デジタルプラクティス Vol.11 No.3(July 2020)

情報の非対称性の解消に向けた中古マンション価格推定の取り組み

福中 公輔1  橋本 武彦1  橋本 明広1  栗田 一生1  三田 匡能1

1(株)GA technologies 

不動産業界はその特殊性からさまざまな課題を抱えている.多くの顧客にとって,不動産は高額商材であるがゆえに売買経験が乏しく,適正な価格を知ることが難しい.これは顧客と不動産業者との間の「情報の非対称性」と言われ,顧客が不動産業者に対して不信感を抱く一因となっている.一方,不動産業者にとって,物件は一点物であり真に同一の商材が存在しないため,価格査定は不動産エージェント(不動産営業)の経験に依存する属人的な業務となっている.これらの課題を解決するため,仕入れ・管理部門や営業部門に蓄積された売買価格や賃料,周辺のエリア情報などのビッグデータを元に,オンライン価格推定を行うAIを開発した.さらに,このAIをWebアプリケーションとして公開することで,物件を売却したい顧客にとって透明性の高い価格査定を実現した.本稿では,表記ゆれを含む住所データを解析可能な形にするための前処理技術と,中古マンション価格推定のために必要最小限の変数を用いたモデル構築技術を紹介するとともに,Webアプリケーションの開発に至る一連のプロジェクトから得られた知見をまとめる.

1.はじめに

46.5兆円という大きな市場規模[1]を持つ不動産業界では,顧客と不動産業者の間に情報の非対称性があることと,IT化の遅れにより生産性が低いことが大きな課題となっている.情報の非対称性は,高額商材ゆえに一般の人が不動産売買や賃貸などの取引をする機会が少なく知見を得にくいために生じる構造的な問題であるが,不動産情報システムMLS[2]への登録が義務付けられているアメリカと比べて国や業界による情報公開が十分でないとの指摘もある[3].また,生産性が低い原因としては,不動産業者の大半が零細企業でIT投資力が不足していること,高齢化が進んでおりITリテラシーが低いことなどが挙げられる[4].

我々が所属する(株)GA technologiesは,PropTech(Property(不動産)×Technology の略)のスタートアップ企業として2013年3月に設立された.「テクノロジー×イノベーションで,人々に感動を.」を理念に掲げ,上述のような不動産業界の課題解決に取り組んでいる.本稿では,この中でも特に「情報の非対称性」に焦点を当て,その解消に向けた取り組みの1つであるRENOSY SELLプロジェクトを紹介する.

2.PropTechの動向と先行事例

近年,既存業界のビジネスとテクノロジーを結びつけ新たな価値や仕組みを提供するX-Techへの注目が高まっており,FinTech(金融),ConTech(建設)などさまざまな業界で取り組みが進んでいる.PropTech(不動産)では,2017年に不動産・建設のスタートアップコミュニティであるPropTech JAPAN [5]が創設され,2018年に(一社)不動産テック協会[6]が設立されるなど,急速に盛り上がりを見せている.

このPropTechは以下の4類型に大別できる[7].

  1. 情報提供:オープンデータ,IoTなど多様なデータを収集・加工して提供
  2. マッチング:売買や賃貸など取引相手をサービス上でマッチング
  3. 効率化:ツールや環境を構築し,業務プロセスを効率化
  4. 小口化:空間や権利,資金の形・大きさを変える

本稿で紹介するRENOSY SELLプロジェクトは上記1.2.3.に関係する取り組みであり,中古マンションの売却価格の推定が中心課題の1つである.価格の推定は古くから研究が進んでおり,Harrisonらによる1978年の研究[8]まで遡ることができる.近年は機械学習・AIの活用も盛んで,代表的なものに米 Zillow 社のZestimate [9]がある.PropTechの動向を詳しく知りたい読者は,清田による記事[10]を参照されたい.

3.情報の非対称性に伴う弊害

不動産の販売において特に問題とされるのが,「顧客の囲い込み」と呼ばれる仲介会社による不透明な売却活動である.不動産の売主は,直接買主を見つけて売却するのではなく,一般的には売買を仲介会社に依頼する.このとき,仲介会社は売買価格の3%+6万円を売主から得ることができる.しかし,もし買主もその仲介業者の顧客だった場合,売主だけではなく買主からも3%+6万円の手数料を得ることができる.つまり,1社が仲介をすることで仲介料が倍になる.これを両手仲介と呼ぶ(図1).仲介業者の中には,両手仲介を行いたいために他社ネットワークの活用を嫌がるところもある.

不動産仲介の種類
図1 不動産仲介の種類

顧客の囲い込みが行われると,売主に不利益が生じるケースが起こり得る.たとえば,売主の売却希望価格が4,000万円だったとする.仲介業者は,他の仲介業者のネットワークを使えば希望価格の4,000万円で購入したい買主が見つかる可能性があるにもかかわらず,それよりも安く購入したい自社顧客を買主として優先的にマッチングしてしまうのである(図2).問題なのは,仲介会社が行ったこのような活動が売主には明らかにされないということである.これが不動産業界における情報の非対称性に伴う弊害の典型例である.

顧客の囲い込みによる弊害の例
図2 顧客の囲い込みによる弊害の例

4.RENOSY SELLのアプローチ

RENOSY(https://www.renosy.com/)は,(株)GA technologiesが運営する不動産テック総合ブランドであり,不動産領域にテクノロジーを展開するための自社プロダクト群の総称である.その中でRENOSY SELL(https://www.renosy.com/sell)は,不動産の売買,特に売却に特化したWebアプリとして開発されたシステムであり,2020年1月現在,1都3県を対象にサービスを提供している.

前述のような不動産業界の状況を鑑み,情報の非対称性が解消された世界(図3)の実現を目指して始まったRENOSY SELLプロジェクトでは,売主側の希望価格での売却と買主側の適正価格での購買を迅速に実現するためのアプローチとして,「掲載量の最大化」と「透明性の高い売却活動」に取り組んでいる.第1に,売主が物件をより早く,より高く売るためには,なるべく多くの買主候補にリーチする必要がある.そこで,RENOSY SELLでは顧客の囲い込みを行わず,複数の不動産業者と連携し,掲載量の最大化を図ることで売買活動の不透明性を解消しようとしている.第2に,情報の非対称性が起こる原因として,業者間のやり取りが売主から見えないことが考えられる.そこで,RENOSY SELLでは業者間のやり取りをすべて公開し,透明性の高い売却活動を行っている.

RENOSY SELLプロジェクトが目指す透明性の高い不動産取引.図中のREINSは,国土交通大臣指定の不動産流通機構が運営・管理する不動産流通標準情報システムである
図3 RENOSY SELLプロジェクトが目指す透明性の高い不動産取引.図中のREINSは,国土交通大臣指定の不動産流通機構が運営・管理する不動産流通標準情報システムである

透明性の高い売却活動を実現する上では,価格査定の透明化が特に重要なポイントとなる.一般に,中古マンションの物件(部屋)を売却する際は,不動産エージェントが次のような工程を経て値付けを行う.

  1. 顧客からの問合せ(反響)
  2. 物件情報のヒアリング
  3. 物件パンフレット等の入手
  4. 訪問調査
  5. 周辺類似物件の調査
  6. 周辺地域の調査
  7. 価格査定書の作成

この工程は物件1件あたり数時間を要し,不動産エージェントにとって負荷の高い業務である.また,正確な価格査定には高度なスキルと豊富な経験が必要であり,属人性の高い業務でもある.不動産エージェント間の経験の差によって査定額にばらつきが生じてしまい,売主の納得感を得ることが難しくなるケースもある.一方,顧客の観点からも,価格査定に長い時間がかかることは問題となる.たとえば,売却を考え始めたばかりで,とりあえず概算価格を知りたいだけという温度感の低い顧客に対しては,エージェントによる時間をかけた対応が問合せ時の心理的ハードルになり得る.逆に,温度感の高い顧客に対しては,問合せへの回答に時間がかかることが機会損失につながっている可能性もある.

このように,不動産エージェントにとって価格査定は難易度と負荷の高い業務であり,また,顧客にとっても長時間を要する価格査定はスムーズな取引を妨げる要因となっている.RENOSY SELLプロジェクトでは,価格査定の迅速化が透明性の高い売却活動の実現に不可欠なテクノロジーであると考えた.そこで,AIによる即時自動査定システムを開発することで,顧客と不動産エージェントの双方にとって有益な,透明性の高い売却活動の実現を目指すこととした.

5.住所名寄せエンジンの開発

5.1 目的

不動産エージェントによると,物件の価格査定では,専有面積や築年数など物件そのものの属性に加えて,その物件が存在する立地,すなわち位置情報が重要な要素になる.弊社では住所と緯度・経度を紐づけたデータベースを住所マスタとして構築している.これにより住所から位置情報を得ることができるようになっている.しかし,取引の際に入力される新規の物件情報,特に自由入力形式の住所データや物件名は,入力者による表記ゆれが避けられない.たとえば,住所を入力する際に「東京都港区六本木3‐2‐1」と書く人もいれば「東京都港区六本木3丁目2番1号」と書く人もいる.もし住所マスタが前者で登録されていたら,後者の入力データからは位置情報が取得できない.

住所や物件名の表記ゆれは,アナログな体質である不動産業界が抱える大きな問題として認知されている.価格推定のようなデータ分析を行う際は,まず最初に表記ゆれを解決しなければならない.そこで,表記ゆれが起こっている場合にも正しく位置情報が取得できるように,入力情報を正規化する住所名寄せエンジンを開発した☆1☆2

5.2 方法

全文検索エンジンElasticsearch[11]を使用して,新規に入力された住所データと弊社が保有している住所マスタとの一致判定を行う.住所マスタは「都道府県」「市区町村」「区画(大字)」「区画(小字)」「丁目」「番地」「枝番1」「枝番2」「住所の緯度」「住所の経度」の10フィールドを持つ.ただし,住所において区画(小字)以下の情報が存在しない場合は値が空文字となっている.

Elasticsearchによる検索は2つのステップに分かれる.第1のステップでは,都道府県から区画(小字)までを対象とし,フィールドごとに文字列の先頭から前方一致で検索する.一致した場合,一致部分を先頭から削除し,次のフィールドの検索に移る.たとえば「東京都港区六本木」の場合,まず都道府県のマッチングを行い,一致した「東京都」を削除し,次に市区町村の検索に移る.なお,市区町村から区画(大字)までで一致しないフィールドがある場合はエラーとする.

第2のステップでは,丁目から枝番2までを対象とし,文字列から数字のみを抜き出して,可能性のあるすべての順列を検索する.たとえば「3丁目2‐1」の場合,[3,2,1]という数字のリストに対し,(丁目:’3丁目’,番地:’2’,枝番1:’1’,枝番2:'')と(丁目:'',番地:’3’,枝番1:’2’,枝番2:’1’)という2つの順列が考えられる.これらを,ステップ1で作成した(都道府県:’東京都’,市区町村:’港区’,区画(大字):’六本木’,区画(小字): '')と結合してそれぞれ検索し,ヒットした住所マスタのデータを取得する.区画に丁目の住所が存在する場合,その区画では番地から始まる住所は存在しないというルールに基づき,正しい住所であれば必ず1件の住所データがヒットする.

5.3 結果

開発した住所名寄せエンジンでAPIを構築し,社内システムで利用できるように展開した.このAPIを活用することで,「字」「大字」が含まれる住所や,「幡ヶ谷」「幡ケ谷」のような表記ゆれを正しく正規化し,対応する住所の緯度と経度が取得できるようになった.対象地域の住所を全数テストした結果,名寄せ失敗の頻度は163住所(0.15%)であり,実務上影響は少ないと考えた.

なお,弊社の事業展開の都合上,住所名寄せエンジンの対応地域は埼玉県,千葉県,東京都,神奈川県,愛知県,京都府,大阪府,兵庫県,福岡県である.また,RENOSY SELLアプリによって実際に検索される住所は,現在のところ価格推定エンジンの対象地域である1都3県に限られる.

6.価格推定エンジンの開発

6.1 目的

仕入れ・管理部門や営業部門に蓄積された売買価格や賃料,周辺のエリア情報など,弊社が独自に収集した不動産関係のビッグデータを元に,物件の売却価格を自動的に査定する価格推定エンジンを開発した.

予測精度を高めるには入力変数を増やすことが有効であるが,その手間によって顧客が離脱してしまっては本末転倒である.本開発では,顧客のデータ入力の負荷を極力減らすため,入力項目は「住所」「物件名」「総階数」「部屋の階数」「専有面積」「竣工年」に限ると営業側から指定された.このように変数選択の自由度が低いなか,少数の変数で精度よく推定できるエンジンを開発する必要に迫られた.

6.2 方法

6.2.1 データ

予測モデルを作成するためのデータセットとして,自社で運用している不動産賃貸・売買・投資等の取引システム内に保有している1都3県の物件情報データから「総階数」「部屋の階数」「専有面積」「竣工年」「ブランド」を抽出して使用する.このうち総階数と部屋の階数はカウントデータ,専有面積と竣工年は連続データ,マンションのブランドはカテゴリカルデータである.なお,不動産の経年による価格変動を考慮し,直近3年分のデータのみを分析対象とする.これらに加え,物件住所から取得した「緯度」「経度」と,国土数値情報[12]から取得した駅と市町村役場の位置情報も利用する.

最終的に予測モデルに利用した説明変数は,「緯度」「経度」「総階数」「部屋の階数」「専有面積」「竣工年」「ブランド」「最寄り駅」「最寄り駅までの距離」「最寄りの市町村役場までの距離」の10変数とした.これ以外の変数も検討したが,大幅な精度向上が見られなかったため,月次運用におけるメンテナンスコストを考慮し,実用に耐え得る精度を出す最小限の変数構成でモデリングを行った.

予測モデルに利用する10変数は,顧客が入力した「住所」「総階数」「部屋の階数」「専有面積」「竣工年」の情報から算出する.また予測モデルの目的変数は物件の平米単価である.

6.2.2 分析

使用した変数のうち,「最寄り駅」と「ブランド」をダミー変数に変換した.また,「総階数」と「部屋の階数」,「専有面積」と「総階数」,「専有面積」と「部屋の階数」,「最寄り駅までの距離」と「専有面積」,「最寄りの市町村役場までの距離」と「専有面積」の間には,それぞれ2次の交互作用項を仮定した.どの交互作用を仮定するかは,現場の経験則を重視し,ヒアリングに基づいて決定した.

以上のすべての変数を説明変数として,学習データからモデリングを行った.モデリングには線形回帰モデル,ランダムフォレスト,LightGBM[13]を利用した.最寄り駅データとブランドデータは,線形回帰モデルではOne Hot Encodingを,LightGBMとランダムフォレストではLabel Encodingを用いてコード化した.パラメータの調整はグリッドサーチを用いて行い,検証用データに対して最も良い予測となるパラメータを採用した.分析プログラムはPython3.6.9で記述した.分析に使用したマシンの性能は以下のとおりである.

  • CPU:Intel Core i7-8650U(8 CPUs)
  • メモリ容量:16384MB

6.3 結果

目的変数と説明変数を合わせて11変数のデータセットを無作為に8対2の割合に分割し,8割の方を学習用データ,2割の方を検証用データとした.

構築したモデルを検証用データで評価した結果を表1に示す.ここでRMSEは二乗平均平方根誤差 (root mean squared error) ,MERは誤差率中央値 (median error rate)である.MERは,各物件においてモデルが推定した価格と実際の価格との差の絶対値をその実際の価格で除した値の中央値であり,不動産分野において予測精度を表す指標として広く使われている.これらの数値を見る限り,LightGBMで構築したモデルの当てはまりが最も良く,全体的な説明力が高い傾向にあった.

表1 モデルの精度
モデルの精度

LightGBMによる予測結果を図4に示す.横軸が物件の実際の価格(平米単価),縦軸が推定価格である.基本的に良い予測を示していることが分かる.

LightGBMによる予測結果
図4 LightGBMによる予測結果

LightGBMでの分析結果における変数の重要度(importance)の上位10個を表2に示す.

表2 LightGBMにおけるimportance
LightGBMにおけるimportance

表2より,最も影響力の高い変数は専有面積と部屋の階数との交互作用であった.しかし,1番目から5番目のすべてに専有面積が表れており部屋の広さの重要性がうかがえる.さらに6番目に総階数と部屋の階数の交互作用,7番目に竣工年,次いで8番目に最寄り駅までの距離,9番目に最寄りの市町村役場までの距離,10番目に部屋の階数となった.

次に,エージェント査定とAI査定を比較する.本稿執筆時に弊社が取り扱っていた代表的な7件の物件に対し,不動産エージェントが第4章で述べた工程を経て個々に査定した価格をテストデータとしてモデルの検証を行った.結果を表3に示す.ここで,エージェント査定の上限と下限は,弊社所属の不動産エージェント4名がそれぞれ算出した査定額の上限と下限である.一方,AI査定の推定値はモデルによる予測結果の点推定値であり,下限はその0.9倍である.0.9倍とした理由は,不動産販売サイトに物件情報を公開した場合,1カ月以内に売却できなければ1割程度値下げすることが多いためである.

表3 エージェントとAI査定の結果の比較(万円)
エージェントとAI査定の結果の比較(万円)

表3を見ると分かるように,本稿執筆時に取り扱っていた代表的物件7件に対し,AIによる査定額の幅は不動産エージェントによる査定額の幅と重なっており,妥当な予測を実現したと言える.

6.4 考察

使用した3つのモデルのうち線形回帰モデルとランダムフォレストは実用に耐え得るレベルの精度を得られなかったが,LightGBMを利用したモデリングでは新規データにおいても実用に耐え得るレベルの良い予測ができていることが分かった.この結果を利用することで,価格査定の自動化を実現できる見通しを得た.

その一方で,平米単価が200万円を超えるような高級物件に関してはあまり良い予測ができなかった.これには3つの理由が考えられる.

  • 高級物件は取引件数が少ない.そのため,大量のデータに基づく機械学習が難しい
  • 高級物件はブランドによる付加価値の差や購入希望者・オーナの意向によって法則性のない値動きをする傾向がある.そのため機械学習による過去データからの予測が難しい
  • リノベーション等により,専有面積や築年数はそのままで価値が上がる場合がある.現状ではリノベーションの情報まで含めたモデリングができていないため,そのような物件に関しては正確な予測が難しい

以上により,高価格帯の高級物件に対する予測精度を高めるには,ブランドの情報をさらに充実させたり,変数を追加したりするなど,さらなる工夫が必要になると考えられる.

7.Webアプリの開発

7.1 システム構成

価格推定エンジンをエンドユーザが使いやすい形で提供し,透明性の高い売却活動を実現するため,フロントエンドとなるWebアプリを開発した.

Webアプリを含むRENOSY SELLシステムの全体構成と査定フローを図5に示す.まず,物件の売却価格を知りたい売主がWebアプリから物件情報を入力する(①).次に,WebアプリがAPI経由で価格推定エンジンを実行する(②).その際,住所名寄せエンジンによって表記ゆれが吸収される(③).結果として,図6のような査定結果画面がWebアプリに表示され,売主は即時に推定売却価格を知ることができる.

RENOSY SELLシステムの構成
図5 RENOSY SELLシステムの構成
RENOSY SELLの査定結果サンプル.物件名と住所は非開示
図6 RENOSY SELLの査定結果サンプル.物件名と住所は非開示

売主がRENOSY SELLを利用して査定を行った場合,入力情報と査定結果が不動産エージェントに通知される.不動産エージェントは,Slack[14]のチャットで通知を受け取り(⑤),基幹システムのデータベースに保存された情報を自社CRMツールで参照することができる(④).これにより,売主からの反響が社内で共有され,不動産エージェントは迅速に価格査定書を作成して顧客にアプローチできるようになった.

7.2 システム導入の効果

RENOSY SELLシステムを導入する以前,当社Webサイトには査定依頼フォームがあり,売却を検討している顧客がフォームに物件情報を入力して査定を申し込む形になっていた.申し込みを受けた不動産エージェントは,入力内容を見て見込み顧客を選別し,時間をかけて価格査定を行い,顧客に電話もしくはメールを返信する形でアプローチしていた.このため,1顧客あたりの獲得コスト(CPA)が高いことが問題だった.また,査定申し込みの心理的ハードルによりWebサイトからの離脱率が高く,機会損失が生じていた.

RENOSY SELLシステムの導入後,WebサイトにはAI査定フォームが設置され,顧客がサイト上で即時に価格査定を行い,有望な顧客には不動産エージェントが迅速に対応することができるようになった.導入後3カ月経過した時点で導入効果を測定したところ,CPAが36%減少,離脱率が6ポイント減少となった.このことから,RENOSY SELLシステムの開発が営業パフォーマンスの向上に大きく寄与したと考えられる.

システム導入後も,顧客の心理的ハードルをさらに下げるため,郵便番号から住所を自動入力するなど,Webアプリの使い勝手向上に注力している.

8.導入後の運営状況

2019年5月よりRENOSY SELLシステムの本格的な運用を開始し,マンションの売却に関する顧客反響獲得手段の1つとして活用している.また,顧客自身によるWeb経由での査定だけでなく,不動産エージェントが顧客と商談する際に査定価格を算出するための営業ツールとしても活用されている.RENOSY SELLによって算出された売却価格は,不動産エージェントの恣意性が除かれた客観的な価格になっていると感じる顧客も多く,査定価格の信頼性向上に寄与している.

物件の売却を担当する不動産エージェント以外に,たとえば投資案件を担当する不動産エージェント(投資担当エージェント)などもRENOSY SELLを活用している.投資に興味のある顧客の中には,自身が住んでいる物件を売却したい人もおり,その相談を投資担当エージェントが受けることがあった.しかし,投資担当エージェントは,その専門性の違いから不動産売却時の査定の仕方には詳しくない場合が多い.そのため顧客の1次対応が後手に回ってしまい,機会損失につながってしまうケースが多かった.RENOSY SELLの導入により,売却査定に詳しくない投資担当エージェントでもその場で簡便なAI価格査定を行って1次対応を実施でき,その後売却担当エージェントへスムーズに送客することが可能になった.その結果,機会損失を低減させることができた.このような顧客は,相談時点では売却の意思がなかったとしても,将来の売却を見越して試しに査定を行った潜在的な顧客として,長期的な目線でコミュニケーションを維持することが望ましい.このような長期的な顧客対応ができるようになったこともRENOSY SELL開発の成果として挙げられる.

9.今後の課題

RENOSY SELLの最大のメリットは迅速性にある.その長所を最大限に活かすため,今後は価格査定書の自動作成(RPA)までを視野に入れ,業務効率のさらなる改善を目指す.また,中古マンションだけでなく,土地や戸建て,オフィスなどを対象とした自動価格査定ができるように価格推定エンジンを拡張することで,事業領域の拡大に備える.同時に,事業地域の拡大に備え,住所名寄せエンジンの精度をさらに向上させるため,表記の揺れ方を研究し,名寄せ辞書を地道に拡張していくことも必要である.さらに,マンションに関する詳細な情報をもつデータベース(マンションマスタ)を整備し,入力されたマンション名からさまざまな情報を取り出して価格予測モデルに組み入れていく予定である.

運用が始まってから明らかになった問題としては,価格推定エンジンの計算速度が挙げられる.現状では物件1件あたり平均3.5秒~4秒程度の計算時間を要するが,ユーザ体験の観点からは2秒以内にレスポンスが返ることが望ましい.データの前処理の並列化など効率的な計算方法を工夫し,レスポンスタイムの短縮を図るべきである.システム開発の最終目的が顧客体験の向上であることは言うまでもないが,データ分析を担当する研究者は精度を上げることに注力しがちである.高い推定精度と優れたユーザ体験を両立し,なおかつ,メンテナンスが容易で運用しやすいシステムを設計・開発するべく,今後もプラクティスを積み上げていきたい.

10.まとめ

本稿では,不動産業界が抱える特有の問題の1つである情報の非対称性に焦点を当て,その解決を目指す取り組み「RENOSY SELL」を紹介した.情報の非対称性の問題とは,一般顧客と不動産業者との間で入手できる情報に大きな格差があり,顧客にとって不利な条件の下で意思決定を迫られてしまう状況を指す.RENOSY SELLは,適正価格での不動産売買を通じてこの問題を解決することを目指した.その取り組みの1つとして,本稿では売却価格の自動査定システムの開発を通じて得られたプラクティスを紹介した.

売却価格の自動査定は情報の非対称性を解消するための第一歩にすぎない.今後も不動産業界の現代化を目指し,PropTechの各領域でさまざまな施策を展開していきたい.そして,不動産売買における顧客への透明性を高め,不動産流通のさらなる活性化に寄与し,顧客体験が最大化された世界の実現に貢献していきたいと考えている.

謝辞 本稿の作成において,営業側からの貴重なご助言をいただきました君島徹氏,宇佐美由希氏,システムエンジニアとして開発支援いただきました佐藤直之氏,浅野雄氏,遠地等一氏,山下佳祐氏,AI開発に尽力いただきました稲本浩久氏,査炳然氏,佐橋広也氏,RENOSY SELLプロジェクトのプロジェクトマネージャとして全体を統括した平田貴朗氏,その他多くの関係者の皆様に深謝いたします.

参考文献
脚注
  • ☆1 他社APIサービスの利用も検討したが,用途・価格・システム連携の観点で検討した結果,自社開発を選択した.
  • ☆2 本稿では,物件名の表記ゆれ対策については割愛する.
福中公輔(非会員)k_fukunaka@ga-tech.co.jp

(株)GA technologies,AI Strategy Center.早稲田大学大学院文学研究科人文科学専攻博士後期課程単位取得後退学.博士(文学).専門は統計学,データ解析,テスト理論.不動産や金融関連データを分析し,AIを活用した新規サービス立案とビジネスの効率化等に従事.

橋本武彦(非会員)t_hashimoto@ga-tech.co.jp

(株)GA technologies,AI Strategy Center.国立大学法人電気通信大学 客員准教授.帝京大学文学部社会学科卒業.専門はデータ分析.PropTech(不動産テック)をはじめとしたReal×TechのX-Tech領域におけるAI・データ活用の啓発やデータサイエンティスト・AI人材の育成に従事.

橋本明広(非会員)a_hashimoto@ga-tech.co.jp

(株)GA technologies,LIFE-DESIGN Division Ⅲ.早稲田大学政治経済学部卒業.ソニー不動産(株)での売却専門のエージェントの経験を活かし,RENOSY SELLプロジェクトの売却エージェントとして営業を担当.

栗田一生(非会員)k_kurita@ga-tech.co.jp

(株)GA technologies,Product Development Division.上智大学大学院法学研究科法律学専攻博士前期課程修了.修士(法学).(株)GA technologiesに新卒入社.システムエンジニアとしてWebアプリ「RENOSY SELL」の開発に従事.

三田匡能(非会員)m_mita@ga-tech.co.jp

(株)GA technologies,AI Strategy Center.立教大学経済学部卒.(株)GA technologiesに新卒入社.データサイエンティストとして価格推定エンジンとそのAPIの改善に従事.

採録決定:2020年4月27日
編集担当:藤原一毅(国立情報学研究所)

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