会誌「情報処理」Vol.63 No.11(Nov. 2022)「デジタルプラクティスコーナー」

「アクセシビリティのプラクティス―『誰一人取り残さない』ための情報技術」編集にあたって

小林正朋1  吉野松樹2

1日本アイ・ビー・エム(株)  2(株)日立製作所 

編集にあたって

Webサイトや情報機器をはじめとする日常のさまざまな場面で「アクセシビリティ」という用語を目にする機会が増え,情報技術にかかわる多くの人が少なからずこの言葉を意識しているものと思います.「アクセシビリティ」とは,単に「障がい者でも使えるように製品やサービスを設計する」という意味ではありません.国連障害者権利条約においては,就業・教育あるいは移動・情報など社会生活のさまざまな場面における機会平等を実現し,障がい者の自律(autonomy)と自立(independence)を達成することが求められています.この意味で「アクセシビリティのプラクティス」とは,単に製品やサービスを使えるようにするというだけでなく,それによって社会におけるさまざまな機会への「アクセス」を実現することが本質であると言えるでしょう.

情報機器のアクセシビリティあるいは交通や建築におけるバリアフリーに関しては,日本および各国で法制化・標準化が進み,満たすべきガイドラインが明らかになりつつあります.一方,モバイルやウェアラブル,IoT機器の一般化,および深層学習をはじめとするデータ解析技術の急激な進展に伴い情報技術が日常のあらゆる場面で活用されるようになった結果,「アクセシビリティ」の適用範囲も情報機器の枠を超え,交通や建築あるいは就業,教育,医療,娯楽などの分野にまたがる多くの境界領域が生まれています.こうした状況の中で,単にアクセシビリティ技術のプロトタイピングにとどまらず社会の中での実践を継続した事例やノウハウは,アクセシビリティにかかわる多くの方々の参考になるものと思います.

本特集における招待論文の選定にあたっては,一連の掲載論文を読むことで「アクセシビリティ実現のための情報技術活用」を取り巻く現在の状況を可能なかぎり俯瞰できるようにすることを狙い,以下の2点を考慮しました:

  • (1) 特定のアプリケーションを対象とした事例だけに偏らないよう,移動・交通,教育,就業および情報アクセシビリティに関する論文を広く選定しました
  • (2) 特定の障がいを対象とした事例だけに偏らないよう,視覚障がい,聴覚障がい,肢体障がい,内部障がい,精神障がい,発達障がいに関する論文を広く選定しました.また,特定の障がいを伴わない高齢者(アクティブシニア)に関する事例を加えました

関喜一氏による解説論文「情報アクセシビリティ標準化の動向」では,ISO/IEC JTC 1,ITU-T,W3CおよびJISによる情報アクセシビリティ標準化,ならびに日米欧における法制化について概説いただきました.これらは,情報技術のアクセシビリティに携わる者が押さえておくべき基礎知識であると言えるでしょう.

高木啓伸氏らによる招待論文「自律型視覚障がい者ナビゲーションロボットの普及を目指して」では,AI技術とロボット技術を組み合わせた視覚障がい者ナビゲーションシステムの開発と実証からの知見を紹介いただきました.触覚,画像認識,AI,測位,モビリティ等を担当する異業種コンソーシアムによる取り組みです.

本多達也氏らによる招待論文「エクストリームユーザの意見に基づくユーザインタフェース開発と社会実装─ろう者とともに開発した音を身体で感じる装置Ontennaの事例等─」では,ろう学校の教職員・生徒との協働を通してバージョンアップを重ねたアクセシビリティ製品について,共創のプロセスを中心に解説いただきました.また,論文に加え,本多氏には別途インタビュー記事にも協力いただきました.

檜山敦氏による招待論文「アクティブシニアの社会参加を活性化するICTプラットフォームの社会実装と課題」では,高齢人材の地域就労と社会参加を目的としたシステム「GBER」の開発および国内各地での運用経験について解説いただきました.

及川政志氏による招待論文「障がい者雇用とイノベーション─障がい学生向け実践的インターンシップの経験から考える新たな人材戦略の可能性─」では,障がいのある学生を対象とした長期インターンシップ・プログラム「Access Blue」の運営経験に基づき,情報技術を用いた障がい者雇用の課題と将来について考察いただきました.

河野純大氏による招待論文「聴覚障がい者のための遠隔情報保障システムの開発とその応用」では,聴覚に障がいのある学生の授業において情報保障を提供するための手話通訳・文字通訳システムの開発および運用からの知見を解説いただきました.

伊藤達明氏らによる投稿論文「各種バリアフリー情報を一体的に提供可能なルート案内システムの提案および実現」は,標準仕様に基づく公開情報を統合し,車いす利用者に対して出発地から目的地までワンストップでバリアフリー情報を提供するシステムを開発し有効性を検証したものです.

本特集が,情報技術を用いて多様なニーズを持つ人々の社会参加を実現しようとする多くの技術者,研究者,その他実務家の方々に対し,今後の活動への指針やインスピレーションを与えるものとなれば幸いです.

  • (2022年8月25日)
小林正朋(正会員)mstm@jp.ibm.com

2008年東京大学大学院博士課程修了, 博士(情報理工学).同年よりIBM東京基礎研究所, アクセシビリティおよびヘルスケア技術に関する研究開発に従事.2011~2020年「高齢者クラウド」プロジェクト開発リーダー.2021年より本会アクセシビリティ研究会主査.

吉野松樹(正会員)matsuki.yoshino.pw@hitachi.com

1982年東京大学理学部数学科卒業.同年,(株)日立製作所入社.1988年米国コロンビア大学大学院修士課程修了(コンピュータサイエンス専攻).2011年大阪大学大学院情報科学研究科博士後期課程修了.博士(情報科学).本会フェロー.2020〜2022年本会論文誌デジタルプラクティス編集委員長.

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