近年,多くの企業が労働環境の多様性,公平性,包含性(Diversity, Equity, and Inclusion; DE&I)を重視し,これを推進する専門の部署を設けている.その実現には,様々な社会的背景や特性を持つ人々が,それらの特性に起因する障壁を乗り越えて働ける環境を構築し,維持することが不可欠である[1], [2].
STEM分野では女性は少数派[3]-[5]であることが多く,多様性推進における主要な課題のうちの1つである.STEM分野は多岐にわたるが,そのうちのコンピュータサイエンス・コンピュータエンジニアリング領域も同様にジェンダーギャップの問題が指摘されている[6].その領域の技術を用いるIT技術者も同様である[7].本研究ではIT技術者のジェンダーギャップに焦点を当てる.
現代社会においてITを用いた製品と完全に接触しない生活はほぼ不可能である.つまり,IT製品は社会と深く結びついており,特定の特性に対する(明示的・暗黙的な)差別的・攻撃的な機能や表現は,ユーザやマイノリティ,社会全体に悪影響を及ぼす可能性がある.この問題を解決するアプローチの1つは製品開発に関与するスタッフの多様性を確保することである[8]*1.
ジェンダーギャップを含む格差や差別的構造には再生産構造が存在する(図1).ある集団が特定の属性に偏っていると,たとえ各人が偏見を持っていなかったとしても,少数派は不利になりやすく,その結果,その集団の属性の偏りは維持・強化されてしまうというものである[9], [10].このような再生産構造は構造的差別と呼ばれる[10], [11].これは様々な経緯によって形成された「多数派に沿った慣習・文化や制度設計」によって少数派が不利益を被りがちだからである.たとえば,IT技術者のジェンダーギャップにおいては,女性がIT技術者・研究者をキャリアとして選択しなかったり,辞めてしまう理由の1つに男性が多く男性優位社会であること,女性ロールモデル欠如,ジェンダーステレオタイプなどが挙げられる[6].一度発生した構造的差別はマイノリティを更に不利にし,格差をより強固なものにしてしまう.一方で,この差別は意図的でなく,違法でもなく,通常とおりの振る舞いとしても行われているため,対処が難しく重大な問題である[10], [11].
このように構造的差別は少数派が少数であるがゆえに集団の中で影響力が小さく,そのため少数派に不利な環境が維持され,その結果として格差が生じるというものである.したがって格差を是正するためには少数派を増やす・少数派が集団から離脱しないようにする(定着させる)などの格差是正措置が常に必要である[9].
前述のとおりIT技術者には女性が少なく,ジェンダーギャップが存在する.そこで本研究では女性のIT技術者の増加・定着における課題を知ることを目的として2つの調査を行う.1つは新規に女性のIT技術者志望者を増やすために,IT技術者をキャリアとして選択する要因についての調査を行う(調査1).もう1つは女性IT技術者の定着のために,IT技術者の働く環境について株式会社サイバーエージェントを対象に調査を行う(調査2).これら2つの調査結果から女性IT技術者の増加・定着のための施策について議論する.
企業の多様性推進に関する研究では労働者一般を対象に調査したものが多い[1], [19].それらは一般性の高い知見が得られる一方で,職種や企業の違いは事業分野・企業規模など抽象度の高い変数でのみ統制される.そのため課題や対策の具体性については限定的である.本研究では特定の職種や企業の従業員に焦点を当てることで,それら先行研究を補う知見の発見と対策の提案を目指す.
ロールモデルの存在はキャリア選択において,キャリアイメージの確立,それに伴う学習の動機づけなどの面で重要な役割を果たす[5], [12]-[14].ロールモデルの効果はピア効果(周囲の人・類似属性の人から受ける影響)[15], [16]の一種である.特に同性から受けるピア効果のことを性別ピア効果といい,学校教育を対象にクラスの性比が各性別の成績への影響などが研究されている[16], [17].
前述のように少数派であるがゆえに,コンピュータサイエンス分野では女性はロールモデルを得づらく,キャリアを選択しない・途中で辞めてしまうという問題がある.そのような女性が少数派である分野ではメンター制度や講演などによってロールモデル候補を提示することが,キャリア継続に有効である[5], [12], [14]ことが示されている.
また性別による職業分離が起きる心理学的な要因について様々な研究がされている.[18]では多くの性別職業分離に関する心理学的研究をレビューし,前述の構造的差別に起因する分離とともに,心理的特性の違いについても議論している.たとえば,リスクテイキング・刺激希求は男性が強い傾向であり,共同性(人や社会志向)は女性が強い傾向にあり,それが職業や会社の選択に影響する.ただしこれらの傾向は男女の心理学的な差異だけでなく,社会的なバイアス(挑戦したときの報酬や失敗したときのリスクに関する性差など)の影響も含まれているため注意が必要である.たとえば,昇格意欲の男女差は会社員一般に広くみられる傾向であるが,ジェンダーギャップ是正に積極的な組織では,そのような差は弱い[19], [20].
仕事における興味関心の指標にはHollandによるRIASEC(現実的,研究的,芸術的,社会的,企業的,慣習的)がしばしば用いられる[18], [21]が,これを用いた調査によると男性は現実的・研究的関心(モノ志向),女性は社会的・芸術的関心(人志向;共同性志向)が相対的に強いことが知られている[18].また日本の様々な職業を対象としたRIASECの調査[21]では,IT技術者であるプログラマ(女性比率25%)はモノ志向が強く,人志向は弱い傾向であり男性の傾向と近い.こちらの興味関心も男女の心理学的な特性だけでなくステレオタイプなどの社会的なバイアスの影響もあるため注意が必要である.
本研究ではIT技術者を目指すにあたってのジェンダーギャップを対象として調査を行う.特にキャリア選択におけるロールモデルの存在,会社・組織の選択にあたって重視すること,仕事における興味関心に焦点を当てて,女性志望者の課題を明らかにする.
株式会社サイバーエージェントとNPO法人Waffleの技術系イベント・インターンなどへの参加者を対象に本調査への参加を依頼した.サイバーエージェントはインターネットを軸に,メディア事業やインターネット広告事業,ゲーム事業を主に展開しており,ソフトウェアの開発に携わるIT技術者が在籍している.同社は主に採用を目的として,技術系イベントの開催やインターンシップ生を受け入れている.Waffleは女子中高生・大学生を対象としたIT・STEM教育機会の向上を目的としたNPO法人であり,女子学生向けの技術系イベントの運営やインターン生の受け入れを行っている.
サイバーエージェントからは男性28名,女性7名,Waffleからは女性11名が最後まで本調査の質問紙に回答した(述べ46名).本アンケートは匿名で回答された.オンライン調査への参加にあたっては,本研究の目的(多様性推進施策への活用・学術研究)を説明し,同意を得た.なお本調査ではジェンダーギャップに焦点を当てて調査するため,性別(性自認)は男性または女性のどちらかのみを分析対象とした.
キャリアに関するロールモデルの有無,ロールモデルをどこで得ているか,それら関する性差について調査するために以下の3項目について調査を行った.1)キャリアに関するロールモデルの有無,2)ロールモデルの性別,3)ロールモデルとの関係性(先輩,家族・親戚,教員,有名人,歴史上の人物,面識のある研究者・技術者,面識のない研究者・技術者).ここでは対象とするロールモデルは1名とした.
会社や職業を選択するうえで重視することを調査するために[22]の「仕事の諸側面の重要性」の項目を用いた.この尺度は待遇,仕事上の刺激,安定性,働きやすさ等に関する12項目からなる(詳細は表3を参照のこと).回答は5段階評価のリッカート尺度によって行われた.
Holland提唱によるRIASECについて[21]で用いられた簡易版を用いた.回答は5段階評価のリッカート尺度によって行われた.具体的な設問は以下のとおりである.1)機械,コンピュータを使ったり,モノ(動植物を含む)を対象とした具体的で実際的な仕事や活動が好き,2)研究や調査のような研究的,探索的な仕事や活動が好き,3)音楽,デザイン,絵画,文学等,芸術的な仕事や活動が好き,4)人と接したり,人に奉仕したりする仕事や活動が好き,5)企画,立案したり,組織の運営や経営等の仕事や活動が好き,6)定型的な方式や規則,慣習を重視し,それに従って行う仕事や活動が好き.それぞれ順に現実的,研究的,芸術的,社会的,企業的,慣習的な興味関心と言われる.
ロールモデルの有無とロールモデルの性別を回答者の性別ごとに示したのが表1である.女性回答者は男性回答者に比べ,ロールモデルを持つ割合が高いこと,異性比率が高いことが分かる.一方で大学生一般に対する調査[13]ではロールモデルを持つ比率(約46%)に差がなく,男性回答者と同程度であることから,女性回答者は大学生一般と比べても,ロールモデルを持つ割合が高いと言える.
ロールモデルとの関係性を表2に示す.面識のある研究者・技術者の比率が男女ともに高かった.これは,回答者が技術系イベントの参加者であり,そのような場で面識のある研究者・技術者をロールモデルとする機会があったためであると考えられる.
男性は身近な人(先輩,家族・親戚,教員)をロールモデルとしがちな一方で,女性は面識のある研究者・技術者をロールモデルとする割合が高かった.ロールモデルとの関係性に性差が生じるのは,男性は身近にロールモデル候補が多くいる一方で,女性はそうではなかったため,技術系イベントの参加によって出会った「面識のある研究者・技術者」の割合が高くなったと考えられる.
表3に会社選択基準について示す.性別に関わらず高く(4以上)なったのは,面白い・成長できる仕事(項番1, 5, 6, 8)と快適な就労環境であること(2, 9, 10)であった.
性差について見ると,男性は昇格昇進・裁量・面白い/成長できることを重視する一方で,女性は勤務時間の自由度やワークライフバランス,仕事の保障性を重視する傾向にあった.
表4に仕事における興味関心を示す.慣習的を除く項目で比較的高い数値であることが分かる.先行研究の調査では,(IT技術者と比較的近いと言える)プログラマ(女性率25%)は具体的:やや高,研究的:高,芸術的:中,社会的・企業的:低,慣習的:中であった[21].本調査の結果と比較すると男女ともに具体的・研究的が高い点でプログラマと類似し,社会的・企業的が高い点で異なる.したがって回答者はプログラマ一般と同様に技術的な関心が強く,加えて社会的・企業的な関心も相対的に高いと言える.
性差については男性のほうが相対的に具体的・研究的な関心が強く,芸術時・社会的・企業的な関心は女性のほうが高かった.これは男性のモノ志向,女性の人志向に対応した結果と言える.ただし前述したように男女ともに双方への関心が高い.
IT技術者のジェンダーギャップ対策を目的として,IT技術者志望者を対象に,ロールモデル,会社・職業選択基準,仕事における興味関心について調査を行った.
職業や専門分野の選択のうえで(同性)ロールモデルは重要[5], [14], [16], [17]である.しかし本調査では女性の技術者志望者はロールモデルに出会いづらいことが示唆された.男性は身近な同性をロールモデルにしていた.一方で女性は主に(本調査の連絡経路となったイベントなどで出会った可能性がある)現役技術者・研究者をロールモデルとしていたからである.また男性のロールモデルは全員が同性だったことに対して,女性は11人中4名のロールモデルが異性であった.これはIT技術者の潜在的ロールモデルが男性に偏っている,すなわち女性のIT技術者志望者にとって選択肢が少ないことを示唆している可能性がある.異性のロールモデルに意義がないわけでは全く無いが,ピア効果[15], [16]やロールモデル効果[5], [12], [14]に性別が重要な因子であることから,同性ロールモデル候補者が少数であることは女性にとって不利益である可能性がある.
男女とも,特に女性に,現役技術者・研究者をロールモデルとする人が多かった.本調査の回答者は技術系イベント・インターンの参加者であり,そういったイベントでロールモデルと出会った可能性がある.すなわちこのような取り組みはIT技術者志望者(特に女性)においてロールモデルを得る機会として重要であると言える.
男女共通して会社・職業選択において「おもしろい/成長できる仕事」「快適な環境・給与」「スキルマッチ」を重視していた.これはBtoC分野のIT技術者の採用でアピールされることが多く,回答者(IT技術者志望者)もそういった指向性を持つためであると考えられる.また相対的に,女性は堅実な基準,男性は昇格・裁量・変化を仕事・職業選択において重視していた.日本では子育て・介護が女性に偏りがち[23],でありそれが継続的な就業を妨げる要因になっている[24].そのため継続的に働き続けることを望む女性は,継続的な就業を可能にする制度や実績のある会社・職種を重視せざるを得ないのだと考えられる.また昇格意欲の男女差は会社員一般に広くみられる傾向である[19], [20], [25].一方で,ジェンダーギャップ是正に積極的な組織では,そのような差は弱い[19], [20].ここからIT技術者志望者の女性にも昇進意欲を低下させるような社会的な抑圧があると考えられる.
したがって堅実な基準(ワークライフバランスなど)を満たしていることとともに,DE&Iを会社として推進していること,女性IT技術者が昇格している・裁量を持って楽しく働いていることの事例を増やし,それを周知することがIT技術者の女性比率を高めることに重要であると考えられる.
一般な傾向として男性はモノ志向,女性は人志向が強いと言われる[18].またプログラマ一般ではモノ志向が強いという調査もある[21].本調査のアンケート回答者のIT技術者志望者は両志向とも高く,男女ともに技術的な関心だけでなく,質の高いサービスの提供・社会的影響・事業経営にも関心があることが分かった.これは技術系イベント・インターンなどに積極的に参加する志望者の興味関心が幅広いことを意味する.また相対的には男性が前者,女性が後者への関心が強かった.
IT製品の開発に当たってはIT技術者として働くうえでは技術面だけでなく,ユーザへの影響・社会との関係・事業利益への関心は不可欠である.したがって技術面だけでなく,ユーザや社会との関係性,事業運営面の興味関心を惹くような採用をすることで,ジェンダーギャップの緩和ならびに多面的な関心を持つ志望者を集めることができると考えられる.
働く環境の包摂性は働くモチベーションや定着(離職しない)に影響を与える.[1]は様々な企業の社員を対象とした調査から,社員が各組織の多様性・包摂性が高いと認知しているほどモチベーションが高く,離職しづらく,コミットメントを高めることを示した.一方で職場の制度や慣習・雰囲気は無意識に多数派に沿ったものになりがち[10], [11]であり,少数派には居づらさを感じやすい[6].たとえば,男らしさを競う文化(マッチョイズム)は職場の包摂性と負に関連する[1], [26].そこで本調査では女性を含むマイノリティの職場環境における課題を明らかにすることを目的として,職場の包摂度認知の調査を行う.
本調査ではサイバーエージェントの主にIT技術者を対象として調査を行った.本調査は1社を対象とし,(制度や風土が異なる)企業間の比較ができないため,性差などの相対評価だけでなく,それぞれの絶対評価も必要である(たとえば包摂性認知に性差があったとしても男女ともに十分に高い包摂性認知であれば問題ないということもありうる).絶対評価の基準とするために本調査では,株式会社JobRainbowが開発したインクルージョンスコア(2022年版)*2を用いた.このスコアは同社によって複数の企業の調査に用いられており,スコアによる絶対評価(A, B, Cの3段階)が可能である.
サイバーエージェントの社内SNSなどを通じて主にIT技術者を対象としてアンケート回答者を募った.本アンケートは匿名で回答された.ここでIT技術者を主な対象としたのは同社における他の職種(営業/企画,デザイン,バックオフィス)に比べて技術職はジェンダーギャップが大きく,同社でも対策を進めているからである*3.ただしアンケート回答自体はオープンなものであり他の職種も回答可能とした.募集期間は2023/5/11–5/25の2週間で回答者は231名であった.
本調査では用いたインクルージョンスコアには質問項目は20項目あり,大項目(総合スコア),中項目(インクルージョン,公平性,帰属意識),小項目(心理的安全性,信頼関係,ウェルビーイング,サポート体制,差別・偏見の有無,個人の尊重,多様性への理解・尊重)という階層構造になっている.それぞれの項目についてスコアが高い順にA, B, Cの3段階の評価が設定されている.本稿では主に総合スコアと小項目に関して分析を行う.
インクルージョンスコアを説明する属性変数として以下について回答を求めた.
マイノリティ属性のカテゴリについてはJobRainbow社のD&I Awardの分類に基づいている.ただし社内で実施されたアンケートであり,回答数が少ない,または回答者が特定される大きなリスクが想定されるため,育児中以外は1つの選択肢としてまとめた.
サイバーエージェント社は大きく分けて3つの事業(インターネット広告事業,ゲーム事業,メディア事業)を行っている.その3つと本社機能(バックオフィスや社内情報システム関連組織など)・その他の2つを加えて,5つの選択肢について回答を求めた.
同社では本調査実施の2ヶ月前(2023/3月前半ごろ)に主にIT技術者を対象としたジェンダーギャップに関する勉強会を実施*4しており,その勉強会への参加効果を調べるため参加状況について回答を求めた.
全体的な傾向を把握するために表5に各評価項目の平均値とその平均値に対する評価段階,A評価・B評価基準を満たした回答者の割合を示す.
“多様性への理解・尊重”を除きすべての項目でA評価を達成していることが分かる.一方で個人ごとに見ると,A評価基準を満たした回答者の割合は6–7割程度で,3–4割はその基準を満たせていないことが分かる.また少数ではあるがB評価基準を満たせていない回答者も存在することが分かる.したがって平均スコアとしてA基準を満たせてはいるものの,改善の余地があることが分かる.
前節のとおり,インクルージョンスコアの各項目のスコアは回答者によって異なる.本節では,どのような回答者がどのスコアが低いのかについて分析した.具体的には2.3節の属性情報を説明変数,インクルージョンスコアの小項目を被説明変数として構造方程式モデルを構築し,両者の関連性を最尤法を用いて評価した.なお性別については「その他・答えない」は回答数が少なかったため統計的な分析対象からは除外した.CFIは1,RMSEAは0である.
構造方程式モデリングの結果の概要を図2,表6, 7に示す.
最も顕著な傾向を示したのは年齢であった.年齢が高いほどすべての項目でスコアが低くなった.
一方で,性別は心理的安全性についてのみ影響があり,男性が女性に比べやや高い傾向にあった.ただし男女ともにA評価である(本モデルを用いて性別のみ変えて心理的安全性スコアを推定した値を評価).
職種によって性別の比率が異なる(IT技術者は他の職種にくらべて男性比率が非常に高い)ため,性別の心理的安全性に対する効果には職種による差異があると考えられる.そこで回帰分析によって性差を分析した.具体的には,心理的安全性を被説明変数,説明変数は2.3節の属性情報(構造方程式モデルと同様)とし,性別と職種の交互作用の回帰係数を評価することによって分析した.その結果,性別と職種の交互作用には統計的に有意な差はみられなかった.
マイノリティ属性については,子育て中である回答者は尊重されていると感じていた一方で,それ以外のマイノリティ属性の回答者は同社の“多様性への理解・尊重”が不十分であると他の回答者に比べて感じていた.
子育て中と“個人の尊重”と正の関連があったことは,日本における育児休業取得率に大きな男女差がある[27]など,子育ては女性に偏りがちであることに起因している可能性がある.そのため,性別と子育て中であることは交互作用があると考えられる.そこで,回帰分析によって交互作用を検証した.具体的には,個人の尊重を被説明変数,説明変数は2.3節の属性情報(構造方程式モデルと同様)とし,性別と子育て中の交互作用の回帰係数を評価することによって分析した.その結果,女性と子育て中の交互作用は個人の尊重に対して統計的に有意な正の効果を示し,また子育て中の主効果は有意でなくなった.
所属部門によって異なった傾向がみられた一方で,職種については統計的に有意な差はみられなかった.
ジェンダーギャップ勉強会への参加は心理的安全性と正の関連があった.この勉強会はジェンダーをテーマとしており,効果の大きさには性差があると考えられるため,回帰分析によって性差を分析した.具体的には,心理的安全性を被説明変数,説明変数は2.3節の属性情報(構造方程式モデルと同様)とし,性別と勉強会参加の交互作用の回帰係数を評価することによって分析した.その結果,性別と勉強会参加の交互作用には統計的に有意な差はみられなかった.
インクルージョンスコアに基づくA, B, Cの3段階評価基準に基づけば,本調査結果は会社の多様性への理解・尊重を除きA評価と高い評価を示した.しかし,全員のスコアが高いわけではなく,課題が無いわけではない.その課題を把握するために構造方程式モデルを用いた回答者の属性とスコアの関係性を分析した.
その結果,特に顕著な傾向として年齢が上がるほどスコアが低下することが示された.これは同社の若手の活躍・成長を推進する企業文化*5があり,若手のスコアが高いこと,その一方でシニア・中堅の支援も求められていることを示唆する.
心理的安全性は男女ともに高いものの,性差は存在し男性の心理的安全性がやや高い傾向であった.この傾向には(性比が異なる)職種は影響しない.
所属部門によって幾つかの項目において差異がみられた.これは会社全体のDE&I関連の制度や文化・風土の醸成だけでなく,部門ごとの文化や業務の性質に合わせた施策を行っていく必要があることを示唆する.一方で同様に文化や業務が異なると考えられる職種による差異は認められなかった.
子育て中であることは,当人が個人として尊重されていると感じる傾向にあった.これは子育て中は私的な理由での業務上調整が必要なことがそうでない場合に比べて発生しやすく,またそれが周囲に受け入れられているからだと考えられる.この傾向は女性のみにみられた.これは子育ての負担が女性に偏りがちであるという日本社会の構造[23], [27]を反映していると思われる.一方で,職場で個人として尊重されることは女性の継続的な就業において重要な要因であり[24],このことは子育て中の女性技術者の継続的な就業に貢献していると考えられる.
ジェンダーギャップ勉強会への参加は性差関係なく心理的安全性と正の関連があった.これは組織の差別是正・多様性推進はマイノリティ(ここでは女性)を支援するだけでなく,組織全体にも良い影響があるという先行研究と一貫する.ジェンダーギャップ対策を推進する組織では女性の昇進意欲が向上するだけでなく男性の意欲も向上する[19].女性登用に積極的な組織では,従業員にとっての会社重要度は性別関係なく高い[1].女性医師の燃え尽き症候群対策も女性医師だけでなく男性医師にも効果がみられる[28].これは多様性推進対策がマイノリティの環境だけでなく職場全体の環境を向上させうるからである.
“多様性への理解・尊重”は平均スコアとしてA評価でなかった.すなわち回答者は「同社の経営層・同僚は多様性への理解・尊重が十分でない」と認識していた.特にマイノリティ属性(LGBTQ+/外国人/障害者/介護中のうち少なくとも1つが当てはまる人)の場合はこの傾向がさらに強くなる.ただし他項目のスコアは高いため,攻撃的・差別的な振る舞いが蔓延している訳ではないと考えられる.たとえば,会社としての能動的なアクションが弱い・無意識の言動に知識や配慮の不足が感じられると回答者が感じている可能性がある.したがって経営層によるメッセージの発信・DE&Iに関する研修(基礎知識・注意するべき振る舞い)が同社のDE&I推進に重要であると言える*6.そのような啓発によって,たとえば,子育て中と同様に個人として尊重されていると感じることが増えることなどがマイノリティ属性についても期待できる.
調査1,2を通してIT技術者におけるジェンダーギャップに関する2つの構造的差別がIT技術者とその志望者にも存在することが示された.本章ではそれら構造的差別とそれを緩和するための方策について議論する.
1つ目はIT技術者とその潜在的候補(工学部の大学生など)には女性が少ないことに起因する構造的差別である.調査1で女性のIT技術者志望者のロールモデルとの出会いづらさが示唆された.これはコンピュータサイエンス分野・IT技術者に女性が少なく[4]-[6],ロールモデルの候補になりうる人との接触機会が少ないからだと考えられる.キャリア上重要な役割を果たす同性のロールモデル候補に出会う機会が少ないと,その分野・職種に女性は増えづらく,その結果,女性がロールモデルに出会いづらい状態が安定して維持される.また調査2で女性の心理的安全性が男性に比べてやや低いことも職場で少数派であることの不利さを示唆する.これは属性に偏りの大きい集団では,少数派は居づらいさを感じるなど心理的安全性が低くなりがち[6]だからだと考えられる.心理的安全性が低いことは離職と関連する[24]ため,女性IT技術者の心理的安全性が低いことも,女性IT技術者が少ないがゆえに女性IT技術者が増えない構造を安定して維持する.ただし本調査では女性の心理的安全性はA判定と十分に高い値であったため,この効果は限定的だと思われる.
この構造的差別を緩和するためには女性のIT技術者志望者を増やすこと,女性のIT技術者の離職を防ぐ必要がある.これらは学校教育におけるステレオタイプの除去・ロールモデルの提供・少数派が継続して就業しやすい環境の構築・維持など,教育・IT業界が連携して取り組む必要がある.学生向け技術系イベントの開催・教育現場での講演などにおいて,女性IT技術者が小中高生・大学生の接点を増やすことは,IT技術者に関する性別ステレオタイプの除去,ロールモデルの提供が期待できる.多様性を尊重する風土の醸成は,女性登用・働き方の多様性・個人の尊重の推進,男性優位組織・マッチョイズムの除去が重要である[1].そのためには管理職の女性比率のチェック・向上や様々な働き方を可能にする制度の充実,それらが職場で受け入れられるための従業員に対する啓発・経営層からの明確なメッセージ発信が有効であろう.これらは女性だけでなく男性の働きやすさにも貢献しうる[1], [19], [28].また職場で少数派になりやすい属性(女性,性的マイノリティ,人種・民族的マイノリティ)の交流・支援を目的とした企業内で作るコミュニティ組織「従業員リソースグループ」*7がある.女性のリソースグループであれば従業員間でのネットワーク構築,ロールモデルとの出会いの機会増加,制度の改善などの施策提案などの面で女性の継続的な就業を支援できると考えられる.
2つ目は子育てや介護が家庭内で女性に偏りがち[23], [27]であること,それが女性の継続的な就業を阻害する[24]ことに起因する構造的差別である.調査1では,そのリスクを軽減するために女性のIT技術者志望者は堅実な基準で会社・職種を重視せざるを得ない(選択肢が制限される)ことが示唆された.また調査2の子育て中の女性は,子育て中の男性に比べて個人の尊重が高いことも,間接的に現役IT技術者においても女性に育児が偏りがちであることを示唆する.これは本調査の回答者の社外環境(パートナーの職種・所属する企業など)も大きく関連するはずである.子育てや介護が家庭内で女性に偏りがちであることは社会全体の傾向である[23], [27]ため,上記はIT技術者に限らず他業種・他職種でも同様であると考えられる.
この構造的差別を緩和するためには家事・育児・介護などにおける性的役割分担の解消が必要である.これは社会構造全体に根ざした問題であり,より幅広く産業,教育,行政で取り組む必要があるであろう.企業としては,1つ目の構造的差別対策と同様,様々な属性が昇進を含めた様々な働き方を可能にする制度・風土を推進することとそれの社会への周知,教育現場との連携による性的役割分担を含めた働き方・キャリアにおけるステレオタイプの払拭などによってこの問題に貢献できると考えられる.また様々な業界・職種・場面でのジェンダーギャップについての調査を行い,公開・対策を検討・実施することが重要であると考えている.
本研究には以下に述べる2つの限界が存在する.
1つ目は調査1, 2ともに,調査参加者が少ないことと調査参加者に偏りがある(調査1は特定の組織と接触がある,調査2は1つの会社に所属している)ことである.IT技術者を志望する就職活動中の学生や他社のIT技術者に関する調査を実施し,本調査と比較することで,より一般性の高い知見が得られると考えられる.
2つ目は横断調査であるため因果関係については明確でないことである.縦断調査やジェンダーギャップ対策の介入実験を行うことで,構造的差別のフィードバック構造の検証や施策の因果効果の検証をする必要がある.
本稿では女性のIT技術者の志望者増加,現役技術者の定着における課題を知ることを目的として,志望者と現役技術者それぞれについて調査を行った.分析の結果,ジェンダーギャップ・部門差・マイノリティ属性(LGBTQ+/外国人/障害者/介護中など)に起因してキャリアや働く環境の包摂度に課題があることが分かった.それら明らかになった課題に対応するための施策について議論を行った.今後,それらの施策の効果について介入実験などによって明らかにする必要がある.
謝辞 アンケートにご回答いただいた皆様,アンケート調査実施にご協力いただいた特定非営利活動法人Waffle,インクルージョンスコアの使用の許可・使用にあたってのノウハウを提供いただいた株式会社JobRainbowに感謝申し上げます.
2009年 名古屋大学大学院情報科学研究科博士課程修了.博士(情報科学).専門は計算社会科学・複雑系科学.システムインテグレータを経て,株式会社サイバーエージェントに勤務.スマートフォンゲームの開発・運用に携わった後,現在は学際的情報科学センターのリサーチャーとして当社サービスのデータ分析と計算社会科学研究に従事.情報処理学会,行動計量学会 各会員.人工知能学会,計算社会科学会 各理事.
2005年 埼玉大学大学院 理工学研究科 博士後期課程中退.2009年 同大学 博士(工学).東京大学,電気通信大学,理化学研究所を経て,2016年より株式会社サイバーエージェント.現在,学際的情報科学センターのリサーチャーとして,メディアサービスの社会的受容性の調査やユーザデータの分析等に従事している.
Tech DE&I Lead兼Developers Connect室マネージャー兼ソフトウェアエンジニア.株式会社サイバーエージェント新卒エンジニア職1期生入社.入社3年目よりスマートフォンDivisionボードメンバーとして複数のサービス立ち上げに携わる.2015年以降3度の育休を挟みつつ,定額制音楽配信サービスにてソフトウェアエンジニアとして,子ども向けプログラミングサービスにて海外開発部門責任者として長くtoC向け開発に携わる.2024年2月よりDevelopers Connect室マネージャーを兼務.業務外ではIT業界のジェンダーギャップ解消に興味があり,NPO法人WaffleやMs.Engineer株式会社に参画.2022年Women Techmakers Ambassador就任.
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