会誌「情報処理」Vol.63 No.8(Aug. 2022)「デジタルプラクティスコーナー」

「デジタル化競争を勝ち抜くための標準戦略」編集にあたって

河合和哉1  吉野松樹2

1(国研)産業技術総合研究所  2(株)日立製作所 

編集にあたって

一般に標準と呼ばれるものには,デジュールと呼ばれる公的機関が開発して発行する規格類と,デファクトと呼ばれる,市場で広く受け入れられることによって“事実上”,標準として利用されているものがあります.また,公的機関ではありませんが,企業グループによって作られたフォーラムと呼ばれる組織によって開発されて,業界を中心に標準として利用されているものがあります.

ビジネスにおいて標準化は,標準化された技術を利用することによって,互換性を高めて供給者を増やすことで市場拡大を図ったり,製造を効率化してコストダウンを図ったり,また,製品を評価しやすくして差別化を見えやすくするツールとして利用することができます.各企業で事業戦略を構築するにあたって,知財と併せて標準化は重要なツールとして積極的に利用すべきものになってきています.

現在,世の中に存在する標準規格としては,デジュール標準として,本会情報規格調査会が国内審議を担当している,ISOとIECで情報技術(IT)に関する規格を担当するJTC 1で開発されて発行された規格類だけでも3,000を超えており,500を超える規格類を開発しています.特にITは,インターネットやPC,スマートフォンが私たちの生活に必要不可欠なものになっていることもあり,標準の開発においても,これまでITをあまり利用してこなかった分野も含めて,さまざまな分野で関連の規格が開発されるようになっています.また,日本産業規格(JIS)でサービスに関する標準も開発されるようになって,これまで標準との関連が少なかった分野も含めて,幅広い分野で標準が開発され,利用されるようになってきています.

このような環境の中で,標準化活動を行うにあたっては,参加者各人がそれぞれの活動を通じて知識を蓄積して活用するだけでなく,知識を形式化して共有することによって,ノウハウを継承することが有効です.本特集では,これまで標準化にかかわってこなかった人やかかわり始めた人の参考とすることを目的として,事業戦略と標準化戦略,実践的手法やその心構えなどを含む標準化活動の実践事例を紹介しています.

五十嵐和人氏らによる「日本発のITサービスを支えるIT基盤のエネルギー効率指標の国際標準化」では,従来からあるハードウェアのみに着目していたエネルギー効率指標だけではITサービスのエネルギー効率評価には不十分であることから,オペレーティングシステム,ミドルウェアなども含めたITサービスプラットフォームのエネルギー効率を測定できるエネルギー効率指標を日本から提案し,短期間で国際標準化を成し遂げた経験をまとめています.今後この指標が広く使われ,ITサービスのエネルギー効率向上が進むことを期待します.

小寺孝氏らによる「SQLおよびSQL/MMにおける日本からのいくつかの提案とその顛末」では,SQLの標準化の活動の中で,日本から提案したものの標準規格には採り入れられず技術仕様という形で公開されたもの,あるいはまったく規格として残らなかった仕様案についてその技術的内容,標準化活動の中の議論の経緯を報告しています.標準化活動の当事者だけが知り得る貴重な経験が含まれており,今後標準化にかかわる方々にとって有用な知見が含まれています.

芦村和幸氏による「Web標準の産業応用─日常生活を支えるW3CのWeb技術国際標準化─」では,W3C(World Wide Web Consortium)におけるフォーラム標準について会員企業の活動を支えるW3Cスタッフとしての永年の経験に基づいて説明しています.HTML,XML,CSSなどのW3C標準がWebの世界を支えていることは言うまでもありませんが,音声エージェント,コネクテッドテレビ,電子出版,コネクテッドカー,IoTなどの分野においてもW3Cの標準が活用されています.これらの標準化の活動がどのように進められてきたか,さらに今後どのような発展が期待できるかが述べられており,これらの分野の標準の活用,あるいは標準化活動に関心ある方に有益な情報が含まれています.

木下佳樹氏らによる「総合信頼性ライフサイクルモデルOSD-LCMの概要 ─マルチステークホルダ下での説明責任達成に向けて─」では,JST/CRESTのDEOS(Dependability Engineering for Open Systems )プロジェクトの成果をベースに制定されたIEC 62853 Open systems dependability を実現するためのライフサイクルモデルを提案し,マイクログリッドサービスの事例に適用した場合の例を説明しています.System of Systemsといわれるような複雑なシステムの信頼性を運用・保守まで含めたライフサイクル全体で確保するための重要な視点を提示しています.

柴田彰氏による「QRコードの事業戦略と標準化」では,自動車業界における部品管理のために当初開発され,いまやスマートフォン決済などにも広く使われているQRコードについて,研究開発戦略,事業戦略,知財戦略,標準化戦略の4つの観点で成り立ちから現在に至る経緯を説明しています.日本発の標準として最も成功し世界中で広く利用されているものの1つであるQRコードの事例を通して,標準化に携わる人に限らず幅広い立場の方々にとって学ぶ点が数多くあると思います.

本特集が,標準化活動に携わる方の今後の活動の参考となり,また標準化活動にあまり縁のなかった技術者,研究者,経営者の方々の標準化に対する関心を喚起することにつながれば幸いです.

  • (2022年5月16日)

河合和哉(正会員)kawai.kazuya@aist.go.jp

1987年横浜国立大学大学院工学研究科電子情報工学修了.同年,松下電器産業(株)入社.2019年(独)情報処理推進機構,2020年より現職.2014~2020年,本会情報規格調査会副委員長,2021年より情報規格調査会 委員長.

吉野松樹(正会員)matsuki.yoshino.pw@hitachi.com

1982年東京大学理学部数学科卒業.同年,(株)日立製作所入社.1988年米国コロンビア大学大学院修士課程修了(コンピュータサイエンス専攻).2011年大阪大学大学院情報科学研究科博士後期課程修了.博士(情報科学).本会フェロー.2020〜2022年,本会論文誌デジタルプラクティス編集委員長.

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