デジタルプラクティス Vol.11 No.1(Jan. 2020)

DX時代に求められる技術者育成施策
─日立におけるデータサイエンティスト育成の事例を元に─

小野 綾子1  後藤 協子1

1(株)日立製作所 

デジタルトランスフォーメーション(DX)を担う人材には,従来型SEのスキルを保持しながら,先端的なディジタル技術の目利きができ,ビジネスや組織を変革して事業化することが求められる.日立では,実力と経験を重視し,DX人材育成の仕組みを構築中であり,データサイエンティスト育成事例を皮切りに,従来のスキル標準も活用しつつ,技術者のマルチスキル化を進めている.さらに,プロフェッショナル・コミュニティ活動により組織能力を向上させてDX人材育成に取り組んでいる.これまでの取り組みから得られた知見を報告する.

1.はじめに

日立製作所(日立)の人材育成は,1910年の創業とともに「徒弟養成所」を作ったことに始まる.社史には,「労多くして効果の現れることの遅い人間教育を始め,それに大なる力を注いだことにより日立は養われた」とある.良い人間作りと事業の発展を同時に志すことが日立の人材育成の基本理念である.

日立のシステム&サービスビジネス部門は,情報通信分野を担当し,60年近い歴史を持つSE(システムエンジニア)中心の事業体である.SE育成のゴールは,プロジェクトマネージャ(PM)に代表されるような大規模SI(System Integration)案件を成功に導く人材を育てることである.日立のPM育成の仕組みは30年を超える継続的改善により作り上げられている.

昨今,デジタルトランスフォーメーションに関してさまざまな課題が議論されている.経済産業省「DXレポート」☆1にも詳しく書かれているが,中でも「DX人材の不足」が大きな課題である.人材不足の課題に対しては,「増やす」と「育てる」という対応がある.図1に,人材不足に対する「増やす」「育てる」施策の全体像を示す.横軸に施策の詳細,縦軸に技術者を階層で分類した.軸の交わったところには考慮すべき点,必要な点を示す.

DX人材不足に対する解決策の分類
図1 DX人材不足に対する解決策の分類

「増やす」施策では,新卒,経験者を採用して技術者を増やすケース,あるいはM&Aにより組織ごと買うケースがある.採用活動では,新卒,経験者の各々に関して採用要件を明確にして募集する.特に,プロフェッショナル採用では入社後のJobと報酬を明らかにして,候補者と交渉する.また,M&Aでは自社に足りない人的リソースの強化を図る.いずれの場合においても,現在どこにどのような人材がどれだけいて(AsIs),事業上必要としている人材は何か(ToBe)が明確でなければならない.このために「統一的な基準での人材の見える化」が必要である.

一方「育てる」施策は,対象者が初めて学ぶ,すなわち「ゼロから育成する」場合と,すでにある技術領域のスキルは身につけていて新たな技術領域を学ぶ,すなわち「転換する」場合がある.さらに,VUCA(Volatility(変動性・不安定さ),Uncertainty(不確実性・不確定さ),Complexity(複雑性),Ambiguity(曖昧性・不明確さ))の時代において企業の「カルチャー醸成」は,従業員の不安を払拭し,事業推進と従業員個人の自己実現を両立させる原動力となる.人材育成は,対象者自身の現状(AsIs)と目指すべき姿(ToBe)のギャップを埋めることである.そのためには,教育体系とともに,事業計画と連携した各自のキャリアパスも重要である.マネージャ層は自分の将来を切り開くだけでなく,部下にキャリアパスを示して指導することが求められる.また,技術の刷新が激しいので,過去の経験に頼るのではなく,技術者自身が常に新しいスキルを身につけるためにリカレント教育が求められる.VUCAの時代には,上司が推薦した講座だけを学ぶのではなく,自ら必要な講座を見つけて学ぶことが大切であるが,その際にはコミュニティ活動もきわめて有効である.この「育てる」施策においても,必要なスキルの全体像が分かれば,自らの位置と進むべき方向が明らかになる.これは「統一的な基準での人材の見える化」で実現する.

本稿では,DX人材不足に対して「統一的な基準での人材の見える化」「コミュニティ活動」の取り組みにより「育てる」施策に成果が出始めた事例を具体的に述べる.

日立では,「デジタルトランスフォーメーション(DX)とは,企業がディジタルを活用した新しい仕事のやり方を通じて価値を創出し,競争上の優位性を確立すること」と定義している.このDXの取り組みに必要な人材が「DX人材」であり,たとえばデザインシンカー,データサイエンティスト,セキュリティスペシャリストなどを指す.

DXで事業の領域が変わるわけではない.従来の事業領域においてディジタルを活用して仕事のやり方を新しくすることが,DX人材には求められる.したがって,DX人材は従来型SEのスキルを保持しながら,先端的なディジタル技術の目利きができ,お客様とともに社会課題の解決や価値創造に取り組み,何が正解か分からない課題に対してあきらめずに取り組んで,組織の中で新たな事業を推進するような新たなスキルが求められる.「DX専門組織」を設置し,社内外からスキルのある人を集める事例もあるが,日立では「DX専門組織」の設置に加えて,全員が何らかの形でDXにかかわるという前提に基づき人材育成を進めている.

現在は,従来型SE育成の根幹であるPMの育成を発展させ体系化した「日立ITプロフェッショナル認定制度」と「ITSS(ITスキル標準)準拠のレベル診断」を軸としたDX人材の育成を進めている.

執筆者は,社内のIT人材育成・企画部門に所属している.本稿で取り上げるITSS準拠のレベル診断の職種定義や利用者拡大などシステム活用の全般をまとめている.また,日立ITプロフェッショナル認定制度の制度設計,ならびに運用の全般をとりまとめている.

本稿では,第2章で日立のシステム&サービスビジネス分野の人材育成の取り組みを述べ,第3章でその人材育成の中でもデータサイエンティスト育成の事例を述べ,第4章でDX時代の人材育成の新しい形であるプロフェッショナル・コミュニティ活動の取り組みを述べる.

2.日立のシステム&サービスビジネス分野の人材育成

システム&サービスビジネス分野のSE育成施策は,図2に示すように,2つの仕組みを組み合わせている.

人材育成施策の関係
図2 人材育成施策の関係

エントリレベルの間は,ITSS準拠のレベル診断システムを活用したセルフアセスメントにより自らのレベルを把握し,レベルに合わせた研修を受講しながら業務経験を積む.なお,セルフアセスメントはレベル4で終わりではなく,レベル7まで診断することが可能である.業務経験を積み,自分の得意分野の職種が定まってきたら,日立ITプロフェッショナル認定制度によりプロフェッショナルとして認定される.

2.1 ITSS準拠のレベル診断システム

セルフアセスメントのITSS準拠のレベル診断システムはグループ会社を含めて共通で導入している.まず,この診断システムについて説明する.

(株)エス・アイ・エスのパブリッククラウドサービスSSI-iCD☆2を活用し,iコンピテンシディクショナリ(iCD)のタスクを使って職種と専門分野とレベル(1~7)を独自に定義している.診断システムではITSSならびにITSS+に準拠した職種に加え,事業推進上の必要性に応じて日立独自の職種も定義しており,2019年4月現在,全22職種/65専門分野のアセスメントが可能である(表1表2).

表1 ITSS準拠のレベル診断職種(1)
ITSS準拠のレベル診断職種(1)
表2 ITSS準拠のレベル診断職種(2)
ITSS準拠のレベル診断職種(2)

この中にはセキュリティ,データサイエンティスト,IoTアーキテクトなどDXに対応した先端的なディジタル技術の職種も含まれる.またITSSでは「ITスキル標準V3 2011 2部キャリア編概要部」☆3に記載のように,職種により診断できるレベルが限定されているものがあるが,日立の診断システムでは,図3に一部の職種について示すように,ITSSで定義されているレベル,高すぎてITSSでは定義されていないレベル,職種の区別なく共通に定義されていたレベルも含め,すべての職種のレベル1から7まで診断可能としている.

キャリアフレーム(部分)
図3 キャリアフレーム(部分)

技術者の視点で考えると,エントリレベルの技術者(若手および新たな分野の技術を身につけようとする技術者)は,このレベル診断結果により自分の現在のレベルが分かる.また,上司とのキャリア面談の際にレベル診断の言葉を使って,「現在は,ITスペシャリストのデータベースのレベル2であるが,次の1年でレベル3に上がるようにしたい.また,今後はデータサイエンティストのデータサイエンスのタスクも経験してレベルアップしてみたい.」というように自らが進みたい方向を伝えることができる.

上司は事業上の達成目標に合わせて,チームが持つべき力,個々のメンバの役割と育成すべき方向を「我がチームは新たに従来のデータベース構築に加えて,データベースの障害発生に関するデータ解析を実施することになった.ぜひ君にはデータサイエンティストとして成長してほしい.新たなタスクを経験するためにプロジェクトにアサインするので,タフな仕事になると思うが頑張ってほしい.隣の部署にデータサイエンティストのビジネスの専門分野で活躍している先輩がいるから紹介しよう」というように具体的に説明することができる.

一方,経営者の視点では,統一のアセスメントを実施することで,あるスキルレベルの人がどこにどれだけいるのか(人材ポートフォリオ)が把握できるため,これを元にあるべき姿の将来像を描き,人材育成と配置計画を示すことができる.

2.2 日立ITプロフェッショナル認定制度

日立では前述のレベル診断に加えて,ビジネスに貢献できるプロフェッショナルIT人材の見える化と活用を目的とし,日立ITプロフェッショナル認定制度(Hitachi Certified IT Professional 以下CIP制度と略す)を立ち上げて,実施している.CIP制度は,ITSSの枠組みに準拠した社内認定制度であり,認定情報技術者制度(CITP)の企業認定を受けている[1].図4にCIP制度の認定要素の概要を示す.

CIP制度概要
図4 CIP制度概要

社内認定の種類はITSSに準じて「職種」と呼んでいる.上述のレベル診断システム同様に,ITSSおよびITSS+に準拠した職種と日立独自の職種がある.職種は日立の事業推進上の必要性に応じて随時追加しており,その事業推進部署が職種の審査責任を担う構造が特徴である.

CIP制度の特徴は2点あるが,1つは全職種統一の審査部署はなく,図5に示す「職種別審査委員会」は職種ごとに主管する事業ラインの部署で,各職種の審査の責任を担っていることである.

CIP制度運用体制
図5 CIP制度運用体制

すべての職種について,図4に示すようにITSSのレベルに沿って「シルバー=レベル4」「ゴールド=レベル5」「プラチナ=レベル6」「プレミアム=レベル7」および「ブロンズ=レベル3」と認定のレベル感を定義している.それに合わせて,それぞれの職種別審査委員会が人材像の定義や認定要件を決めており,基準に合うかどうかを審査する.ただし,業務経験や実績は,日頃の業務にかかわるため,必要に応じて申請者の業務内容を把握している者を審査員に加えることになっている.図5に示す「推進責任者」は申請者の人物と申請内容が正しいことに責任を持ち,審査委員長は申請内容が認定に値するかどうかの判断に責任を持つ.認定情報技術者制度(CITP)の企業認定の規程に合わせるために,本運用体制としている.

2つ目の特徴は,事業推進上日立で必要であれば,認定職種を新設できることである.このことにより,新しい技術分野の認定職種を柔軟に追加することができる.第3章で詳細に述べるが,データサイエンティスト職種の追加もこの仕組みによって大きな枠組みの変更なく行うことができた.

2.3 DX人材育成の課題

従来のSE業務では,分業してそれぞれが効率化することが重要であった.交わることなくそれぞれが個別に最適化することが求められた.ところが,DXでは今までになかったサービスをお客様と協創して作り出し,事業として成り立たせることが求められている.

「今までにないサービス=イノベーション」は,既存のサービスに隣接した部分やその隙間に生まれるので,社内であっても今まで付き合いのなかった部署との連携が必要である.分業で進めるにはお互いのことを知る必要がなかったが,協創するためには互いに知り,知の越境[2]を起こすことが大切である.その場合,従来型の体系や教材が用意されている研修を使って課題解決力を身につけるのではなく,他者との相互学習や自分の領域外を学ぶことが大切である.そこで,従来型の人材育成施策を拡大し,DX時代の相互学習ができるように育成するための施策を検討した.

個人が相互学習をしたいと思ったときに課題となるのは,以下の3点である[3].

  • (1)課題に直面した際にアドバイスを仰ぎたくても,誰に聞けばよいのか,どこに,どのような先端ディジタル技術の専門家がいるのか分からない.
  • (2)互いに他の専門家と共創する習慣がないと,アドバイスを求めてもオープンイノベーションが起こらず回答を得られない.
  • (3)異分野の専門家が会話する際,最低限必要な共通知識(ボキャブラリ)がないと適切なアドバイスを得られない.

上記(1)(2)については,社会的利益に貢献するために活動することを目的とした専門家のコミュニティであるプロフェッショナル・コミュニティ活動が有効であると考えている.

図6はコミュニティ活動が組織能力を高めることを示している.人材育成は,これまで,①OJT(On-the-Job Training),②Off-JT(Off-the-Job Training),③自己啓発の3つの方策に整理されていた.図6のY軸の「A:実務との関係度合い」の大小,X軸の「B:自発的な行動度合い」の大小で4象限を表したときに,①OJTは「A大B小」,②Off-JTは「A小B小」,③自己啓発は「A小B大」の象限に位置する.「A大B大」の象限に位置する方策として,社内の同一職種の相互研鑽の場である「プロフェッショナル・コミュニティ」を位置付けることができる.プロフェッショナル・コミュニティは業務そのものではないが,同一職種の実務をこなす能力を高めるための活動であり,成果を生み出す能力を高めるための自発的なものである.組織が人を教育するのではなく参加メンバが相互に研鑽しながら学んでいく.

コミュニティ活動の位置づけ
図6 コミュニティ活動の位置付け

プロフェッショナル・コミュニティでは,参加メンバが相互にディスカッションすることから学ぶ「協調学習」,日々の仕事の在り方を振り返ることから学ぶ「経験学習」が行われ,継続的に能力向上に取り組む.参加メンバは自らの能力によるサービス向上を自己実現と考える人材集団であり,ビジョンを共有している.プロフェッショナル・コミュニティでの活動は「学習する組織」のベースとなるものであり,プロフェッショナル・コミュニティでの学習を実務に活かしていくことを繰り返すことで,会社全体の能力が高まっていき組織能力の向上につながっていくと考えられる.

なお,このようなプロフェッショナル・コミュニティでの活動が,組織能力向上にどう結びついていくか,事例研究により検証していくことが今後の課題の1つと考えている.

プロフェッショナル・コミュニティ活動をするためには,その前に(3)に記載の「最低限必要な共通知識(ボキャブラリ)」が必要になる.

次の第3章で(3)の課題に対する具体的な取り組みを含む日立データサイエンティスト職種の考え方,第4章で(1)(2)の課題に対するプロフェッショナル・コミュニティ活動の取り組みについて言及する.

3.日立データサイエンティスト職種

2.1節で説明したITSS準拠のレベル診断(以下,第3章では「レベル診断」と呼ぶ.)とCIP制度を用いた人材育成はオーソドックスで従来型の仕組みであるが,DX人材に必要なデータサイエンティストの育成でも有効であると考えている.「2.3 DX人材育成の課題」で述べたように「最低限必要な共通知識(ボキャブラリ)」を得るためには従来型の学習が効果的であり実績もある.日立ではこの人材育成方法をグループ会社も含めて展開しており共通知識として認知されている.

3.1 日立データサイエンティストの定義

本節では,DX人材に必要な先端ディジタル技術の1つである「データサイエンティスト」をレベル診断システムとCIP制度に同時期に職種定義して活用した事例を説明する.

2018年6月21日に「デジタルソリューションのさらなる拡大に向けデータサイエンティスト育成を加速─2021年度までに国内外の日立会社において3,000名に増強」[4]で社外発表したように「データサイエンティスト3,000人育成」を目標に取り組んでいる.

まず,レベル診断とCIP制度に「データサイエンティスト」の職種を新たに定義した.図7に示す人材の定義および図8に示すレベル感は,(一社)日本データサイエンティスト協会が提唱するデータサイエンティストに求められるスキル[5]を参考にしている.

データサイエンティストのスキルセット
図7 データサイエンティストのスキルセット
資料:データサイエンティスト協会 2ndシンポジウム
スキル委員会公演資料「データ社会に求められる新しい才能とスキル」[5]
データサイエンティストのスキルレベル感
図8 データサイエンティストのスキルレベル感

ポイントは以下の4点である.

  • 職種を「データサイエンティスト」,専門分野を「ビジネス」「データサイエンス」「データエンジニアリング」の3分野とした.
  • ITSSレベル3に対応する図8の「ユーザレベル」から定義を開始し,その後,図8の「作業改善レベル」のレベル4以降は,ITSSのレベル感に合わせて定義した.
  • 通常CIP制度では情報処理学会のCITP制度にあわせて,ITSSレベル4相当以上をシルバーとして認定する.しかし,データサイエンティストでは,プロフェッショナルの手前の人材も認定している.これは,データサイエンティストという新しい職種の日立内に向けた認知度向上を目的としている.ITSSレベル3相当であるデータサイエンティストのブロンズ認定の要件は複数の所定研修の受講等である.
  • レベル診断「データサイエンティスト」職種とCIP制度「日立データサイエンティスト」のそれぞれの定義を同時期に進め,レベル感を合わせるようにした.

日立ではデータサイエンティストを定義する以前に,データに注目してお客さまの事業貢献のために提案を行う「データ・アナリティクス・マイスター」という職種をCIP制度で定義していた.「日立データサイエンティスト」という新しい職種定義を検討する際に既存の職種定義に影響を受けて,ビジネス貢献に着目しがちになり,関係者で合意をとるのが難しかった.データサイエンティストは,「ビジネス」「データサイエンス」「データエンジニアリング」のタスクを同じように経験している必要があるため,ITSS+ですでに定義されていた内容を参考にすることで,バランスよく定義することができた.なお,データ・アナリティクス・マイスターは,新たに定義した日立データサイエンティストのビジネス分野に統合した.

3.2 マルチスキル化の推奨

2.2節で説明したように日立のCIP制度において,職種追加に柔軟に対応しているのは,技術者がマルチスキルを保持することを推奨するためである.

SEは通常若手の間はITスペシャリストとして経験を積み,プロジェクトマネージャとして独り立ちするように教育を受け,業務の経験を積んできた.DX人材は,従来の業務を進める力や自分の軸は磨きつつ,先端ディジタル技術を身につける必要がある.その際,学ぶべき職種は事業により異なるため自ら選び,試しに学んでみるという姿勢が大切である.「自分が現在担当している業務で伸ばすべき方向性は分かっているが,他にはどんな領域があるのだろうか?」と考えたときに,レベル診断の職種やCIP制度の職種を見れば,どんな種類の職種があるか,どのようなキャリアが広がるのか分かる.レベル診断の職種はタスクで定義されているので,自分がどのような業務を経験すればレベルアップするのか分かる.また,CIP制度の認定要件を調べれば,自分が今後受講すべき研修や取得準備を始めるべき公的資格が明らかになる.このときに,事業の必要性に合う職種の数が多ければ,得意分野や興味の分野に応じて各自の可能性が広がり,組織の力も高まる.日立では従来スキルの人材を「転換」するという考え方ではなく,今までのスキルはそのまま保持し,新しい職種のスキルを追加で身につける「マルチスキル」という考え方を採用している.

経営者の視点で考えても,DX事業を拡大推進するために技術者がマルチスキルを保持することが望ましい.レベル診断システムでは5つまで職種×専門分野を選択することができ,CIP制度では複数職種の認定を受けることを推奨しており,経営側の意思を技術者に伝える役割を果たしている.

3.3 PDCAをまわすために

職種を定義しただけで人材育成が進むわけではない.PDCAがうまくまわるような工夫が必要である.試行錯誤を繰り返し,現在は図9に示す仕組みでPDCAを回している.

人材育成のPDCAサイクル
図9 人材育成のPDCAサイクル

まず,日立の事業計画が策定されると,それに合わせてシステム&サービスビジネス部門の計画が策定される.それが,金融分野や公共分野といった事業領域に応じた事業計画にブレイクダウンされる.その際に「IT人材中計」を策定する.IT人材中計とは事業領域ごとに目標達成のために各職種のプロフェッショナル人材が何人必要かを計画するもので,事業部,本部,部,課のどのレベルであっても同様に計画を立てることができる.現状(AsIs)はレベル診断システムによるセルフアセスメントで把握することができ, 目指すべき姿(ToBe)はIT人材中計で明確になる.AsIsとToBeのギャップを埋めるには,育成,採用,M&Aのいずれにするかなどの戦略を立てることができる.達成度を年度ごとに確認することができるので,ToBeまでの差分を埋めるための施策を実施することができる.

会社として大きなPDCAをまわしながら,個人のキャリアアップに繋がる取り組み(図10)も行っている.

個人の年間サイクル
図10 個人の年間サイクル

レベル診断は随時可能であるが,一斉診断の時期を設けて年間予定の中に組み込んでいる.キャリア面談の前にレベル診断を実施し,今年度の振り返りと次年度の目標設定に反映している.キャリア面談では,タスクのアサインに関する相談とともに,研修受講の相談をすることができる.一方,上司はメンバがレベルアップするために受講する研修が明らかになるので,それに基づいて予算化することができる.

上長と本人をサポートするために,レベル診断結果と研修受講関係を見える化するツール(個人レポート)も活用している.レベル診断を1ポイント上げるためには,今後どのようなタスクが遂行できる業務にアサインするといいとか,どのような研修を受講すればいいなどの次のアクションにつながる情報を提供している.図11が個人レポートの出力イメージである.

個人レポートの出力イメージ
図11 個人レポートの出力イメージ

3.4 研修受講促進施策

先に述べたように,CIP制度の日立データサイエンティスト ブロンズ認定は指定された研修受講も認定の条件であるが,この要件となる研修講座を日立内の研修専門会社((株)日立アカデミー)で用意している.従来よりデータ分析の講座はあったが,CIP制度の職種として定義したことで学習内容も明確になり,新規に研修コースを開発したものもある.データサイエンティストとしての体系的な研修講座開発には6カ月ほど要したが,トライアルを実施しブラッシュアップして定期的な研修講座として展開した.体系化した研修を業務上必要な人が広く受講できるように,すでに関連講座を受講している人を抽出し,残りの講座の受講を促すなどのきめ細かな方法で,研修受講およびブロンズ認定を促した.

(株)日立アカデミーでは,日立向けに開発した研修講座を,日立以外のお客様にもご提供している☆4表3はその一部である.

表3 (株)日立アカデミー データサイエンティスト向け研修(抜粋)
株)日立アカデミー データサイエンティスト向け研修(抜粋)

3.5 データサイエンティスト職種定義の成果

2018年度レベル診断でデータサイエンティストの診断を実施し,各自の業務経験に応じたレベルの診断結果がでている.各現場でデータ分析に取り組んでいる技術者を把握することができたが,特に,プロダクト系技術者の中にもデータサイエンティストが多く存在することが分かった.レベル診断システムによるセルフアセスメントで人材発掘が可能であることが検証できた.

2018年度下期より,CIP制度に日立データサイエンティストを追加し認定した結果,2018年度は当初想定していた認定者数の1.8倍のデータサイエンティストのブロンズ認定者を輩出することができた.

現時点ではデータサイエンティスト職種がビジネスの成功に寄与した効果は測定できていない.しかし,情報処理学会のCITP企業認定を取得するために日立社内の制度を整え,職種を追加しCIP制度を立ち上げてから,日立のシステム&サービスビジネス部門におけるプロジェクト成功率は確実に上がってきている.

図12は,日立のシステム&サービスビジネス部門において,社内基準に従って計測しているプロジェクト成功率(2013年を100とした場合)の推移である.このようにCIP制度は社内認定として実績ある制度であり,データサイエンティストなど新しい職種もこの制度の中に加えていくことでビジネスへの効果が期待できる.

プロジェクト成功率の推移
図12 プロジェクト成功率の推移

第3章では,データサイエンティスト職種を新たに定義し,レベルに合わせた研修体系にまとめたことを説明した.これは「2.3 DX人材育成の課題」(3)で述べた最低限必要な共通知識(ボキャブラリ)を習得する方法を確立した事例である.

4.プロフェッショナル・コミュニティ事例紹介

第3章では,従来型の人材育成を活用してDX時代の課題に取り組むために必要な「最低限の共通知識(ボキャブラリ)」の獲得について説明した.この段階ではまだ言葉が通じるようになっただけで,「2.3 DX人材育成の課題」(1)(2)の課題は解決できていない.

たとえば,製造現場にIoT(Internet of Things)を導入して効率化するには,不良品が出て歩留まりが安定しないなどの現場の課題を理解した上で,それをデータサイエンスの問題に変換し,データ分析した結果(たとえば,湿度や温度データと歩留まりデータの相関関係など)を読み解いて,温度を測るセンサの追加,環境の調整などの現場の改善につなげる必要がある.それには,製造現場の知識などを踏まえたビジネス力も必要になる.一方で,テクノロジーの進化はめまぐるしく,新たな分析手法や技術が登場しており,すべてのスキルを1人で極めることは困難である.

このように,今まで以上に深い知識と広い領域に対する課題に対して取り組んでいく必要があるので,専門家がチームを組んで対応することが必要になっている.このような場合に,製造現場の知識保持者と新たなデータ分析手法の研究者のように異分野の専門家が共創して,さまざまな課題に対する知を集める「プロフェッショナル・コミュニティ活動」が重要になっている.

4.1 プロフェッショナル・コミュニティ活動

日立におけるデータサイエンティストのプロフェッショナル・コミュニティ活動は,“育成視点”,“実務者視点”,“ナレッジ・ノウハウ共有”の3つの観点のサブ・コミュニティで活動を行っている.それぞれ,自らの意思でサブ・コミュニティに参加する形式で,①育成に興味がある,②データサイエンティストとして実務に携わっている,③ナレッジ共有に興味があるというそれぞれの観点で集まっている.

「2.3 DX人材育成の課題」に記載の課題(1)(2)の解決を目的として,組織の壁を越えて研究者,実務者,エンジニアが広く集まっている.

4.2 プロフェッショナル・コミュニティ活動の立ち上げ

「①育成視点」のサブ・コミュニティには人事部門で人材育成の担当者もいたが,多くは現場で部下の育成に苦労しているマネージャ層が参加していた.製造や制御など従来ITから距離のあった分野の技術者が,それぞれの現場で取り組んでいるセンシングやデータ分析の技術を共有し,体系を整理した.実際には,参加者がすぐに現場で使える技術を欲しているため,個別課題に注目することが多いが,抽象度を上げて育成を体系化するためのベースラインを設定した.ベースラインは「3.1 日立データサイエンティスト定義」で図7,8で示した日本データサイエンティスト協会の定義が基準となっている.これの「ユーザレベル」をベースラインとし,IT以外の分野でも通じるようにした.ベースラインが共有されたことで,人材育成の指針を定めることができた.

執筆者も育成分科会に参加しているが,IT分野の育成とは異なる事業領域の議論は新鮮で,新たに学ぶことが多いと感じている.具体的には,ITシステムではインターネットの情報セキュリティに関して論じることが多いが,製造現場においてはネットワークは工場内に閉じるためセキュリティに関する感覚が異なることや,「リアルタイム」という言葉を使う場合にITシステムにおいてはミリ秒単位の処理を指すが,制御システムではマイクロミリ秒単位の処理を指すために配慮すべき点が異なることなどである.

「②実務者視点」のサブ・コミュニティの活動で特徴的なのは,研究者と実務者の交流である.通常,企業内研究者が実務者と交流するのは,共通のテーマがあらかじめ決められた場合が多かった.DX時代にはお客様の状況が急速に変化し,AIなどの最先端技術の進歩も著しいので,実課題に取り組む実務者と最先端の研究を行うトップクラスの研究者との交流が必須である.「②実務者視点」のサブ・コミュニティでは,交流の場を新規に設定するのではなく,従来より月に数回の頻度で開催されている研究テーマ別の研究討論会に実務者が参加しやすくなるよう工夫することで,交流が促進するようにした.研究討論会は,最先端の研究動向,社内トップ研究者の研究成果やその適用事例を社内で共有する機会である.この討論会を従来以上に活用するために,討論会中にチャットシステムにより匿名での質問を受け付けたり,討論会と連動したSNS(Social Networking Service)コミュニティを開催したり,遠隔地のメンバとも双方向の議論ができるように工夫した.その結果,データサイエンスのテーマでの研究討論会は,他テーマに比較して多くの参加者が集うようになった.この研究討論会をきっかけとして情報交換・交流が始まるとともに,自律的な参画を促す場としても期待されている.

「③ナレッジ・ノウハウ共有」の分野では,グローバルビジネスを支援する取り組みや,グループ内で利用可能な共通分析実行環境を活用しているが,詳細は[3]が詳しい.

4.3 社内プロフェッショナル・コミュニティ活動の運営

本来のプロフェッショナル・コミュニティ活動は会社組織の壁を越えて,1人のプロとして活動することがあるが,社内でのプロフェッショナル・コミュニティ活動がうまくまわるためには,きめ細かな運用サポートが必要であると考える.

情報処理学会のCITP制度では3年ごとの更新とそれに必要なポイント(CPDポイント)の管理,社会的利益に貢献することを目的とした専門家のコミュニティであるプロフェッショナルコミュニティ活動が規程されている.情報処理学会の認定を受けているので,日立でも職種ごとに社内プロフェッショナルコミュニティ活動に取り組んでいる.具体的には以下の2点で,認定者同士の交流を促進している.

  • ①職種単位で社内SNSのグループを作り情報発信や交換の場とする.
  • ②フォーラム,ミニイベントの企画,研修を利用し,上位者の知恵の伝承および気づきと相互研鑽の場を与える.

CIP制度の運用で,今後の取り組みとしてとくに効率化が求められるのはCPDポイントの管理である.CIP制度の全認定者が対象であるため人数が多く工数がかかる.日立では,半年ごとにあらかじめ必要情報が記入された各自のポイント管理表シートを配布し,活動内容を記入するとポイントの過不足が確認できるようにしている.CPDポイントの管理方法は,対象者からの問い合わせも多いことから,FAQをまとめてグループ内に公開している.

4.4 プロフェッショナル・コミュニティ活動の成果

プロフェッショナル・コミュニティ活動の成果を定量的に表すのは難しい.ここでは一例として社内で実施しているコミュニティフォーラムのアンケート回答結果を示す.

図13は年に1回実施しているCIP制度全体のイベントであるコミュニティフォーラムの400名を超える参加者アンケート結果である.このコミュニティフォーラムは,全職種共通のコミュニティ活動報告と招待講演,職種ごとのテーマ別セッションで構成されている.参加者にはCPD/PDUポイントを付与することでプロフェッショナル・コミュニティへの参加時間を可視化できる.図13から,各項目とも「大変良かった」「よかった」を合わせると8~9割超で,参加者から高い評価を得ていることが分かる.

コミュニティフォーラム参加者アンケート セッションごとの評価
図13 コミュニティフォーラム参加者アンケート セッションごとの評価

「2.2 日立ITプロフェッショナル認定制度」で説明した職種ごとの主管部署が,コミュニティフォーラムの各職種のセッションも担当しており,各職種のプロフェッショナル・コミュニティ活動の場となっている.DX職種のプロフェッショナル・コミュニティ活動は開始したところであるが,すでに他職種で実績があり成功している仕組みがあるので,ノウハウを共有するなど今後の活用が期待できる.

このようにイベントの参加者数やアンケート結果などでもプロフェッショナル・コミュニティ活動の成果として挙げることはできるが,それよりも別の成果もある.ビジネスや組織の変革に寄与できることである.たとえば,自分とは異なる領域の専門家と交流し,新しい技術を学び直すきっかけとなったり,自分の持つ技術を新しい領域に適用するアイディアが生まれたりする.これがDXに繋がる.このような知の越境は自分に核があると化学反応がより大きくなる[2]ので,従来の技術を核としてプロフェッショナル・コミュニティ活動を行うと効果的である.データサイエンティストをはじめ,CIP制度のプロフェッショナル・コミュニティ活動の活性化施策の強化を図っていく.

5.おわりに

本稿では,従来型のSE人材育成・認定の仕組みを拡張してデータサイエンティスト育成・認定の仕組みを構築する方法を報告した.データサイエンティスト育成のために必要な共通知識(ボキャブラリ)の習得は,従来型のSE人材育成の手法が有効であり,認定も従来の枠組みが利用できる.データサイエンティストとして必要となる顧客との協創のスキルを身に付けるためには,プロフェッショナル・コミュニティの形成による相互研鑽が有効である.プロフェッショナル・コミュニティ活動量の可視化には,情報処理学会のCITP制度で取り入れられているCPD(継続研鑽)の仕組みが有効である.この2つの組合せにより,従来型のSE人材育成の仕組みを拡張する形でのデータサイエンティス育成プログラムを構築し,運用を開始し,成果が出始めている.

日立のシステム&サービスビジネス部門の目指す姿は,2018年度末時点で2万人強であるディジタル人材(DX事業を支える人材)を,2021年度に3万人規模に拡充することである[6].その中でも特に,現在1,000名規模のデータサイエンティストは2021年に3,000人に増強することを目標としている[4].

従来から活用されていたスキル標準や認定制度がDX時代の人材育成に合うのか,という議論は繰り返し聞かれる.しかし,DX時代になって求められるスキルがすべて新しく変わるのではなく,今まで培ったスキルにプラスして,DX人材としての新しいスキルを身につける必要があるのである.そのような新しいスキルは,異分野,異業種の専門家と知識を持ち寄り,相互学習で獲得することができる.DX人材の育成は,このように,互いにスキルを高め合うことができる人材の育成にもつながる.

企業における人材育成は,事業上の事実に着目し,時代に合わせて仕組みを変化させながら,活躍できる人材を育てることである.

日立の取り組みも試行錯誤の連続であるが,知を結集させて時代の変化に対応する.今後はIT分野の知識や経験がない人がITを活用できるようになり,IT分野の技術者は製造現場や制御の現場で価値を生み出せるような相互の人材育成に取り組む.

謝辞 本稿の執筆にあたり,(株)日立製作所 吉野松樹氏にご指導いただきました.深謝いたします.

参考文献
  • 1)初田賢司:経営戦略を支えるプロフェッショナル認定制度─企業認定を取得した日立ITプロフェッショナル認定制度の例─,情報処理,Vol.59, No.10, p.643, pp.922-925 (Aug. 2018).
  • 2)池上 彰:知の越境法「質問力」を磨く,光文社 (June 2018).
  • 3)渡邉友範,他:さまざまなデータ利活用のニーズに答えるプロフェッショナル・コミュニティ活動,日立評論,Vol.101, No.2, pp.250-255 (Mar. 2019).
  • 4)日立ニュースリリース:デジタルソリューションのさらなる拡大に向けデータサイエンティスト育成を加速(June 2018), http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2018/06/0621.html
  • 5)(一社) 日本データサイエンティスト協会 スキル委員会:スキル委員会活動報告2017年度版スキルチェック&タスクリスト,データサイエンティスト協会 4thシンポジウム (Oct. 2017), https://www.slideshare.net/DataScientist_JP/4th-81178634
  • 6)Hitachi IR Day 2019 : ITセクター (June 2019), http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2019/06/0604/20190604_01_it_presentation_ja.pdf
小野 綾子(非会員)ayako.ono.fy@hitachi.com

1991年津田塾大学卒業.同年(株)日立製作所入社.以来,ストレージシステムに関する研究開発の後,研究管理,コンサルタント育成,事業部門における採用・教育,労務安全業務を経験し,システム&サービスビジネス分野の技術者育成に従事.スキル標準ユーザ協会認定コンサルタント,JEITAソリューションサービス人材開発専門委員会委員.

後藤協子(正会員)kyoko.gotoh.em@hitachi.com

1990年日本女子大学卒業.同年(株)日立製作所入社.以来,社内のIT人材育成業務に従事.2013年より社内のITプロフェッショナル認証制度を担当し現在に至る.情報処理学会企業認定審査委員会委員.

投稿受付:2019年5月13日
採録決定:2019年11月5日
編集担当:峯 恒憲(九州大学大学院システム情報科学研究院)

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