会誌「情報処理」Vol.62 No.11(Nov. 2021)「デジタルプラクティスコーナー」

「DXのプラクティス~ニューノーマル時代を生き延びる~」編集にあたって

境 真良1  吉野松樹2  藤瀬哲朗3

1(独)情報処理推進機構  2(株)日立製作所  3(株)三菱総合研究所 

編集にあたって

DX(デジタルトランスフォーメーション)とは,経済産業省の定義によれば,「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し,データとデジタル技術を活用して,顧客や社会のニーズを基に,製品やサービス,ビジネスモデルを変革するとともに,業務そのものや,組織,プロセス,企業文化・風土を変革し,競争上の優位性を確立すること」であるとされる.やや幅広い表現だが,90年代後半のインターネットとデジタル通信,特に無線通信が長足に発達する情報通信環境の変化とそれが生み出した社会やライフスタイルの変化を包含するとすれば,このような表現にならざるを得ないだろう.こうした変化が情報産業や情報技術の世界にどのような変革を与えたか,そして新しい技術革新がどのようにこの変化を支えたかについては,ここでもう一度語る必要はあるまい.

しかしながら,言葉を選ばずに言えば,米国を中心とした21世紀の情報革命の中で,日本と日本の産業界は変化を受容する側に立っており,このDXの流れを主導しているとは言い難い.そこには,企業のあり方と情報技術のあり方との相関において問題が存在し,情報技術を十分利活用する姿勢に,いまだ日本企業が立てていないのではないか,という考えから,DX推進政策は生まれた.

DXを政府が産業界に働きかけるゆえんは,それが個社の運動であるにとどまるのであれば,その効果が十全に発揮されないからである.そもそも我が国の情報化の歴史は古く,多くの企業が自社独自構築のものであれ,既製のものであれ,スタンドアロンのソフトウェア[またはそれに相当するSaaS(Software as a Service)]を利用し,メールやそれに類する連携をユーザが手作業で行っている.そのように分断されたシステムの在り方,システムと分断された業務の在り方は,本来,相互促進的なDXの「面」的展開には後ろ向きに働く.したがって,DXを進めるには,産業界全体での変革の促しが必要なのである.

しかし,ただ「DX推進」を叫ぶだけでは,しばしば戒められる.会社の中で部下に「DXしろ」と叫ぶ上司となんら変わらない.政府のDX推進策は,悪く言えば一般論の域を出ておらず,そこから具体的な動きを発想することは簡単でないかもしれない.だからこそ,その上に具体的な推進の方向性を見出すために,DX推進において,プラクティスのシェアは重要な意味を持つ.

本特集の論文について

本特集では4編の招待論文と3編の投稿論文を掲載する.

三部氏らの解説論文「DX先進企業から見るDXの現在地,構造,方向」は,(独)情報処理推進機構がDXを推進している先進企業22社にヒアリングを行った結果をまとめている.DX推進に役立つ知見を(1)DXの方向性の合意,(2)デジタル技術の導入,(3)実事業への適用,(4)体制と人材の4つのカテゴリに分類してまとめている.これからDX推進を行う企業,DX推進がうまくいかないで悩んでいる企業にとって参考になる知見が含まれている.インタビュー記事で本論文の内容をさらに深堀りしているので,併せて一読いただけるとより理解が深まるであろう.

小笠原氏らの招待論文「急激な環境変化に対応する『DX時代のイノベーション創出プログラム』」では,デジタルサービスの会社への変革を目指してリコーグループにおいて実施されているTRIBUS(トライバス)と呼ばれるイノベーション創出プログラムについて,プログラム導入の背景,運営体制の工夫,プログラムを盛り上げるためのさまざまな施策とプログラムの成果について説明している.社内だけでなく社外のスタートアップ企業までも巻き込んだ活動となっており,同様のプログラムの導入を検討している企業にとって大変参考となるであろう.

太田氏の招待論文「顔認証とDigital IDを活用したサービス社会の実現に向けて」では,顔認証技術とDigital ID技術という要素技術を実世界のサービスに適用するために行った社内の入退出管理,南紀白浜での観光サービスという2つの実証実験の経験を基に,発生した課題とその解決策について説明している.DXの実現のためには要素技術を実世界に適用し使えるサービスにするためのさまざまな工夫が必要であり,本論文からそのためのヒントを得ることができる.

三浦氏らの招待論文「事例から見るRPA導入の課題とその解決」では,DXの事例として一般的なRPA(Robotic Process Automation)の導入による生産性向上に関して,トップダウンで大規模に実施しようとして1度失敗した経験を活かして,再度さまざまな見直しを行い再チャレンジし成功した事例が報告されている.RPAの導入を検討している,あるいは導入したが期待通りの成果が得られていない多くの企業等にとってきわめて貴重な知見が含まれている.

中山氏の投稿論文「非定型業務における意思決定支援システムの適用ステップの提案と実践」では,企業等においてRPAなどの適用拡大により定型業務の自動化が進展しても,人間が行う必要のある業務として残る非定型業務に着目している.法人向けのソフトウェア営業を題材として意思決定支援システムの構想段階から予備実験,本実験の結果を報告しており,支援システムによるリコメンドが受注に有効である可能性が示されている.現場の経験,勘をシステム化する試みとして参考になる.

田中氏の投稿論文「アジャイルマインド学習プログラムの効果把握に向けた受講者の質的データ分析の実践報告」では,DX案件で広く適用されるアジャイル開発に必要となるアジャイルマインドを醸成するために筆者らが社内で実施している学習プログラムの効果をどのように評価するかについて論じている.受講者のアンケートにおける自由記述の結果を分析し学習プログラムによる受講者の意識の変化が学習プログラムの目的と合致しているかどうかを評価する過程が詳細に説明されている.DXの推進のために行われる意識改革プログラム等の評価において参考になると考えられる.

廣瀬氏の投稿論文「アジャイル開発を取り入れた協調的分析プロセスの提案と生産工場での実践」では工場現場のDX実現に向けた協調的分析プロセスを提案し,それに基づき生産現場へのインタビュー,プロトタイプの作成その結果を基にしたワークショップを繰り返すことで,現場におけるデータ活用を推進した事例を説明している.この事例では,現場サイドからも積極的に改善提案がなされたことが報告されており,現場を巻き込んだDX活動を成功させるための有益なヒントが示されている.


始まりは2018年であったが,DX推進の動きはコロナ禍の中で,産業界だけではなく,政府部門や公共サービスを巻き込んだより大きなものへと拡張され,現在に至っている.DXを後押しする政府支援も,本年からDX投資減税制度が追加されるなど,年々拡充されている.DXは毎年のように打ち出され,そして消えていく.政府の新政策の1つではなく,政府の産業政策の1つの柱として現在進行形の政策領域であるということができよう.

今回,公開された論文が,今後の政府の政策に新たな示唆を与えるものになると期待したい.

境 真良(正会員)m-sakai@ipa.go.jp

1993年東京大学法学部(政治コース)卒業,同年,通商産業省入省.主にコンテンツ産業政策,情報産業政策に従事.東京国際映画祭事務局長,早稲田医学大学院国際情報通信研究科准教授,経産省国際戦略情報分析官(情報産業)等を経て,2018年から独立行政法人情報処理推進機構に出向し,DX推進を担当.2020年からiU(情報経営イノベーション専門職大学)准教授(専任)も兼業している.社会情報学会会員.

吉野松樹(正会員)matsuki.yoshino.pw@hitachi.com

(株)日立製作所.IoT・クラウド事業部ミドルウェア本部所属.本会論文誌トランザクションデジタルプラクティス編集委員長,資格制度運営委員会副委員長.本会フェロー.博士(情報科学).

藤瀬哲朗(正会員)fujise@mri.co.jp

(株)三菱総合研究所.電気通信大学大学院修士課程修了後,三菱総合研究所入社,現在に至る((財)新世代コンピュータ技術開発機構研究所主席研究員,慶應義塾大学SFC研究所訪問所員,同大学SDM研究所研究員,(独)情報処理推進機構ソフトウェア・エンジニアリング・センター主査).高性能計算にかかわる研究,ソフトウェア工学および高信頼性システムの調査研究,研究開発事業マネジメント業務に従事.

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