ここでは導入に代えてCOVID-19下で大学の授業がオンライン実施される前の20年間を,大学での教育へのICT利用の視点から振り返っておく.WWWの普及などから2000年ごろに米国を中心に第1次のe-learningのブームが生じた.日本でも東北大学インターネットスクールが2002年に開始されるなど,いくつか先進的な取り組みが行われたが,必ずしも大きな流れには発展しなかった.筆者は2003年に京都大学の学術情報メディアセンターに着任し,教育分野のICT基盤整備に携わることになった☆1が,大学教育の現場でのICT利用としては履修登録にWebベースのシステムが使われ出したものの,学生用の端末系を整備し,メールアカウントを発行する程度のことが行われていただけである.また遠隔教育としては学内での授業を遠隔会議システムを用いてキャンパス間で中継したり,海外の大学とビデオで結んだ共同遠隔授業の実験が実施されたりしていた.
遠隔教育をテーマとした環太平洋地域の大学関係者の集まり☆2にも出席したが,当時は高等教育が全国的にそれなりの進学率を達成していて国内的には遠隔教育の必要性はあまり強くなく,また言語の壁からオンラインでの高等教育の輸出も輸入も本格化しないという状況であった.このころから広がったオープンコースウェアでの授業資料公開や,その後の大規模オープンオンライン授業(MOOC☆3)についても大学の授業全体から見れば,インパクトは限定的である.
しかしながら,こういう状況の中で,通常授業の改善のため,LMS☆4の導入や,全学的な認証基盤の整備,学習ツールとしてのノートPC必携化などが各大学で進められてきた.
京都大学では全学認証基盤の構築と併せてこれを利用する形で2009年度にBlackboard社の商用LMSを全学向けに導入し[1],2013年度にはオープンソースのLMSであるSakaiをベースとしたシステムに移行,翌年度には履修登録などを行う学務管理システムからの履修簿の連携を[2],2018年度には動画配信サービスKalturaなどをLMSからLTI規格(Learning Tools Interoperability,たとえば文献[3],[4]参照)で利用する形で導入した[5].
並行して教職員を対象としたLMSの講習などの利用促進も行ってきたが,2019年度段階で利用されている科目数は学務管理システム上の14,817科目中,1,740科目と全科目の1割強程度に過ぎなかった[6].学生側のICT環境としては,教養教育の改革の一環として2013年度に設置された国際高等教育院が,2016年度からの教養共通教育のカリキュラムの刷新に合わせて,同年度の新入生から学習用PCの保有をPCの仕様を示して促している.
2020年度は新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い,多くの大学が年度当初に開講時期を遅らせたのち,同年度の授業をオンラインで実施した.京都大学でも前期の授業については全面オンライン実施を余儀なくされた.開講を5月の連休明けまで遅らせて準備に宛て,LMS用サーバの強化,Web会議サービスZoomの契約とLMSへのLTI規格での連携ならびに教職員に全学認証基盤のアカウントと連携する形でのZoomアカウントの払い出しを行った[6],[7].通信環境の不十分な学生については同年度に限ってモバイルルータの貸与を行っている.LMSの利用科目数で見ると2020年度は14,841科目中9,852科目に急増した☆5[6].
我が国では通学制の大学と通信制の大学とで適用される授業に関する制度(大学設置基準,大学通信教育設置基準)上の扱いが異なっている.通学制の大学が授業をオンラインで実施することについては,大学設置基準第二十五条2に「大学は,文部科学大臣が別に定めるところにより,前項の授業を,多様なメディアを高度に利用して,当該授業を行う教室等以外の場所で履修させることができる」と定められており,これが注目された(この形態での授業を以下「メディア授業」と呼ぶ).ただし学部教育についてはメディア授業で卒業要件に勘案できる単位数は60単位までに制限されているため,コロナ禍の中で授業の弾力的な運用を認める措置が取られた.
また,教材などの著作物を授業で利用する際の著作権の権利制限(著作権法三十五条)は,従来は同時双方向で行う授業について認められていた.教員がLMSにアップロードした教材を学生が異なる時刻にダウンロードして利用するオンデマンド型の授業についてもこれを適用する法改正はすでに行われていたが,改正の際に盛り込まれた補償金制度が未整備であった.これについて2020年度は補償金なしで暫定施行され,その後,補償金額が定められ2021年度からは教育機関が補償金を支払う運用となっている[8].
これらの状況の中で,授業の実施形態としては,従来の対面実施に加え,
などいくつかの形態で行われ,感染状況の緩和とともに
が求められた.なかでも対面授業をWeb会議システムなどで中継して同時双方向型授業としても行う形態は特にハイフレックス(HyFlex)型授業と呼ばれている.
オンライン授業を支えた情報システムについて京都大学の事例に沿って名称を一般化して図1に示す.
システム構成は大きくは利用者の認証を行う全学認証基盤(図1①),各種情報システムへの入り口となるポータルサイト(図1②),オンライン授業の中核となるLMS,履修や成績登録などのための学務系システム,図書館の利用を支援する図書館システム(図1③)などである.これにコミュニケーションの基盤となる電子メール,Web会議や動画配信などのクラウドサービス(図1④)が加わる.
システム間の連携としては利用者認証を必要とする情報システムが全学認証基盤を利用し,学務系システムからLMSへの履修簿連携を行い,LMSからWeb会議サービス,動画配信サービスなどがLTI規格で連携される.
京都大学での2019年度までのLMSの利用状況から分かるように,大半の教員はLMSの利用経験がなく,新規に導入されたWeb会議サービスを用いたオンライン授業についてはなおのことである.そのため情報システムの整備に加え,教職員へのLMSやWeb会議サービス利用の講習などを行う必要があった.
たとえば京都大学ではFD☆6を所掌している高等教育研究開発推進センターと情報基盤を所掌する情報環境機構が連携して
学生については在学生はすでに語学や情報系の授業など何らかの授業でLMSの利用経験を持っていた.そこで開講前にLMSとZoomを用いる模擬授業を新入生を対象に実施して円滑な受講の準備を進めた.
全国規模でもオンライン授業に関して大学間での課題や実践を共有するなどいくつかの取り組みが行われた.その1つは国立情報学研究所が継続的に開催してきたオンラインシンポジウム「大学等におけるオンライン教育とデジタル変革に関するサイバーシンポジウム『教育機関DXシンポ』」である[9].
授業のオンライン実施で最も困難なことの1つが期末試験など試験の厳格な実施である.LMSにはオンラインのテスト機能はあるが,在宅で受講している学生の不正行為を完全に防ぐことは難しい.これについては,対面で試験を実施する方法以外に,オンライン実施でも不正が難しい出題方法や試験を実施せず課題提出により成績を評価することなど試験への依存度を下げた授業運営が模索された.
京都大学を含め,我が国の多くの大学が全面オンライン授業を実施できた要因は,端末やネットワークの高性能化がエンドユーザによるビデオの本格的な活用を可能にしたことや,Web会議サービスなど各種クラウドサービスの出現もあるが,先に述べたように,それまでの20年間で全学的な認証基盤やオンライン授業の中核となるLMSなど大学が着実に環境整備を行い,一定の利用者も得て,利用者の支援を含めた運用経験を蓄積してきたことが大きい.
これは,コロナ禍でもオンライン授業を限定的にしか実施できず,対面授業を実施しつつ,2019年に閣議決定されたGIGAスクール構想[10]のもとでコロナ禍の中で1人1台の端末整備などを本格化させた初等中等教育との大きな相違である.
個人を特定して適切な利用権限を与えるための個人認証は情報システムを支える基盤である.現代社会では多様な端末のアカウントがクラウドサービスとも連携し,また各種サービスを個人で利用するアカウントと組織が構成員に授与するアカウントが混在し併用されているため,個々の利用者がこれを適切に理解し利用することが求められる.これに加え,組織やサービスを横断しての認証連携やセキュリティ対策の高度化としての多要素認証の利用などがある.またアカウントとともに,電子メールなど個人への連絡手段が存在し適切に運用されていることも重要である.
これまでは大学ごとに認証基盤を構築してきたが,教養教育では語学科目や情報系の科目などを中心に多数の非常勤講師に依存している.これらの非常勤講師は大学ごとにアカウントの発行を受ける必要があったり,常勤教員との権限の相違が授業運営に支障となったりしている[11].
また,クラウドサービスで多用される一定限度まで無償でサービスが受けられ本格的な利用は有償となるフリーミアム型のサービスについては,組織が有償サービスを契約した際に無償のサービスを先行利用している利用者のアカウントへの配慮なども必要となった[11].
今後はGIGAスクール構想の中で1人1台端末の利用が高等学校でも進む☆7.成人とは知識・スキル・責任の在り方が異なる小学校低学年での利用も含めた初等中等教育での認証基盤の利用や高大接続も視野に入れ,社会全体としての認証基盤の在り方が課題となる.
コロナ禍で対面授業を急遽全面オンラインに避難させることを通じ,授業という営みがさまざまなメディアを駆使し,重層的なコミュニケーションに支えられた活動であるかが実感された.
授業では,教員による講義と学生への問いかけ,学生による回答,学生からの質問と教員による回答などが行われる.また学生同士にグループワークなどを課す場合も多い.このほかにインフォーマルなコミュニケーションとして学生側では同じ科目を履修する学生同士の情報交換や先輩学生からの情報提供,履修相談などが行われていた.オンライン授業の中でこのようなインフォーマルなコミュニケーションが難しくなり,学習に困難を抱える学生も顕在化した.キャンパスで授業を対面実施することの効果をインフォーマルなコミュニケーションを含め再認識する必要がある.
また,大学で行われている授業は多様で,大人数への講義や少人数での討論中心のゼミナールに加え,「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能の養成を行う語学の授業,数学など数式を多用する授業での教師による講義と学生が行う演習,理科系科目としての実験・実習や,端末の利用そのものを学ぶ情報系の科目などがある.特に医療系の学部などでは種々の実習が行われている.これらの授業ではコロナ禍での授業のオンライン実施のためにVR,ARも含めさまざまなメディアの活用が試みられた[9].
また,図書館などでの書籍の利用も学習を支える重要なサービスである.しかしながら研究活動が電子ジャーナルに支えられているのとは異なり,大学教育で用いられている学術的な書籍については電子化されていないものが多いことが認識された.
オンライン授業で利用される情報技術・サービスは多様であり,端末とそこで稼働するアプリケーションに加え,オンラインストレージ,LMS,Web会議などのサービスについて技術ごとに複数のサービスが並立しているマルチプラットフォーム状態となっている.このような状況で情報システム・サービスについて,利用者認証や利用できる機能,UIが異なることに加え,利用させる学生にも認証を求めるものなのか,それともアクセスがURLの秘匿性にだけ依存しているものなのかなど利用するサービスごとに情報セキュリティに配慮しながら適切に利用しなければならない.このために個人の学習コストが増大している.先にも述べたように複数の大学で勤務する非常勤講師においては,授業のためこれらの情報システム・サービスを能動的に使うことが求められ,この問題は顕著である.今後,マルチプラットフォームの問題への効果的な対応が求められる[12].
情報技術の急速な進展により,現在のオンライン授業はさまざまな技術に支えられている.たとえば,ハイフレックス型の授業ではWeb会議サービスの利用にあたってエコーキャンセリングや動画と音声の通信帯域の適切な利用がしばしば問題になる.また,背景合成など実時間での処理も含め,高度な画像処理も多用されている.さらにはVR,ARなどを利用する試みや,AIによる音声認識や機械翻訳なども利用されつつある.オフィスソフトなどもPC端末でのローカルアプリケーションと共同編集も可能なクラウド・Webベースのアプリケーションが共存している.
授業でのICT利活用についても先進的な教員が利用するサービスをさまざまに試行している実態がある.コミュニケーション・コラボレーションは関係者が共通のツールを使えることが前提である.活動を効果的に実施するツールを選択しつつ,困難を抱える参加者への配慮も行いながら,その利活用を広げ共通化することが課題である.
平成の約30年間は大学改革の30年間としても捉えられる.1991年(平成3年)に大学設置基準が大綱化され,それまで硬直的だった科目区分等が廃止され,弾力的なカリキュラム設計が可能になった.2000年には大学評価・学位授与機構が設置され,試行的ではあるが,大学の第三者評価が開始され,2004(平成16)年度からは大学の機関別認証評価が全大学を対象に開始された.さらに同年度に国立大学の法人化が実施され,公立大学の法人化も進んでいる.その間も中央教育審議会がさまざまな答申を出し,施策に反映されている.しかしながら,政府の財政難や若年人口の減少もあり政府による予算措置などは限定的,一時的なものにとどまった.
このような状況の中で大学は各種の政策をややもすると拘束条件として捉え,主体的に大学経営の課題として捉えたのか,という点では疑問を持たざるを得ない点も多々ある.また個々の教員についても,情報技術を積極的に活用する教員がいる一方で,そうではない教員も少なくない.コロナ禍以前ではLMSを利用する授業の割合は京都大学では米国での調査と比較して大幅に少なかった.
これに対して,2020年度当初からのCOVID-19への対応は,多くの初等中等教育機関がなすすべもなく様子見し,対面授業を続けたのに対して,大学では組織を挙げて授業のオンライン実施に取り組み,対面授業の実施を求める社会からの批判を受けるに至るほどにこれを実施した.先に見たように,京都大学でも全授業数の1割を超える程度だったLMSの利用が大半の授業に拡大した.COVID-19の状況の緩和とともに,対面授業へと戻りつつあるが,LMSの活用などは多くの教員が体得し,対面授業下でも利用を継続している.
今後はさまざまな社会的課題を抱える我が国で,その課題の1つである人材育成について,大学はオンライン授業の経験を中長期的に活かして行くことが求められる.オンライン授業の経験を活かす高等教育のビジョンを形成し,これを支えた多様なコミュニケーションやコラボレーションのための技術のさらなる発展を考えることが求められる.
京都大学国際高等教育院教授,工学博士.京都大学工学部助手,東京工業大学総合理工学研究科助教授,大学評価・学位授与機構教授,京都大学学術情報メディアセンター教授を経て現職,本会一般情報教育委員会委員.
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