デジタルプラクティス Vol.11 No.2(Apr. 2020)

デジタル・トランスフォーメーション(DX)推進のための人材,組織,プロジェクト体制
~伝統的日本企業における組織文化と人材の育成~

成迫 剛志1

1(株)デンソー 

日本企業におけるDX推進に関しては,東京証券取引所による「攻めのIT経営銘柄」や経済産業省が作成し公表したDX推進ガイドラインおよびDX推進指標,独立行政法人情報処理推進機構(IPA)によるITスキル標準(ITSS)およびDX領域に向けた学び直しの指針であるITSS+など,大企業がDXを推進するための指針となるものが策定・公表されている.しかしながら,それらは,組織論や人材育成論,プロジェクト推進手法など個々の領域に対するガイドとなっているものの,実際の企業活動におけるプロジェクトに当てはめての検証までは至っていないのが現状である.本稿では,日本の伝統的大企業におけるDXプロジェクト推進を実践した経験から,DX推進のための人材,組織,プロジェクト体制に関する課題と対処法について考察する

1.はじめに

近年,デジタル・トランスフォーメーション(DX)の必要性が指摘され,日本の伝統的企業においてもようやくDXへの取り組みが始まりつつある.それに伴い,さまざまなDX推進のための組織論,方法論,人材論などが注目され,また書店においてもDX関連書籍が多数並んでおり,幅広く読まれているようである.本稿では,実際にそれに近いプロジェクトを推進してきた経験をもとに,より焦点を絞った具体的な人材,組織,体制について考察する.

2.DX(デジタル・トランスフォーメーション)の必要性

神岡太郎氏が著書『デジタル変革とそのリーダーCDOチーフデジタルオフィサー』[1]の中で,現代を「情報カンブリア時代」と表現している.「インターネットの出現により,異なる情報・知識・人がこれまでにない規模で接触し,相互作用する時代」「その相互作用によって,新しい価値や知識,組織や活動の仕方などを生もうとする大実験の時代になって居る.」と述べている.さらには,「デジタルは利用者を『現実世界の制約から解放』できる.現実世界に生活していながら,同時にデジタルの世界(仮想世界)で新しい接触や相互作用が生まれる.仮想世界でつながっていれば,現実世界での関係を破壊しても(あるいは依存しなくても)成り立つ世界ができる.」と述べている.

このディジタルによる『現実世界の制約から解放』によって,企業は「これまでと同じ事業や戦略では生き残れない」(デジタル時代のイノベーション戦略(内山悟志))[2]という危機感を持ち,ディジタルを前提とした製品やサービス,ビジネスの再構築を迫られている.これこそがDXが必要と言われる背景と考える.

3.DX推進のレファレンス

これまでも伝統的日本企業では「ITを活用した変革」を何度か実施してきている.「BPR」,「ビジネスインテリジェンス」,「ERP」,「SCM」,「CRM」などである.これらの「ITを活用した変革」は,社内の従来のプロセスの「ITを活用した変革」であった.そのため,この変革を推進するプロセスは,1)目的・目標の設定,2)現状分析・課題の把握,3)実施方法の検討・ビジネスプロセスの設計,4)ITを活用した新しいビジネスプロセスの実装,実施,というステップで行われることが多かったと思われる.このプロセスによって,「現状」を「ITを活用して変革」してきたのである.

DX推進についても,これまでの「ITを活用した変革」と同じプロセスで推進することも可能ではある.しかしながら,「デジタルによる『現実世界の制約から解放』による『ディジタルを前提とした製品やサービス,ビジネスの再構築』を推進する」のであれば,これまでとは異なるアプローチも必要と考えた.現在の製品やサービスの「現状」を『現実世界の制約から解放』するのではなく,また現在の「業務プロセス」を『現実世界の制約から解放』するのではない.現在からの延長線上ではない新たな取り組みの方法が必要と思われる.

それは,利用者を『現実世界の制約から解放』するディジタルを前提とした製品やサービス,ビジネスの再構築を生まれながらに実践している「デジタルネイティブ企業」をレファレンスモデルとして「変革」を推進する手法である.

4.デジタルネイティブ企業

4.1 デジタルネイティブとは

「生まれた時から,あるいは物心ついた時から生活の中にインターネットやパソコンがあたりまえに存在していた世代の人々は『デジタルネイティブ世代』と呼ばれる.同様に,デジタル技術の活用を前提としたビジネスをコアコンピタンスとして設立された企業を,『デジタルネイティブ企業』と呼ぶ.」[2]

デジタルネイティブ企業の代表格は,GoogleやAmazonだろう.1995年以降に創業し,インターネットやその他の先端ITを前提として新たなビジネスを創出し,既存の伝統的企業を凌駕してきた,いわゆる「ディスラプター」と呼ばれる企業である.

伝統的企業のDXを推進に際して,現在からの延長線上ではなく,『現実世界の制約から解放』された状態を起点として『ディジタルを前提とした製品やサービス,ビジネスの再構築』を推進するのであれば,この『デジタルネイティブ企業』の行動様式を参考とすることが近道と考えられる.

4.2 デジタルネイティブ企業の行動様式

デジタルネイティブ企業は,生まれながらにDXを実践している,または既存の製品,サービス,さらに拡大解釈すれば産業にDXを起こすことによって,新たなユーザ価値を提供することでビジネスをつくり,拡大している.その行動様式はおおむね以下である.

  1. ゼロからイチをつくる
    従来の製品,サービスの延長線上での進化ではなく,まったく別の新しい軸から新しい製品,サービスをつくり出す.このことをゼロからイチをつくるとも言われる.これは,意外なことと思われるかも知れないが,シーズとなる技術を起点とするのではなく,あくまで顧客を中心として検討される.顧客を中心にすえ,顧客が真に必要としているモノ,コトを最も効率的に合理的に実現することを志向する.従来の延長線上ではない新しい軸は,ディジタルによる『現実世界の制約からの解放』によって見出すことがでる.これがデジタルネイティブ企業がディスラプターとなれる源泉でもある.
  2. 早くつくる・安くつくる
    ゼロからイチをつくる顧客中心のアプローチによって考え出されたアイディアは,「早くつくる,安くつくる」ことが実践される.このために自前主義と脱自前主義のメリハリを利かせる.「早くつくる,安くつくる」ために何が最も合理的であるかを検討し,自社でつくるか,他ですでにあるものを活用するかを決定する.ほかですでにあるものには,従来型の技術を製品化,サービス化したものだけでなく,インターネット・クラウド環境で提供されるサービス(一括サービスおよび一部機能を提供するマイクロサービス)やオープンソースソフトウェアがあり,それらの中から最も合理的なものを採用する.そのためには,自社内で「目利き力」を持っている必要がある.
  3. つくりながら考える・顧客とともにつくる
    従来,伝統的日本企業で実施されている綿密かつ詳細な計画を立案し,その計画を完璧なものにブラッシュアップした後に「つくり始める」というアプローチではなく,計画よりも実験,実践を優先して実行する.まず,アイディアを実装し,テストし,そのテストが失敗であれば,別のことを試す.そのためには,「まずやってみる」「つくりながら考える」ことが必要である.また,構想段階,計画段階だけでなく,「つくる」段階においても,顧客からのフィードバックを得ながら,つくるものを進化させていく.『現実世界の制約からの解放』による新たな顧客体験の実現には正解がない.最も良い顧客体験をつくり出すためには,顧客を巻き込んだイテレーション(反復)を行いながらつくるという,「つくりながら考える」こと.すなわち顧客とともにつくることが必要である.

4.3 デジタルネイティブ企業の行動様式を支える技術

上記の行動様式を実践するために,以下の技術が利活用されているケースが多い.

  1. ゼロからイチをつくる:デザイン思考,サービスデザイン
    顧客を中心に,顧客が真に必要としているモノ,コトを探り当て,それを実現するソリューションを検討するために有効なツールが,デザイン思考である.デザイン思考にはさまざまな手法およびツールがあるが,それらは目的に応じて柔軟に選択する.ただし,顧客中心の原点となる「顧客の観察」を省くと,提供者目線での誤った「顧客が真に必要としているモノ,コト」に対するソリューションを検討してしまうことになりかねないので注意が必要である.
  2. 早くつくる,安くつくる:クラウドサービスおよびオープンソースソフトウェアの徹底活用
    インターネットとクラウドの進展により,さまざまなクラウドサービスおよびオープンソースソフトウェアが提供されている.これらについての幅広い知識と知見を持ち,目的に対して最も合理的なものを見つけ出し,採用する目利き力を自社で保有し,最適なクラウドサービス,オープンソースソフトウェアを活用していくことが必要である.
  3. つくりながら考える,顧客とともにつくる:内製によるアジャイルソフトウェア開発
    綿密な計画を策定し,計画とおりにつくる従来のウォーターフォール型では「つくりながら考える」ことが難しい.これを可能にする開発手法が「アジャイル開発」である.デジタルネイティブ企業の行動様式がアジャイル開発によって支えられていることを理解するには,以下の「アジャイルソフトウェア開発宣言」を正確に理解すべきである.
  • 【アジャイルソフトウェア開発宣言】
  • 私たちは,ソフトウェア開発の実践
  • あるいは実践を手助けをする活動を通じて,
  • よりよい開発方法を見つけだそうとしている.
  • この活動を通して,私たちは以下の価値に至った.

  • プロセスやツールよりも個人と対話を,
  • 包括的なドキュメントよりも動くソフトウェアを,
  • 契約交渉よりも顧客との協調を,
  • 計画に従うことよりも変化への対応を,

  • 価値とする.すなわち,左記のことがらに価値があることを
  • 認めながらも,私たちは右記のことがらにより価値をおく.
  • また,アジャイルソフトウェア開発宣言で挙げられている4点:個人と対話,動くソフトウェア,顧客との協調,変化への対応のためには,ソフトウェア開発を外部へ委託するのではなく,自らアジャイル開発手法でソフトウェア開発を実施するべきである.

以上に示した行動様式と技術を企業で実践した経験について次に述べる.

5.伝統的日本企業でのデジタルネイティブ推進

伝統的日本企業であるデンソーでは,DXの推進のため,デジタルネイティブ企業をリファレンスモデルとして,2017年4月にデジタルイノベーション室を新設した.本節では,デジタルネイティブ推進事例として,デジタルイノベーション室での組織文化づくり,人材確保・育成,推進プロセスを示す.

5.1 組織文化づくり

デザイン思考,クラウドサービスとオープンソフトウェア活用,内製アジャイル開発を,一体として推進できる1つのチームとして実践可能な組織とした.

元々デンソーには,世界製造業の中でも先進的なIT部門,情報システム部があり,トヨタ式ジャストインタイムを裏で支える生産管理システムやサプライ・チェーン・マネジメント(SCM)システムを開発し運用している.また,研究開発や製品開発においても,CADはもちろん,コンピュータによるシミュレーション(CAE)領域も以前から積極的に取り入れ,近年はコンピュータ上での設計,検証に基づくモデルベース開発(MBD)も活発である.また,世界各国で展開する工場におけるファクトリーIoTの取り組みも先進的であり,いわゆる日本の製造業の強さと言える工場での品質管理,効率向上の取り組みが,従来からのカイゼン運動に加えて,さらに強化されている.そのようなこれらの巨大かつミッションクリティカルなシステムの開発,維持保守,運用を行うためには,情報システム部が中心となるものの情報システム子会社,そして多くのITベンダ,システムインテグレーターを含めた複数の組織が参画する大型プロジェクト体制をウォーターフォール型で実施している.

しかし,このような推進方法はデジタルネイティブ企業とはまったく異なるアプローチであるため,長い年月をかけて確立し,実績を積み上げてきた従来のこの体制を踏襲するのではなく,まったく別にデジタルネイティブ企業と同様の組織を新しくゼロから立ち上げることとし,デジタルイノベーション室を新設した.デジタルイノベーション室には,デザイン思考やビジネスモデルデザイン,クラウドサービスとオープンソフトウェア活用,内製アジャイルソフトウェア開発を実施する人材を配置し,ワンチームとして活動可能としている.

個々のプロジェクトはデジタルイノベーション室のメンバが参画して立ち上げられるが,個々のプロジェクトには事業部のメンバやお客様自身がプロジェクトチームに専任でプロダクト・オーナーとして参画する体制としている.デザイン思考やアジャイル開発では,顧客を中心としてさまざまな検討を継続的に行うことが必要であり,それぞれのプロジェクトにおける顧客を最も知っている,または顧客との直接の接点を持つメンバの参画が不可欠であるからである.このように外部メンバも含めた混成チームとして構成されるプロジェクトの1つひとつが,デジタルネイティブ企業,スタートアップ企業のような体制となっており,ワンチームとして一丸となって顧客中心でプロジェクトを推進している.

また,クラウドサービスやオープンソースソフトウェアの活用についても,担当するエンジニアがそれぞれプロジェクトを支える体制としており,外部のITベンダに委託することなく,クラウドサービスやオープンソースソフトウェアの活用もすべて内製で推進できている.

プロジェクトチームの活動自体を顧客としてみる外部ベンダが参画していないこの体制によって,プロジェクトメンバ全員がワンチームになって,スタートアップ企業のようなカルチャーで顧客中心を軸として活発に継続的に議論し,イテレーションを繰り返して,プロジェクトを推進できている.

5.2 人材確保と育成

ゼロからまったく新しい組織として立ち上げたデジタルイノベーション室は,当初は2名でスタートした.社内公募とキャリア採用の2軸で順次社員を集めていった.立ち上げ後3カ月で10名弱の体制となり最初のプロジェクトをスタート.その後,プロジェクトの増加に伴いリーンに組織を拡大していき,2年半で社員約30名に外部人材約70名の合計100名前後体制となっている.社員30名の内訳は,社内公募10名,キャリア採用20名である.求めた人材像は,ユーザの真の課題とその解決策を自分ごととして能動的に考えることができ,そして自分自身でプログラミングするなどしてそれを実装できること.つまり,スタートアップ企業の創業メンバに求められる要件である.

それに加え,重視したのは「パッション」である.元々自動車業界では超巨大プロジェクトが多く,その中が各分野で細分化されるため,専門性がもっとも求められる.しかし,DXでは新しいものを生み出すために,ユーザの課題を考え,さまざまな解決策を検討し実装できなくてはならず,そのためには専門性の追求だけではなく,視野を広く柔軟に持ち,情熱を持って何かをつくり出そうという姿勢が欠かせない.社内公募はこれまでに数回実施して,のべ70人程度の応募があり,その中から選考によって約10名がデジタルイノベーション室に異動してきている.興味深いことは,情報システム部門からの応募がきわめて少なかったことであったことである.製品開発部門などでエンジン制御などのためのマイコンのソフトウェア開発や製品開発のためのコンピュータシミュレーションなどに従事していた社員が,コネクテッドカー領域やMaaS(Mobility as a Services)といった,いわゆる自動車業界におけるDXに関心を持ち,100年に一度の変革期において自分自身が貢献をしたいという想いと,それを通じて自分自身の将来のキャリアパス,キャリアアップを果たしたいといった想いで社内公募に応募してきている.もちろん,社内公募以外でも,自身のキャリアデザインを上司と話し合う中で希望をし,デジタルイノベーション室に異動してきた社員もいる.

キャリア採用者は,2年半で約20名となっている.大手ITベンダの先端技術開発部門,ビジネス開発部門,コンサルティング担当,子会社での新規サービス開発経験者,コンサルティング企業の戦略コンサルタント,国内のデジタルネイティブ企業のソフトウェアエンジニアなどがデジタルイノベーション室の取り組みに賛同し入社してきている.

また,多様な人材という観点では,約30名中女性は数名とそれほど多くない.しかし,グローバル多様性の観点では,中国,シンガポール,インド,フランス出身者が数名,そして海外での生活経験のある日本人が数名という構成である.

これらの多様なメンバで構成されるチームでプロジェクトを推進しているが,人材育成は個人個人に会社として育成プログラムを立てるのではなく,それぞれのプロジェクトを通じて,不足している技術や知識,経験を得ていく方法をとっている.外部からの経験豊富なコーチ陣(ITによる企業変革領域,アジャイル開発領域,デジタルネイティブ企業でのリーダ経験者など)により各プロジェクトチームを直接指導いただくとともに,各プロジェクトチーム内の多様な技術,知識,経験を持つ人材がプロジェクト推進を通じて相互に教え合う,学び合うことを実践している.

5.3 推進プロセス

現在,チームが新横浜に8つ,秋葉原に3つあり,累計のプロジェクトは実施中も含めて20数件にのぼる.そのうち,本番サービスを目的としているものが3割で,試作,デモシステム作り,PoC(Proof of Concept)などを目的としているものが7割である.プロジェクトの期間は案件ごとにバラツキがあり,最短のものは3カ月程度から1年を超えるものなど,さまざまである.プロジェクトへのチームアサインは,プロジェクトの内容とタイミングを鑑みつつ,可能な限り最適なチームをアサインしている.また,プロジェクトのフェーズごとに,デザイン思考,UXデザイン,SRE(Site Reliable Engineering)などのメンバが必要に応じてチームを支援している.

そしてプロジェクト推進に最も重要なことは,事業部門やお客様のメンバが必ず専任でプロジェクトに参加しているということである.デジタルイノベーション室のプロジェクトは新横浜および秋葉原といういわゆる「出島」拠点で実施しているが,事業部門またはお客様のメンバも,原則として専任として新横浜または秋葉原に常駐し,プロジェクトのメンバとなっている.また,アジャイル開発フェーズにおいては,あえて1名のプロダクト・オーナー(PO)を選出してもらい,権限を移譲されたPOが常駐する形態をとっている.最終意思決定者を1名に絞り,プロジェクトルームに常駐することで,合意形成にかかる時間や手間を省き,プロジェクトに関するさまざまな意思決定を迅速かつ確実に行うことが可能となる.それはまた,業務効率の向上にも寄与している.POが原則としてプロジェクトルームに常駐しており,非効率なメール連絡などは不要であり,またプロジェクトの情報や進捗はプロジェクトルーム内のホワイトボードと付箋紙を「正」とすることで,報告や管理のための資料を作成することなく,プロジェクトメンバ全員がプロジェクトの状況をリアルタイムで把握,理解することが可能となっている.また,就業時間については,チームメンバが常に密連携しての作業となるため,チーム全員が同じ時間に出社して業務を始め,定時には皆退社する体制としている.

また,できるだけ数多くのイテレーション(反復)を回すため,そして手戻りのリスク低減のため,スクラム開発のスプリント期間は1週間としている.1週間のサイクルでのイテレーションの繰り返しは,見直し,修正にも柔軟に対応でき,手戻りも少ないため,結果としてステークホルダーがPOに権限を委譲しやすい推進方法であると考えている.

同時に留意しているのは,プロジェクトの立ち上げ段階において事業部やお客様の関係者全員で,目標設定や優先する事項について議論し,合意形成を行うことである.このプロセスは短ければ1週間,長ければ1カ月半ほどもかかることもある.見た目が綺麗なスライドにまとめるのではなく,全員が集まって真に目指す目的や課題を見える化し,その場で徹底的に議論し全員が同じ理解をした上で,推進順序や優先事項を決定しておく.このようにして,プロジェクトの目的や背景,優先順位,方向性を,インセプションデッキなどのテンプレートでプロジェクトの初期段階で明確にしておくことで,ステークホルダのPOへの権限委譲が可能とし,プロジェクト途中でのステークホルダからの枝葉の横槍の要求を防ぐことにもなっている.

この体制は,POを創業者と見立てたデジタルネイティブなスタートアップ企業のような体制と言えるだろう.『現実世界の制約から解放』された状態を起点として『ディジタルを前提とした製品やサービス,ビジネスの再構築』するアイディアを持つ創業CEOと同様な役割であるPOがそれを実現することのできるチームをデジタルイノベーション室の多様な技術・知識・経験を持ったメンバとともに結成し,共通のビジョンの元で,新しいユーザ価値の実現,すなわちビジネスとしての確度を探りながら,短いサイクルでソフトウェア開発を進め,ユーザフィードバックを受けつつ,柔軟に対応していく.そのような推進プロセスを行っている.

6.人材・組織・プロジェクト体制の考察

前章で述べたデンソーにおけるDXプロジェクト推進を実践した経験から,DX推進において,スコープを明確にすること,既存の組織と協調すること,パッションを持つメンバがいることを考慮すべきである.

6.1 DXのスコープの明確化

ディジタル化によるイノベーション領域,すなわち広義のDXには,以下の4つの領域に分類されている.(デジタル時代のイノベーション戦略(内山悟志))[2]

1) 事業や業務を変革する「ビジネストランスフォーメーション領域」

2) 顧客のディジタル武装に対応する「カスタマーエンゲージメント領域」

3) 新しい働き方と組織運営を切り開く「フューチャーオブワーク領域」

4) ディジタルを前提とした事業や業態を創出する「ディジタルエコノミー領域」

実践経験から,企業によって取り組む領域とその重要度,優先度は異なるが,上記の4つを一律に捉えて推進計画を立てるべきではないと考える.理由は,1)ビジネストランスフォーメーション領域,2)カスタマーエンゲージメント領域,3)フューチャーオブワーク領域については,過去に行われてきたBPR,ERP導入などと同様の「従来からの延長線上」のいわば「ITの利活用」の領域であることに対して,4)ディジタルエコノミー領域は,従来からの延長線上ではなく,『現実世界の制約から解放』された状態を起点として『ディジタルを前提とした製品やサービス,ビジネスの再構築』を行わなくてはならない領域だからである.それ故,4)ディジタルエコノミー領域をDXのスコープとするのであれば,他の3領域とは明確に分けて計画すべきと考える.

6.2 DX組織と既存組織・体制の協調

ディジタルエコノミー領域,すなわち『現実世界の制約から解放』された状態を起点として『ディジタルを前提とした製品やサービス,ビジネスの再構築』を行うためには,生まれながらにそれを実行しているデジタルネイティブ企業をリファレンスとした組織を新設することが合理的である.「ゼロからイチをつくる」,「早くつくる・安くつくる」,「つくりながら考える・顧客とともにつくる」を1つの組織として実践できる組織である.

しかしながら,その組織を社内の各部門から若手の優秀社員を集め,社長直轄などとし,「さあ,DXで新しいビジネスを創出せよ.イノベーションを起こせ.」とミッションを与えても,成果が得られる可能性は多くはないと考えられる.その理由は,そのようにして新設した組織は,技術とそれを活用する手法を持っていたとしても,顧客接点を持っていないからである.

また,デジタル・トランスフォーメーションという語感からか,ITのプロジェクトとして捉え,IoTやAIなどの新しいテクノロジーとアジャイル手法によるソフトウェア開発に取り組むためのITエンジニア,ソフトウェアエンジニアの組織・体制をつくれば良いと考えがちである.しかしながら,目的は『ディジタルを前提とした製品やサービス,ビジネスの再構築』によるビジネス創出であり,それがITを目的とした組織・体制で実現することは容易ではないと思われる.

これを2つの課題を解決するための手段の1つが,新設するDX組織と顧客接点を持つ既存の組織のメンバによる混成のプロジェクトチームの組成である.既存組織と新設するDX組織が競合することなく,またITの利活用やソフトウェア開発そのものを目的とすることなく,ビジネス創出という共通の目標を共有し密に連携し,『ディジタルを前提とした製品やサービス,ビジネスの再構築』を目指して協調していくことが必要である.

6.3 魅力あるプロジェクトとパッションを持つメンバ

新設するDX組織に必要な人材を集めるためには,その組織が実施するプロジェクトに魅力がなくてはならない.キャリア採用にしろ,社内公募にしろ,優秀な人材が応募するのは,その仕事が魅力的であるからである.人材が集まらないのは,その仕事に魅力を感じられないからである.幸い,『ディジタルを前提とした製品やサービス,ビジネスの再構築』を行うプロジェクトは,モチベーションの高い人材にとっては非常に魅力的に映るであろう.そして,そのような魅力のあるプロジェクトに携わることができたメンバは,非常に強いパッションを持ち,能動的にプロジェクトに貢献してくれるだろう.そのような組織,プロジェクトチームは,細かく指示をしなくても皆が能動的,自律的に活動してく.リファレンスとするデジタルネイティブ企業の社員と同様にアントレプレナーシップを持っているということだろう.自ら考え,顧客を理解し,新しいテクノロジーを活用する能力とソフトウェア開発力を活かし,プロジェクトを成功に導く原動力となる.DXという大変革の時代だからこそ,彼らの力が求められ,発揮されるのであり,彼らが思いどおりに動ける場や環境をつくることで,更に魅力的なプロジェクトが生まれ,動き出し,それによりまたモチベーションが高められ,さらに優秀な人材を引き寄せるという好循環を生んでいくであろう.

7.おわりに

本稿で述べたDXの実践のための手法は,米国西海岸の文化をもとにしており,伝統的日本企業の既存組織との親和性がなく,軋轢が生まれるのではないかとの懸念を持つ人も少なくないであろう.しかしながら,アジャイル開発手法やデザイン思考手法を,社長や経営幹部の方々などに説明すると,特に社歴の長い方々からは「昔,工場で我々が行ってきたのと同じことだ」と言われることが少なくない.アジャイル開発の最も人気の高いスクラム手法は,野中郁次郎先生の論文やトヨタ生産方式に触発され,米国のJeff Sutherland博士が考案し,ソフトウェア開発に広く適用されつつあるものである.従い,カイゼン活動やKI活動(Knowledge Intensive Staff Innovation,個人に課題を抱えこませず,進捗の見える化等によりチームでの課題解決を進める活動)等の以前から伝統的日本企業で行われてきた手法と,本稿で述べたDXの実践のための手法は,現地現物という根本の考え方が同一であり,また現場に関係する人々がチームとなって課題解決に当たるという手法も非常に近いものであり,共通点は少なくない.このことを理解し,関係者に周知することで,既存組織との軋轢が生まれることを避けることができる可能性が高いだろう.

「情報カンブリア時代」(神岡太郎氏)である現代においては,日本の伝統的大企業であってもDXへの取り組みなくして生き残ることは難しい時代であろう.それは,「利用者を『現実世界の制約から解放』する『ディジタルを前提とした製品やサービス,ビジネスの再構築』が行われる時代である.現在の事業形態のままとどまっていたり,現状からの延長線上の取り組みのみから生み出される製品やサービス,ビジネスだけを行っていては,将来「再構築」によって淘汰されてしまう可能性があるからである.本稿でこれまで幾度となく述べたとおり,デジタルネイティブ企業をリファレンスとし,企業内に新しいDX推進組織・体制をつくり,DX推進していくことを,すぐに実践していくことが必要と考える.何しろ,デジタルネイティブ企業のスピードは日本の伝統的大企業とは比較にならないほど速く,残された時間は短いかもしれないからである.

参考文献
  • 1)神岡太郎:デジタル変革とそのリーダーCDOチーフデジタルオフィサー
  • 2)内山悟志:デジタル時代のイノベーション戦略
成迫剛志(非会員)narisako@design4all.biz

明治大学経営学部1985年卒業.日本アイ・ビー・エムにデータベースおよびトランザクション処理システムのスペシャリストとして従事.その後伊藤忠商事にてオープンシステム化,インターネット関連ビジネスの立ち上げなどに従事.在香港のIT事業会社社長,中国方正集団,ビットアイルなど執行役員を経て,2016年デンソーに入社.コネクティッドカー時代のIoT推進を担当し,2018年にデジタルイノベーションを新設,同室長に就任。また,デザイン思考、サービスデザイン等を手がける Design for ALL株式会社を2018年に共同創業し,同社取締役を務める.

採録決定:2020年1月27日
編集担当:細野 繁(東京工科大学)