デジタルプラクティス Vol.11 No.1(Jan. 2020)

車載組込みシステム技術者の育成~enPiT-Pro Embでの教育実践~

山本 雅基1  塩見 彰睦2  岡村 寛之3  高橋 寛4  沢田 篤史5  高田 広章1

1名古屋大学  2静岡大学  3広島大学  4愛媛大学  5南山大学 

近年の組込みシステムの開発現場では,社会人が学生時代に学ばなかった新しい情報技術が用いられることがまれではなく,社会人の学びのニーズが高まっている.そこで,名古屋大学・静岡大学・広島大学・愛媛大学・南山大学の5大学は,社会人の組込みシステム技術者を育成するenPiT-Pro Embを提供して,社会のニーズに応えている.enPiT-Pro Embは,組込みシステムの中で車載とIoTに焦点を当てた教育を行っている.本稿では,特に車載組込みシステム技術者の育成に焦点を当てて,その取組み事例とそのプラクティスについて述べる.

1.はじめに

近年,産業界には,情報技術を活用して社会の具体的な課題を解決できる人材へのニーズが高まっている.情報機器やWebなどの情報そのものを対象とする産業分野だけではなく,自動車や家電などの製造業でも,情報技術人材が必要とされている.

たとえば,自動車産業では,1980年頃から一部の高級車でコンピュータを用いたエンジンやブレーキの制御が始まり,情報技術人材がそれらの開発に参画しはじめた.カーエレクトロニクス化は,パワーウィンドウやカーナビなどに広がり,今や1台の自動車に数十台のコンピュータが搭載されることが一般的で,情報技術人材が活躍している.近年の自動車産業は,CASE(Connected, Autonomous, Shared & Services, Electric)に代表される変革期を迎えて,情報技術人材のニーズがさらに高まっている.

情報技術人材のニーズの高まりは,自動車以外の産業分野でも観察される.たとえば,工作機械産業ではIoT(Internet of Things)の普及に伴い,センシングデータをサーバに送信して,時系列データの分析による予知保全への取り組みなどが始まり,情報技術人材へのニーズが高まっている.

産業界における情報技術人材に関する調査は,情報処理推進機構(IPA:Information-technology Promotion Agency)が継続実施して白書としてまとめている.IT人材白書2019[1]では,世界的にディジタル変革が進展しており,我が国でもディジタル変革を進めるためには「優秀な人材の獲得・確保がより一層重要になる」としている.調査によれば,IT人材の「量」に対する不足感は,「大幅に不足している」が31.9%,「やや不足している」が60.1%であり,「質」に対する不足感は,「大幅に不足している」が31.8%,「やや不足している」が60.3%であった.これらの割合は高止まりしている(図1).それらを踏まえて,白書では,企業の文化や風土・魅力によって人材の確保に明暗が生まれ,企業のディジタル化に差が生まれていることを指摘している.その点からも,企業におけるIT人材の育成は喫緊の課題である.IT人材の育成に対する社会ニーズに対応して,文部科学省は,2017年度から社会人を育成対象とした「成長分野を支える情報技術人材の育成拠点の形成(enPiT)」事業を公募して推進している[2].名古屋大学・静岡大学・広島大学・愛媛大学・南山大学は公募に採択され,5大学が協力して「組込みシステム技術者のための技術展開力育成プログラム(enPiT-Pro Emb)」を推進している[3].

IT人材の量と質の不足感
図1 IT人材の量と質の不足感(引用[1])

本稿では,enPiT-Pro Embにおける車載組込みシステムの技術者の育成を述べる.はじめに第2章でenPiT-Pro Embの全体像を述べる.第3章では車載組込みシステムコースを取り上げて車載の技術者教育のニーズと教育項目を述べる.そして第4章で車載組込みシステムコースの実施状況を報告して,第5章で総括する.

enPiT-Pro Embは常に改善している.最新情報は,Webサイト[3]を参照されたい.

2.enPiT-Pro Embの全体像

2.1 IoT/車載組込みシステムコース

名古屋大学・静岡大学・広島大学・愛媛大学・南山大学は,「組込みシステム技術者のための技術展開力育成プログラムenPiT-Pro Emb」を推進している.組込みシステムは,機器に組み込まれるコンピュータシステムの総称であるが,我々は,「車載」機器と「IoT」機器に焦点を当てて,その領域で活躍する社会人の組込みシステム技術者に対象を絞り,教育を実施している(図2).

enPiT-Pro Emb全体像
図2 enPiT-Pro Emb全体像

「車載組込みシステムコース」は,名古屋大学を中心として広島大学とともに行う.他方,「IoT組込みシステムコース」の教育は,静岡大学を中心にして,愛媛大学と南山大学とともに行う.さらに,5大学は,IoTと車載の枠を超えて,必要に応じて相互に科目を提供し合い,社会人のニーズに応える.

本事業は,学会や企業との連携をとる.つまり学会と連携して,社会人向け教育に関する教授法やカリキュラムについて討議を行う機会を設ける.そして企業の協力を得てアドバイザリ委員会を設けて,アドバイスや評価を頂戴する.さらに,企業にはアドバイスに加えて,教材の提供や講師の派遣にもご協力いただく.

enPiT-Pro Embでは,社会人の学びのPDCA(Plan, Do, Check, Act)サイクルを想定して,企業の人材育成の一環にenPiT-Pro Embを組み込んでいただくことを提案している.“Do”は,社会人が企業において業務遂行を行いながら,自身の技術力を点検することである.彼らは,業務を遂行しながら,自らが習得すべき技術項目を設定して,enPiT-Pro Embに参加する動機を持つ.enPiT-Pro Embに参加する社会人は,大学でPDCAの残りのサイクルを回す.

さて,組込みソフトウェア開発に必要なスキルを体系的に整理するフレームワークとしてETSS[4]がある.ETSSは,スキルレベルを4つに分類している.レベル1は支援のもとに作業を遂行でき,レベル2は自律的に作業を遂行でき,レベル3は作業を分析し改善・改良でき,レベル4は新たな技術を開発できるである.我々は,enPiT-Pro Embの科目をETSSのスキルレベルの2と3に関連づけた.

すなわち,enPiT-Pro Embの基盤科目群は,組込みの汎用的な技術がレベル2に達していることを“Check”する機能を有する.先端科目群は,より専門性が高い技術をレベル2に引き上げる“Act”として位置づける.最後に技術展開力科目群は,学習内容を企業の業務にレベル3として適用する計画を意識した“Plan”と位置づける.

2.2 名古屋大学と静岡大学における社会人教育の歴史

大学では学生向けの教育を行っているが,それらの科目がそのまま社会人向けの教育として適切であるかについては,疑義が残る.一般的に,学生教育は特定の産業を意識することなく汎用的で基礎的な技術知識の育成を目的として行われる.他方,社会人は,自身が取り組む業務課題に対応する教育を希望する.そのために,大学で学生向けに行っている教育をそのまま社会人に提供しても,ミスマッチがおきる可能性がある.ミスマッチを解消する1つの方法が,大学で継続して社会人教育を行い,アンケート調査や受講者数などを分析して,社会人ニーズに合わせてカリキュラムを改訂し続けることである.

名古屋大学と静岡大学は,enPiT-Pro Embを始める前から社会人教育に取り組んできているので,社会のニーズをある程度に捉えたカリキュラムを提供してきた.その実績をもとにenPiT-Pro Embを構築した.すなわち,名古屋大学が行ってきた社会人教育をベースに「車載組込みシステムコース」を,静岡大学が行ってきた社会人教育をベースに「IoT組込みシステムコース」を開発・整備した.次に,過去に実施してきた社会人教育について紹介する.

名古屋大学は,2004年に文部科学省の「新興分野人材養成プログラム」補助金を得て,社会人の組込み技術者向けにNEXCESSと呼ぶ教育プログラムを実施した[5].補助金の終了後は,名古屋大学情報学研究科附属組込みシステム研究センター(NCES:Nagoya Univ., Center for Embedded Computing Systems)が主体となり,NEP(NCES Education Program)として社会人教育を継続実施してきた.今回,enPiT-Pro Embの補助金を用いて,大幅に教材改訂や新科目の開発を行い,現在の社会ニーズに応える車載組込みシステムコースとして整備し直した.

他方,静岡大学は,2012年に文部科学省の「制御系組込みシステムアーキテクト養成プログラム」補助金を得て,社会人の組込み技術者向けの教育を実施してきた.本プログラムの補助金終了後は,複数の企業が参画するHEPT (Hamamatsu Embedded Programming Technology Consortium)コンソーシアムを立ち上げて,社会人教育を継続実施してきた[6].今回,enPiT-Pro Embの補助金を用いて,教材の改訂や新たな科目の追加を行い,HEPTの一部の科目を加えてenPiT-Pro EmbのIoT組込みシステムコースを整備した.

以上のように,名古屋大学と静岡大学が従来から進めてきた社会人教育を整備し,組込みシステムの社会人教育経験が少ない広島大学・愛媛大学・南山大学と教育カリキュラムを共有して,車載とIoTのニーズに応える社会人教育を立ち上げた.

2.3 社会人の受講への配慮

enPiT-Pro Embは,社会人の学びやすさを提供するために,複数の取り組みを行っている.その事例を以下に紹介する.

2.3.1 科目選択受講の提供

標準的な学習時間として,車載組込みシステムコースは120~144時間,IoT組込みシステムコースは128時間を設定している.

しかし,すべての社会人が120時間を超える教育時間を許されるわけではない.さらに,コースで提供する一部の科目を受講する必要がない程度まで十分な知識や技能を有している技術者もいる.彼らが,特定の業務遂行に必要な技術のみを学ぶことを目的とする場合は,当該技術を取り上げる科目だけ受講すればよい.

このように,120時間におよぶコースを受講する必要がない社会人がいるので,我々は,コース受講以外に,1科目だけを選択受講できる仕組みを提供した.

2.3.2 受講場所の拡大

enPiT-Pro Embは,参加する5大学が科目を相互に提供する.科目を提供する大学は,それらの科目を自大学で開講するとともに,必要に応じて他の大学でも受講できるようにした.他大学での受講は,教員がその大学を訪問して講義を行う場合と,自大学で行う講義をWeb会議システムを用いて他大学に配信する場合がある.これにより,社会人が受講できる場所を,浜松市,名古屋市,広島市,松山市に広げて,社会人が受講のために移動する負担を軽減した.

さらに,名古屋大学は東京駅丸の内側の三菱ビル内にある名古屋大学東京オフィスに,名古屋市内の名古屋大学東山キャンパスで開講する科目の一部を配信する.これにより,前述の4都市に加えて,東京での受講を可能とした.

なお,配信する科目は,演習の有無や教育機材の個数などによる運用上の制約を満たした科目に限られる.

2.3.3 受講の曜日と時刻の拡大

社会人受講者が社外で教育を受講する曜日や時刻は,いつが好ましいのであろうか.社会人が会社と関係なく個人として学ぶ場合は,土日や夜間に学びの機会を提供するべきであるとの意見がある.他方,企業が社員に命じて教育を受講させる場合は,休日や夜間は好ましくないとの意見もある.

我々は,一部の科目で土日や夜間の開講を行い評価することにした.

2.3.4 コース受講の支援策

前述のように,車載組込みシステムコースは120~144時間,IoT組込みシステムコースは128時間の受講時間を設定している.コースでは技術を体系立てて学ぶことができるが,受講時間が長く,さらに40万円程度の受講料が必要になり負担が大きい.そこで,受講動機を高める施策として以下を整備する.

(1)履修証明書

学校教育法は,大学が社会人などを対象とした一定のまとまりのある履修証明プログラムを開設して,その修了者に履修証明書を交付できることを定めている.

enPiT-Pro Embでは本制度を用いて,コースを履修証明プログラムに認定して,修了者に履修証明書を発行することを目指す.ただし,履修証明プログラムは,大学ごとに実施するので,各大学の規約に従い取り組む.

(2) 職業実践力育成プログラムプログラム

文部科学省は2015年から,大学などにおける社会人や企業などのニーズに応じた実践的・専門的なプログラムを,「職業実践力育成プログラム」(BP:Brush up Program for professional)として認定している[7].本認定を受けた教育プログラムを修了すると,受講者または受講者が所属する企業は,厚生労働省の専門実践教育訓練給付金またはキャリア形成助成金/キャリアアップ助成金の支給を申請できる.支給金額は,企業規模などにより異なるが,受講料の1/3から1/2程度である.

enPiT-Pro Embでは本制度を用いて,コース修了者の受講料負担の軽減を目指す.

ただし,厚生労働省の助成制度は,上記以外にもたとえば人材開発支援助成金の制度がある.静岡大学はHEPTコンソーシアムで人材開発支援助成金を活用してきた経験があるので,IoT組込みシステムコースにおいても,その制度を活用する.

(3) 第四次産業革命スキル習得への支援

経済産業省は,2017年度から第四次産業革命スキル習得講座の認定を始めている.この講座は,IT・データを中心とした将来の成長と雇用創出に貢献する分野における社会人向けの専門的・実践的な教育訓練講座とされている[8].認定を受けた講座の修了者は,前出の「職業実践力育成プログラム」と同様に,厚生労働省の「人材開発支援助成金(特定訓練コース)」の助成制度を申請できる.

我々は,「制御システム開発のためのMBD」科目に対して当該認定を取得した.

2.3.5 e-Learningへの取り組み

e-Learningは,受講場所と日程の自由度を高めて社会人の学びやすさに寄与するので,enPiT-Pro Embでも取り組む.

ただし,enPiT-Pro Embのコースは履修証明プログラムとして実施するので,科目ごとに履修の確認や修了認定が必要となるが, e-Learningの受講が,大学の定める履修証明プログラムの要件を満たすかに関しては不確定な点がある.そこで,enPiT-Pro Embでは,受講者に直接の講義受講を求めることにして,e-Learningを復習目的に限定して使用することにした.現在,講師の承認が得られる一部の科目のe-Learningコンテンツ化を進めている.

2.3.6 広報と申込み受付け

enPiT-Pro Embの広報は,自動車やIoTの組込みシステム開発に従事する技術者の参加が見込まれる研究会やシンポジウムなどを中心に実施している.具体的には,「車載組込みシステムフォーラム(ASIF)」や「ET&IoT Technology展示会」などである.さらに,enPiT-Proの5大学の各地域に密着した「えひめAI・IoT研究会技術セミナー」や「ものづくり岡崎フェア2018」などの研究会や展示会や,enPiT-Proに採択された5拠点が合同で行う「enPiT-Pro 5拠点合同シンポジウム」を活用して,広報を行ってきた.加えて,名古屋大学NEPと静岡大学HEPTのメーリングリストも活用する.

受講申込みの受付は,Webページで行っている(図3).Webページでは,開講スケジュールや科目のシラバスも公開している.

enPiT-Pro EmbのWebページ例
図3 enPiT-Pro EmbのWebページ例

3.車載組込みシステムコース

3.1 車載組込みシステム開発を取り巻く環境

筆者らは1980年代の初めに車載組込みシステム開発に従事していた.当時は,カーエレクトロニクスの黎明期であり,8bitのマイクロコンピュータを用いたエンジン制御が始まっていた.車載組込みシステムの適用先は,足回りやメータなどにも広がり,開発環境も大きく変化した.たとえば,開発言語はアセンブラ言語からC言語に,プラットフォームは簡易なスケジューラからμITRONになった.当時から,学生時代に学ばなかった新技術を用いて開発する必要があったので,社会人になってからも新技術の学習をしていた.

1980年代の黎明期に比べて2019年の今の方が,新たに習得しなければならない技術の種類と量が多い.たとえば,1980年代に使用していたμITRONはRTOS(Real Time OS)であるが,最近使用するAUTOSARは,RTOSに加えて通信やメモリ管理やRTE(Run Time Environment)などを加えたプラットフォームである(図4).μITRONよりもAUTOSARの方が,習得しなければならない技術の範囲は遙かに広い.

UTOSARクラシックプラットフォームのソフトウェアレイヤ
図4 AUTOSARクラシックプラットフォームのソフトウェアレイヤ ☆1

カーエレクトロニクスの黎明期は,技術の種類や範囲が限られていたので,技術者個人の努力やOJT(On-the-Job Training)で技術の習得が可能であった.しかし,現代では,技術の種類や分量が多く,個人や一企業の努力では対応しきれなくなりつつある.たとえば,OJTによるAUTOSAR技術の育成を試みても,多くの業務では膨大なAUTOSARに含まれる一部の技術のみの利用に限られるので,AUTOSARの全体像や,業務で用いない技術の習得は困難である.

つまり,昨今の車載組込みシステム開発で必要とされる技術を体系立てて学ぶには,個人の努力やOJTでは限界がある.限られた技術領域の仕事のみを行う社内の技術者だけでは,車載技術の社内教育を整備できない.

3.2 カリキュラムの整備方針

名古屋大学で実施してきた社会人向けの公開講座NEPは,NCESの研究成果の活用と企業ニーズの反映を加えて整備してきた.今回,enPiT-Pro Embの補助金を活用して,車載組込みシステムコースの整備を加速させた.

NCESは,企業との共同研究を組込みシステムの分野で行っている.共同研究の形式は,2つある.1つは,NCESが1つの企業とともに研究を行う一般的な形式であり,主に企業の競争領域が研究対象である.もう1つは,NCESが複数の企業と共同で研究テーマに取り組むコンソーシアム型共同研究であり,主に協調領域が研究対象である.コンソーシアム型共同研究に参加する企業は,研究費の負担を抑えて投資対効果が大きな研究成果を得る.表1は,コンソーシアム型共同研究の一部であり,カッコ内の数字は,共同研究に参加した企業・団体数である.

表1 NCESのコンソーシアム型共同研究の例
NCESのコンソーシアム型共同研究の例

NCESは,主に協調領域における共同研究成果の一部を,共同研究先の了解を得て教材化する.そもそも,共同研究は企業が関心を寄せるテーマの研究をするので,研究成果の教材化は,社会のニーズを先取りして反映している.

他方,自動車のエンジン・足回りなどや,自動車業界の開発プロセスであるAutomotive SPICE(Software Process Improvement and Capability dEtermination)や,MATLAB/Simulinkを用いたモデルベース開発などは,NCESの研究対象ではないので,教材開発をする知見を有していない.そこで,それらの領域では,他大学や企業の協力を得て教材の購入や共同開発をしたり,講師を派遣していただくことでカリキュラムを整備した.

3.3 科目一覧

車載組込みシステムコースの受講時間数は,120時間から144時間であるが,整備する科目の総受講時間数はそれ以上を用意して,受講者が選択するように設計する.その理由は,2つある.1つは,社会人の受講者が有する知識・技能にばらつきが大きいためである.もう1つは,受講者が直近の業務で必要とするなど,学習を希望する技術が車載組込みシステムコースで提供する科目の一部に限られるためである.

受講者が車載技術を体系立てて選択受講するように,選択対象科目を,(1)汎用的な技術を扱う基盤科目群,(2)車載技術に関係が深い先端科目群,(3)学習成果を再点検して業務に繋げる方法を検討する技術展開力科目群の3種類に分類した.その上で,分類ごとに選択する受講時間の下限を設けた.すなわち,基盤科目群から24時間以上,先端科目群から48時間以上,技術展開力科目群から12時間以上の選択を求めた.さらに,選択時間の合計が120時間から144時間になるようにする.これにより,受講者は,体系立てて選択した科目を通じて,自身が必要とする車載組込みシステム技術を学ぶ.

表2に各科目群に属する科目一覧を示す.*印は名古屋大学以外の協力を得て開講する科目であることを示す.**印は講師を共同研究員など外部に依頼しているが,教材はNCESとの共同研究などの成果によりNCESとともに作成した科目である.

表2 車載組込みシステムコース科目一覧
車載組込みシステムコース科目一覧

なお,車載組込みシステムコースの科目は,車載組込みシステムコースの受講者以外にも開放して,1科目ずつ選択受講できる仕組みを用意している.これにより,120時間の受講時間が確保できない社会人に対しても,学びの機会を提供する.

3.4 教材事例

多くの社会人は,学習して獲得した知識を,仕事の現場で活用することを期待している.そのために,車載組込みシステムコースの科目では,技術を教科書的に解説するだけではなく,実践的な視点で業務遂行の場面から技術を幅広く取り上げたり,演習を設けて知識を技能に転換することなどに取り組んでいる.

たとえば「要求仕様書と設計書の作成技術」では,要求仕様書の国際的な規約であるIEEE830などを教科書的に学ぶだけではなく,開発プロセスに従う開発現場の作業を踏まえて,要求定義や設計を捉え直す.つまり,開発現場で作成する要求仕様書の記述する項目を,IEEE830などから教科書的に覚えるのではなく,具体的な仕様書の事例を踏まえた仕様書の作成を学ぶ(図5).さらに,顧客から要求を聞き出す技術や,要求を提案するための発想技術が必要になるので,幅広くそれらも学ぶ.

教材スライドの事例
図5 教材スライドの事例

また,「制御システム開発のためのMBD」では,MATLAB/Simulinkとレゴマインドストームを用いた演習を行う.実際の開発現場では,制御工学を学んできた機械工学系と,コンピュータを学んできた情報科学系の,異なる背景知識を有する技術者がMBDの開発に取り組んでいる.そこで,5日間にわたる本科目は,制御系と情報系の双方の技術者が,モデルベース開発における共通認識を醸成する内容としている.具体的には,前半はMATLAB/Simulinkを用いて制御工学を学び(図5),後半は制御ブロックから生成するプログラムをレゴマインドストームに組み込む演習を行う.これにより,制御系と情報系の技術者は,MBD開発における自身の専門技術の発揮方法を実践的に学ぶとともに,他の技術領域の専門家と協力して開発を行うために必要な他分野の技術の基礎を学ぶ.

4.教育の実践と評価

4.1  受講申込みの受け付け

enPiT-Pro Embは,2018年度から受講者の申し込みを受け付け,講義を実施している.

4.1.1 車載組込みシステムコース

車載組込みシステムコースは,年度初めに,Webで受講者の申し込みを受け付ける.本コースは,名古屋大学情報学研究科の履修証明プログラムに登録しているので,卒業証書や職歴などを確認して受講を承認する.申し込み条件は,大学を卒業した者またはそれと同等以上の学力があると本プログラムの資格調査により認められる者で,かつ企業などにおける実務経験を有する者である.

受講が認められた者は,3.3節で述べた受講時間の条件を満たすように科目を選択し,履修計画を立てる.履修計画と実施状況の確認を支援するために,eポートフォリオを提供している(図6).

eポートフォリオの画面例
図6 eポートフォリオの画面例
4.1.2 科目の選択受講者

車載組込みシステムコース以外の受講希望者は,コース受講者が受講を希望する科目を決定後に,申し込みを受け付ける.

科目を開講する約2カ月前に,名古屋大学NCESの技術者教育メーリングリストを用いて受講申し込みの受付開始を告知する.申し込み者は,Webに氏名や請求書の送付先などの必要情報を記入して申し込む.申し込みは,先着順で定員に達するまで受け付ける.

4.2 講義・演習

講義・演習は,名古屋大学の施設を用いて実施する.車載組込みシステムコースは,9時30分から17時まで講義・演習を行うので,講義室を1日間占有する必要がある.しかし,大学の教室や演習室は,休日や夏休みなどの長期休暇期間以外は,学生教育で使用している.そこで,社会人教育は,会議室を使用したり,休日や夏休み期間に教室や演習室を使用する.さらに,講師を担当する教員,研究員,企業の技術者との調整をして,開講スケジュールを定める.

図7は,会議室での講義風景である.この科目(AUTOSAR概論)は,講義のみで演習を行わない.

講義風景
図7 講義風景

この講義ではPCに大型モニタを接続してスライドを投影しているが,これと同じ画面が,Web経由で,名古屋大学東京オフィスに送られ,東京オフィスの大型モニタにも投影されている.さらに,名古屋と東京にWeb会議用のマイクスピーカーを置き,講師と受講者の声が相互に聞こえるようにしている.

図8は,演習室での演習風景である.この科目(モデルカーを用いたAUTOSAR開発入門)では,マイコンボードを搭載したモデルカーを用いた演習を行う.演習室は,講師のPC画面が,受講者の机に置かれたモニタに投影される設備があるので,開発環境に表示されるプログラムコードを読み取りやすい.本来,学生がPC演習を行う演習室なので,実機を用いた演習を行うには狭くキーボードが邪魔になる.そこで,モデルカーが走らないように車輪を浮かせて演習する工夫をしている.

PC演習室を使用した演習風景
図8 PC演習室を使用した演習風景

図9は,全学共用施設での講義風景である.この科目(制御システム開発のためのMBD)は,連続した5日間にわたり実施する.受講者1人に,1台のPCとLEGOマインドストームなどの演習機材を必要とするので,同一の教室を5日間使用する必要がある.そこで,学会でも使用する全学共用の施設を使用して実施する.この科目の演習は,制御モデルからCプログラムを生成して,LEGOマインドストームに組み込み,LEGOで作成した二輪ロボットを倒れないように倒立走行させる.共用施設は,学生の演習室のように受講者ごとにモニタが用意されていないので,開発環境の詳細な操作を受講者に見せることが困難である.そのために,演習中の受講者の質問に対応するTA(Teaching Assistant)を設けて実施する.

全学共用施設を使用した演習風景
図9 全学共用施設を使用した演習風景

4.3 e-Learning

社会人の学びやすさに応えるために,車載組込みシステムコースではe-Learningコンテンツを整備した.ただし,本コースが履修プログラムの対象であるので,2.3.5項で述べたように,e-Learningを正式な講義に位置づけるのではなく,復習目的に使用する補助教材と位置づけた.

名古屋大学には,講義の撮影や映像の編集を行う「情報メディアスタジオ」という組織がある.車載組込みシステムコースで実施する科目で,講師の承諾を得た科目について,情報メディアスタジオの協力を得てe-Learningコンテンツ化した.開発したコンテンツを,情報メディアスタジオが所有するサーバにアップロードして,URLとパスワードを受講者に伝達して,復習目的で3カ月間の利用を促している.

図10は講義のe-Learningコンテンツである.2台のカメラで,モニタと講師を撮影して,動画編集ソフトでe-Learningコンテンツ化している.

講義のe-Learningコンテンツ例
図10 講義のe-Learningコンテンツ例

図11は演習のe-Learningコンテンツであり,受講者のPC画面をカメラで撮影した内容である.演習のe-Learningコンテンツを視聴した受講者は,演習を追体験することで良かった点を2つ指摘した.1つは,演習時には理解が追いつかなかった技術を新たに理解しなおしたことであり,もう1つは,新たな疑問が生まれたのでさらなる学びを行う動機付けになった点である.

演習のe-Learningコンテンツ例
図11 演習のe-Learningコンテンツ例

従来からe-Learningコンテンツは講義に限られていたが,演習を記録したコンテンツの復習利用は教育効果の定着と教育の継続の面で教育効果があることが分かった.時間制約の中で演習を行うので,演習時のPC操作に忙しく,理解を深めることができない受講者がいることは否定できない.そのような受講者にとって,後日に演習を追体験することは,技術の理解を深める効果があると考えられる.

4.4 受講者数

2019年度までの車載とIoTそれぞれの組込みコースの受講者と修了者の人数を表3に示す.なお,修了に要する期間は,車載組込みシステムコースは最大2年間(1年間での修了も認める)であり,IoTコースは1年間である.

表3 車載/IoT組込みコースの受講者数と修了者数
車載/IoT組込みコースの受講者数と修了者数

enPiT-Pro Embは,2.3.1項で述べたように,コースではなく1科目を選択して受講できるように配慮した.1科目を選択して受講する受講者の人数を表4に示す.表3と比べると,特に車載でコースよりも1科目の選択受講者数の方が多い.IoTでも1科目の選択受講者数が多いが,コース受講者との比率は車載に比べると少ない.この理由は,IoTではHEPTコンソーシアムとenPiT-Pro Embとすみ分けるために,enPiT-Pro Embとして1科目を選択して受講する科目数に制約を加えているが,車載はその制約を設けていないためである.

表4 車載/IoTで1科目単位で選択受講した人数
車載/IoTで1科目単位で選択受講した人数

以下に車載の受講者数を分析する.2018年度では,科目の選択受講者数は,コース受講者数の約22倍である.受講時間は,1科目の選択受講の場合は最も科目数が多い受講時間が6時間であり,コースは120時間なので,コースの受講時間は科目の約20倍である.両者の倍率がほぼ等しいことは偶然と考えられるが,受講者数に受講時間を乗じた「人時間」単位は,教育の規模や社会の受講ニーズなどを測定する指標として有効かもしれないので,今後検討する.

enPiT-Pro Emb以前に名古屋大学で実施してきたNEP公開講座は,1科目の選択受講のみを提供しており,年間の受講者数は,200名から300名程度で推移していた.enPiT-Pro Embになり受講者数が増加し300名を超えた.この理由は,科目の充実や5大学のネットワークを用いた広報活動によると考えられる.

本教育は,有料で実施しており,ほぼすべての請求先は企業宛になっている.このことは,車載組込みシステム産業における人材育成は,個人の就職や転職を目的としたスキルアップではなく,企業の社員教育として行われる傾向があることを示唆している.

4.5 受講者アンケートの分析

4.5.1 車載組込みシステムコースのアンケート

車載組込みシステムコースでは,基盤,先端,技術展開力の別に定められた時間数の科目を修了し,かつ合計120時間になった受講者に対して,履修証明書を発行する.

2018年度には10名が修了し,修了時にアンケートを実施した.

コース受講の効果について,(1)処遇の向上に役立つ,(2)配置転換などにより希望の業務に従事できる,(3)社内外の評価が高まる,(4)円滑な転職に役立つ,(5)趣味・教養に役立つ,(6)その他の効果がある,(7)効果がない,の7肢選択で回答を求めた.

その結果,(3)社内外の評価が高まるが4名,(5)趣味・教養に役立つが3名,(1)処遇の向上に役立つが2名,(6)その他の効果として間接的に業務に役立つ知識を得たが1名であった.

さらに,あなたの仕事(将来を含む)に役に立ちましたか,具体的にはどのような技術が活用できるかについて,大変役立ったからまったく役立たないまで5肢選択で回答を求めた.

その結果,大変役立ったが4名,かなり役立ったが5名,どちらでもないが1名だった.役立った技術としては,AUTOSAR,MBD,セキュリティ,設計書の作成が列挙されていた.

このコースの所感やこの先学びたいことなどを自由記述で求めた回答の一部を以下に列挙する.

  • 実務をしている方が講師なことが多く,体験談や実情など,具体的な内容を多く聞けて良かった.
  • 制御工学について学んでいきたい.
  • 自身のキャリアは長い方だと思っていたが,自分で思っていたよりも基本的な知識を知らないことが分かった.
  • 何をやるか分からなかったが,いろいろと勉強になった.特に大学で学んだ成果をどう会社に示すかが課題だと感じていたので,考えるきっかけをもらった.
4.5.2 科目のアンケート

コース修了時のアンケートとは別に,科目の修了ごとに履修時にアンケートをとった.2019年度は7月末までに12科目を開講して,延べ189名が受講した.アンケートの回収数は171であった.

「この科目の受講はあなたの仕事(将来を含む)に役に立ちましたか」という問いに対して,とても役立ったからとても改善する必要があったまで,5肢選択で回答を求めたところ,とても役立ったが43%,役立ったか48%であり,91%が科目受講が仕事に役立つと評価している.

総合評価を問うたところ,とても良かったが40%,良かったが40%であり,80%が総合的に良いと評価している.

自由記述欄の回答の一部を以下に列挙する.

  • 所属部署で,MBDについて活用しようとする動きがある
  • 業務ではBSW(Basic Software)でしか開発経験がない中で,RTEの考え方を知れたところがよかった
  • セキュリティが重要になるという動向に,将来の備えができてよかった
  • OpenCVを利用したプロジェクトにかかわる予定のため,どういう処理をしているのか確認することに役立った
  • OSの内部構造を理解することで,どのように使えば効率的なのかが検討しやすくなった
  • 現在,車載ソフトの開発に携わっており,将来的にセキュリティ関連の仕事をする可能性もあり,基本的なことを学べた
  • ドキュメントを書く際に違和感があり,何が問題なのか分からないことがあったが,今日の講義でよく分かるようになった
  • 現在,機材学習(ルールベース)を使った仕事をしているため役に立つ
  • 業務で作成する要求仕様書に,漏れ・抜けが多くあったので,今後の進め方を見直すことができた

5.おわりに

本稿では,名古屋大学・静岡大学・広島大学・愛媛大学・南山大学で推進する「組込みシステム技術者のための技術展開力育成プログラムenPiT-Pro Emb」の概要と「車載組込みシステムコース」の教育実践を紹介した.

enPiT-Pro Emb は,IoTと車載の領域で社会人教育に取り組んでいる.この領域は技術進歩が急なので,新しい技術を学ばなければ,日々の業務遂行や企業の事業戦略に支障をきたす.そこで,我々は,AUTOSARやセキュリティなど,最近の企業で必要とされる技術教育を行っている.それらの科目は,企業との共同研究の成果を活かしたり,あるいは企業に教材を提供していただき,社会が求める実践的な内容としている.

2018年度から受講者を受け入れて教育を推進しており,車載とIoTを合わせて58名のコース受講者(2018〜19年度)と,延べ368名の科目受講者(2018年度)に教育を実施してきた.受講者の91%が仕事に役立つと評価している.

自動車は100年に1度の変革期を迎えており,自動運転やシェアリングサービスを実現するためには,さらに新しい技術の導入が必要なので,教育も新カリキュラムの企画や教材開発を継続して実施しなければならない.しかし,受講料収入だけで,教育者の人件費や教材開発費などの予算をまかなうことは困難である.社会人教育を持続可能なものとして大学に定着させるためには,体制や予算やカリキュラムなど,多様な面で課題が残されている.

我が国を支える組込みシステム産業に貢献するためにも,enPiT-Pro Embの活動の持続が必要である.今後とも各方面と連携をとりつつ,課題を1つずつ解決していく.

謝辞 enPiT-Pro Embは,文部科学省の平成29年度「成長分野を支える情報技術人材の育成拠点の形成」として実施している.enPiT-Pro Emb関係各位に深謝する.

参考文献
山本 雅基(正会員)myamamoto@nagoya-u.jp

1981年日本電装(株)(現在の(株)デンソー)入社,2004年名古屋大学.2013年から名古屋大学大学院情報学研究科特任教授.

塩見 彰睦(正会員)shiomi@inf.shizuoka.ac.jp

1992年 豊橋科学技術大学 教務職員.1996年 静岡大学 講師.その後,静岡大学 准教授を経て,2010年から静岡大学 教授.博士(工学).

岡村 寛之(正会員)okamu@hiroshima-u.ac.jp

2018年から広島大学大学院工学研究科教授.

高橋 寛(正会員・シニア会員)takahashi.hiroshi.mx@ehime-u.ac.jp

2010年から愛媛大学大学院理工学研究科教授.

沢田 篤史(正会員)sawada@se.nanzan-u.ac.jp

1995年奈良先端科学技術大学院大学助手,その後,京都大学助手,助教授を経て,2007年から南山大学教授.博士(工学).

高田 広章(正会員・フェロー)hiro@ertl.jp

2003年から名古屋大学教授.

採録決定:2019年11月6日
編集担当:藤瀬 哲朗((株)三菱総合研究所)

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