し,教育実態との整合性を検証しています.また,指導現場での取り組みや生徒の反応,得点傾向なども分析し,今後の入試対策やカリキュラム設計に資する知見を提供しています.
日本アクチュアリー会から推薦された山根綾介氏らの論文「保険業界における真の崖~みんなを救う翼(マイグレーション)」では,古く固定的なIT基盤に起因する課題(レガシー技術,技術者不足,ブラックボックス化等)が深刻化している保険業界において,「2035年の崖」が存在するとの仮説を提示しています.業界特有の課題に対して,競争を勝ち抜くために必要なIT基盤の要素を整理し,従来の移行手法の課題と解決策を分析した上で,最適な変革時期と移行方法について具体的な提言を行っています.これらは,保険業界が将来に向けて持続可能なIT戦略を構築する上で,重要な示唆を与える知見です.
実務に根ざした貴重なプラクティスを本誌に寄稿いただいた執筆者の皆様に,心より敬意を表します.また,本特集の企画・運営にご協力いただいた各団体の事務局,委員会,学会事務局の皆様,そして特集号コーディネータとしてご尽力いただいたデジタルプラクティス編集委員会の長坂健治氏に深く感謝申し上げます.
斎藤彰宏(正会員)
saitoha@tdp.ipsj.or.jp
日本アイ・ビー・エム(株)シニア・コンサルタント, 1995年日本アイ・ビー・エム入社.長野オリンピックプロジェクトなどを経て,ITアーキテクト・コンサルタントとして企業・官公庁のシステム設計に従事.2011年より現職.本会会誌編集委員(2018~2022年),会誌編集委員会デジタルプラクティス専門委員会主査(2022年~),本会技術応用担当理事(2025年〜).
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