九州工業大学では2014年9月に全学ネットワークの更新を行い[1],[2],[3],IEEE 802.11ac[4]に対応した無線LAN環境を導入した.当初は253台のAPが稼働していたが,講義室を中心に増設を行い,2019年度初めには368台まで増加した.
しかし無線LAN環境は大きく変化しており,エリアの拡大による接続性向上だけでなく,講義中の通信帯域の確保や不要通信の制限,学科の学生用実験のため特定の実験室で指定した端末のみ接続を許可する個別SSID(Service Set IDentifier)の設定など,要求は多様化している.特に2018年からは本学情報工学部で,2019年からは工学部でBYOD(Bring Your Own Device)の導入が始まっており,円滑な講義運営を目指してチャネルボンディングによる増速[5]を図るなど,5年前とは運用環境は大きく変化した.
こうした状況の中,2019年9月の全学ネットワーク更新に向けてAP(Access Point)の機材選定や新規設置場所,既存基地局の置き換えなどを検討するためには,既存無線LANの利用動向調査が必要である.そこで本稿では,2014年9月から2018年度までの本学の無線LAN利用動向について調査した.具体的には,年度ごとの利用者数や端末数,1人あたりの利用端末数などに加えて,各年度に入学した学生の学年進行に伴う利用動向や,BYOD導入前後で利用に変化があるか等を調査した.そしてその調査結果を本学無線LANシステムの設計指針と照らし合わせて課題を抽出し,課題解決のために5つの改善策,(1)平均利用端末数の増加を見越したAP増設,(2)稠密環境への対応を考慮したIEEE 802.11axの導入,(3)トラフィック増に対応するための有線側の増速,(4)費用対効果に基づくAP機材選定,(5)講義に直接関係しないトラフィック制御,を新無線LANシステムで実施し,その効果を明らかにした.
九州工業大学にはキャンパスとして北九州市戸畑キャンパス(工学部),若松キャンパス(大学院),飯塚市飯塚キャンパス(情報工学部)がある.ネットワークの対外接続には全国の高等教育機関や研究機関の学術情報基盤として,国立情報学研究所が整備した学術情報通信ネットワークであるSINETを利用しており,戸畑キャンパスからSINET,および各キャンパスまでQTNet社が提供するダークファイバで接続されている.その回線速度は戸畑とSINET,および戸畑と飯塚間は40Gb/s,戸畑と若松間は10Gb/sである.SINET接続点と各キャンパスの出口にはファイアウォールを設置し,各キャンパスの幹線網は40Gb/sで構築している.キャンパス内の各建屋までは規模に応じて10Gb/sないし1Gb/sで接続しており,部局ごとにファイアウォールに収容されている[1].一方,無線LANのコントローラはキャンパス間を接続するSwitchに10Gb/sで接続され,トラフィックは端末からAPと幹線網を経由してコントローラに到達し,ファイアウォールを経由してSINETまたは学内へと転送される[2].本章では,本学における無線LANの設計指針,2014年導入当初の無線LANシステムの概要,および導入後の拡張について述べる.
これまで無線LANの整備は学内における円滑な教育研究活動を支援することを目的に,(1)利用エリアの拡大,(2)端末収容数の増大への対応,(3)講義運営を妨げない通信環境の提供,(4)費用対効果を考慮したAPの設置,という設計方針にしたがって進めている.以下,各指針について述べる.
次節以降で本学の無線LANシステムの概要と,2014年9月から2019年3月までに実施したAP増設等のシステム拡張,無線LANの利用形態に変化について述べる.
本学の無線LANの接続を図1に,導入当初の主な使用機材を表1に,設定しているSSIDを表2に示す.Aruba Networks社(現Hewlett Packard Enterprise社)の無線LANコントローラ7210[8]を戸畑・飯塚両キャンパスに設置し,それぞれのキャンパス間Switchと10 GBASE-SRで接続している.耐障害性向上のためコントローラ間で冗長構成を組み,障害発生時やコントローラOSの更新時は片方のコントローラで通信を継続できるようにしている.コントローラそのものの障害は幸いにして発生していないが,これまで7回実施したコントローラのOS version up期間中,片方のコントローラに全APを収容させ,version up中に全通信が停止することを避けることができた.なお,若松キャンパスのAPは戸畑キャンパスのコントローラにL2を延伸して収容している.各APとの接続には基本的にPoE Switchを使用し,複数台のAP設置が見込まれない個所はPoEインジェクタを用いた.
APはIEEE 802.11ac Wave1に対応したAP-225と,飯塚キャンパスでグランド向けに使用したAP-175で運用を開始した.APの拡張については2.3節で述べる.コントローラとAPの管理には,統合管理ソフトウェアであるAirWave[9]を用いている.AirWaveはコントローラから情報を収集して接続履歴や端末情報などをGUIで提供する.
SSIDは全キャンパスで学内用を2.4GHzと5GHzそれぞれで1つ,学外者用とeduroam[10]を2.4GHzで提供している(表2).接続後のネットワークセグメントとしては,戸畑・若松キャンパスと飯塚キャンパスにそれぞれクラスCを16個(最大端末数4094),eduroamと学外者用にそれぞれクラスC(最大端末数253)を1個準備した.学内の利用者は,2.4または5GHzのSSIDを選択後,自身の学内統合IDによるIEEE 802.1X認証を経て無線LANに接続する.一方,学外利用者には申請に応じてアカウントを発行し,コントローラが提供するWeb認証により無線LAN接続を提供している.また若松キャンパスではキャンパス全体に,飯塚キャンパスでは要望があった学科の実験室に個別のSSIDを設定しており,それぞれの状況に応じた認証により無線LANへ接続している.なお,同時接続端末数の制限や端末種別に基づく接続制限は設けていない.
本節では,導入後の拡張について説明する.まず各年度ごとのAP数を表3に示す.表1より2014年度の導入当初のAP台数は253台であったが,2014年度の最終的な設置台数は281台となった.この増加は主に,指針(1)利用エリアの拡大を念頭にそれまで独自に無線LANを運用していた学科に,全学無線LANへ移行することで運用管理負担の軽減や,同一アカウントでキャンパス内無線LANの利用が可能となることを積極的に紹介した結果,飯塚キャンパスの1学科が年度末の情報システムリプレースに合わせて全学無線LANに移行することになったためである.追加APには更新前の無線LANシステムで使用していたIEEE 802.11n対応のAP-105を活用した.
2015年度は指針(2)端末収容数の増大への対応を念頭に利用動向を調査し,戸畑キャンパスの生協や飯塚キャンパスの500人講義室など,設置台数に対する利用者数が非常に多かった個所にAPを増設した.また飯塚キャンパスでは,有線ネットワークの延伸が困難な駐輪場まで防犯カメラ用ネットワークを延伸するため,屋外用APも設置した[11].さらに年度末には飯塚キャンパスの他学科の情報システムリプレースで全学無線LANへの移行が行われ,学科の会議室や実験室,研究室付近を中心にAPを設置した.その結果,2015年度は大幅に設置台数が増加し326台となった.
2016年度は前年度末にAP増設が集中した一方,利用エリアを拡大できるような建屋の改修や情報システムのリプレースがなかったため,年度で区切ると微増にとどまった.続く2017年度は2018年度から飯塚キャンパスで,2019年度から戸畑キャンパスで開始されるBYOD導入に向けて,戸畑,飯塚両キャンパスの端末講義室(有線で接続され端末が設置されている.現在はBYOD導入前に入学した学生を対象に主に情報系の講義が行われている.将来的には端末は撤去予定)に,より高速なWave2対応のAP-330を導入した.また2017年度も飯塚の別の学科で全学無線LANへの移行が行われ,実験室や会議室を中心にAPを増設した.さらに,防犯カメラによる監視個所が増えたため,屋外用APを1個所増やしている.
2018年度は飯塚キャンパスで今後BYODを活用した講義が想定される講義室を中心に,Wave2対応のAP-305を追加設置した.また,若松キャンパスでは建屋から少し離れた倉庫で無線LANを使用して棚卸作業を行いたいとの要望が寄せられたため,管理部局と協議してAPを1台新設した.以上の拡張により,当初253台だったAP数は約1.5倍の368台まで増加している.ここで図2に,2019年3月時点の各キャンパスに設置しているAPの種別と台数をまとめた無線LAN構成図を示す.
なおBYODへの対応については,2.1節の設計指針(3)講義運営を妨げない通信環境の提供で触れたように,2017年度に行ったAP増設に加えてチャネルボンディングによる高速化も検討した.まずチャネル幅と接続端末数を変化させながらスループット特性を調査し,電波干渉が少ない個所ではチャネルボンディングによる効果が見込まれることが分かったため[5],特に個人端末の利用が想定される講義室で干渉波が少ないことを確認後,チャネルボンディング(40MHz)を設定した.
また,屋外用APではメッシュ接続を採用している[11].見通しや電波環境など,現地での調査に基づきAP間は5GHzで接続し,枝側の防犯カメラとAPはPoE Switchに収容するとした.また枝側の一部のAPは費用節約のため屋外専用APではなく,図3に示すプラスチック製ボックスの中に余剰機材であるAP-105を設置した.AP-105の動作温度範囲は0~50度であり屋外設置のため夏場の熱暴走を懸念していたが,過去2年間では特に問題なく稼働している.一方,PoE Switchは何度か熱が原因だと思われる不調が発生しており,対策を検討中である.
本章では最初に本学における無線LANの利用形態の変化について説明し,続いて無線LANコントローラが出力するlogを使用して調査した,2014年9月から2018年度末までの利用動向について述べる.無線LANコントローラは端末が無線LAN接続に成功すると,logに時刻と接続先AP,SSIDとユーザ名,MAC addressを記録する.このlogから無線LANに接続後にDHCPにより適切なIP addressを取得したもののみを抽出した.そしてこの情報を元に,2014年9月1日から2019年3月31日までの4年半にわたる利用状況を分析した.最初に年度ごとの利用者数と接続端末数を通して全体の傾向を述べる.その後,平均利用端末数や接続AP数,平均接続利用者数等の変化を年度ごとに確認し,最後に学年進行に伴う学生の利用動向の変化について調査した.
BYOD導入前は,戸畑と飯塚キャンパスに端末講義室(約100台規模)が2教室ずつ設置されており,有線LANで接続された端末を利用して主に情報系の講義が行われていた.講義がない時間帯は解放されており,学生は空いた時間に端末を自由に利用することができたが,端末講義室の稼働率が高かったため,利用しづらいとの声が寄せられていた[12].一方で,学生の自主学習スペースとして2014年にはラーニングアゴラが飯塚キャンパスに,未来型インタラクティブ学習棟が2015年に戸畑キャンパスに開設され,開設と同時にAPも新設された.また,2004年からe-ラーニング事業推進室が学習管理システムとしてMoodleを提供してきたが[6],[7],2012年には学習教育センターが発足し,講義におけるMoodleの利用環境が強化された.これらの整備により,学生は自由な時間に自身のノートパソコンを無線LANに接続してMoodleにアクセスし,講義の予習復習やレポート課題に取り組むことができるようになった.
こうした状況に加えて,ノートパソコンの性能が情報系科目へ適応できるほど向上してきたことなどから,2018年度から飯塚で,2019年度からは戸畑でBYODが導入されることになった[12].この導入に合わせて,各キャンパスの端末講義室のうち1つは端末が撤去され,BYODを前提とした講義室としてAPの増設や電源の確保などの更新が行われた.なおBYOD導入後の新入生の端末用アカウントは無効になっており,もう1つの講義室の端末もBYOD導入前に入学した学生の進級にしたがって将来的には撤去される予定である.
年度ごとのユニークな利用者数と接続端末数の変化を表4に示す.表4より,2014年から2018年までで無線LANの全利用者数は約2.5倍,接続端末数は2.9倍に増加している.2.3節よりAPは導入当初と比較して1.5倍に増設したが,それ以上に無線LAN利用が浸透していることが分かる.実際,表4より2018年度の学内用SSIDの利用者数は6,536であるが,本学における学生,教職員の合計は約6,700名程度なので,ほとんどの学生・教職員が利用していることが分かる.
また,全接続端末数を全利用者数で割った平均利用端末数は,年度ごとに大きな変化はなく,約2台となった.神戸大学の利用事例[13]では約1.5台と報告されており,比較して数が多い.この点は3.3節でさらに詳細に述べる.
次に,2014年9月から2019年3月までの月ごとの平均利用者数を図4(a),平均利用端末数を図4(b)に示す.図4(a),(b)より,利用者数,接続端末数は毎年新年度が始まる4月に前年度よりも飛躍的に増加し,長期休暇期間である8,9月と,学生が卒業して新年度に切り替わる3月に減少していることが分かる.この新年度に利用者が増加し,長期休暇期間に減少する傾向は神戸大学[13]と同じであるが,神戸大学では8,9月の利用者が20から30%程度減少するのに対して,本学では約10%以下(図4(a)の8,9月でへこみが見られる部分)であり,減少割合が比較的少ない.キャンパスの立地条件や学期制(本学は第2クオータの講義が8月前半まで続く),APの設置位置にも関係するが,本学では通年で無線LANを利用していることが分かる.
また両図を表3と比較すると,APの増設により利用者数と接続端末数は確実に増加していることが分かる.ここで表3は年度ごとのAP増設数をまとめているが,年度末に増設したAPの実質的な利用開始は翌年度になる点に注意が必要である.たとえば2016年度のAP増設数は3台(約1%)と少ないように見えるが,実際には2015年度末の2016年3月に学科リプレースに伴い約30台のAP増設が行われている.実質的な利用開始は学生が休暇から戻ってきた翌2016年4月からであり,利用者数は約30%の増加が見られている.
また,図4(a),(b)より戸畑キャンパスと飯塚キャンパスを比較してみると,導入当初はほとんど同じであったのが,利用者数は2015年9月頃より,利用端末数は2016年9月頃より戸畑キャンパスの方が多くなっている.もともと,学生数は戸畑キャンパスの方が約1.3倍多いが,無線LANの利用は情報工学部が設置されている飯塚キャンパスの方が先に進んだことが分かる.一方,工学部が設置されている戸畑キャンパスは,2014年度末から2016年度にかけて学生の利用が見込まれるインタラクティブ学習棟や講義室を中心にAPを増設したことなどから,2015年以降は利用者を順調に増えている.なお,2018年4月から若松キャンパス用SSIDの利用が減少しているが,これは同月から学内用SSID(全学用)が若松キャンパスでもサービスを開始したためであると考えられる.
本節では平均利用端末数や接続AP数,平均接続利用者数等について利用動向を述べる.
ここまでは年度や月ごとの利用者数や接続端末数を見てきた.しかし,学生の無線LAN利用は各学年のカリキュラムや学習施設の整備状況によって変化すると考えられるため,本節では学年進行による利用の推移について述べる.
最初に現無線LANシステム整備後の2015年から2018年について,各年度の新入生の学年進行に伴う学内用SSIDの利用率を図11(a),(b)に示す.両図中,線で図示しているのは各年度1年生の利用率である.両図より,1年生の利用率は,2015年は戸畑キャンパスで80%,飯塚キャンパスで92%であったが,2017年には両キャンパスで利用率が98%を超え,2018年は戸畑キャンパスで99%,飯塚キャンパスは100%となった.また,両キャンパスで2年生までは利用率は上昇するが,その後は現状維持か少し低下している.これは休学による未利用や,4年生になると配属された研究室の無線LANを利用しているためだと考えられる.
次に,各年度新入生の平均利用端末数の遷移を図12(a),(b)に示す.図12(a)より,戸畑キャンパスでは利用端末数が2年生で減少し,その後3,4年生で上昇することが分かる.一方,図12(b)より飯塚キャンパスでは,平均利用端末数は2年生ではそれほど大きく変化せず,3,4年生になると増加することが分かる.こうした変化は講義やレポートでの個人端末の活用機会が学年ごとに異なるためであると考えられる.
キャンパス間を比較すると,飯塚キャンパスは情報系の講義が多くほとんどの学生がノートパソコンを持参してレポート課題等に活用しており,平均利用端末数も2台近い.一方,戸畑キャンパスは1年生の平均利用端末数は1.4台で,学年進行してもそれほど増加していない.しかし,2019年からは戸畑キャンパスでもBYODが始まるため,飯塚キャンパスと同じ増加が見られると予想される.
本章では,調査した利用動向と第1章で述べた設計指針を照らし合わせ,既存無線LANシステムにおける課題を述べる.
無線LANの利用率より,利用エリア拡張の必要性について分析する.まず教職員や学生を含めた全体(約6,700名)の利用率は表4の学内用SSIDの利用者数より2014年度は約30%であったが,2018年度にはほぼ100%に達している.
新入生に限定すると,図11より2018年の利用率は戸畑キャンパスで99%,飯塚キャンパス(BYOD導入初年度)は100%であった.さらに図9より曜日ごとの利用の偏りはほとんどないので,無線LANは学内の広い範囲で定常的に利用されていることが分かる.よって,指針(1)より利用エリアを拡大するためにAP増設を進めた結果,教職員や学生が滞在するほとんどのエリアで無線LANに接続する環境を提供できていると考えられ,新無線LANシステムでは利用エリアの拡大よりも,次節で述べる接続端末数の増加への対応の方が優先度が高いと判断できる.
図12より2015年の新入生の平均利用端末数は戸畑キャンパスで約1.4台,飯塚キャンパスで約1.7台であったが,BYODが飯塚キャンパスで開始された2018年には戸畑キャンパスで約1.5台,飯塚キャンパスで約1.8台と増加している.2015年度でも平均利用端末台数は1を超えているが,これは3.3節で述べたようにBYOD導入前でも多くの学生がスマートフォンに加えて個人のノートパソコンを学内無線LANに接続して利用していたためである.BYOD導入後の飯塚キャンパスで平均利用端末数が約1.8台であること,そして戸畑キャンパスでも2019年度からBYODが開始されることから,今後学年が進行していくにつれ1人が利用する平均利用端末数は約2台(図5より2018年における学内用SSIDの平均利用端末数は約1.7台)になると考えられる.現状では1台のAPの収容端末数は30~60台[5]を想定してAPを設置しているため,場所によっては設計以上の端末接続が発生していることになる.よって新無線LANシステムではAPを増設して最大同時接続数を緩和しなければならない.
要求される通信品質は講義によって異なるため,ここでは講義に必要な通信品質をSD画質(3Mb/s)での動画視聴(本学語学系講義での利用)と仮定した.先行調査[5]では周囲のAPの電源を落として電波干渉をできるだけ排除した講義室に4台のAPを設置した場合,90台の端末の平均スループット特性は約3Mb/sであり,条件を満たすことができた.しかし,各キャンパスの講義棟でAPは密集して設置されており,その隣接AP数は10台を超えている場合も少なくない.こうした環境で多数の端末が一斉に通信を行うと相互干渉により実効スループットは3Mb/sを下回ると考えられる.よって,単純なAP増設は通信品質の改善策としては不十分である.
加えて前節で指摘した端末収容数の増大に対応するために講義棟のAPを増設すると,収容するSwitchで合計トラフィックが1Gb/sを超えてしまい,上流Switchとの間でパケット廃棄が発生してしまう可能性がある.よって指針(3)円滑な講義運営を妨げない通信環境を提供するためには,APとPoE Switch間,およびPoE Switchと上流Switch間の増速(IEEE 802.3bzやLink Aggregation,10Gb/s化等)が必要である.さらにBYOD導入後,個人端末を使用する新入生の最初の講義でWindows Updateのトラフィックが無線LANの通信帯域を使い尽くしてしまい,講義に必要な通信が妨げられる事象が発生した☆2.また講義中でもゲームや動画閲覧を行う学生も一部存在する.全学年がBYOD導入後に入学した学生になると,こうした不要トラフィックが講義に与える影響も深刻化すると予想されるため,トラフィック制御を行う必要がある.
表3に示すとおり,2018年度末の時点でAPは368台である.予算の都合上,すべてのAPをIEEE 802.11ax対応の最新モデルに更新することは現実的に不可能であり,指針(4)費用対効果の検討が必要である.また図2に示すとおり,現在の無線LANシステムのAPは収容可能な端末数やアンテナ数が異なる機材で構成されているため,新機材に置き換えた旧機材は図8から1日あたりの接続数を参考に性能に見合う個所に置き換える必要がある.とりわけ,既存無線LANで運用しているAP-105(36台が稼働)はHPEより2020年8月にサポートを終了することが発表[17]されているため,新無線LANシステムではすべて置き換えなければならない.
第4章では2.1節で示した設計指針に対する既存無線LANシステムの課題について示した.本章ではこの課題を解決するために新無線LANシステムで実施した5つの改善策について述べる.
この改善策にしたがって2019年8,9月に新無線LANシステムへの更新を行った.次節以降で各改善策について述べる.
4.2節で述べたように,今後は1人の学生が使用する端末数は2台を想定する必要がある.よって設計指針(2)端末収容数の増大への対応のために,新システムでは個人端末の活用が見込まれる講義室で講義室定員の2倍程度の端末収容を考慮したAP増設を行った.既存無線LANシステムでは1台のAPの収容端末数は30~60台[5]を想定していたため,ほとんどすべての講義室でAPを増設した.また,表5より講義室以外でも利用者数が多い個所にはAPを増設した.具体的なAPの増設候補としては,図7(b)より接続した平均利用者数が80人(2018年度,飯塚キャンパスの平均接続利用者数)以上であり,移動経路上にあるものを除いた個所とした.この増設により,1台のAPあたりの同時接続数を低減することができた.
こうしたAP増設は1台あたりの端末収容数の緩和に効果的であるものの,端末には常に多数のAPの電波が届く状態となり,図7(a)の2017年度に観測されたような端末の複数AP間の振動を引き起こす可能性がある.そこで新無線LANシステムでは端末の切替を定期的に調査し,振動の発生が確認され次第電波調整を手動で行うようにした.なお,現在までのところ,振動の発生は確認されていない.
前節ではAPの増設について述べたが,単純に既存規格(IEEE 802.11ac)のAPを増設すると,4.3節で指摘したようにAPが密集しているエリアではチャネル間の干渉により通信特性は低下してしまう.そこで新システムでは指針(3)講義運営を妨げない通信環境を提供するために,講義棟などAPが密集しているエリアには稠密環境での通信を考慮しているIEEE 802.11axを導入した.現時点ではIEEE 802.11axに対応するノートパソコンやスマートフォンは限られているが,今後の普及に伴い,改めて通信品質を確認し調整を行っていく予定である.
先行調査[5]で2×2MIMOを有する端末のスループットを計測したところ,チャネル幅が20MHzで105Mb/s,40MHzで197Mb/sであった.この結果からチャネル幅が20MHzであれば10台,40MHzであれば6台以上のAPを収容したSwitchは,上流との通信が1Gb/sを超える可能性がある.実際,講義棟などAPが集中している個所ではPoE Switchが10台以上のAPを収容しており,何らかの方法で増速しなければ有線側でのパケット廃棄により通信品質の低下が生じる可能性がある.
そこで指針(3)講義運営を妨げない通信環境の提供を行うために,新システムでは有線側の増速を検討することにした.具体的には,PoE SwitchにおけるAPの収容台数が多い個所で以下の2点を調査した.
調査の結果,講義棟などを中心に10Gb/sに対応した光ファイバを数カ所新設し,上流Switchと10GBASE-LRMまたは10GBASE-SRで接続して10Gb/sへ高速化した.また,APを新設する個所はCategory 6で配線した.こうした増強により,有線側でパケット廃棄による通信品質の低下が発生する可能性を低減することができた.
4.3節で述べたように,BYOD導入後,講義に直接関係しないトラフィックによる無線LAN帯域の占有が生じた.そこで新システムでは指針(3)講義運営を妨げない通信環境の提供を行うために,上述した増速や増設による通信帯域の確保に加えて,講義運営には直接関係しないトラフィックの帯域制御も実施している.ここで端末の利用方法として,電子教材をスマートフォンで閲覧しながらノートパソコンでプログラミングするといった端末利用がなされているため,帯域を制限するための同時接続端末数の制限や端末種別による接続制御は現実的ではない.
一方で無線LANへの接続は図10よりスマートフォンからの接続が約半数を占めている.そこで講義用の無線LAN SSIDを新たに準備し,講義運営に直接関係しないスマートフォン向けのゲームや動画配信サービス,OSやアプリケーションアップデート等のトラフィックの帯域を制限することで,講義に必要な通信容量を確保することにした.具体的には無線LANコントローラとファイアウォールでゲームや動画配信サービスは全時間帯で禁止した.またOS更新トラフィックは接続を遮断すると挙動に問題が生じることが判明していたため,週中の1~5限目までの時間帯に全体で1~10Mb/s程度になるように帯域を制限している.このトラフィック制御により,講義中の無線LANが不要トラフィックで占有されてしまうことを防ぐことができるようになった.しかし新たなゲームやサービスは次々と登場してくるため,制御内用は随時見直している.
導入するAPの機材選定について述べる.予算の都合上,すべてのAPをIEEE 802.11ax対応の最新モデルに更新することは困難である.また,4.4節で述べたように既存無線LANシステムには2020年にサポートが終了するAP-105が36台含まれているため,機材交換が必要となる.
そこで指針(4)費用対効果を考慮したAPの設置を行うため,新システムでは第3章で調査した表5の結果に基づいて機材を選定した.具体的には稠密環境に対応するIEEE 802.11ax対応APはノートパソコンを活用した講義が予想される講義棟や,多くの学生が利用する福利施設などを中心に導入した.一方,稠密環境ではなく接続端末数が少ないAPは最新規格IEEE 802.11axの必要性は低いため,まずは図8から1日あたりの接続人数が20人以下であるAPを抽出した.そしてその中から設置場所の性質(講義や自主学習,会議への影響など)を調査し,学会開催に利用されるホールなど定常的な利用は少なくとも同時接続数は多く重要度が高い個所は除外した.残った個所にAP-105設置個所を加えた後,IEEE 802.11ax対応APへの交換で発生した旧機材であるAP-225を割り当てるとした.割当後に不足分が発生する場合は,IEEE 802.11acに対応し中密度以下の端末収容を想定した,より安価なAPを予算規模に応じて導入している.このように費用対効果を検討しながら機材選定を進めた結果,予算の範囲内に収めつつ全APをIEEE 802.11ac対応機材にすることができた.
本稿では2014年9月に利用を開始した本学の無線LAN利用動向について報告した.2018年までの5年間で利用者数は約2.5倍,接続端末数は約2.9倍に増加していた.さらに詳細な利用動向を見ると,1人あたりの平均利用端末数は2018年時点で1.7台,1台のAPに対する平均接続利用者数は戸畑キャンパスで約75人,飯塚キャンパスで約89人であった.学年進行による利用動向では,利用率はほぼ100%であるが,平均利用端末数は学年によって異なることが分かった.また,BYODが2018年に始まった飯塚キャンパスでは,平均利用端末数は1.8台であり,多くの学生が接続端末の半数を占めるスマートフォンとノートパソコンの2台を利用していることが分かった.以上の知見より,2019年度からは戸畑キャンパスでもBYODが始まることを考慮すると,新システムでは次の運用期間である5年の間に総接続端末数が大幅に増加しても対応できるようなAP増設および有線側の増速と,稠密環境での通信品質を考慮しているIEEE 802.11axの導入が必要である.また,こうした機材面での増強だけでなく,不要な通信の帯域を制限することで,講義に必要な通信品質を確保する必要性についても指摘した.すでにこの指針に沿って新無線LANシステムを導入しており,今後は帯域制限やチャネル幅の設定などによる安定稼働に向けた運用管理を行っていく予定である.
謝辞 本研究は JSPS 科研費 JP20K11769 の助成を受けたものである.また,本稿をまとめるにあたっては本学飯塚キャンパス技術部職員の冨重秀樹氏に協力いただいた.ここに謝意を表す.
九州工業大学情報基盤センター准教授.ネットワークセキュリティ基盤運用室兼任.2005年九州工業大学情報工学研究科博士後期課程修了.博士(情報工学).情報ネットワーク,無線LANに関する研究に従事.IEEE,電子情報通信学会各会員.
中村 豊(正会員)yutaka-n@isc.kyutech.ac.jp九州工業大学情報基盤センター教授.ネットワークセキュリティ基盤運用室長兼任.2001年奈良先端科学技術大学情報科学研究科博士後期課程修了.博士(工学).インターネット計測技術,ネットワーク運用技術,ネットワークセキュリティに関する研究に従事.電子情報通信学会会員.
佐藤彰洋(正会員)satoh@isc.kyutech.ac.jp九州工業大学情報基盤センター助教.ネットワークセキュリティ基盤運用室兼任.2011年東北大学大学院情報科学研究科博士後期課程修了.博士(情報科学).ネットワーク運用技術,ネットワークセキュリティに関する研究に従事.電子情報通信学会会員.
和田数字郎(非会員)swada@isc.kyutech.ac.jp九州工業大学飯塚キャンパス技術部技術専門職員.ネットワークセキュリティ基盤運用室兼任.2003年九州芸術工科大学大学院芸術工学研究科博士前期課程修了.修士(芸術工学).ネットワークの運用に関する業務に従事.
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