内閣府は,第5期科学技術基本計画を2016年に発表し[1],世界に先駆けた「超スマート社会の実現」への取組みをSociety 5.0として推進している.Society 5.0とは,サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより,経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会(Society)であり,その中では,社会の多様性,さまざまなステークホルダの「共創」を推進するとしている[1].図1にSociety4.0からSociety 5.0への変革とSociety 5.0の仕組みを示す[2].
このことから,この変革により,人と情報との付き合い方が,人がアクセスして情報を入手するやり方から人が意識しないで情報を扱うように変化することが分かる.また,このSociety 5.0の先行的な実現の場としてスマートシティというものが提唱されており,このスマートシティの基本理念として,「市民(利用者)中心主義」,「ビジョン・課題フォーカス(「新技術」ありきではない)」,「分野間・都市間連携」の3つが掲げられている[3].
また,経済産業省からDX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉が提唱され,2021年8月にはDXレポート2.1が発表された[4].これによると,デジタル産業により,顧客(消費者・個人)体験を向上させることが「価値の源泉」としており,また,IDCではDXを「顧客エクスペリエンスの変革」と定義している[5].顧客体験(エクスペリエンス)は「顧客がやりたいことができること」と捉えることができる[6].このことから,DXの目指すところはデジタル化によるトランスフォーメーション(変革),すなわち人の行動変革であることが分かる. 一方,JISでは人間中心設計という,人間中心の視点で製品・システム・サービスを開発するための基本的な活動およびプロセスがJIS Z8530で規定されている(図2)[7].さらに近年では,プロジェクトとしての活動に加え,プロジェクトの責任所在を明確にし,組織として実行する,ISO9241-220のプロセスモデル/プロセスカテゴリが用いられるようになってきた(図3)[8].HCDの主たる目的はユーザビリティ向上であり,人間とシステムとのインタラクション品質を高めること,と規格では定義されている.図1左側のSociety4.0の場合には,人がアクセスして情報を入手することを行うのでこのままでよいが,市民(利用者)中心主義であるスマートシティを対象としているSociety 5.0においては,単なる人とシステムとの1対1のインタラクションだけが設計の対象ではなくなってきている.
前述のように,DXレポートにおいて,顧客を消費者・個人としていることから,Society 5.0において人間中心設計は,主たる利用者だけでなく,広く市民や社会にまでを中心として考えていく必要がある.以上のSociety 5.0による人間中心の社会およびDXにおける人の行動変革から,人間中心設計(HCD)がますます重要になってくる.本稿では,HCDの主たる目的であるインタラクションの品質について,ユーザビリティの概念[9][10]と2011年に発行された利用時品質モデル[11][12]を比較しつつの課題を指摘し,新たな利用時品質モデルの考え方を示す.さらにそのモデルをスマートシティにおいて重要な役割を果たす自動運転バスに適用し,その有効性について述べる.
ユーザビリティは1998年に国際規格ISO9241-11が発行され,2018年に改訂されるなど,近年になって再度注目度が高まってきている.図4は改訂されたISOおよびJISに掲載されているユーザビリティの概念図を一部改版したものである[13].
この図から,ユーザビリティは「利用の成果」と位置付けられているため,対象は主に直接製品やシステムとインタラクションする人となっている.また,「品質」は製品やシステムをユーザが受け入れるための重要な指標である.そのため,ISO9000によるプロセスの認証[14]や安全基準[15]等個別の基準認証による品質の確保が製品開発の現場では行われている.ソフトウェア工学の領域でも,製品品質モデル[16],サービス品質モデル[17],データ品質モデル[18]といった規格が存在する.また,製品やシステムはユーザに使っていただくことで初めてその価値が生まれるので,使うことによる品質,すなわち利用時品質まで,さらには廃棄までの製品ライフサイクルまで含めて品質を捉えることが必要である.この利用時品質は,従来は直接インタラクションすることのみを対象とし,ユーザビリティと同等に扱われてきた(図5)[12].
図5は利用時品質の品質特性を示しているが,図4と比較して分かるように,「有効さ」,「効率」,「満足性」はユーザビリティの3つの要素と同じである.また,図4の説明で述べたように,ユーザビリティは「利用による成果」であることから,この図における利用時品質は主に直接利用による影響(品質)を示したものであると言える.ISO/IEC 25010では,“システムの品質は,システムがさまざまなステークホルダの明示的ニーズおよび暗黙のニーズを満足している度合いであり,それによって価値を提供する”と示されている[11][12].しかしこの品質モデルでは,上述のように直接インタラクションすることによる「利用の成果」であるユーザビリティの3要素が主たる品質特性であることから,多様なステークホルダによる多様な使われ方,そしてそのステークホルダニーズを適切に表現するのは困難である.このことから新たな利用時品質を検討するためには,これらを表現できるようにすることが重要である.そのためには,ステークホルダの分類と各ステークホルダのニーズを分類することが必要である.
近年,製品やシステムの使われ方が多様化し,直接インタラクションをするユーザだけでなく,多くのステークホルダに対しても影響が及ぶようになってきている.たとえば電力会社の中央制御室のコントロールパネルでは,従来は運転員のヒューマンエラー低減やエラー時のリカバリーを目的として設計されてきた[19].システムと直接インタラクションするユーザである運転員は,ユーザビリティが高く,疲れず,信頼性が高いことをコントロールパネルに対して求める.しかし,顧客や投資家,電力会社の供給エリアの自治体や,その住民など,電力会社のステークホルダは,運転員のことよりも電力が安定的に供給されることを求める.ただし,これは運転員のシステム利用の成果なので,運転員がコントロールパネルを利用したことによる影響と言える.
このように製品やシステムと直接インタラクションする操作者だけでなく,関連するステークホルダのニーズを体系的に示すことが利用時品質を考える上で重要である.そこで筆者らは,ISO/IEC25010の品質の考え方に基づいて利用時品質を再定義し,ステークホルダとステークホルダニーズの体系化を通じて新たな利用時品質モデルを提案する.また,このモデルの有効性を検証するために,モデルを自動運転バスの運用事例に適用し,具体的なステークホルダの抽出を通じて運用における自動運転バスの多様な評価視点を得ることを目指した.
利用時品質を考える上で最初に対象とするステークホルダは直接ユーザ(direct user)である.たとえば電車の切符を購入する場合,券売機やオンラインでの予約・購入の場合は,操作をするユーザと切符を購入する人は同じで直接ユーザである.しかし,駅のチケットカウンターで購入する場合は,操作をする直接ユーザはカウンターにいる職員であり,購入者とは別である.このように,同じことを行っていても,状況が異なるとステークホルダとしての意味が異なってしまうケースがあるが,これは分類としては正しくない.このことから,どのような立場であっても操作をする人を「操作者」と位置づけ,操作者が操作することで何らかの影響を受ける人や組織を「顧客」とする.さらに,直接利用者がそのシステムを使うことによって「責任が生じる組織」は当然操作によって影響を受ける.これは3.1節で述べた電力発電においては電力会社が相当し,たとえば家でAIアシスタントと子供とのやりとりが聞こえることによって行動に影響が及ぶ家族もそうである[20].ここまでが「操作者」を取り巻くステークホルダであるが,これらはいずれの場合も操作者が操作する対象(製品/システム)の存在を把握している.しかしながら,その対象が操作されることや存在自体を意識しなくても操作によって影響を受けるステークホルダも存在する.たとえば3.1節の電力発電における自治体や住民,自動運転バスにおける対向車や歩行者,住民など,である.このような立場の人は非常に多岐にわたり,表現するのは難しいが,「公共・社会」への影響ということで説明できる.これらのことから,ステークホルダは以下の4つに分類する[21].
これらのステークホルダのニーズを抽出し,品質要件としてモデルに組み込む.
第2章で述べたように,ISO/IEC 25010では,システムの品質は,“システムがさまざまなステークホルダの明示的ニーズおよび暗黙のニーズを満足している度合い”と定義されている[11][12].そこで新たな利用時品質モデルを策定するために,各ステークホルダニーズを抽出し,共通したステークホルダニーズを定める必要がある.そこで,3.1節で述べた電力会社のシステム,3.2節で述べた駅での発券,自動運転バス,さらにドローン宅配サービスを例として,それぞれについて想定できるステークホルダニーズを列挙した.表1にその中の自動運転バスの例,図6にそれらのニーズを一般化した表現とグルーピングしてラベル付けした結果を示す.
この図は,表1のほか,前述の複数の例から抽出されたステークホルダニーズを一般名称でラベリングし,グルーピングした結果(図の右側)と,それらを総称する品質特性および品質副特性の名称を示している.これを基に作成した利用時品質モデルを図7に示す.
このモデルに従い,表1の内容をまとめたものを以下に示す(表2)[21].
次章では,このモデルをSociety 5.0の実践の場であるスマートシティにおいて,必須のサービスである自動運転バスに実際に適用し,その妥当性と課題を示す.
現在,運転手不足によるバス路線の廃止が全国各地で起こっており,共働き世帯の子どもや免許返納後の高齢者などの移動が困難となっている.そこで運転手が不足していてもバス路線の継続や拡充ができるように自動運転のバスが求められている.実際に北海道から沖縄まで全国各地で自動運転バスの実証実験が実施されており,2019年度と2020年度と続けて30回以上も実施されている.
実証実験では主に「走行制御システム」「インフラ協調システム」「運行管理システム」の3つが検証されている.走行制御システムは車載センサやカメラ,通信を活用してバスの走る・曲がる・止まるを実行している.インフラ協調システムは,信号機の灯色情報や車載センサが検知しづらい場所の映像など,走行を補助する情報を走行制御システムへ伝達している.運行管理システムは,遠隔地からバスに何時何分にどこからどこへと向かうのかといった走行の指示出しや,バスの位置情報や車内外の映像の確認,乗客とのコミュニケーションなど,運行を直接管理する者が使用するユーザインタフェースとなっている(図8).
自動運転バスは実験の域を越えて実運用が開始されている.法律の関係上,バスには運転責任を持つ運転手が同乗しているものの緊急時以外は操縦をせず,また期間を定めることもなく,路線バスとしてすでに日本国内を走っている.羽田空港(東京国際空港)に隣接した大規模複合施設「HANEDA INNOVATION CITY」(以下,HICity)では,敷地内をハンドルやブレーキペダルなどがない自動運転バスNAYVA ARMA(以下,ARMA)1台が路線運行している.また茨城県境町でも,HICityと同型のARMAが路線運行している.ただし境町では,公道を2台(最大で3台)が同時に走行しており,より複雑なオペレーションとなっている(図9).
両地域は先進的な事例として全国各地からの視察が絶えない状況である.経済産業省と国土交通省も「自動運転レベル4等先進モビリティサービス研究開発・社会実装プロジェクト(RoAD to the L4)」のなかで無人自動運転サービスの実現を2025年度までに40カ所以上に展開するとしており,今後ますます自動運転バスの実運用が広がっていくと考えられる.
特定非営利活動法人『人間中心設計推進機構』の自動運転社会におけるHuman AI Interaction(HAII) 検討委員会では,自動運転の仕組みが利用者に与える影響を評価する枠組みを検討している.これまでに自動運転システムが誰にどのような影響を与えるかを検討するWGでは,BOLDLY(株)の協力を得て,実運用が始まった自動運転バスが社会に与える影響をどのように評価するかを検討してきた[23].
委員会では,自動運転システムが社会へ与える影響については,社会受容性という用語が使われ,検討されているが,誰にどのように影響を与え,それをどのように評価するかという基本的なフレームワークはまだ,明確になっているとは言えない段階であると考えてきた.
そして,茨城県境町[24]などで自動運転バスの実運用が始まって以来,円滑な運用と適切な評価のためのフレームワークを構築するための必要性を認識してきた.
そこで,新しい利用時品質の概念を応用した評価フレームワークを構築した.
利用時品質を自動運転バスの社会的評価へ応用する場合,鍵となるのがシステムの利用にかかわるステークホルダをどのように特定するかである.なぜなら,それぞれのステークホルダによるシステムへの関与の仕方によって利用時品質の成果が変化してくるためである.一方,システムに対する人間はさまざまな利害関係にあるため,ステークホルダは利用という側面から見ただけでも,直接か間接か,あるいは組織階層上,一次的か二次的かなど,多様な関与の仕方がある.このステークホルダを網羅的に調査し,抽出されたステークホルダを再分類することによって,自動運転バスの運用にかかわるさまざまな利用の局面を明確にし,結果として,利用の観点から評価すべき領域を特定することができる.
これらの領域に対して,利用時品質の特性,副特性を参照にしながら,利用時品質への要求事項を定義した.具体的には,次の手順で自動運転バスに対する利用時品質を評価する枠組みを構築した.
次に,整理された利用時品質への要求事項の測定方法を検討し,データを収集した.この収集したデータを用いて自動運転バスの運用における利用時品質を評価した.
自動運転バスに関するステークホルダの抽出には,芝浦工大と小樽商科大学があたった[25].まず,バスが運行する堺町の周辺情報を集め,さらに現地に出向いて,想定し得るシステムへかかわるステークホルダの情報を網羅的に収集した.具体的には,自動運転バスとさまざまなかかわりを持つ,現地の住民の情報を網羅的に収集した後,いくつかのカテゴリに分類をした.
さらに,自動運転バスと住民との関係性から住民を分類したものに加え,社会技術的観点[26]から,事業主である自治体,システム提供者,システムの保守・運用担当などの関係者を追加した.以上から,自動運転バスに関係するステークホルダの全体像をステークホルダマップとして作成した.この作成したステークホルダマップを,WGの中でヒューリスティック評価を繰り返し,最終版を作成した(図10).
次に,ステークホルダマッピングのカテゴリを基にステークホルダがシステムに関与することによって与えられる影響の度合いを個人,組織,社会の3つのレベルに分け,各レベルのグループ分類を行った.この影響度合いの考え方は,図6の階層化されたステークホルダのように,新しい利用時品質の概念にある.
まず,個人レベルでの自動運転バスとの関係を見ると,バス利用に関係するグループと運行に関係するグループに分けられる.さらにバス利用グループには,実際の利用者と同時に,バス路線に何らかのかかわりがある,歩行者やほかの車両ドライバがいる.
同様に,運行関係者には,自動運転バスを遠隔監視するグループ,自動運転バスや関連システムを整備するグループ,そして,日々の運行を管理するグループがある.
組織レベルで見れば,バス運行展開する事業主体と,自動運転システムとそれを支えるシステムやインフラを提供するベンダなどがある.
最後に,社会レベルから見れば,バス路線がある地域の住民がかかわるさまざまなコミュニティが存在している.
これらの3つのレベルは,バス運行サービスのライフサイクルに応じてかかわり方が変化する.バス運行のライフサイクルプロセスを考えた場合,バス運行の企画,計画,試験運用,実運用,そしてシステム廃棄というプロセスから構成される.
この5つあるプロセスについて,各プロセスを3つのレベルに分類したそれぞれが利用時品質の評価対象領域になる.それぞれの領域ごとに自動運転バスの運行と直接的にインタラクションする場合と間接的にインタラクションする場合に分かれる.
評価対象領域におけるグループごとに,利用時品質の品質特性を参考にしながら,利用時に求められる品質要求事項を定義した.たとえば,バス路線の周辺にいる人の場合は,品質特性の安全を考慮すると,自動運転バスに自分の意図(意思)を伝達できなければならない,ことが要求事項となる.この場合,必須事項か,推奨事項かは文末の表現で区別する.また,利用時品質の要求事項の記述様式については,ISO 25065 [27]に従っている.
表3に,バス路線の近くを何らかの理由で歩行する地域住民の要求事項の事例を示す.
利用時品質への要求事項に対して,12月14~15日にかけて調査を実施した.調査先は,すでに,自動運転バスの実運用を開始した,茨城県境町の路線バスとHICityで運行されているバスである.境町では前述のように,2020年11月26日から自動運転バスの定時定路運行が開始されている.一方,HICityでは,同じシステムの自動運転バスの運行を9月18日から開始している.両者は,技術システムは同じものであるが,運用にかかわる組織はまったく異なる.
調査にあたっては,ステークホルダごとの品質要求事項に対して適切な測定方法を検討・設定した.たとえば,バス利用者であれば,質問紙調査によって回答を得ることにした.また,バス路線の周辺住民については,現場に出向いて直接,観察し,状況に応じてインタビューする質的なアプローチをとることにした.調査は小樽商大関係者の3名が実施した.
昨年に実施した調査は,コロナ禍によって調査が短期間であったにもかかわらず,注意すべき評価結果を得ることができたので,そのいくつかを紹介する.
(1)バス路線の周辺を利用する関係者の評価
バス路線の周辺者とは,バス路線に沿った道路を何らかの理由で利用する人たちを指す.境町の場合は,路線近くにある学校,病院などの施設利用者や,近辺の商業施設を利用する買物客である.
境町の路線では,ほとんどの人が自動運転バスと通常の車両の違いを意識せず通行している.自動運転バス自体は,一目で分かる形状やデザインであるにもかかわらず,特別に目を止める人もなく,町内の車両の流れに融合していた.
一方,学童の登下校にかかわる交通安全パトロールにかかわる人は,自動運転バスに対する不安を表していた.彼らの多くは,運転者が乗っている自動運転バスに対して『無人バス』という表現を使い,何かトラブルがあったら運転手がいないバスとはコミュニケーションできなくなるのではないかと憶測していた.
これは,実際に自動運転バスとのインタラクションを想定した際に,自動運転バスの挙動を理解し,具体的にどのような対応をすべきかを理解できないことから生じていると考えられた.
(2)周辺ドライバの評価
この領域の要求事項は,周辺の住民で自動運転バスと遭遇した運転経験のある方へのヒアリング結果から意見を収集した.
ここでは,自動運転バスの後ろを走っているときに,バスが障害物を検知し停止する際のブレーキが一般車両よりも急であり,追突の可能性を感じた,という意見があった.このように,自動車運転を介して,自動運転バスと直接インタラクションする人には,不安に繋がる事象があることが分かった.
(3)整備担当者の評価
整備担当者に,要求事項を基にしたチェックリストをチェックしてもらった後に,ヒアリングを実施した.
担当者は,元々,一般車の車両整備士ではあるものの,自動運転車と一般車では整備方法に異なる部分があること,整備に対して強い緊張感を抱えていることを訴えていた.
(4)路線住民の評価結果
今回は,地域住民の中でも商業施設を営んでいる方々からのヒアリングや観察によってデータを収集した.
調査を行った結果,ヒアリングに協力いただいた境町の住民は,自動運転バスの運行に関しては認知しているものの,どちらかと言えば関心がない人がいた.これらの人は,町の広報を通じて情報を得る程度であった.
一方,運行前のイベントで自動運転バスに実際に試乗した住民の中には,雇用機会の拡大など将来への期待を感じたことを語った人がいた.
上記の調査結果は,自動運転バスの運用を始めた当初のものである.現在,自動運転バスは,大型ショッピングセンターを経由する第2ルートが追加され,定時運行されている.今後もサービスが拡張され町民生活を支えてゆく予定である.
当初の利用時品質からの評価結果に基づいた課題に対しては,境町とBOLDLY(株)はいち早く改善活動を実施している.これら活動の中で特徴的なものを以下に示す.
(1)住民への広報および学びの場の提供
境町とBOLDLY(株)は地域住民に自動運転バスの挙動を正しく理解してもらうために,自動運転の挙動に関するチラシを配布している.
さらに,小学生とその保護者に対して,自動運転バスについての学習講座を開催してきた.
このように広報活動を継続的に実施することによって,自動運転バスの正しい情報への理解が深まっていくように努めてきた.その結果,自動運転バスが通学路を走行することは日常的な状況として受け入れられ,親が同伴することなく学童たちだけでも自動運転バスに乗降できるようになっている.
(2)自動運転バス周辺のドライバとのコミュニケーション強化
現在は,車両背面に後続車に向けたメッセージとして「自動運転中」だけでなく「急ブレーキ注意」「追い越し危険」といったステッカーを貼り,後続運転手への注意喚起を行い,新たな運転行動を促している.
また,状況によっては,添乗員が後続車両とコミュニケーションをとり,スムーズな走行を促している.
現在までのところ,一般車両との主だったトラブルは起こっていない.
(3)自動運転運行の保守強化
BOLDLY(株)は,現在まで,担当者の緊張感を緩和するために車両整備のシステム化を推進してきている.まず,担当者が運行管理システムDispatcher上の点検項目チェックリストに沿って整備を実施し,完了すると各項目にチェックを入れてデータを送信する.担当者の送信完了後,遠隔地にいる運行管理者が同じシステムの点検項目に抜け漏れのないことを確認した上で自動運転バスの走行許可を出して運用している.現在は,整備担当者も,日常の業務を理解し,円滑に業務が遂行されている.
安定したバス運行のために,初期時の課題は,現在は改善され,さらなる改善が進められている.利用時品質を基準として今後も継続し測定・評価を実施し,利用サービスを向上してゆく予定である.
新しい利用時品質の考え方を自動運転バスの実運用に対して適用した事例を紹介した.
利用時品質の新しい考え方は,システムを利用する個人への影響を,組織,社会へ拡張できるものとなっている.そのため,システムやサービスが社会全体へ与える影響を測る上で,効果的な概念を提供するものと期待できる.特に,従来は存在しなかったイノベーティブな技術を応用したシステムやサービスの場合,新たなインタラクションが生じ,ステークホルダや組織・社会への影響を特定できないことがある.新たなシステムやサービスを稼働する前に,さまざまなリスクを想定し,導入初期の混乱を最小にし,安定した運用へ早期に移行するためには,利用時品質によるマネジメントは不可避であると言える.
特に,今回の自動運転バスの運用から,以下の適用効果があることが明らかになった.
(1)多様なユースエラーリスクの軽減
従来,システム利用の結果が,ユーザの行動が原因で本来意図したものにならなかった場合は,ヒューマンエラーと呼ばれていた.しかし,この表現であれば,人間自体に問題があるような印象を与えかねない.エラーはあくまでシステムやサービスを利用(ユース)する際に生じていることを明確にするために,国際規格ではユースエラーと呼ぶようになっている.
今回の事例では,網羅的にステークホルダを捉えることによって,自動運転バスとの多様なかかわりを想定することができ,そこから生じるハザードの可能性を予測することができた.また,通常と異なる想定外の利用状況も事前に把握することができ,注意すべき課題を特定することにもつながった.
(2)不安な状況の排除
システムやサービスの安全対策は必ずしも不安な状況を排除するものではないため,システムが安全であることを示すだけでは,必ずしもステークホルダの安心は得られず,システムやサービスの導入に対する暗黙的な抵抗が残る可能性がある.したがって,不安を安心に変換するには,別な対策が必要になることがある.
この不安に対する問題を事前に把握し,対策を講じることによって組織や社会からの肯定的な支援を得ることができ,安定した運用に肯定的な影響を与える.
今回は,自動運転バスを導入することに対する不安や不満を抱えるステークホルダを特定し,そこへ広報や研修を準備することによって,町民の協力を得た安定した運行へ移行することができている.
(3)安定運用への早期の移行
前述のハザードや不安を生み出す状況を早期の段階,場合によっては導入以前に特定することができる.利用時品質の評価の枠組みを構築し,事例を蓄積していれば,さらに特定する時期を早めることにつながる.
ハザードや不安状況の早期の特定は,早期の対策を講じることにつながり,結果として立ち上げから安定した運用に移行できる期間を短縮できる可能性が生まれる.
以上のように,利用時品質を適切にマネジメントすることによって,Society 5.0が指向する新たな付加価値を提供するシステムにおいてもユースエラーのリスクを軽減し,安定した運用に迅速に移行し,安心した利用が可能になることを促進することになる.また,これらのマネジメントプロセスとしてノウハウが蓄積されることによって,さまざまな応用を効果・効率的に行うことが期待できる.
今回提案の利用時品質モデルの特徴は,従来の人とコンピュータとのインタラクションに限らず,特定の利用状況下でのシステム,製品,サービスを利用したときの影響を操作者だけでなく顧客やそれらを使うことに責任ある組織や一般的な公共や社会といった多様なステークホルダにまで対象を広げて品質特性/品質副特性として記述したことである.これはSociety 5.0の人間中心社会を実現するためには必要なことである.また,スマートシティで必須のサービスである自動運転バスへ適用したことで,今後の課題が見えてきた.
特にAIを対象にしたときに今回の内容で十分であるかどうかを,今回の自動運転バスの適用結果を踏まえ,検証し,モデル自体の改良を進めるべきである.また,自動運転バス自体については,今後は,それぞれの領域の評価データを継続して取得できる手法を構築するとともに,収集したデータを基に,さらなるシステムへの改善を進めるサイクルを構築する必要がある.
理化学研究所革新知能統合研究センタ研究員/東京都立大学客員教授.博士(工学).ヒューマンインタフェース学会監事.認定人間工学専門家.ISO TC159/SC4(HCI)国内委員会主査,ISO TC159/SC4-ISO/IEC JTC1/SC4 Joint WG28国際議長.
小樽商科大学商学部教授.日本人間工学会理事.ISO TC159/SC4(HCI)国内審議委員.ISO TC159/SC4-ISO/IEC JTC1/SC4 Joint WG28国内審議委員.
BOLDLY(株)(ソフトバンク(株)の子会社) 企画部長 兼 クリエイティブディレクター.
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