近年,情報爆発や社会のボーダーレス化に伴い,意思決定にかかわる要因や影響が複雑化し,さらに意思決定のスピードも求められる時代になってきた[1].このような時代では,あらかじめルールの決まっていない非定型業務を対象とした意思決定のシーンにおいても,膨大な可能性を探索し有効な意思決定の候補を高速に見つける技術の追求が重要な技術課題となっている[1].また,この技術課題の解決には,機械学習技術によるアプローチが不可欠になる.
このように機械学習技術の進展により,これまで属人性の高かった意思決定を支援する仕組みが求められているなかで,筆者らは,企業活動の中でもより複雑性の高い非定型の業務領域である営業活動の意思決定に注目してきた.営業活動の領域に機械学習技術を適用する一例として,営業活動の意思決定を支援するシステムの試みがある.たとえば,顧客の行動データに基づいた顧客選別の効率化[2], [3]や,販売見込みに基づいた売上予測[4]などが挙げられる.一方,これらの事例は営業活動における部分的な業務への適用に限られている.
さらに近年では,実企業での失敗事例も報告されている.それらの失敗の原因は,営業活動における意思決定にはあらかじめ明確なルールが存在せず,営業担当者の経験や判断に基づいて実施されることから意思決定パターンが極めて多岐にわたることや,意思決定が顧客反応を見ながら長期間にわたり連続で実施されるなかで顧客要求も徐々に変化するなどの問題にある[5].
以上で挙げた事例からも,初期訪問から受注に至るまで明確なルールが存在しない非定型業務である営業活動全般を対象にした意思決定支援については研究事例の報告がないのが現状である.
筆者らは,営業活動では,顧客とのコミュニケーションを通じて営業知識を動員し,顧客に対する適切な対応方針(営業のアクティビティ)を選択することが重要と考える.そのため,この意思決定を支援するシステムには,顧客との間で常に変化する場面に応じた適切な対応方針のリコメンドを,営業担当者に対して提示することが求められる.このような意思決定支援システムが,営業活動のプロセス全般を通じてリコメンドを繰り返していくことで,営業担当者の受注に誘導し,高い売上を実現することが可能となる.さらには,受注成果の高い営業活動の意思決定を,組織全員で再現可能となることで組織力の強化にもつなげることができる.以上のような考えに基づき,これまでに筆者らは,受注効果の高い営業プロセスが反映されたプロセスモデルの構築,およびそれに基づいた営業活動意思決定支援システムを構築している[6], [7].
一方,構築された意思決定支援のアルゴリズムやモデルを実際に企業の非定型業務に適用(システムの構築→評価→導入)するには,実践的な手順やノウハウが必要となってくる.これまでも,企業内の様々な業務プロセスを対象とした支援システムの適用ステップが発表されており,デジタルプラクティスにおいても,ITシステム基盤移行におけるデータ移行のプロセス[8],名刺データ化のプロセス[9],ビックデータの分析プロセス[10],電子カルテデータを臨床研究に活用するプロセス[11]など多岐にわたっている.しかしながら,企業の営業活動のように,あらかじめルールが明確でなく,状況に応じて常に選択するアクティビティが変化していく非定型業務を対象としたシステム適用のステップについては議論されていない.
そこで本稿では,意思決定支援システムの非定型業務への適用ステップを提案し,そのうえで,提案ステップを企業の営業活動プロセスに実践した事例を報告する.さらに,実践結果を通じて提案ステップの有用性や課題を示す.本稿におけるプラクティスとは,実践のための適用ステップと当該ステップの実践事例の2つで定義され,企業が非定型業務の意思決定を支援するシステムを導入するうえでの参考となる手順やノウハウとなる.
アクティビティの実施プロセスが標準業務フローとして定義されている事務作業などの定型業務と異なり,非定型業務に対する意思決定支援システムの適用は,システム導入前にその効果を把握することが難しい.その理由として,非定型業務ではあらかじめルールが事前に決まっていないため,その場その場の状況に応じて意思決定の選択肢が変化すること,さらに選択肢の判断には過去の経験などの属人的な要素が高い影響を与えることが挙げられる.近年はDX(デジタルトランスフォーメーション)のニーズの高まりにより,このような非定型業務を対象とした意思決定支援を求められるケースが増えており,その適用ステップの具体的な設計とその手法の確立が待たれている状況にある.
本稿では,その適用ステップを,「システム構築フェーズ」,「システム評価フェーズ」,「システム導入フェーズ」の大きく3つのフェーズで定義する(図1参照).特に,システム構築フェーズ後にすぐにシステム導入フェーズに入るのではなく,予備実験によるシステム評価フェーズを途中に入れ,評価モデルに基づいた客観的な振り返りとそれに基づいた改善を実施したのちに,本実験の実施と評価を経てからシステム本格導入につなげていることが特徴である.それぞれのフェーズは複数のステップを有し,以下の合計8つのステップから構成される.
本フェーズにおける対象プロセスの調査(Step1)からアプローチ手法の選定(Step2)の流れは,図1に示すように,一直線ではなく試行錯誤の繰り返しを行いながら実施することも想定する.適切なアプローチ手法が見つけられない場合は,対象プロセスの選定からやり直すことが必要となるためである.
次章で述べる本フェーズの実践の概要を以下に述べる.Step1では,企業活動の中でも重要な領域の1つである営業活動を対象プロセスとした.営業担当者の経験などに基づいた属人的要素が受注成果に影響を与えるという課題が存在したからである.Step2では,営業活動による受注率の向上を目的とし,営業活動の進展に応じて顧客反応に対するアクティビティ(次の営業活動の候補)が,システムから営業担当者にリコメンドされるアプローチとした.そのため,多岐にわたるアクティビティ(営業活動)選択を単純化して事前に定義した.また,その学習モデルとして,営業活動における顧客の内部状態はマルコフ決定過程であり,さらに顧客状態は直接観測できないことから,部分観測マルコフ決定過程(POMDP)[12]を採用する.インプットデータは営業活動において記載される営業日報を用いる.Step3では,営業日報のテキスト情報から機械学習によって受注確率の高いアクティビティの流れをプロセスとして抽出し,次に実施すべきアクティビティのリコメンドが可能なプロセスモデルを構築,およびそれに基づいた意思決定支援システムを構築した.
前フェーズと同様に,評価モデルの検討(Step4)から予備実験の実施と評価(Step5)の流れも試行錯誤を伴う可能性があることを想定する(図1参照).予備実験による評価結果次第で評価モデル自身を見直す必要があるためである.
次章で述べる本フェーズの実践の概要を以下に述べる.Step4では,営業担当者が実際に営業活動したアクティビティが,リコメンドされたアクティビティから採択された割合を受注案件リコメンド採択率として定義し,さらに,営業担当者がリコメンドに基づいて意図的に行動変更を行い受注まで至った営業活動の割合を行動変更受注貢献率と定義することで評価モデルを作成した.Step5と6の実践内容は次章で述べる.
次章で述べる本フェーズの実践の概要を以下に述べる.Step7では,上記の受注案件リコメンド採択率と行動変更受注貢献率について,予備実験と本実験の変化を評価した.そのうえでStep8では,意思決定支援システムによるリコメンド精度の変化と受注率の変化を確認し,本格導入可否の判断を実施した.
前章で提案した適用ステップの実企業における実践事例の詳細を述べる.適用先は,筆者の所属する(株)NTTデータイントラマートの法人営業グループを選定した.この会社では法人企業向けの自社製ソフトウェアを販売している.これまでベテラン社員を中心とした属人的な営業で継続的に成果を上げてきているが,若手社員の人数も増加していることから,属人性からの脱却とそのノウハウの継承が課題であった.
以降では適用対象の企業への意思決定支援システムの適用ステップの実践内容を記す.なお,本章の各節は各ステップに対応している.
営業活動においては,顧客の反応に対する次のアクティビティ(営業活動)選択が営業担当者の経験などに基づいて判断されるため,営業担当者ごとの受注成果にバラツキがあるという課題が指摘されている[13].調査の結果,適用対象の企業でも同様の課題を抱えていることが明らかになった.図2は,この企業における営業活動における連続的な意思決定のイメージである.当初に営業Aと営業Bは同一の顧客に対して「①競合の把握」という同一のアクティビティを実施し,それに対して顧客からは「②反応が少ない」と顧客反応が返ってきたものの,その次のアクティビティ選択では営業Aは「③上司の同行」,営業Bでは「③キーマン把握」と異なる.その結果,それぞれ異なる顧客反応が返る.以後,営業A,営業Bの営業活動を通じた意思決定はますます異なるものとなり,これらの意思決定が連続で繰り返されたのちに,結果として受注や失注となる.
対象の企業では,営業担当者個人の経験などに基づき,アクティビティは都度選択され,またこれらの意思決定は長期間にわたり連続して実施されていた.このことから,営業活動の意思決定には属人的な要素が多く,その結果が受注の可否に与える影響が大きいことが調査の結果明らかになった.
筆者らは,法人向けの営業活動には初期訪問からヒヤリング,プレゼンテーション,見積りなどの各ステップを順番に通過して受注に至るまでの一連の営業プロセスがあることに着目した.そこで,営業活動のステップに属するアクティビティを事前に定義し,ステップに応じて顧客反応に対するアクティビティを選択するビジネスプロセスモデル[14]を採用した.これにより,ステップごとに選択されるアクティビティの選択肢を限定するとともに,それら一連の選択結果から効果の高いプロセスモデルを構築した.
今回採用した図3のアクティビティリストは,会社や製品により多少違いはあるが,法人営業向けの一般的な案件型営業のアクティビティがステップごとにリスト化されたものである[13].営業活動を通じて選択された一連のアクティビティの流れが営業プロセスとなり,その系列は20~100系列と長く,同一アクティビティの繰り返し実施も行われる.また,顧客反応に対する次のアクティビティ選択の記録は,営業活動を通じてすべて営業日報に記載される.そこで本稿では,蓄積した営業日報データから,受注確率の高い営業プロセスを抽出しプロセスモデルを構築し,それに基づいた意思決定支援システムを構築した.受注に至るまでの効率的な営業活動のアクティビティを,営業プロセス全般を通じてリコメンドするアプローチが可能となる(図4).
筆者らのこれまでの研究において,営業日報データをインプット情報として,機械学習により受注確率の高い営業プロセスの規則性を抽出したプロセスモデルの構築手法を提案している[6], [7].詳細な構築手法について本稿付録に記載したのでそちらを参照されたい.具体的には,業務システムから出力されるイベントログからプロセスモデルを構築するプロセスマイニング手法[15], [16]を応用し,各アクティビティの選択が受注結果に与える影響を受注確率として推定することで,受注確率の高いプロセスを抽出しプロセスモデルを構築し,それに基づいた営業活動意思決定支援システムを構築した.
具体的には,営業担当者は受注を目標にして,営業活動に対する顧客反応から次のアクティビティを意思決定する営業プロセスを繰り返し,その活動履歴は営業日報として記録されている.そのため意思決定の一連の流れは営業日報を案件ごとに時系列で追うことによりつかめる.そこで,営業日報のテキスト情報から機械学習によって受注確率の高いアクティビティの流れをプロセスとして抽出し,次に実施すべきアクティビティのリコメンドが可能なプロセスモデルを構築し,それに基づいた営業活動意思決定支援システムを実装した.
構築した営業活動意思決定支援システムを実際の営業現場で評価を実施した.この会社では,総勢18名による営業グループで活動していたが,営業部隊の増員を理由にAグループ(営業9名)とBグループ(営業15名)の2グループに分割された.構成人数には違いがあるものの,営業経験年数としてはほぼ同等のキャリアバランスとなっており,営業戦力としての偏りはないといってよい.また今回のシステム適用と評価は,特定の1製品のみの営業活動を対象として実施することで,製品の種類が評価に与える影響を排除した.
まず,2019年1月から3月までの3ヶ月間(ターム1)を予備実験の期間とし,それに続く2019年4月から6月までの3ヶ月間(ターム2)を本実験の期間として,Aグループのみに意思決定支援システムを適用した.またターム1の予備実験の終了後に,ターム1運用期間における営業担当者の実際のアクティビティ選択結果をフィードバックしてプロセスモデルを再構築し,意思決定支援システムのリコメンド精度を改善した.ターム2の本実験では,その精度改善した意思決定支援システムを適用して評価した.
また,営業活動意思決定支援システムからのリコメンドが営業担当者の意思決定に与えた影響を評価するため,以下の2つの評価指標を設定した.
対象期間の受注案件において,営業担当者が実際に営業活動したアクティビティが,リコメンドされたアクティビティから採択された割合を受注案件リコメンド採択率として定義する.つまり受注案件リコメンド採択率は,受注案件の意思決定におけるリコメンドの影響を計る指標となる.そのため,ターム1とターム2の受注案件リコメンド採択率を比較することで,プロセスモデルの学習精度の向上を確認することができる.
上記のリコメンド採択率には,営業担当者が営業活動として当初想定していたアクティビティが,リコメンドと意図せず同一だったケースも含まれてしまう.そこでリコメンドの影響を明確に測定するための指標として行動変更受注貢献率を設定する.行動変更受注貢献率とは,営業担当者がリコメンドを見る前に当初想定していたアクティビティと,採択したリコメンドのアクティビティが異なる営業活動の割合である.営業担当者がリコメンドに基づいて意図的に行動変更を行い受注まで至ることから,営業担当者の想定外でありながらもより受注精度の高いアクティビティがリコメンドされたことになる.測定にあたり,営業担当者がリコメンドに基づいて実施アクティビティを初期想定のアクティビティから変更する際には,その変更結果を記録してもらった.
以上の評価指標を用いることで,ターム1予備実験とターム2本実験の変化を確認する.この2つのタームでは,グループの構成メンバーおよび販売する製品やターゲット顧客など一切変更はなく,受注案件リコメンド採択率と行動変更受注貢献率の変化に影響を与えた因子は,リコメンドの精度向上のみであることから,この指標を2つのタームにわたり比較することで,営業活動意思決定システムの有効性の変化を定量的に示すことができる.ここで,図4で示したように,営業活動意思決定支援システムからは,次に実施すべきアクティビティとして推薦度の高いものから順に13位まで表示される.しかし,実適用後に営業担当者らにヒヤリングしたところ,推薦順位で上位5位以内のアクティビティしか参考にしていないことが判明した.したがって,受注リコメンド採択率および行動変更受注貢献率を算出する際には,上位5位までのリコメンドを採択したもののみリコメンド採択としてカウントし,6位以下のリコメンドについては,仮に実施アクティビティと一致していたとしてもリコメンドは不採択として取り扱った.
ターム1の予備実験の実運用後,2つの評価指標を確認した.
受注案件におけるリコメンド採択率である受注案件リコメンド採択率を確認する.ターム1の総案件48件の営業担当者の実施アクティビティ総数は161件,その中でリコメンド採択件数は16件であり,リコメンド採択率は9.9%であった.そこから,受注案件20件に絞ると実施アクティビティ総数は107件,その中でリコメンド採択件数は15件であり,受注案件リコメンド採択率は14.0%であった.このリコメンド採択率の差は,受注案件においてリコメンドはより多く採択されている傾向を示している.
次に,営業担当者がリコメンドに基づいて実施アクティビティを初期想定のアクティビティから変更し,その結果として受注に至った行動変更受注貢献率を確認する(表1).
ターム1の受注案件20件において,営業担当者の実施アクティビティ総数は107件であるが,そのうち8件はリコメンドを参考にして実施アクティビティを変更することで受注に至っており,アクティビティを単位とした行動変更受注貢献率は7.5%であった.あわせて,行動変更を案件単位でみると,受注案件20件に対して7案件において行動変更が行われており,案件を単位とした行動変更受注貢献率は35.0%であった.表1には,案件No.ごとに,営業担当者がリコメンドを見る前に想定していたアクティビティを左欄に,またリコメンドによりアクティビティを変更した場合は,中欄に採択したアクティビティとそのリコメンド推薦順位を記載した.案件No.が重複しているものは,同一案件の中で複数のアクティビティ変更が実施されていることに注意されたい.また,右欄には案件を担当した営業担当者を記載した.行動変更は特定の営業担当者のみで観察されておらず,営業担当者全般に満遍なく発生したと判断してよい.
さらに,受注・失注の個別案件ごとに,営業担当者の意思決定の流れを追うことで意思決定支援システムの有効性を詳細に考察した.リコメンドの採択により受注までいきついた案件例を2つ紹介する.1つめの図5の事例は表1の案件No.28に該当する某生命保険会社の事例であるが,営業担当者の登録した営業日報に対して,タイムリーに次のアクティビティのリコメンドを行っている.この事例では,計5回のリコメンドが実施され,営業担当者はそのリコメンドの中から次のアクティビティを選択することで最終的な受注まで到達している.営業担当者が実際に実施したアクティビティには,営業活動意思決定支援システムからのリコメンドには存在しないものがあるなどの課題はあるが,営業担当者の初期訪問から受注までを効果的に導いている.
もう1つの事例は表1の案件No.21に該当する某出版会社向けの案件実施結果である(図6).ここでは,「提案書プレゼンテーション」のリコメンドを推薦順位1位で受けて「プレゼンテーション」を実施したが,その後プレゼンテーション時の顧客反応により「再見積もり」を追加で実施した.しかし,システムからは再度「提案書プレゼンテーション」のリコメンドが推薦順位1位で出ており,営業担当者はこのリコメンドに従いアクティビティを変更して実施,その結果として受注に至っている.
営業担当者は,プレゼンテーション時の顧客反応から,「提案体制の検討」を時間かけてやり直したほうが良いと当初想定していたようである.しかし,一連のアクティビティ実施後にプレゼンテーションを実施し,その後に再見積もりを実施した場合は,時間をかけずに再度プレゼンテーションを実施することで受注につながっている案件事例が過去にあり,その結果がノウハウとして営業活動意思決定支援システムに学習されていた.そのため,営業担当者はこのリコメンドの背景を理解できたことから,リコメンドに従いアクティビティを変更していることが確認できた.
あわせて失注の事例も2件紹介する.1つめの失注事例(案件No.9,図7)は様々なアクティビティを実施して「競合排除」まで到達,その後,リコメンドの中から第3優先度の「訴求ポイントの検討」を採択した.しかしその後,第12優先度である「競合情報入手」を採択したのち失注に至っている(実際には採択したのではなく,偶然に一致していた).顧客に確認した失注理由としては,競合他社が提案を積極的に進めていたのに対して,当社は提案に出遅れ躊躇していると捉えられたようである.一度「競合排除」を実施しているにもかかわらず,この段階で「競合情報入手」を実施した理由を担当営業に確認すると,排除したと考えていた競合の動きが気になりこのアクティビティの実施に至っていた.リコメンドでは,「提案体制の決定」や「顧客体制の把握」「案件リスクの把握」など,提案を進めていくためのアクティビティの優先度が高く提示されており,営業担当者のアクティビティの採択において後悔を残すこととなった.システムによるリコメンドを営業担当者に信用してもらうための運用面での定着も必要であるといえる.
2つめの某流通業の失注事例(案件.179,図8)では,様々なアクティビティを実施したのちに「競合情報入手」まで到達,その後,第1優先度のリコメンドである「ステークホルダーの把握」を採択して実施,さらにその後,第1優先度のリコメンドである「見積もり」を採択して実施したが,失注に至っている.営業担当者に確認したところ,競合も同じアクティビティである「ステークホルダーの把握」と「見積もり」を実施したようである.それにもかかわらず失注に至ったのは,ステークホルダーの把握ミス(キーマンを間違って判断)と見積もり価格において競合との差があり敗退したとのことであった.たとえ見積もりの段階で競合との価格差があっても,的確なキーマンを把握していればその後のリカバリーにもつながったはずであるが,キーマン選定を間違っていたためそのチャンスをもらえなかったようである.つまり,リコメンドによるアクティビティ選択は適切であっても,その内容が不適切であれば結果として失注につながってしまうという事例である.
ターム1の予備実験におけるアクティビティの選択結果はターム2の本実験に向けてフィードバックされる仕組みを用意した.運用時には,図4に示すように次のアクティビティ候補が推薦順位に従い表示されるが,営業担当者はその中から該当のアクティビティがあれば選択し,また該当のアクティビティがなければ新規に画面から登録する.これにより,営業担当者による実運用時の選択結果を記録として残し,これら情報をフィードバックしてプロセスモデルを再構築することで意思決定支援システムのリコメンド精度を向上させた.
ターム1の予備実験における選択結果をプロセスモデルにフィードバックした意思決定システムを構築後,ターム2の本実験を再度同一の適用環境にて実施し,2つのタームにおける評価指標を比較し確認した.
受注案件におけるリコメンド採択率である受注案件リコメンド採択率を確認する.ターム2の総案件26件におけるリコメンド採択率は13.7%であったが,受注案件12件に絞ると受注案件リコメンド採択率は18.4%であった.リコメンド採択率の差にもターム1と同様,受注案件においてリコメンドはより多く採択されている傾向がみられる.
あわせて,2つのタームに渡る受注案件リコメンド採択率の変化を確認すると,ターム1予備実験の14.0%からターム2本実験の18.4%に上昇していることが確認できた(表2).
また参考として,受注案件No.ごとのアクティビティ総数とリコメンド採択件数を表3に示した.ターム1,ターム2ともに特定の案件にリコメンド採択が偏っていないことも確認できた.
次に,営業担当者がリコメンドに基づいて実施アクティビティを初期想定のアクティビティから変更し,その結果として受注に至った行動変更受注貢献率を確認する.ターム2の受注案件12件における営業担当者の実施アクティビティ総数103件を対象にして行動変更受注貢献率を分析したところ,そのうち9件は,リコメンドを参考にして実施アクティビティを変更することで受注に至っており,アクティビティを単位とした行動変更受注貢献率は8.7%であった(表4).あわせて,行動変更を案件単位でみると,受注案件12件に対して8案件において行動変更が行われており,案件を単位とした行動変更受注貢献率は66.7%であった.またターム1と同様に,行動変更は営業担当者全般に満遍なく発生したと判断してよい.
2つのタームに渡る行動変更受注貢献率の変化を確認すると,アクティビティ単位ではターム1予備実験の7.5%からターム2本実験の8.7%に上昇しており,また案件単位ではターム1の35.0%からターム2の66.7%に上昇していることが確認できた.
評価結果を踏まえて,営業活動意思決定支援システムの有効性について考察する.
このことから,営業担当者による予備実験の実運用結果を反映してプロセスモデルの学習は進み,ターム2の本実験ではターム1の予備実験よりも精度の高いリコメンドが提示されるようになったため,結果としてターム2の本実験における受注案件リコメンド採択率と行動変更受注貢献率(アクティビティ単位,案件単位)の向上につながったと推察した.つまりプロセスモデルの学習向上により,営業活動意思決定支援システムのリコメンドが優秀な営業担当者の思考に近づき,営業担当者にとってより納得性の高いリコメンドへと精度が向上したと考えられる.
また,最終的に,営業活動意思決定支援システムを適用したAグループの受注率を,適用していないBグループと比較すると,Aグループのみがターム1において8.7%,およびターム2において12.4%の受注率改善を実現できた(図9).またこの受注率は,同じAグループにおいても,営業活動意思決定支援システムを適用開始した時期(2019/1)から上昇していることが確認できた.受注率向上には営業活動意思決定支援システムの適用以外の要因も考えられ,その因果関係までは断定できないものの,一定程度寄与した可能性も推測できる.
以上,営業活動意思決定支援システムの有効性に関する考察結果から,システム本格導入を進める判断を行った.システム本格導入後も,評価モデルによる評価を継続している.
今回提案した適用ステップは,予備実験によるシステム評価フェーズを,システム構築フェーズとシステム導入フェーズの間に入れていることが特徴である.特に事前に定義した評価モデルに基づいた評価により,この意思決定支援システムが各営業担当者にどれだけ受け入れられているかを客観的に判断することができたことが大きい.さらに,この予備実験にて取得できた営業担当者の実際の判断結果をフィードバックしてプロセスモデルを再構築することで,本実験の営業担当者に対するより納得性の高い評価へとつなげることができたと考えられる.このことから,提案した適用ステップの実現可能性や有効性を実証することができたといえる.
また,予備実験から本実験にかけての受注案件リコメンド採択率と行動変更受注貢献率の向上は,営業担当者の意思決定支援システムに対する信頼が上がったことに起因する可能性もある.つまり,この予備実験によるシステム評価フェーズの存在が,現場担当者に対する意思決定支援システム導入の受容性を高める影響を与えたと考えることもできる.通常のシステムと異なり,意思決定支援システムは現場担当者の受容性が特に求められるシステムである.提案ステップのように,段階的(予備実験,本実験)に導入を進めていくことで,意思決定支援システムを導入される担当者(営業担当者)にとっても,精神的・心情的にもストレスがない環境を作ることが重要である.
一方で,この意思決定支援システムの適用が受注率の向上につながったと判断するには,さらにいくつかのステップを慎重に追加する必要がある.たとえば,本実験の実施と評価(Step7)後に,意思決定支援システムを適用しなかったBグループにおいても,受注率向上の再現性を確認するといった「再現性の実施と評価」のステップを追加することも,適用ステップの拡張の方向性として挙げられる.
本稿の適用環境では,ソフトウェアを販売する法人営業において特定の1製品に限定して実施したものである.このことは,適用ステップの実践から得られた結果に対する,外的妥当性への脅威である.当然のことながら,受注確率の高いアクティビティ選択のプロセスは,販売する品目の種類や複雑性,さらには対象とする顧客規模などによっても異なり,プロセスモデルをその都度再構築する必要がある.一方,長期にわたるアクティビティを通じて受注率を高めていくタイプの案件型営業においては,本稿で提示した適用ステップの適用は可能であり,適用ステップの実践事例の内容に関しても,他の企業が適用をする際のノウハウとして有用と考えられる.
本稿での実践を通じて,適用した意思決定支援システムに関する今後の課題も得られている.適用事例では3章で述べたように2つのタームに渡る比較検証を実施した.一方,プロセスモデルの学習によるリコメンド精度の向上が,受注案件リコメンド採択率と行動変更受注貢献率の向上につながったことを厳密に判断するには,さらに検証するタームを追加する必要がある.今後も継続した調査においてその影響を確認したい.現在,プロセスモデルの更なるリコメンド精度の向上を目的として,新たな営業活動意思決定支援システムのプロセスモデルの構築に取り組んでいる[17].具体的には,隠れマルコフモデルと方策学習によるプロセスモデル構築に代わり,環境モデルとセルフプレイを用いた深層強化学習によるプロセスモデルの構築を通じてリコメンド精度の向上を目指している.
意思決定支援システムのアルゴリズムやモデルはこれまで数多く提案されてきたが,実際に企業の非定型業務に適用(システムの構築→評価→導入)するための手順やノウハウについては十分な知見が公開されていない.そこで本稿では,意思決定支援システムの非定型業務への適用ステップを提案するとともに,各ステップでの実践事例をプラクティスとして報告した.本プラクティスは,企業が非定型業務の意思決定を支援するシステムを導入する上での参考となる手順やノウハウであり,また実際の営業現場における実運用でのフィードバックを通じたリコメンド精度の向上という知見が得られたことは大きな成果といえる.
「3.3意思決定支援システムの実装」における営業活動の意思決定支援システムの構築手順についてその詳細を記載する.
営業活動における顧客の内部状態は確率的に遷移するが,営業からのアクティビティによってその遷移確率は変化することから,営業活動における顧客の内部状態はマルコフ決定過程であると言える.さらに,顧客状態は直接観測できないことから,部分観測マルコフ決定過程(POMDP)にてモデル化が可能である[12].形式的には,POMDPは隠れマルコフモデルに行動および行動を変更する動機を与える報酬を付与したものと解釈できる[18].そこで,隠れマルコフモデルによる状態観測に対して,方策学習による行動制御を組み合わせたPOMDPの近似手法でプロセスモデルを構築した.理由としては,後述する案件シミュレータの開発の経験から,顧客状態遷移を隠れマルコフモデルで近似的に形式化できていたことが大きい.
隠れマルコフモデルによる学習モデルの構築においては,時系列を含んだ営業日報データを教師データとして大量に用意する必要がある.本稿の適用事例では,実際の営業日報データとして計2046件しか取得できず,学習モデルの構築には不十分であった.この課題に対し,筆者らは営業をエージェント,顧客を環境と位置付けた案件シミュレータを開発し,ルールベースの営業日報データを自動生成した[6], [7].
案件シミュレータの詳細について述べる(図A・1).まず,営業パラメータ,顧客パラメータの全項目が正規分布で初期設定された状態からスタートし,その後,営業状態に基づくルールベースのアクティビティ候補の中からランダムにアクティビティが選択実施される.次に顧客側では,正規分布で重み付けされた顧客特性に従い顧客状態が更新される.たとえば,アクティビティとして「プレゼン実施」が選択された際に,「実績重視」の特性を持つ顧客ではそのパラメータがより加算して更新される.その後,更新された顧客状態に即した顧客反応が後述するフィードバックルールから選択され,最後に,顧客反応に対応したルールベースの重み付けにより営業パラメータが更新される.このため,営業側でも顧客状態の推定値を保有できる.
次に,案件シミュレータの中でも重要な位置付けとなるフィードバックルールについて述べる.アクティビティと顧客状態の区分ごとに顧客反応のフィードバックルールを,熟練営業担当者が設定した(図A・2).取得した営業日報データではその後の営業引き継ぎも考慮してかなり細かいレベルまで記述されていたことから,人によるルール設定とはいえ,営業実態をほぼ正確に投影したルールであると言える.
以上述べた案件シミュレータを用いることで,案件データ総数10,000件と,営業日報データであるアクティビティデータ総数267,000件のデータセットを作成し(図A・3),それを隠れマルコフモデルと方策学習によるプロセスモデルの構築に利用した.
次に,営業をエージェント,顧客を環境と位置付けた隠れマルコフモデルと方策学習によるプロセスモデルを以下の手順で構築する(図A・4).
付録A.2で述べた案件シミュレータにより確保できた営業日報の教師データから,隠れマルコフモデルのパラメータである状態遷移確率(顧客状態の遷移確率)と出力確率(顧客状態におけるアクティビティ選択確率)を推測し価値関数を計算する.ここで価値関数は推測した顧客状態で,営業が次のアクティビティを選択後,最適方策をとり続ける際の受注率の期待値である.
価値反復法により価値関数の値を最大化するアクティビティの組み合わせ方策を学習する.
学習結果に基づいて,隠れマルコフモデルの出力確率パラメータを更新する.
以上を方策の価値が収束するまで繰り返し実施することでプロセスモデルを構築し,それに基づいた営業活動意思決定支援システムを構築した.表A・1にモデル構築時のパラメータを掲載する.顧客応答が「受注/失注」,アクティビティが「辞退」に到達したら終了,さらにイテレーション数が100に至ったら強制終了,減衰率により早く終わるほど高い報酬となるよう設定した.顧客状態数は試行錯誤により300とした.
1992年東京大学応用生命工学系大学院修士課程修了.同年株式会社NTTデータ入社.2001年株式会社NTTデータイントラマート代表取締役社長,2021年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了,プロセスマネジメントの研究に従事.電気通信協会 ICT事業奨励特別賞(2011),情報システム学会 ベストペーパー特別賞(2017),電子情報通信学会 LOIS研究賞(2019),FIT2019 FIT論文賞(2019)受賞.
2001年埼玉大学卒業.2009年株式会社NTTデータイントラマート入社 デジタルビジネス推進室所属.機械学習を用いたプロセスモデルの構築とプロセスオートメーションの研究開発に従事.
2001年慶應義塾大学大学院修士課程修了,同年NTTデータに入社.2015年日本電信電話株式会社に転籍.現在,コンピュータ&データサイエンス研究所に所属.2016~2018年カリフォルニア大学アーバイン校客員研究員.ソフトウェア工学,要求工学に関する研究開発に従事.2007年慶應義塾大学大学院博士課程修了.博士(工学).
2012年東京大学工学部電子情報工学科卒業.2017年同大学大学院情報理工学系研究科博士課程修了.博士(情報理工学).同年,同大学大学院工学系研究科助教授.現在,同講師.無線⼯学,サイバーフィジカルシステム,エッジAI等の研究に従事.2013年電気電子情報学術振興財団 原島学術奨励賞,2019年IEEE CCNC Best Paper Award,2020年ACM IMWUT Distinguished Paper Award等受賞.電子情報通信学会,IEEE各会員.
1987年東京大学工学部電子工学科卒業.1992年同大学大学院博士課程修了.博士(工学).現在,同大学大学院工学系研究科教授.モノのインターネット/ビッグデータ/DX,無線通信システム,情報社会デザインなどの研究に従事.本会論文賞,電子情報通信学会論文賞(3回),ドコモモバイルサイエンス賞,総務大臣表彰,志田林三郎賞,大川出版賞等受賞.OECDデジタル経済政策委員会(CDEP)副議長,Beyond 5G新経営戦略センター長,総務省情報通信審議会部会長,スマートレジリエンスネットワーク代表幹事,情報社会デザイン協会代表幹事等.
会員種別ごとに入会方法やサービスが異なりますので、該当する会員項目を参照してください。