会誌「情報処理」Vol.66 No.5(May 2025)「デジタルプラクティスコーナー」

「社会を変える量子コンピュータ活用」編集にあたって

中野大樹1  山岡雅直2

1日本アイ・ビー・エム(株)  2(株)日立製作所 

量子コンピュータは,いくつかの企業や研究機関から商用サービスが提供され,世界中で具体的なアプリケーション開発が進んでおり,最も注目されている分野の1つになってきている.量子コンピュータ自体の研究開発は今後も進んでいき,2030年頃には,現在(2025年)よりもさらに規模の大きい,より誤りの少ない計算能力を実現していくと見込まれている.量子コンピュータを用いるためのプログラミングについても,多くの企業から開発プラットフォームやライブラリが提供されており,多くはPythonでの開発が可能で,プログラミングの学習から本格的なアプリケーション開発までをサポートしている.また新しい計算アーキテクチャーである量子アニーリング技術や,量子力学の原理に触発されて生み出されたいわゆる量子インスパイアード技術についても本特集では論文を集め,その応用範囲を論じていただいた.これらの技術はより早く社会実装されていく可能性がある.このように量子コンピュータおよびそのアプリケーション開発は具体的にどのように社会実装していくかを考える段階にきており,さまざまな分野での検討がなされている.本特集では,「社会を変える量子コンピュータ活用」をテーマに,量子コンピュータを実際にどう使っていくのかについての論文を広く募った.また,この分野において第一線で活躍されている研究者にお集まりいただき,量子コンピュータの長所短所や見込まれる応用範囲などについて座談会で議論していただいた.

ソフトバンク(株)の嶋田義皓氏と法政大学の川畑史郎氏からは,「量子コンピュータとイジングマシンの最新動向:社会実装に向けて」というタイトルで,量子コンピュータの応用範囲として量子化学計算から金融工学まで広くご紹介いただき,イジングマシンについては物流や創薬などでの最適化問題への応用をご紹介いただいた.

富士通(株)の亀山裕亮氏らからは,「材料開発・創薬の革新を目指した量子コンピューティング技術実現に向けて─お客様との共創を通じたアプリケーション開拓─」というタイトルで,量子化学計算をもとにした材料開発の具体的な取り組みについてご紹介いただいた.

JSR(株)の大西裕也氏および佐久間怜氏からは,「近未来の量子コンピュータを用いた材料開発に向けて:これまでの学びと展望」というタイトルで材料開発における量子コンピュータの具体的な活用から得た知見と将来展望について詳述いただいた.

三菱UFJ銀行三菱UFJファイナンシャル・グループの加藤準平氏,みずほリサーチ&テクノロジーズの大塩耕平氏,三井住友信託銀行の市村達大氏,産業技術総合研究所の鈴木洋一氏および慶應義塾大学の森義治氏からは,異なる銀行および大学と研究機関に所属する研究員の共著という形で,「金融業界における量子コンピューティング活用に向けた取り組み」というタイトルで,量子コンピュータの金融業界での応用について論じていただいた.その中で,量子数値積分アルゴリズムによるデリバティブ価格評価と量子機械学習による金融不正検知について述べられた.

(株)日立製作所の高橋佳歩氏らからは,「災害時支援物資配送計画へのCMOSアニーリングの適用」というタイトルで,大規模な経路最適化問題について,量子インスパイアード技術の具体的な検討手法および結果について論じていただいた.

東芝デジタルソリューションズ(株)の岩崎元一氏からは,「量子技術の社会実装に向けて─今実用的な量子インスパイアード技術による量子・古典ハイブリッドアプローチ─」というタイトルで,量子インスパイアード技術の具体的な利活用事例について,創薬を一例に紹介いただいた.

日本アイ・ビー・エム(株)の西林泰如氏,佐藤史子氏および橋本光弘氏からは,「迫りくる耐量子暗号時代─求められるQuantum Safe(耐量子安全性)─」というタイトルで,量子コンピュータの高度化にそなえた耐量子安全性について紹介いただき,具体的な取り組みについて述べていただいた.

また特集号企画としての座談会記事「社会を変える量子コンピュータ活用」においては,本特集のゲスト編集者を務めた中野大樹,山岡雅直のほか,慶應義塾大学の山本直樹氏,法政大学の川畑史郎氏,ソフトバンク(株)の嶋田義皓氏,そして富士通(株)の土肥義康氏,および司会として情報処理学会 斎藤彰宏氏にお集まりいただき,オンライン座談会での議論を記事として掲載した.量子コンピュータにおけるキラーアプリケーション,量子インスパイアード技術である古典イジングマシンとの棲み分けや量子センサーとの融合,量子コンピュータの普及に向けてのエコシステム,量子コンピュータ活用に向けたリスク低減について,量子コンピュータが学術・人材教育に与えるインパクトと5つのテーマに沿って議論をしていただいた.量子コンピュータを取り巻くいろいろな課題について幅広い知見を披露していただき,視聴参加されていた方々にとっても大変興味深い内容であった.本座談会記事は長編となるため,前半と後半を2号にわたって掲載する.

論文のトピックは多岐にわたっており,また量子コンピュータの入門者から具体的な導入を検討している方々まで含め,幅広い読者に興味を持って読んでいただける内容になっている.最新の研究事例や実践例に触れていただき,この分野での研究開発がより活発になる一助になれば幸いである.

ご多忙の中,快く記事・論文をご準備していただいた執筆者の皆様に心から感謝申し上げます.また本特集をご支援いただいた各団体の事務局,委員会,および学会事務局の皆様,特集号コーディネータとしてご尽力いただいた上條浩一氏,烏谷彰氏および木村直紀氏,特集アドバイザーの斎藤彰宏氏および吉野松樹氏に厚く感謝する.

(2025年1月27日受付)

中野大樹
dnakano@jp.ibm.com

日本アイ・ビー・エム(株)量子ハードウェア担当,1996年IBM東京基礎研究所に入所.サイエンス&テクノロジーグループにおいてさまざまなハードウェア技術のプロジェクトに従事し,現職に至る.現在は量子コンピュータの保守・展開およびサプライチェーンの構築に関するプロジェクトをリードしている.

山岡雅直
masanao.yamaoka.ns@hitachi.com

(株)日立製作所にて,量子インスパイアード型のコンピューティング技術の研究開発を推進.1998年日立中央研究所に入社.低電力半導体回路の研究開発に従事.その後,新しい概念のコンピューティング技術の研究開発に従事.現在,量子インスパイアード型のCMOSアニーリングの研究を推進するとともに,エッジコンピューティング技術の研究開発をリードしている.

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