デジタルプラクティス Vol.11 No.2(Apr. 2020)

製造業における生産現場ユーザとAgileに共創する本当に欲しかった社内システムサービス

松本 芳宏1  船戸 康弘1

1本田技研工業(株) 

「システム構築のために一体どれだけの時間が資料作成や構想検討に使われているのか」「現場のアイディアをシステムにしようとしたら,数千万円の見積もりと,指摘を何度も受けて,結局諦めました」このような声が私の周りだけでなく,交流のある他社の方からも頻繁に聞かれてきます.そんな中で創立70年を超えた日本の製造業の組織と文化の変革にDXチャレンジした経緯について説明します.

1.はじめに

(1)自動車産業の現状

自動車メーカは非常に典型的な従来型の製造業の体系を持つ.どの領域もおよそ上位方針がブレイクダウンされ,現場をよく知る20~30代の実務者が40~50代のマネジメント層宛に上位方針に関連する現場テーマの提案を行い,資料を見せて承認を得るという,基本的に年功序列型の組織である.

自動車産業では「人の命を乗せて10年以上走り続ける」製品が約50秒に1台作られている.これらは本当に凄いことだと日本のものづくりを築いてきた先人たちへの尊敬がやまないのが事実である.しかし,そのブランドに甘えがあったわけではないが,昨今はCASEと言われるパラダイムシフト等の厳しい境遇に晒されている.

そのような状況でデジタルトランスフォーメーション(DX)が製造業の分野においても重要な課題となっており,当社においても製造のディジタル化をどう進めるべきかという課題に向き合わざるを得ない状況である.

(2)ディジタル化推進の実態

通常,「製造のディジタル化を弊社としてどう進めるのか」から取り掛かることが多い.そこで大企業ならではの「まず戦略を」が始まり,「かなりの人数でのセミナー参加」,ITベンダやコンサルに声をかけて「どう動くか?」と検討が始まり,プレゼン資料が飛び交うことになる.定例的な戦略会議へ向けて,データをドラム缶に見立てて真ん中においたイメージが作られ,「スコープは?」,「これは入る/入らない?」,「対象の機種は?」と長時間の検討が始まる.

さらにここに組織が絡んでくる.戦略部門,技術部門,工場部門,IT部門が参入する.当然技術開発部門は技術ベースの戦略を,またIT部門はバリューチェーン一気通貫の戦略を掲げ,おのおのが自分たちの戦略の重要性を掲げ,資料が増えていく.さらにほかの多くの戦略との連携を問われ,あちらを立てればこちらが立たずのケースもあり,報告承認のための段取りが続いてしまう.

そこで筆者の属する技術企画部門は,現場のディジタル化PoC(Proof of Concept)と称して,1つの工場をモデルとして生産稼働,品質,効率向上のためにコンサルティング会社の方と現場とで取り組みを行った.非常に優秀なコンサルティング会社担当者が生産体質指標に基づき「現場データ収集→蓄積→分析→対策→見える化→改善サイクル」のためのシステムを確立していただいたが,すでに長年の経験から確立された指標を持っている現場は戸惑いもあった.さらなる数値管理の増加となることを避け,そのシステムの役割が不明確な部分も出てきた.結局,約1年間の活動で生まれた大量の見える化画面等のシステムは活用には至らなかった.

そのような状況下で現場と一体となったAgile開発による内作体制の構築を,若手メンバ(共筆者の船戸康弘ら)が提案し,それまでの失敗を糧にこの提案の実現に大きく舵を切っていくことができた.

以下その過程にしたがって実施した組織改革について論ずる.

  • Agile内作チームの立上げ(戸惑いと決断)
  • 推進活動
  • 多数の意見収集と継続的価値提供
  • 組織風土打破のためのプラクティス

2.Agile内作チームの立上げ(戸惑いと決断)

若手メンバの提案は,コンサルティング向け予算を,「内作開発に切り替えたい,Agileチームを立ち上げたい」また「すべてオープンソースで作りたい」というものであった.筆者らも約15年前,いち早くユーザに画面を見せながら開発を行う,XP(エクストリーム・プログラミング)によるAgile開発の経験があったため,Agileの有効性を認識してはいた.しかしユーザ部門が一から内作で作り始めること,またOSS(オープンソースソフトウェア)の相性等で安定稼働への懸念を背負うことに,当初は戸惑いがあった.

ここで一気にディジタル化を進められる便利そうな生産現場向けマイクロシステム(現場紙帳票の電子化による関連部門への分析課題提供や,現場の作業指示につながるKPI見える化システム)が提案された.さらに当システムには柔軟に機能拡張できるインフラとアセット管理の機能をすでに保有していた.

このような状況下で筆者らに次の戸惑いがあった.

  • 自分の過去の経験や価値観,常識を基に考えていなかったか?
  • 意思決定をするのはマネジメント層だけ,と誰が決めているのか?
  • 若い人が世の中を大きく変えていることに学ぶべきではないか?

これまで正しいと思っていた価値観が日々塗り替えられている中で,ここは自組織の方針として,提案された内容を「絶対的に肯定する」ことを決断した.

3.推進活動

早速チームの構築を開始した.とはいうものの,手元にあるのは提案者1人とわずかな予算のみであった.しかし,小さいながらも加速度的にAgile内作チーム(4名)が立ち上がり,約半年間でインフラストラクチャを構築し実際に動くものが1アプリ出来上がってきた.

生産現場ユーザとスクラムを組み,現場の困り事に真摯に向き合い,稼働率や,要員効率の向上に貢献する.しかもユーザへの負担を抑えたマイクロシステムを毎週提供する.効果が出るまで機能を変える.ユーザから見て本当に欲しいサービスの提供だけに集中してくれていた.

「本当に欲しいサービス」は日々精度を上げ,今までの提案なら「予算申請や修正費用,評価の都合で諦める」というパターンが一変し,「すぐに作る,改修する,費用もかからない」とユーザの支持を得ていくことができた.定例の報告会や評価会のような説明会をせずとも,小さな取り組みが口コミで広がり,大きな動きに繋がり始めた.

◆公開サービス事例1

以前は現場不具合や引継ぎ帳を紙帳票でファイリング管理し,手作業での集計や過去不具合の参照などをしていたため,いったん紙と同様のフォーマットで入出力管理するシステムを作成した.しかし端末入力操作が手書きよりも煩雑になり定着しなかった.そこでインセプションデッキ[1]などの業務分析を経て,活用されない項目を省いたり業務としての優先順位を確認し,車種,設備,事象,3面図における発生部位,写真など,ほとんどがきわめて簡単なタブレットのタッチ操作のみで用紙記入よりも素早く登録ができるようになった.データが溜まり始めると現場だけでなく保守部門がその傾向を把握しリソース配分を調整したり,設備設計部門が事象を分析し企画に反映したり,また同じ機種を生産する海外事業所では事前の対策検討を始めるなどの効率化につながり始めた.入力部門だけでなく,参照側の要件も反映するため,新たな設備の切り口や一目で重要なトピックが分かったり,意見を交換する機能を追加した.

◆公開サービス事例2

ほかにも12設備のインジケータをオペレータが見回ってメンテナンスを行う業務に対し,いったんはそれらをIoTとネットワークで接続した見える化グラフシステムを作成していた.しかし,ただ数値をPC画面で見られるだけという運用にとどまった.その後インセプションデッキ等で業務分析を行った結果,最終的にはタイムライン上にメンテナンスの必要な時間と設備名をプロットする画面を提供したり,メンテナンス時間を知らせるメッセージを携帯端末に送信することで,オペレータにとってのスケジューリングや時間の有効活用につながった.

これらの事例を振り返り,結局追加された機能を見ると「本当に欲しかったサービス」は現場情報の管理ではなく,現場で起きていることと関連部門とをつなげ,生産の阻害を予防するための「SNSのようなタイムリーな共感共鳴と動機の提供」であった.

ほかにも早番遅番等勤務シフトにおける次オペレータへの引継ぎ情報提供システムや,新機種立ち上げ時の品質課題ステイタス管理システムも同様にSNSの使用感で次のアクションへの動機づけとなる「本当に欲しかったサービス」として稼働している.

その後1年間で「本当に欲しいサービス」は9つ公開した.2つはほかの工場へ水平展開され,展開先での最適化と活用のために日々機能進化し,開発メンバは4名から15名に増員した.結果,サービス全体で平均約10,000アクセス/月,約650ユーザ(現場には約80のシステムがすでに存在するため,貢献度は生産現場全体の1/10レベル)になった.

4.多数意見の継続的価値提供

いくつかのサービスが稼働し始め,それを社内へアナウンスすると

  • ユーザ部門での個別のシステム構築はデータ形式やユーザインタフェース等がバラバラになるのでやめてほしい
  • 市販の統合パッケージに一元化してほしい
  • ツールだけ先にやっている.戦略と違うのでは?

などの指摘を受けるようになった.これらは組織の壁や従来的な概念が生み出すものと考えた.

しかし,どのような意見があっても,デザイン思考とスクラムで得た核心的な機能を毎週提供することで実務者の心と信頼を得ることができ,さらに事業所を跨いで口コミが広がったことで,「うちの事業所でも使わせてほしい」,「もっと前段階プロセスの人にも見せたい」という要望も出てきた☆1

5.組織風土打破のためのプラクティス

筆者の所属する企業では40~50代はバブル時代にフルアクセルで働き続けて,日本のブランドを立ち上げてきた.厳格な上下関係で鍛えられて,それらを知力,体力,そして根性で乗り越えて目標を達成してきた.マネジメントを行うようになると,上位者と関係や領域がもたらすセクショナリズムから,観点が顧客(システムユーザ)から離れていくことがあったり,若手に同じ経験,同じ克服感を要求し,過去の実績を語る例もあった.これでは新しい働き方へのシフトは難しい.従来型の組織風土を打破した事例を紹介する.

  • ① まず第一歩を踏み出す環境作り
  • ② 若手を信頼する覚悟
① まず第一歩を踏み出す環境作り

第一歩を踏み出すためにユーザの急所と言える部分にAgileにシステムの提供を行う.発展性を感じとれるならユーザが日々手作業や転記で不便している部分に対してでも十分である.なぜならば,ユーザから「本当に何かを作ってくれる.話ができる.」と期待していただくこと,信頼いただくことが大切だからである.そこから課題を形成し大きなプロセス改革や戦略立案へ繋げていける.できれば内作で社内ネットワーク上に構えて他システムとの連携ができる環境がよい.

GAFAに代表されるメガITベンダも操業当初はごく一部の機能提供から始まりそこから巨大なエコシステムを形成するに至っている.

既存の社内システム承認フローに対しては,正攻法なエントリはせず,ITガジェットとして,表計算マクロやグループウェアサイトようなの位置付けで立ち上げている.ハードウェアに関しても消耗品として購入し,定着後ITインフラ部門のクラウドサービスへ移管を依頼している.資産管理上は本番稼働時点で所定の手続きを行っている.こうすることでユーザにとって最初のメリット享受までの時間を極力短くできるからである.ただしシステム稼働当初は適用業務全体に対する理解度がユーザ含めて低いため,共同で定期的な改修が必要となる.

いずれせよ長期的な戦略立案検討よりも,この「まず第一歩」を踏み出すことができるかがポイントとなる.

② 若手を信頼する覚悟

高度なAI,ディジタル技術者を確保するために年功序列制度が崩壊しつつある.しかし製造業の多くは従来の概念や体制が基盤となっている.これでは新しい働き方へシフトすることは難しい.

そこで筆者が取り掛かったのは組織内の従来の常識や概念を取り払うことである.当たり前と思っているルールや手法を根本から見直すことである.そのためにはディジタルネイティブと呼ばれている若手の感性が重要になる.なぜならば彼らはスマートフォンを通じて最適で最高のサービス創出や享受をするための最短距離を探ることに慣れているからである.さらに無理や無駄なものを徹底的に省いて,最小限のエネルギーで価値を生み出すこともできる.

社内システム承認フローにおいても承認プロセスの大切な部分を取り入れるが,フローを適用すること自体には意味を見出してはいない.そのような改革を進めるためにマネジメントの覚悟が求められる.

そのため筆者は自部門における推進テーマの概念や進捗を表現する資料作成を基本的に禁止にした.テーマ報告会などでは,どうしても概念的なイメージとスケジュール予実が報告される.そうではなく,動くもの見えるもの,すなわち実物や実績を披露してもらえば,活用の実態や効果創出をダイレクトに把握できるからである.実物を見せることはユーザや上位者への報告会に使っても良い結果となった.特に企画時点からすでに動くものがあるとイメージが付きやすい.規定の報告フォーマット等がある場合も実物の比率を高めたり,あえて実物だけにしたりしても効果がある.今までは概念の説明をすると,その説明自体に対する指摘が発生し報告資料にかかわる時間が増えてしまっていた.

フロー適用の省略や,従来ルールの回避などには部門内外からの反発も多い.そこで筆者は端的に「資料まとめや段取りではなく,生産稼働,品質,効率向上等の効果を生み出していること」を評価ポイントとし,賛同いただけるメンバをマネジメントや意思決定に組み込んでいる.また指摘する人に対しても,反発ではなく従来フロー手法における精度向上の一環であることや,早めの効果創出などのメリットを説明することで,風土の変革を行っていける.

6.まとめ

今回のようなケースに関して,これまでは筆者を含め40~50代マネジメント層が判断しては失敗に終わっていた.今回はまったく新しい手法や感性を持っている人だからAgileなサービス提供ができたと思われる.それ故,若い人はなおさら率先して,どんどん提案するべきと考える.「これおかしくないですか? 自分ならこうしますよ.」と言うことが大切であるし,マネジメントはそこからも学ばなければならない.

今後はまったく新しい価値観が必要になるし,何が起こるかを予測することは難しい.大変革期を乗り切るために新しい柔軟な感性をいかに従来型組織に組み込めるかがカギとなる.

参考文献
脚注
  • ☆1 「改革とは資料でも組織でも戦略でもなく,実直な第一歩から.」と筆者らは数々の指摘に対し,動くシステムと効果を見せて毅然とした説明を行っている.
松本 芳宏(正会員)yoshihiro_a_matsumoto@hm.honda.co.jp

1991年本田技研工業(株)入社.情報システム中心に,営業系システム開発,研究開発系システム開発を経て生産ディジタル開発系部門の課長としてマネジメントを担う.

船戸 康弘(非会員)yasuhiro_funato@hm.honda.co.jp

2006年 本田技研工業(株)入社.生産技術開発部門で生産ロボットシステム開発を経験後,データサイエンス領域を担当.画像処理やテキスト分析を中心としたデータ分析業務を経験.

採録決定:2020年3月19日
編集担当:斎藤 彰宏(日本アイ・ビー・エム(株))

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