「当惑と,言わなかったことのために,世の中には多くの不幸が訪れている(Much unhappiness has come into the world because of bewilderment and things left unsaid.)」,19世紀,ドストエフスキーの言葉である[1].
この20年ほどの間に,個人的なメッセージの伝達可能な範囲は広がり[2],方法も簡便になった.手紙は億劫でもメールなら送り,メールは苦手でもチャットは1日何度でも使うという人は多い.ただし,日常生活上のやり取りや,他愛のない話,瞬間的な感情などではなく,「ほんとうに伝えたいことはどうか」というと懸念が残る.特に世代というスケールで見ると深刻さを感じ得る.戦後,経済成長期を通しての生活や文化の体験,研鑽した知識や技術を持つ人が率先してデジタルテキスト化しないのは想像に難くない.しかし,家族で日常のコミュニケーションで記録するなら,可能性が高まるのではないかと我々は考えた.
ポジティブ心理学をリードしたM.チクセントミハイは,「家族の中でしか経験できない喜びや成長の機会があり,これらの内発的な報酬は昔も今も変わらない」[3]と言う.文学者で記憶の歴史の研究者,M. Carruthersは,「記憶は知識の中心的な特徴」で,「基礎となるのは回想であれ経験であれ,事実である」,「書かれたものはそれ自体が記憶の手がかりであり,補助である」[4]と記している.
我々は,個人が培った経験を記録し,将来,最適な形で望む人に伝達されることに意味を見出し,それを媒介する「家族協調型ライフヒストリ支援システム(Life History Support System)」[5]を開発している.以下,LHS,または,本システムと記す.また,本システムの名称では「ヒストリ」とし,一般用語として「ヒストリー」と表記する.
本システムは,同居,別居にかかわらず,日常のコミュニケーションでの対話をもとに,人生の経験の記録,保存,また編集機能を持つ.聞き手も語り手も家族,あるいは家族のような親しい間柄であることを前提としている.気心が知れた相手からの自然な話しかけをきっかけに,語り手に想起が次々と湧き上がり,お互いに充実した時間が過ごせる,この継続で「その人ならでは」の知識が継承されていくことが本研究の目指す価値である.
本稿では,システムの概要,記録手法,プロトタイプを使用したインタビュー実験について報告する.
世代の相互の関心については,心理学他の分野で精緻な調査が行われている.1つの基準として多く参照されているものに田畑[6]の「青年期における孫・祖父母関係評価尺度」がある.孫と祖父母には「存在需要」があるとした視点で研究したもので,〈孫から見た祖父母の機能〉に「祖父母からの歴史の伝達」と,〈祖父母から見た孫の機能〉に「祖父母の人生回顧の促進」が見出されている.
吉永[7]は,大学生の描く高齢者像がステレオタイプになり,実際の多様な面を把握できなくなっている傾向と,若年層が年齢を重ねる過程で重要な情報が入手しづらくなっていることを「高齢者からのデジタルデバイド」と言及している.
世代に関する偏見についてLevy, B.のステレオタイプ・エンボディメント理論がある.「自己認識がポジティブな人ほど長寿になる」[8],つまり高齢者を肯定的に捉えていた人ほど,健康や記憶力をより長く保持できる傾向があることを明らかにした.それぞれ研究視点は異なるが,共通して,世代にかかわらずポジティブな面を尊重すること,それに基づいてコミュニケーションをすることが,相互の生活または健康に有効であることに我々は注目した.
高齢者や終末期の患者を対象としたライフストーリーの記録は,家族および医療機関にとっても重要であることから,医学の分野で多数の研究が行われており,ホスピスに入院中の終末期の患者を対象[9],または末期がん患者を対象[10]としてインタビューした音声データを解析した結果が報告されている.しかし,インタビューは患者と家族のQOL向上を目的としている一方,家族が効率良く患者と記録を取る仕組みについては研究されていない.
高齢者が家族と協調して一緒にライフストーリーを作り上げるシステムについては,高齢者側のユーザインタフェースをスロットマシン型とし,ゲーム性を高めることで実現したシステム等が報告されている[11].しかし,おおまかなライフストーリーを記録するには適するが,人生における壮大なトピックを記録するために必要な,トピック等を整理した形で記録し,時系列で再構成したり,キーワードごとにまとめたりする機能は備えていない.
自分史を記録するためのスマホアプリ等は多数存在するが,スマホを使えない高齢者や,高齢者と別居している場合に対する機能について考慮されたものは存在しない.
暗黙知と形式知の相互作用は,一般社会や家庭においてもよくみられることである.哲学者ポランニー[12]は,「人は語れる以上のことを知っている」と,知識の多くが暗黙のうちに存在することを指摘し,暗黙知を提唱した.「形式知」は一般的に,読み手がその内容を客観的に認識し,さらに他者に伝えることができるように説明された知識として理解される.経営学者の野中郁次郎[13]は,知識創造論を提唱し,形式知と暗黙知の相互作用により,形式知が暗黙知に変換されることを示した.暗黙知は,しばしば文献上で議論されるテーマで概念の解釈が複数あるため,用語上の問題の発生もみられる[14]-[17].
本稿における用語は以下のとおりである.「経験」を知識や技能が得られる活動や実践,「知識」を「経験や学習を通じて得られる理解」,「暗黙」を「口にしない」という意味で使っている.「暗黙知」には,経験,個々のスキル,アイデアのほか,洞察力,判断力,創造力,意欲など,様々な能力が含まれている.意識的な次元と潜在的な次元があり,本人にもその保有が明らかでない場合が多いものである.また,相互作用する参加者間で,情報の伝達や交換を行うことを「共有」と表現した.
人生の経験の記憶を言葉として記録することは,日常の家族や親しい人との関わり方で可能となる.LHSは,まず,対話の機会と場を提供する装置として,語り手は緊張をすることなく気軽に,聞き手は入力に無理をすることなく記録が進むことを条件に開発をしている.本稿において,以下のリサーチクエスチョンを設定した.
《RQ》デジタルデバイドがあるとされる世代間にLHSが介在することで,想起が喚起されながらの人生のエピソードの収録が可能か?
ここで,LHSを稼働させての対話実験の実施によって,LHSが介在することでの,語り手の想起の促進に関する可能性を調べる.これが肯定的な傾向であれば,積極的な実行者の増加が期待される.
家族協調型ライフヒストリ支援システム「LHS」の開発において,LHSの実現可能性と有効性を確認するため,プロトタイプを製作した.特に,インタビュア(聞き手)がインタビュイ(語り手)に対面してリアルタイムでトピックを記録する行為を中心に,会話を大きく遮ることがない状態で入力し,その内容を相互に確認する一連の効率の評価を目的とした.
LHSは図1に示すとおり,情報インプット部,情報アウトプット部,および情報オペレーション部から構成される.情報オペレーション部は,まず機能面から中核部と拡張部に分けた.
中核部 ・ユーザ管理部・トピックカード管理部
・情報簡易自動補完機能部・簡易表示機能・他
拡張部 ・音声入力支援機能・トピック情報解析支援機能
・インフォグラフィックス拡張表示機能
・セキュリティ管理機能
以下,図1を用いてLHSシステムの概略を示す.
開発の第1段階(ver_1)である一次試作では,中核部を作成した.中核部はインタビュー・コンテンツ(時期,場所,トピック等)を記録して簡易的に表示するフォームの機能を司る.
今後実施する開発の第2段階(ver_2)では,多様な情報が記録された複雑な内容を,論理的構成のストーリーへ自動編纂するための機能と,家族間での利用を想定したセキュリティ管理機能等を搭載する.
試作は,まずデータベース(DB)管理ソフトFileMaker上に基本部分を構築し,続いてオンプレミスサーバ上にFileMaker Serverを用いてDBを構築した.また,様々な場所や環境におけるインタビューの実施を想定して,PCまたはMac上の専用アプリFileMaker Pro,スマートフォン(iPhone)またはタブレット(iPad)上の専用アプリFileMaker Go,および,多様な端末上のWebブラウザから利用可能とし,LHSの実験環境として設定した.
図2と図3は試作版LHSのユーザ2名の起動画面例であり,ボタンの位置や画像等を好みに応じてカスタマイズして使用している.
LHSで情報を表示するフォームを「トピックカード」とよぶ.1枚のトピックカードごとに,1つのトピックの時期,場所,内容が記載される.
LHSの一次試作における実験では,主としてトピックカードの入力と閲覧部分を利用するものとした.図4にトピックカードの表示例を示す.
図中①がトピックを入力するタブで,また,トピックカードの表示・閲覧画面である.入力作業はインタビュアが行う.(A)の部分でトピックの題目を入力,(B)に発生年月日を入力,(C)に発生場所を入力,(D)に詳細を入力する.そこで「いつ,どこで,何があった」というエピソードとなる.この(C)に発生場所を入力すると,マップ上に位置や関連する写真が検索された結果として表示される[18].また,トピックカードには①の入力タブ以外に図中②,③,④等があり,①に入力すると自動的にトピックに関連する事項が検索されて表示される.このように,インタビュアが(A)–(D)の4箇所に入力すると,①(C)部のマップを含めて②–④の4箇所に検索により得られた情報が表示される,インタビュー中に聞き手はそれらの情報を参考にしてインタビューを効率良く実施することが可能である.
ほかにも,和暦・西暦変換表やインタビュイの家族構成等を家系図形式で検索表示する機能等を備え,インタビュー作業を情報検索や情報問い合わせ等で妨げることのないよう,関連情報を効率良く閲覧するための工夫を施している.
また,家族の複数がインタビュア役となる場合の情報伝達や共有を目的とし,家族間のチャット機能を有するほか,トピックカードの新規作成や更新履歴に関するタイムスタンプ機能等を備えている.
プロトタイプを用いた実験を,実際のユーザの環境で実施した.本節で概要を記す.
実験の目的は,リサーチクエスチョンに基づき,LHSを用いた収録過程での想起の促進について可能性を確認することである.LHSを介しての対話で,想起が自然に進むようにするための語りかけの内容や手順を明確にし,単位時間あたりに得られる情報量の検証などを行う.
実験にあたって設定した基本事項は以下である.
これらは,実験の進行に応じて詳細の調査や吟味を加えていくものである.各事項の内容は次のとおりである.
トピックカードには人生の出来事を中心とし,伴う知識情報も記録する.そこからライフストーリーが現れ,それが蓄積・編集されてライフヒストリーが構築されていく.カードの量には制限がなく,ユーザの判断で拡張が可能である.記憶の記録に関して,以下,定義を参照する.
言語で表現できる「陳述(Declarative)記憶(宣言記憶)」は「エピソード(Episodic)記憶」と「意味(Semantic)記憶」に分けられる.エピソード記憶は経験に関するもので,時間と場所の特定がある.意味記憶は見聞や概念などの知識に関するものである[19], [20].エピソード記憶に「自伝的記憶(Autobiographical Memory)」が含まれる[21].
また,「ライフヒストリー」に関しては,“「ライフストーリー」を含む上位概念であって,個人の人生や出来事を伝記的に編集して記録したもの”とされている[22], [23].
我々は,これら理論の一部を参考にしているが,研究の細部に立ち入るものではない.我々の役割はライフヒストリーの編纂を支援するシステムの研究であり,調査の範囲は対話機能に関するものとする.
LHSは一般に,日常的にアクセスをして,断片的,継続的にセッションを行うことを前提としている.そこで,ユーザによるシステム使用を次のように想定している.
まず,初期数回のセッション(以降,イニシャル・セッションとする)で,ライフステージのおおよそのトピックを入力する.これで誕生から現在までの時系列のベースが築かれることになる.この過程で,「語りがストーリーとして可視化されていく」との認識を語り手と共有できる.意識と活動の融合,そして活動のフィードバックはフロー理論に沿うものである[3].
一旦,ライフステージの主なことがカバーできれば,その後のセッションでは,順序を気にせずに,細かな情報の追加や,新たなトピックの挿入を行っていくことができる.
セッションに先立ち,「標準トピック表」を開発した.ダイアローグでの話題の投げかけが前提である.
以下に,標準トピック表の構成アウトライン(図5)と標準トピック表(図6)を示す.区分は厚生労働省で採用している一般的なライフステージ[24]を参照した.
ライフサイクルとして参照したエリクソン[25]による発達の8段階(I~VIII)では「重要な関係の範囲」が示されている.そのI~IVは,<I.乳児期:母親的人物,II.幼児期初期:親的人物,III.遊戯期:基本家族,IV.学童期:「近隣」,学校>である.本実験の「標準トピック表」でこの時期に相当するのが,幼年期と少年期である.インタビュー実験のイニシャル・セッションでは,前半にこの時期をあてた.理由は,関係の範囲が多くの人に共通しているので,具体的な投げかけができる.従って,語り手の回答も比較的に軽快となり,セッションが滑らかな時間となる.LHSを介した対話のウォーミングアップの位置付けである.青年期以降は,進路が多様で関係範囲も複雑になる.実際のセッション進行時に,インタビュアの判断で項目の省略や,話題の投げかけの工夫を,個人特性に合わせて行うものとした.出来事の時期や場所は,厳密ではなくおおよそとした.詳細な時期や場所を質問することで語りの流れを損なうことは最も避けたいことである.その後,詳細が分かった随時に追記,修正,更新できる.
なお項目設計は,筆者が2001年から2007年に介護に関する情報の社会的共有を目的に福祉系企業で企画・実施した,要介護高齢者やその家族の取材・編集・公開・知財/コンプライアンス管理[26]-[29]等の経験を活かした.
オンプレミスサーバ上のシステムを稼働させてのインタビュー実験は,2021年10月および11月に実施した.被験者として3名の協力を得たものである.インタビュアは筆者,インタビュイは71歳女性(A),83歳女性(B),79歳女性(C)である.トピックカード画面の例を説明のうえで,1人に対して約2時間のセッションを実施した.入力方法と想起の計量方法を以下に記す.
新規カード作成ボタンで開かれるのが入力タブ(図4①)である.題目欄にまず簡単なキーワードを打ち込み,後に内容に沿ったものに調整する.時期欄はトピックカードを時系列でソーティングして表示する機能の要になるので,西暦あるいは年代で記入する.地域欄は,それまでのものと変更がない場合は入力不要である.詳細欄に語られたことを記入,内容でインタビュアの認識が足りない事項については2種の検索タブ(図4②③)や同時期の出来事表示タブ(図4④)を使いその場で参照する.該当トピックの入力を終了したら,ナビゲーションバーの「+」ボタンで,新規トピックカードを作成して入力を開始する.
詳細欄(図4①D)の入力について,以下,インタビュイAのトピックカードを例として述べる(図7).これは「小学校時代,着ていたものは?」という問いかけから始まった.Aは,衣服の説明から学校の話,さらに「雨の日」をきっかけに自発的に次々と出来事を話した.思い巡らしながらの語りなので切れ間もあり,速度は緩やかであった.
インタビュアは発話すべてではなく,行為や情景を簡潔な文で打ち込む.この時点では文章の完成度は不要で,必要な調整をセッション後に補う.以下,(a)は発話を聞きながら入力した文章,(b)はセッション後に調整した文章である.
日常的な発話から瞬時にダイアローグのエッセンスを拾うのは,音声認識ツールでは難度が高いが,我々人間にとっては従来の一般的なノートへの手書きメモと同様の要領である.語り手の想起を遮らないようにインタビュアは入力を進める.「いつ,どこで」はおおよそでも「何をした,何があった」は明快にする.述語が発話されないことが多いのが日本語の特徴とされる[30]が,そこはインタビュアがサポートする.必要な文章調整はセッション後に行う.セッション中に優先するのは,発話のすべてを書き取ることではなく,想起の連鎖である.
詳細欄は,記事のような一目で内容が分かる簡潔なパラグラフ・ライティング[31]-[33]形式を基本としている.トピック・センテンスで主題,サポート・センテンスで内容が示され,その集合が一編のストーリーとなる.
トピックカードに書かれた文章をもとに,自発的な想起の促進に関する計量的な評価を試みた.
実際に,話し始めてからいろいろな情景が足されていった.結果「何をした(V)」が複数の枝葉になり,多様なシーンが語られた.日本語の日常の対話はSOV型で「何をした」という主題が後ろにくることが一般的である[31].つまり,動詞(V)をカウントすることで,想起数を導くことが可能になる.実際には各項目に短いエピソードや関連情報が複数内在する.そこで,次のように構造を捉え,形式化された想起部分を明らかにした.
・トピック:主題 ・シーン:場面(言語で想起)
・ショット:回想の断片(思い巡らし)
上記を前提とすると,言語で形式化されたシーンを抽出することで想起の計量ができる.シーンは動詞,形容動詞(形容助動詞を含む)を手がかりに独立した構文に分けた.
インタビュイが構成した文章(図7(b))をもとに,トピックとシーンの関連を図9に示す.
このトピックからは4シーンが抽出された.実際に語り手が思い描いたことの詳細の再現は困難だが,図(c)のように,「回想の断片」として,情報がイメージとしても伝達されたといえる.
図10にやや複雑なトピックの分割例を示す.8シーンとなる.投げかけた質問は「進路について」である.
なお,本章4.2.2(1)の定義を参照し,計量は自らの経験であるエピソード記憶をカウントする.見聞や概念などの知識である意味記憶は記録をしたが,シーンとしてはカウントしていない.たとえば,「おじいさんから昔話を聞いた」という行為はカウント,その物語の主人公の動きはカウントの対象から省いた.同様に,ある街を訪ねた行為はカウント,その歴史の出来事詳細はカウントをしない.たとえば以下の図10の場合,トピックカードの文章にある「父」が話した言葉の「同じ環境なので,同じことが起こりうる」は,シーン分けではカウント対象としていない.カウントしたのは「(父が)反対した」という状況を体験したことである.
1人に対して約2時間のセッションは,前半(I),後半(II)に分けて進めた.各セッション後に,シーン分けによる想起回数の計量を行った.結果を表1に示す.
インタビュイA,B,Cについて,トピックごとに要した時間,想起されたシーン数を,図11,図12,図13に示す.
3名それぞれに,学校の在籍期間,職業の専門性,結婚などに関する背景が異なり,それらは対話の進行にしたがって分かってくる.インタビュアは標準トピック表をもとに,順序や内容をインタビュイに合わせて調整しながら,問いかけを行った.また,2時間で誕生から現在までをカバーするため,連想の広がりをある程度抑える必要があった.そのタイミングは1つの回想の区切りの“間合いを図る”形でインタビュアが判断したものである.
本節で,インタビュー実験の協力者の感想,家族協調の機能の評価,記録する情報の確かさについての考え方,今後の課題を述べる.
LHSは,家族間で気軽に利用できることを目指しているが,家族以外の取材者によるインタビューも想定内である.現在のプロトタイプ稼働の段階では,我々研究開発者によるインタビューなので後者にあたる.
話される内容にはいろいろな意味合いが混在している.たとえば,「雨の日はお菓子を作った」という文章は形式的なものだが,それが知識かどうかは読み手次第である.家庭の習慣であれば形式知であり継承につながるといえる.
では,被験者はこの2時間,どのような気持ちで語り,その後,意識の変化があったのか,我々は後日,選択式の質問表をもとにして感想を聞いた.以下に概要を記す.
①インタビュイAさんの感想:
「初めからリラックスしながら話せた/思うままを話せた/時間の流れを早く感じた/充実感と楽しさがあった」,/重要なエピソードをあえて話さなかった」
②インタビュイBさんの感想:「初めは緊張したが,徐々にリラックスしながら話せた/充実感,楽しさ,悲しさ,面白さがあった/時間の流れを早く感じた」
③インタビュイCさんの感想:
「初めは緊張したが,徐々にリラックスしながら話せた/面白さがあった/訂正や補足をしたいことがあった」
④3名の共通点:
3人を通じて共通していたことは,「思い出すことがリアルになった」,「改めて思うことや気づいたことがあった」であった.また,インタビュアがどんな人だったらよいかについて,家族や知人とは特定せず,内容によって異なるというものであった.つまり,家族ではなく他人だから話せるということも少なくないようである.相手としてロボットのような機械も選択肢として希望した.
筆者が聞き手として注意を払ったことは,悲しい思い出についてであり,積極的な質問はしなかった.長く語られたのは,Aさんは配偶者との別れとその影響(図11,Topic 28から29にかけて),Bさんは父親との別れ(図12,Topic 34),Cさんは職場時代や現在の家族の交流に関すること(図13,Topic26,29,36)であった.本実験において3名とも精神的な負担はなく,ポジティブに応答に臨めたといえる.
暗黙知の捕捉と伝達におけるLHSの有効性は,Aさんの感想に表れた.日々の活動や気持ちの変化について,“今まであたり前だと思っていたことがとんでもなく価値のあることだと感じた”とAさんは語った.
ここで本実験を経て得られたLHSの機能面での評価について述べる.
開発初期に行った予備実験では,聞き取りしたものを一旦Excelスプレッドシートに書き込み,それをLHSに反映させるという方法を数人で試みた.しかし,Excelフォーマットへの入力では仕上がりがイメージしにくく,事務的な作業に近いという感想が共通して得られた.さらにインタビューをしながらのソーティングや関連事項の検索は手順が増え,一般家庭の多様な年代のユーザに敬遠される可能性が高まるという問題があった.そこで,上述した全工程が1つのアプリケーションで完結するべく設計したものがLHSであり,実験を通して,以下に示すように操作面での機能の有効性を確認した.
今回のインタビュー実験で,聞き手の操作の観点で検証した事項は次のとおりである.トピック入力タブ(図4①)の,題目欄(図4①(A)),時期欄(図4①(B)),地域欄(図4①(C)),詳細欄(図4①(D))への記入は円滑に進行することができた.Wikipedia自動表示タブ(図4②),検索結果自動表示タブ(図4③),出来事自動表示タブ(図4④)については,自動表示されたものをさらに検索用語を修正して利用した.そのことで,ブラウザを移動するタイムロスなく,聞き手の認識の補足をはじめ,話題に登場する事物に関しての具体的な調べ作業の効率化に役立った.
たとえばインタビュイBへの聞き取りの場合,連動情報の各種タブを使って次の事柄を調べた.第一の質問では,誕生年である「1938年」の日本の出来事を参照した.第二の質問で記憶に残っている最初の場面について聞くと,回答は「小学校が空爆で真二つになったこと」であった.そこで,その戦闘機の機種をWikipediaの写真で本人と確認した.第五の質問の小学校については,まず,当時の名称でGoogle検索を行った.同一名では該当するものがなかったが,近くの湖を手がかりに地図検索と合わせることで,現存する学校を複数挙げることができた.これをきっかけにB本人の関心が高まった様子で,後日,Bは「(同地域の)戦後の変遷を考えたことがなかったが,できれば現地に出向いて詳しいことを調べたい」との気持ちを語った.
実験ではセッション全体時間の制限を設けていたため,個々の項目での連動情報の深い掘り下げは行わなかった.しかし,通常の家族のコミュニケーションではこのような制限がないので,題目を具体的にし,聞き手と語り手で話し合いをしながら,より詳細な内容を記録することが可能である.連動情報の各種タブは,エピソードの掘り下げや話題の広がりの喚起に活用できることを,本実験を通して認識できた.
実験の結果,約2時間で標準トピック表の34項目から38項目をフォロー,シーン数にして200以上を記録できた.これは,聞き手の操作が想起を促しながらの語りに影響しなかったことを示している.実験で得た数値をもとに割り出すと,各セッションで記入した文字量は,1秒あたり,おおよそ0.5文字から2文字の間に相当した.対比として一般的なスピーチをあげると,その文字数は通常1分間に約300字といわれ[34],1秒あたり5文字に相当する.その差は顕著である.実験で見てきたように,リラックスした状態での語りの多くは主述が明瞭な文になりにくく,インタビュイが淀みなく語り続けてもスピーチのような情報密度を持たない.回想しながら発せられる言葉から明瞭な語を入力する作業は,日常でキーボードを使用している人であれば,スピード面で難度は高くないといえる.
また,語り手に困難が生じなかったことは,被験者の感想から分かる.入力部の操作性に加えて,問いかけの構成も重要なファクターであった.標準トピック表は,予定していた内容を聞き漏らすことなくインタビューを進行することに効果的であった.
上記,実験結果から,一次試作の評価課題であったリアルタイムでの記録,語りのペースのフォロー,仕上がりの表示までの一連の効率性が確認できた.
我々は,LHSのコンセプトの構築において,家族協調の活動が可能となることを重んじた.より高齢の家族に対して,子供や孫が交代しながらLHSを利用して対話を行い,記録を積み上げていくという家族単位の創作活動である.また,大きな特徴は,聞き取りをして文章となった時点で,お互いに閲覧可能となることである.
図14は運用プロセスのイメージである.本実験ではインタビュアは1名で実施したが,LHSを家族で運用する場合は,交代でインタビュアとなり,それぞれがトピックカードに記入をすることでエピソードを綴る.1つのトピックの入力が終了するごとに,許可された第三者も閲覧可能となる.改訂や追加は期限なく行うことができる.なお,閲覧制限の設定は開発の第2段階で行う.
インタビュー実験の過程で,語り手自ら,それが現実だったのか,想像が加わったものなのか,迷う様子がしばしばみられた.これはリアリティ・モニタリング[35]における推論[36]にあたり,実際に経験したもの(内的記憶)か,想像したもの(外的記憶)かの混乱は年齢に関わらず起こる記憶を掘り下げている行為である.LHSでは厳密な体験であるかどうかは問わず,想起の言語化に沿ってより多くを記録でき,家族間での協調作業によって内容も次第に確認,修正されていくことを期待している.回想という行為自体に健康的な効果があるというライフ・レビュー[37]の観点でもLHSは有効であると我々は考えている.なお,LHS第2段階では,考察のもとで,曖昧さ評価欄を設ける.
本システムのデータ管理における基軸は西暦である.実験のセッションは標準トピック表に基づいていたので,ライフステージを示すことができた.しかし特に後半では,1つのエピソードの中に年月の経過があり,細かな時期の記入は,話が弾んでいるときは難しかった.一般的な利用ではさらに年月がランダムになることが考えられるため,時期の記録をより簡便にする工夫の必要がある.
加えて,インタフェースの重要性も改めて認識した.語り手が話す間,聞き手は記録作業をしているので,お互いの目を合わせながらの対話ではなくなる.遠隔の場合,語り手のインタフェースに何が映っているかは,対話の自然な流れに影響する.このポイントも入念に検討を行う.
LHSユーザの主たるモデルは家族だが,相手が家族だから何でも話せるとは限らず,今回の実験でも,家族相手ではないから話されたことも少なくなかった.さらに,“相手が人間でないほうが話しやすいことがある”ということも分かった.このような要望に対応するため,開発の第2段階(図5,ver_2部分)では自動インタビューの機能を加える予定である.最適な音声認識エンジンの利用を検討する.
暗黙知が人間の行動や社会環境との相互作用に反映される[17]ものならば,個人の頭の中に残っているだけのものは,やがて失われる可能性が高い.したがって,積極的に捕捉し,永続的な形で保存することが重要である.様々な出来事を経験した人々が語るエピソードは,本や教室では学べない何かを教えてくれる.これらの記憶を風化させるのは,多くの人の本意ではないと我々は考える.経験したことを緊張することなく,プライバシーに関する心配もなく,安心して語れる環境が重要である.
ここで,LHSは以下の役割を担う.
図15で記録から伝達の流れにおけるLHSの役割を示す.
本図において,インタビュイWは経験や知識の保有者である.インタビュアが介在することで,Wの記憶にあることがらが思い出として語られる❶.思い出が文章で可視化されるにつれて,Wに新たな気づきが生まれる❷.その積み重ねで,客観的な情報が含まれる可能性も高まり,W自身も継承を意識する❸.Wのもつ経験と知識は,LHSのエピソードを「収集する機能」と,それを家族間のネットワーク上で共有し,次世代に繋げる「接続の機能」によって,将来に継承され得るものとなる❹.
LHSを介すことで可能になるのは「語られなかったことを知る」ことである.実験でも,インタビュアが問いかけたことには,すべてレスポンスがあった.「他愛のない思い出」の中に,昭和という時代背景,生活のノウハウ,また,家族の考え方や職業に関する文化がうかがえるものも多かった.LHSの使用は,家庭に限らず,暗黙知を形式知に変換する多様な場面で有効であると考える.
現在の高齢層の特徴は,青年期までの情報交換や記録などが一様にアナログであったことである.活字,撮影,録音などで形式化していれば,今後のデジタル化も可能だが,そのような保存はきわめて限られた部分であるといえる.無二の経験を,少なくとも家族や親しい友人の間で,望めば共有できる状態にしておくことが重要である.
本稿では,家族間の経験の共有を媒介するシステムの開発について報告した.プロトタイプを用いた実験をとおして操作性と,対話の手順に関する評価を行った.その結果,リサーチクエスチョンの「LHSが介在することで,想起が喚起されながらの人生のエピソードの収録が可能か」に対して,ポジティブな回答を導くことができた.
今後の課題は,現モデルの改良とともに,ゲーミフィケーションおよびシリアスゲームの要素の導入法について検討し,継続的に本システムが利用される仕組みを掘り下げていくことである.ライフヒストリーが徐々に可視化されることで,家族のインタラクションが増大し,LHSが使うほどに楽しい存在になることを目指している.
謝辞 研究の進行において公益財団法人科学技術融合振興財団から2020年度補助金助成をいただきました.インタビュー実験は3名のご好意で可能となりました.また,団体や専門家の方々から研究主旨のご賛同とご協力をいただきました.皆様に謹んで感謝申し上げます.
立教大学大学院修士課程修了.現在,日本大学生産工学研究科数理情報工学専攻博士後期課程在籍.企業活動や大学講師等で経験を重ねている.専門は情報表現(平面/空間・ビジュアル/文章を通した創作,ブランド価値表現戦略,書籍編集,インフォグラフィックス).研究は知の継承,社会デザイン,科学史表現,情報表現教育システム.情報処理学会,日本行動計量学会,日本科学史学会,日本デジタルゲーム学会,大学女性協会,各会員.
日本大学理工学部助手.2017年,日本大学大学院博士課程を修了後,2018年より生産工学部で助手を務めたのち,現職に至る.教育を目的としたシリアスゲームの構築技術についての研究に従事.さらにモデリング&シミュレーション(M&S)にも携わっており,シリアスゲームとM&Sの技術を活用した歴史研究家支援用シリアスゲームの構築を行っている.日本デジタルゲーム学会,情報処理学会,各会員.博士(工学).
1982年広島大学総合科学部卒業,同年三菱電機(株)に入社,情報電子研究所,情報技術総合研究所および鎌倉製作所で防衛を対象分野としたモデリング&シミュレーションに関する研究に従事.在職中 イリノイ大学留学,修士課程修了,後,慶應義塾大学大学院に在籍し博士(工学)を取得.2008年に三菱電機(株)を退職して日本大学生産工学部に着任,戦国時代の戦いや災害・医療等を対象としたモデリング&シミュレーションおよび教育・医療・福祉を対象としたシリアスゲームの研究に従事.
青山学院大学修士課程修了(心理学).統計数理究所にて統計学者の林知己夫の元でデータサイエンス,東京大学大学院研究生として教育心理学,イリノイ大学大学院で計量心理学を学ぶ.後,盛岡大学教授,ドイツ・ケルン大学客員教授,聖学院大学教授,北陸学院大学教授を歴任.2009年林知己夫賞受賞(日本行動計量学会).現在,聖学院大学名誉教授.日本行動計量学会名誉会員.
会員種別ごとに入会方法やサービスが異なりますので、該当する会員項目を参照してください。