デジタルプラクティス Vol.10 No.4(Oct. 2019)

IBMがテクノロジを通じて実現する社員視点の働き方改革

丸山 文夫1  水品 雪絵1  斎藤 彰宏1

1日本アイ・ビー・エム(株) 

IBMの働き方改革の取組みでは,社員が個人生活を健康に保ちながら業務で最大の能力が発揮できるワーク・ライフ・バランスを重要視している.さらに社員の能力をソーシャルにつなげることで,企業としての力を最大化することにも積極的に取り組んでいる.その実現の要諦となるのは「フレキシブルな働き方の実現」と「社員の視点とニーズに対して適切なIT施策の迅速な展開」の2点であり,その実装ポイントについて具体例を交えて紹介する.

1.はじめに

「働き方改革」というキーワードは2017年に「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされ[1],この数年で衆目を集めた.また,2019年4月から 「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」,いわゆる「働き方改革関連法案」の施行が開始され,「働き方改革」という言葉をニュースや新聞で日常的に目にするようになった.調査会社による企業の意識調査でも37.5%の企業が既に取組みを開始し,25.6%が今後取り組む予定だと答えており,合わせれば60%以上の企業で前向きに検討が進んでいる[2].

この改革の大義は「一億総活躍社会の実現」であり,厚生労働省のホームページ[3]には「働き方改革の目指すもの」として以下のように記載されている.

我が国は,「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」「育児や介護との両立など,働く方のニーズの多様化」などの状況に直面しています.こうした中,投資やイノベーションによる生産性向上とともに,就業機会の拡大や意欲・能力を存分に発揮できる環境を作ることが重要な課題になっています.

「働き方改革」は,この課題の解決のため,働く方の置かれた個々の事情に応じ,多様な働き方を選択できる社会を実現し,働く方1人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにすることを目指しています.

この「個々の事情に応じる事」と「1人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにする」という2点は,日本アイ・ビー・エム(以下IBM)における働き方改革に対する取組みにおいても,非常に重要なテーマとなっている.

筆者らの勤務するIBMは,ワーク・ライフ・バランス推進会議の「第5回ワーク・ライフ・バランス大賞」(2011年)[4],総務省が選定する「テレワーク先駆者百選」(2016年)[5],ニューオフィス推進協会の「日経ニューオフィス賞」(2003年)[6],(2018年)[7]受賞に表されるように,先進的な働き方を実現する企業の1つとして高く評価をいただいており,昨今の企業の働き方改革においても先行事例やリファレンスとしていただくことが多い.オフィスのフリー・アドレス化については1989年から,e-ワーク(在宅勤務)制度については1999年から正式な制度として社内で運用されており,それぞれ20年以上の実績を積んでいる[8].また,サテライト・オフィスやアジャイル・オフィスの設置,さらに,その基盤整備として,ペーパーレスの徹底,業務のオンライン化,電話会議/Web会議の活用と利用促進などを継続的に行い,現在もその最適化に向けた改善を続けている[9].

IBMが早くからこのような先進的な働き方を推進してきた理由は,1人ひとりの社員がその能力を最大限に発揮し「輝ける」環境を提供するためである[10].IBMはIBM Diversityの公開情報[11]で,以下のようなe-ワーク制度の活用例を紹介している.

  • 例1(自宅作業)
    午後のお客様先ご訪問に備え,プレゼン資料の最終校正を自宅で行う.午後,最寄駅でチームメンバーと合流しそのままお客様先へ向かう.

  • 例2(育児)
    夕方,帰社途中で子供を保育園に迎えに行き,帰宅してからメールチェックや資料作成を再開する.

  • 例3(介護)
    毎週火曜をe-ワークの日と決め,朝はUSとの電話会議とメールチェック,午後は資料作成と部門定例ミーティングにWeb会議で参加する.安心して介護が必要な家族のそばで仕事ができる.

社員は,自分自身の置かれた環境に適応するために,様々な制度を活用して個人に与えられた仕事の生産性を向上することができる.

また,IBMが期待する働き方改革には社員間の協業促進も含まれている.企業のニーズが多様化した現代において,社員1人ひとりが有する能力,経験などの個人知だけでは,問題の解決やイノベーションを提供する事は難しく,社員間の効果的な協業による共創が今後のビジネスに不可欠との考え方によるものである[12].

筆者らは,企業における働き方改革とは,社員にとっての働きやすさの実現とあわせて,ビジネスやお客様満足度の向上など企業として達成すべき目標をあわせて実現することが肝要で,その実現に向けては以下の2ステップで進めるべきだと考えている.

筆者らは,IBMの働き方改革タスク・チームのメンバーとして,IBM社員の働き方改革実現に向けての社内啓蒙活動を業務として行っている.IBMが数十年間にわたり進めてきたこの「働く人の置かれた個々の状況や事情に応じたフレキシブルな働き方を選択できるようにすることにより,全ての人が活躍できるようにし,大きな目的を達成する」という取組みは,日本政府が目指す働き方改革の考え方と非常に近いものと考えている.

筆者らはまた,自社での実践で得られた経験を元に,100社近くのお客様の働き方改革実現に向けての検討サポートに携わってきた.その経験から多くの企業や団体が同様のコンセプトでの働き方改革を検討していると認識している.筆者らは,IBMの働き方改革を支えるITを展開してきた上で得た知見や学びが,企業や団体に所属されている読者が今後働き方改革に取り組む際には有益な情報となると考え,本論文を執筆した.

本論文では,まず,働き方改革を検討するにあたって筆者らがとったアプローチを整理し(第2章),働き方改革を通じて,社員1人ひとりの力を最大化するための環境を提供する際の工夫や考慮点(第3章),さらに,その最大化された1人ひとりの力を有機的につなぐためのIT環境の構築をどのように行ってきたか(第4章),実例を元に説明を行ってゆく.その上で,働き方改革の実現において多くの企業が直面するフレキシブルな働き方を展開する際の考慮点を付記する(第5章).

なお,本論文は筆者ら独自の見解であり,所属する企業,組織の意見を代表するものではないことを予めお断りしておく.

2.働き方改革を検討する上でのアプローチ

2.1 最初に行うべきこと

筆者らはIBMのIT部門の一員として,図1のようなフレキシブルな働き方を実践する社員の業務を支える勤怠管理や経費精算などの人事系アプリケーション,Sales Force Automation (SFA) や Customer Relationship Management (CRM) などの営業系アプリケーション,遠隔コミュニケーション・システムやモバイル・デバイスなどの先進IT技術の実装や全社展開に長年携わってきた.これらのIT技術は,社員がフレキシブルに働くことを可能にし,社員の生産性向上に大きく貢献してきた.

フレキシブルな働き方を実践するIBM社員の一日の例
図1 フレキシブルな働き方を実践するIBM社員の一日の例

筆者らは,お客様の働き方改革実現に関する相談を受ける際に,以下のような質問を多く受けてきた.


「営業支援パッケージ・ソフトを展開すれば,営業社員の働き方改革を短期間で実現できるのではないか?」

「働き方改革の実現に向けて,既存アプリケーションのモバイル化を実現したが,その操作方法がデスクトップ・アプリケーションと大きく異なるため,特に年配のユーザの利用率が低いままで向上しない.改善のために何をすれば良いか?」

また,筆者ら自身も新しいシステムやプロセスの社内展開に代表される社内変革において,同様の疑問や課題に直面し試行錯誤を繰り返してきた.

筆者らが,自社内でのIT展開の検討,およびお客様からの相談を受ける中で感じているのは,多くのケースでは,IT技術の導入そのものが目的になっている事である.その経験から,筆者らは,IT技術はあくまでも手段でしかなく,IT技術の利用によって利用者がどのようなメリットを享受するのかという「ユーザ・エクスペリエンス」の観点を,設計初期段階にどれだけリアリティを持ってイメージできるかが重要と考えており,社内およびお客様への提案でもそれを最優先の検討事項としている.

2.2 ユーザ・ストーリを用いた目的の整理

IBMの社内IT部門では,システムの妥当性を検討する際には,多くの場合,アジャイル開発において顧客やユーザの要求を表現する手法として用いられる「ユーザ・ストーリ」[13]のフォーマットを用いているが,筆者らは働き方改革実現の目的や目標を整理する方法として,この手法は有効であると考えている.

ユーザ・ストーリは,誰にとっての機能か,その機能で何を達成したいのか,およびその理由に焦点を当てた要求仕様で,一般的には以下のように平易な口語形式のフォーマットでまとめる.


<役割(ユーザの種類)>として,<目標(機能や性能)>が欲しい.それは<ビジネス価値や目的>のためである

働き方改革の目的や目標を整理する上でユーザ・ストーリのフォーマットが有効であると考える理由は,<目標(機能や性能)>の部分を,アプリケーションやサービスなどに代表されるソリューションや,その直接指標へ,<ビジネス価値や目的>の部分を,ユーザや顧客の視点からの評価指標として使うことで,システムの有用性,妥当性を証明しやすいためである.

例として,IBMが企業レベルで推進する働き方改革の目的の中から,いくつか代表的なものをユーザ・ストーリ形式でまとめると,以下のようになる.

  • <全社員>が<仕事と生活のバランスをとり柔軟に働ける>ようにしたい.それは<個々の能力を最大限に発揮し,より豊かな生活を実現する>ためである.
  • <現場(お客様と接点を持つ職種)の社員>の<お客様面談に費やす時間を増やしたい>.それは<お客様の成功に貢献する>ためである.

IBMは働き方改革に向けて様々な施策を展開しているが,その目的を辿っていくと上記以外にも,「私たちや世界にとって価値あるイノベーションを提供する」など,企業としての大きな目標であり,全社員が共有する価値観[14]へとつながるユーザ・ストーリへと展開される.

2.3 ペルソナによるユーザ特性の整理

ペルソナ(Persona)はデザイン支援ツールの1つで,製品やサービスをデザインする際にターゲットとして想定する架空のユーザ像を指す.実在の人々を調査・観察し,得られたデータに基づいて典型的ユーザを定義することで,特定のユーザタイプのニーズに沿ったものを作るために利用される[15].2.2節で記述したユーザ・ストーリの<役割(ユーザの種類)>について,IBMでは,社員が業務内容に応じて適切なサービスとテクノロジを利用できるようにするために,社員の働き方のタイプに応じ,2のような基本ペルソナの分類を行っている.

IBM社内サービスにおける基本ペルソナ分類
図2 IBM社内サービスにおける基本ペルソナ分類

この分類は,各社員が担当する業務内容に応じた8タイプ11種類の分類で,全世界のIBMを統括して情報システムに関する方針・施策を検討する部門であるGlobal CIO Officeによって定義されたものである.一例として,「お客様に直接対応し,営業的な責任を負う社員」は,ペルソナ・タイプ「2A」として以下(表1) のような働き方の特性を想定している.なお,表1における項目は抜粋であり,内容にはダミーも含んでいる.

表1 ペルソナ・タイプ「2A」の特性
ペルソナ・タイプ「2A」の特性

Global CIO Officeでは全世界共通で,ITデバイスの配布やアプリケーション・サービスを展開する際のターゲットとして,このようなペルソナ分類を活用している.例えば,上述<現場(お客様と接点を持つ職種)の社員>とは,上記ペルソナ分類「2A」と「2B」を指す.働き方改革のためのアクションの多様化に合わせて,現在ではこの基本ペルソナに国情報や職種,入社年数の情報などの人事情報を組み合わせて,さらにきめ細かな分類を行っている.例えば,モバイル・デバイスの社員への展開を検討する場合,まず業務の中で,お客様対応において機動性が求められるペルソナ・タイプ「1A」,「1B」,「2A」の社員を選定する.ただし,各種業務指示や承認作業において即時性を求められる「管理職」社員など,ペルソナだけで表現できないユーザ特性は存在するため,それらは例外として取り扱っている.

2.4 詳細ペルソナを活用した社員視点のアプリケーション開発の例

筆者らは,働き方改革につながるような新規サービスを展開する際には,多くの場合,上記基本ペルソナ分類に年齢や家族構成,仕事とプライベートの切り分けに対する考え方に代表されるような価値観,ライフスタイル,抱えている価値観などの情報を加え,あたかもその人物が実在するかのようなリアリティのある詳細ペルソナを定義し,ターゲット・ユーザ像を作り上げている.これは,ユーザ視点でサービスを検討・展開する上で大きな役割を果たす.

図3は,営業社員が日々の仕事で使うモバイル・アプリケーションの開発を行った際に定義したペルソナである.このモバイル・アプリケーションは,最終的には,営業資料や製品研修ビデオ,提案事例など,営業社員がその活動において必要となる様々な情報を,モバイルを含むどのようなデバイスからでも,ポータル・メニューや各種検索方法を通じて容易に入手可能にすることで,営業活動を支援することを目的としたツールである.

IBM社内のモバイル・アプリケーション開発で定義した詳細ペルソナの例(桐野博嗣)
図3 IBM社内のモバイル・アプリケーション開発で定義した詳細ペルソナの例(桐野博嗣)

桐野博嗣(詳細ペルソナの仮名)は,東京エリアで20件のお客様をサポートする,入社25年,48歳の営業社員で,2名の子供がいる.ITを自己の目的に適合するように使用できる能力であるITリテラシはやや低めで,スマホの新機種を使いこなすまでにしばらく時間がかかるため,いつも子供に教えてもらっている.妻も働いているため,家事を分担している.

これら年齢や家族構成等の詳細情報は,働き方改革やソリューション開発とは直接的な関係が無い,もしくは,薄いように見えるが,例えばユーザがどのようなシチュエーションで,どのような時間帯に,どのようにそのアプリケーションを利用するのか,結果的にどのような形態のアプリケーションが理想的なのかを社員視点で考える上で必要な要素となる.

全営業社員向けの業務に関するアンケート結果,ならびに,その中の30名へのインタビュー結果から,ペルソナとして桐野博嗣には,営業活動,ならびにワークライフバランスにおいて,以下の課題1~7,および価値観1〜2を有していると設定した.

  • 課題1)【顧客対応】営業活動に必要な情報の入手に時間がかかるため,お客様との対面やサポートの時間が不足していると感じている
  • 課題2)【顧客対応】お客様の要望には迅速に応えたい.また自社の売れ筋商材の情報を一早く入手し紹介したい
  • 課題3)【ロケーション】急なお客様対応等が入ることも多く,自社オフィスに長時間留まることは少ない
  • 課題4)【ロケーション】地下鉄などの公共交通手段での移動時間が長く,移動時間中にスマートフォンでメールチェックなどの業務を行うことが多い
  • 課題5)【ユーザ・インターフェース】モバイル・デバイスやアプリケーションの操作は,メニューやガイドがなくても感覚的に操作できるほどは慣れていない
  • 課題6)【ユーザ・インターフェース】細かい条件を入力指定するよりも,大雑把なキーワードや音声で情報を情報検索できた方が使いやすい
  • 課題7)【ユーザ・インターフェース】お客様に関連する情報や過去の提案事例などを空き時間に効率的に入手したい
  • 課題8)【ユーザ・インターフェース】ITはあくまで営業活動を行うための手段なので,操作を覚えるのに時間がかかるなら,以前のやり方のままでも良い
  • 課題9)【ワーク・ライフ・バランス】共働きで家事を分担しているので,なるべく仕事を家に持ち込まず,帰宅の前に片付けたい

このように,ユーザが見たり感じたりするであろう経験(ユーザ・エクスペリエンス)を想定して要件の洗い出しを行った.

ペルソナ設計がユーザ視点のアプリケーション開発に役立った一例として,モバイル・アプリケーションのヘルプ表示におけるハンバーガ・メニュー(ボタン・アイコン)方式の採用方法が挙げられる.ハンバーガ・メニューとは,モバイル・アプリケーションで,コンテンツ表示エリアを大きく獲得するための,ドロワー型のナビゲーション・メニュー(三本線のマークがハンバーガのように見えるためこのように呼ばれている)のことで,最近のモバイル・アプリケーションでは広く採用されているユーザ・インターフェース[16]である.ペルソナを設計する以前は,そのまま誰でもすぐ使えるものと想定していたが,桐野博嗣に代表されるような40代後半以上のユーザの中には,このハンバーガ・メニューを直感的に使いこなせない者も一定数いる.そこで,モバイル・アプリケーションの初回起動時のみ,チュートリアルをポップアップ・メニュー[図4の左]として強制表示するように設計変更した.

IBM社内のモバイル・アプリケーションでのハンバーガ・メニューの利用例
図4 IBM社内のモバイル・アプリケーションでのハンバーガ・メニューの利用例

対象ユーザのペルソナの定義によって抽出された課題を解決してゆくことで,ユーザのニーズに応えるモバイル・アプリケーションをリリースできた.以下に解決例のいくつかを紹介する.

  • 利用するデバイスの解像度に応じてメニューが自動的に見やすく最適化される
  • キーワード検索や音声検索,AI技術を活用した自然言語検索等,様々な検索方法に対応し,その結果は他のユーザの評価に応じてランク付けとともに表示される
  • 検索結果として抽出された様々なフォーマットの資料を,多くのデバイスで,オリジナルに近い形で再現性高く素早く表示できる

このモバイル・アプリケーションにより,IBM社員は移動中に製品説明資料を閲覧することや,社内オンライン研修の受講などが可能になった.また検索機能の充実により,お客様に紹介する事例やご進講の材料となる商材の情報などを短時間で探し出すことが可能になった.モバイル・アプリケーションのリリース後も,利用者へのインタビューやアンケート,またモバイル・アプリケーションを通じて行った操作や検索の履歴分析などから,利用者の満足度を向上できる機能改善に取り組んでいる.実例として,モバイル・アプリケーションのリリースアップの際には,新規ユーザを対象としたアンケート調査や,ペルソナの行動に合わせて公共交通機関の移動を再現したテストなどを通じて,ユーザビリティやユーザ・エクスペリエンスの確認を行っている.

3.社員1人ひとりの力を最大化するための環境を提供するための取組み

当章では,IBMの社員1人ひとりがその能力を最大化できるようフレキシブルに働ける環境を実現するため,筆者らIBMのIT部門がどのような考え方でサービスを展開しているかを紹介する.

3.1 PC環境

IBMでは,社員が利用するIT環境の中でも,特に日常必ず利用するインフラであり,働き方に直結するPC環境については,その配布の際に一種固定とせずに選択肢を提供し,ユーザや部門が各々の働き方に応じて自由に選択できるようにしている.社員は,Apple Inc.のMacOS,もしくは,Microsoft CorporationのWindowsが稼働するPCのいずれか,自身にとって使い勝手が良く,生産性向上に最も適するノートパソコンを選択することが可能になっている.また,業務上の必要性に応じて,MacOS稼働ノートパソコン(MacBook)であればMacBook ProやMacBook Airなど,機種を選択することも可能にしている.従来はWindowsのみが社内ITの正式なサポート対象であったが,2016年よりMac@IBMと呼ばれる社内プロジェクトを立ち上げ,正式な業務デバイスとしてのMacの展開とそれに纏わる各種整備を積極的に行った.

Mac展開当初はWindowsとの操作方法の違いに起因するユーザの混乱や後述するアプリケーション対応,ヘルプデスクの整備等様々な問題が発生したが,それらは短期間で収束され,現在では特にIBMにおいては半数以上の社員がMacをメイン・デバイスとして活用している.

Mac@IBMにおいては,社員がセットアップやバージョン・アップに手間取らずに本来の業務に集中できるよう,様々な自動化を行った.

従来社内でPCを展開する際は,工場でアプリケーションの導入や設定(以下キッティング)を行なってからユーザに配布していたが,Mac@IBMではこのプロセスを廃止し,ユーザ自身がエンロールメント・プログラムを使ってセットアップを行う形に変更した.

ユーザはキッティングが行われていない初期出荷状態のMacを受け取った後に,社内専用サイトにアクセスすることにより,1〜2時間でほぼ全てのセットアップを完了し,業務を開始することができる.この変更により,MacBookを必要とする社員にいち早く現物を届けられるようになり,2015年のMacbook社内展開時には,1週間で1,900台の導入を実現している[17].

ユーザはPCの初期セットアップを,自身の業務環境からネットワーク経由で行うため,一時的に時間と手間が必要になるが,初期セットアップに問題が発生した場合でもヘルプデスクから電話や対面でサポートを受けることができるため,ユーザの利便性の低下は抑えることができた.

IT部門の視点からは,キッティング方式を採用していた時より,作業や倉庫のコストを削減する効果も期待できる.

このセットアップのためのエンロールメント・プログラムはGitHubにて,オープンソース「mac-ibm-enrollment-app」[18]として公開しているため,誰でも利用することができるようになっている.

Mac@IBMで蓄積された経験やノウハウはWindows PCの運用にもPC@IBMとして展開したため,現在のIBM社内環境はOSを問わずに,ユーザの業務環境での自動セットアップが可能になっている.また,個々の社員が使うPCのセキュリティ状況についても,自動的にチェックを行い,セキュリティ基準への不遵守が発見された場合には対処のガイドとIT部門への報告などが行われる.このセキュリティ基準の詳細は5.1節 ITセキュリティで述べている.

上記取組みを通じて,時間や場所を選ばずに働く社員が,ヘルプデスクのサービス時間にPCを持ち込む等の,ヘルプデスクのサポートを受けるための物理的,時間的な制約を受けずに済むことを目指している.

また,社員が社内システムでトラブルに遭遇したときに利用するヘルプデスクも,フレキシブルな働き方を前提とした環境では,考慮が必要である.業務時間外でもトラブルを解決できるよう,AIを活用したチャットボットによる問い合わせ対応サービスの提供,社員同士のコミュニティを介したピアサポートの促進などを対策として行っている.

3.2 電話環境

社員がフレキシブルに働ける環境を実現するため,また,オフィスのフリー・アドレス化に伴い固定席が減少し,固定電話が配置しづらくなったことも背景にあり,社員が業務利用する電話としてスマートフォン,もしくは,フィーチャフォンを会社から貸与している.

社員のペルソナに応じて貸与機種を変更することにより,社員は自身の働き方に即した機種の利用が可能となり,会社としては投資の最適化を図っている.

会社貸与スマートフォンには社員検索モバイル・アプリが導入されており,相手先社員の氏名の一部を入力すると電話番号を検索できる.検索結果をクリックするだけで発信が可能となっており,番号の手入力なしで迅速に連絡を取ることができる.

また,IBM Corporationの各国の事業所は内線電話網で接続されているため,内線電話を使った国際電話会議が可能だが,それは事業所の固定電話を使う場合に限られていた.そのため,IBM社員は国際電話会議に出席するためにオフィスに深夜まで残業が必要だったが,現在は会社から社員に貸与したスマートフォンからであれば,社外からも内線電話網を利用することができる.従って帰宅後,自宅から国際電話会議に出席可能になり,社員の負担を軽減している.

3.3 アプリケーション環境

社内で利用するアプリケーションやサービスについては,従来は「フル・スクラッチ」と呼ばれる1から作る完全なカスタム・アプリケーションが主流だったが,現在は,外部パッケージを積極的に採用する傾向にある.以下は実際にIBMが社内システムで導入している外部パッケージである.

  • 顧客管理:SugarCRM(SugarCRM Inc.)[19]
  • 統合人事管理:Workday(Workday,Inc.)[20]
  • 経費管理: SAP Concur(Concur Technologies Inc.)[21]
  • 従業員パフォーマンス管理: SAP SuccessFactors(SAP SuccessFactors.)[22]
  • コミュニケーション:Slack(Slack Technologies,Inc.)[23]

フルスクラッチにより社内アプリケーションとしての要件や機能を盛り込むことが容易になるメリットは大きいが,働き方改革以降に増加するフレキシブルな働き方をする社員への対応要件の観点からは,モバイル,クラウド,AI対応などが予めパッケージに組み込まれている外部パッケージの方が要件に適していることが多い.

社内ITシステムのコストの観点からは,以下の2点がフルスクラッチより外部パッケージが優れている主たる理由である.

  • 企画〜開発〜展開にかかる時間の短縮やコストの圧縮面では,フルスクラッチより外部パッケージが優位
  • 世の中に流通する情報量や開発者や経験者の多さでは,フルスクラッチより外部パッケージが優位

IBMの社内システムもフルスクラッチから外部パッケージへの置換えを徐々に進めている.また,「いつでもどこでも」物理的な制約がなく働けるよう,メールやファイル共有に代表されるような,特に社員が業務において頻繁に利用するアプリケーションについては,オンプレミス環境からクラウド環境への移行を行っている.

4.個人の力を有機的に共創につなげ企業力を最大化するための取組み

"In a social enterprise your value will be : not what you know, but what you share."
(ソーシャルな企業においてはあなたが「何を知っているか?」よりも「何をシェアできるか」が重要な価値となる)

これは,世界170カ国以上でビジネスを展開し38万人の社員を統括するIBM Corporationの会長兼CEOであるジニー・ロメッティが,2013年にニューヨークで開催されたイベント“Foreign Relations 2013 Corporate Conference" で行った講演からの抜粋[24],であるが,IBM社員に期待されている働き方を表す一節として,社内で頻繁に引用されるものである.

第3章で紹介したとおり,IBMは社員1人ひとりの力を最大化するために,社員の置かれた環境に合わせてフレキシブルに働ける環境を社員に提供してきたが,一方で,お客様や企業としてのニーズが多様化した現在では,組織や企業・団体など様々な枠を超えた周囲との協業や,1人ひとりが持つ経験や知の相乗効果を生み出すための共創作業が必要になってくる[12].オフィスと自宅,外出先,カフェ,それぞれ離れた場所で勤務する社員や海外拠点のエキスパートたちとの共創環境をいかに作りあげるか,また,確実にセキュリティが担保された状態で情報を共有するか,このような,1カ所に決められた時間帯に全員が集まって働いていた時代には比較的対処しやすかった課題の解決が必要となってくる.

当章では,これらの解決のためにITとしてどのような対策を行っているかを紹介する.

4.1 遠隔コミュニケーション・システムの活用

IBMでは,全社員が,デジタル会議やチャットに代表されるような「遠隔コミュニケーション・システム」を日々の業務において活用している.

会議主催者は,リモートからの参加者が予定されている会議には,自身のミーティングIDへのリンク情報を載せたデジタル・インビテーションを会議参加者に送付し,参加者はそのリンクからPC,タブレット,スマートフォン,もしくは,携帯電話を使ってデジタル会議に参加する.資料やPC画面の共有,ビデオ・音声による通話を通じて,あたかもその場で話しているかのようなコミュニケーションをとれることが最大のメリットであるが,一方で,デジタル会議では,リモートからの参加者と会議室からの参加者の間で,得られる情報量が同じにならない.身振り手振りや,会議室内の空気感などはリモートからの参加者には伝わりづらいため,リモートの参加者は,「討議に参加できていない」という疎外感を感じ,発言を躊躇する傾向がある.

表2は,筆者らの部門が一定期間デジタル会議を経験した後に知見をまとめ発行した「デジタル会議実施ガイド」からの抜粋であるが,筆者らは,デジタル形式の会議を円滑に進めるためには,リモートから参加する者,会社の会議室からグループで参加する者,主催者,それぞれに配慮が必要だと考えている.

表2 デジタル会議実施ガイド(抜粋)
デジタル会議実施ガイド(抜粋)

他にも,グループ・チャットを行う際に,ビジネス・スレッドとは別に少しカジュアルな話題を扱うスレッドを並行して走らせ,オフィス勤務の社員が冗談や雑談を行うのと同等の用途で使用したり,一般的なチャット・ツールのようにアイコンやスタンプを使って感情表現することなども有効な手段である.

4.2 ソーシャル・ツールの活用

IBMでは,遠隔コミュニケーション・ツールとあわせて,ブログやウィキ,ボードを使ったコミュニティなどのソーシャル・ツールを社内で活用している.これも社員がフレキシブルな働き方をしながらも,社員間で「つながる」,あるいは,共創するために非常に有効なツールになっている.

従来型のメールによるコミュニケーションでは,例えば何かについて質問を行いたい場合,その担当者を探し出し,その担当者宛にメールを送付していた.しかし,その担当者を探し出すのにワークロードや時間がかかったり,正しい担当者が探し出せないケースなど,効率的ではない部分も存在した.これをソーシャル・ツールに置き換え,担当者にメールする代わりにコミュニティに質問を書き込み,担当者からの回答もそこに返信する形で書き込んでもらう.その情報は当事者以外にも公開されているため,その他の人々,特に潜在的に同様の質問を持っている人にとっては大変有益な情報となる.また,そこに当事者以外の社員も書き込みができるため,当事者よりも早く,あるいは,当事者よりも良い情報を書き込んでもらうなど,相乗的な効果も生まれている.

IBMでは2000年代後半より社内ソーシャル・ツールの活用を行っており,2013年時点で,IBM Corporation社員の90%以上にあたる34万人が利用,51万のコミュニティが形成され,79万件のブログが公開され,約100万件のコメントが投稿されている.この利用者数は毎年増加傾向にあり,現在ではこのツールがなければ業務が成り立ちにくいほど重要なツールとなっている.

また,IBM Corporationでは,定期的に「Jam」と呼ばれるソーシャル・イベントを開催している.このイベントは3日間から5日間にわたってソーシャル・ツールを用いて行われ,IBM Corporationの社員が世界中から自由に参加し,そのイベント・テーマに応じたディスカッションを行う.IBM Corporationの新しい行動規範である「IBMers Value」[14] はこの社員によるソーシャル・ディスカッションから生み出され,また,人事評価制度の改革など,IBM社員の働き方をIBM社員自身の声で改革するのに大きな役割を果たしている [25] .

筆者らが利用者アンケートやツールの利用率から類推する限り,一部の社員には,ソーシャルでオープンな場での意見交換や議論に対する抵抗や戸惑いがあるのも事実であり,状況に応じて,メールなどのクローズドなコミュニケーションとの併用が必要であると思われる.しかしながら,そのような抵抗を極力払拭すべく,マネジメント・チームが率先してこれらのツールを使い情報を発信し,また,当章の冒頭で紹介したような発言を通じて,このようなソーシャルな働き方や考え方をさらに啓蒙しようとしている.第1章で述べた「社員個々の能力を有機的につなげ企業力を最大化」を実現するためのツールとして,ソーシャル・ツールはその特長である「いいね」や「つながり」を通じた情報の拡散,双方向のコミュニケーションによるアイデアの増幅などを通じて,強力なインフラの一つになると考えられているためである.

IBMでは2019年5月に社長が交代となったが,そのように全社員にとって重要であるはずの人事情報も,社内ではメールではなく敢えてソーシャル・ツールを使って発表されている.ブログで公開された新社長のメッセージには,「いいね」によるメッセージへの賛同や感想,社内改革のアイデア等のコメントなどが社員から書き込まれている.メールでのクローズドなやりとりと異なり,このようなやりとりがオープンになることで,さらなる意見やアイデアなどがそれを読んだ社員から書き込まれ,より多くの社員の意見の反映や参加意識の向上,一体感の醸成などに大きく貢献している.

なお,これまでにIBM社員がインターネットのような社内外に対してオープンな環境における社員のソーシャル・ツール活用と管理をしてきた中で得た経験や知見は,「IBM ソーシャル・コンピューティング・ガイドライン」[26]として広く一般に公開されている.

5.フレキシブルな働き方を展開する際の考慮点

第2章から第4章までに紹介してきた施策の展開によって,IBM社員の働き方は大きく変わり,勤務時間や場所,デバイス選択の自由度は非常に高くなった.その結果として,図1のような営業社員における時間の使い方が改善された.

自由度の高い,「いつでもどこでも」フレキシブルに働ける環境を会社が社員に提供するにあたり,どのような点をリスクや課題として考慮すべきだろうか.

厚生労働省は,「情報通信技術を利用した事業場外勤務(テレワーク)の適切な導入及び実施のためのガイドライン」[27]の中で,日本企業がフレキシブルな働き方に移行した際の問題や課題を以下の3点に整理している.それは,「労働時間の管理が困難」,「情報セキュリティの確保が困難」,「仕事と仕事以外の切り分けが困難」の3点である.筆者らがIBMの働き方改革において直面した課題もその3点であり,筆者らも,それは正しい指摘だと考えている.

筆者らは,企業がフレキシブルな職場環境を展開するに際して,「自由と責任」のバランスの設定をどこに置くかが最も重要な決定事項であり,働き方改革を進める際の初期段階で,入念に検討すべきだと考えている.

図5は,働き方の自由度が上がるほど,管理主体は企業から社員へと移行し,その結果,社員が負うべき責任の度合いが高まるという相関関係を表している.

フレキシブルな職場環境の検討時に筆者らが用いる「自由と責任のバランス」概念図
図5 フレキシブルな職場環境の検討時に筆者らが用いる「自由と責任のバランス」概念図

図の左端のように,業種によっては,PCの持ち出しを禁止したり,オフィス内での定時勤務に限定するような,働き方の自由度が低い施策を取らざるを得ない場合も考えられる.この場合,企業が管理する対象となる「働く場所と時間」は限定的で,社員はその範囲内で責任を負う.

一方で,IBMでは,図の右端のように,モバイル・デバイスや個人所有のPC利用を許可し,「働く場所と時間」の選択を社員の裁量に任せるような,極めて自由度の高い働き方を推進している.自由度が上がった分,社員が負うべき責任の度合いは高くなり,テレワーク時のルールや社員の行動規範の理解・遵守がより一層強く求められる.

IBMでは「責任ある自由」の考えの元,このようなバランスを取っているが,この時,多くの課題について考慮したことも事実である.例えば以下のような点である.

  • 個人情報など機密性の高いデータを格納したデバイスを,オフィスの外に持ち出さざるを得ないケースがあるため,情報漏洩に代表されるセキュリティ事故をいかに未然に防ぐかが大きな課題となる.(ITセキュリティ)
  • 業務の途中経過が見えづらいため,テレワークが多い社員の業績をどのように評価するかの基準設定を再構成する必要がある.また,テレワーク中心の社員と,オフィス勤務中心の社員が混在する場合,どのようにして評価の公平性を保つかについても考慮する必要がある.(評価管理)
  • マネージャの目視による管理が難しいため,社員が働きすぎる傾向が強くなることが懸念される.(勤怠管理)

社員がフレキシブルかつ「安心・安全に」働ける環境にするために,IBMではそれぞれの課題に対して,当社として最適な「自由と責任」のバランスをどのように取るかを判断した上で,それに即した制度面での施策を展開し,並行してツールやテクノロジを提供してきた.それらの取組みを以下にご紹介する.

5.1 ITセキュリティ

IBMのe‐ワーク(在宅勤務)制度では,PC,電話,インターネット回線など,自宅で勤務する時に必要となる機器は,社員本人が用意する.

多くの場合,PCや電話は,会社貸与の端末を自宅に持ち帰り使用する.事前に会社が業務利用を認めた場合には,個人所有の機器を使用することも可能となっている.これらの端末から安全に社内ネットワークへ接続するためにVPNを使用し,通信上のセキュリティを十分に配慮している.

社員が利用するデバイスに対して,利用する場所の如何を問わず対応を行っている.以下はWindows PCの例である.

  • ハードディスク全体の暗号化
  • アカウント名・パスワード長・パスワード使用期限の制約
  • OSおよびアプリケーションのバージョン管理
  • ウイルス対策ソフトの導入・設定状況の管理
  • パーソナル・ファイアウォールの導入・設定状況の管理
  • 一定期間不活動時のスクリーン・セーバの自動稼働化
  • P2P(ピア・ツー・ピア)ソフトウェアの導入を含むファイル共有設定の無効化
  • 外部記憶媒体の使用禁止
  • その他,必須ソフトウェアの導入・構成など

これらはデバイスのセットアップ時に初期設定され,また,セットアップ後の更新も自動的に行われる.不遵守のデバイスについては,その対応がなされるまでネットワークから遮断される.

5.2 評価制度

従来より,IBMでは,全社で目標管理制度に基づく評価を行っている.業務の途中経過などのプロセスを評価の中心とするのではなく,業務の成果や業務目標に対する達成度を評価基準としている.フレキシブルな働き方の多い社員とオフィス勤務中心の社員が混在する場合でも,同等の基準で評価するため,評価の公平性を保つことができる.

目標管理制度において,過去には,年単位での目標設定や評価・査定のプロセスを実施していた.今では,より短期的なサイクルでの継続的なコミュニケーションを通じて,目標達成のためのフィードバックとコーチングに比重を置く考え方に変わってきている.業務評価システムを刷新し,マネージャと部下が評価に関するコミュニケーションを日常的に実施しやすい環境を整えた.また,社員間フィードバックのためのモバイル・アプリも提供されている.このような環境の整備により,マネージャからのコーチングに基づき部下が業務目標を随時更新したり,モバイル・デバイスを使って部下が上司へフィードバックを即時に送付するなど,迅速で継続的なコミュニケーションが可能となっている.

5.3 勤怠管理

IBMでは,勤怠管理のためのシステムとしてWorkdayを導入している[20].Workdayはクラウドベースの統合的人事管理システムである.社員本人がシステムに入力したデータが,勤務時間や時間外勤務の状況を把握するための基礎情報となる.

実労働時間を適切に管理するため,社員は毎月の勤務状況を月末までに正確に遅滞なく入力する責任を負い,マネージャはその内容を確認し遅滞なく承認する責任を負う.

これらの遵守責任は,全社員の行動規範である「BCG(ビジネス・コンダクト・ガイドライン)」[28] に明記されている.全社員は毎年必ずBCGの研修を受講し,内容に同意した上で署名を義務付けられている.万が一虚偽の勤務状況報告が発覚した場合,マネージャ・社員双方にペナルティーが課せられる.BCGの制度により,会社は適正な勤怠管理の重要性を繰り返し社員に説明し,認識を定着させている.

また,社員による毎日の勤務状況入力や,マネージャによる承認行為をシステムの観点で支援し,作業時間を短縮するために,Workdayのモバイル・アプリが提供されている.社員はiPhoneなどのデバイスから簡単に始業・終業時間を入力したり,部下の申請内容を確認して承認を行うことができる.

いつでもどこでも働ける環境では,マネージャと部下が常に同じオフィス内で勤務するとは限らず,現場で直接勤務状況を確認することが難しい場合も多い.

例えば部下がe-ワーク(在宅勤務)を希望する場合,マネージャは業務遂行・健康管理・労務管理などの観点を考慮して,在宅勤務の適用ルールを部下と事前合意する.その上で,在宅勤務中でもメールやチャットで始業・終業時間を確認するなど,部下と適切なコミュニケーションを取る.また,マネージャは定期的に部下の累積労働時間をシステム上で確認し,勤務が適切な時間内で行われていることを確認する.もし長時間労働や安全衛生の問題を検知した場合は,業務量調整や産業医面談の実施など,会社として適切な措置を取るプロセスとなっている.

このようにして,時間・場所の制約のない働き方のメリットと,働きすぎやサービス残業のリスクとのバランスを取り,フレキシブルかつ安心・安全な働き方を担保する仕組みを導入している.

6.終わりに

IBMは,社員を時間と場所の制約から解放しフレキシブルな働き方を実現し,ワーク・ライフ・バランスを保つことにより業務や個人生活において,最大の能力が発揮できる環境を提供すべく様々な施策を展開してきた.こうした環境の整備は,社員の働きやすさの向上とあわせて「個人の力」を最大限に引き出すことに貢献し,さらに,その個人の力をどのような環境であっても有機的につなげることにより,企業としての力を最大化できるものと考えている.

なお,本論文は3名のIBM社員による共著であるが,この論文の作成過程も,ここまでに紹介してきた働きやすさを実現するための環境を最大限に活用し,それぞれの業務の隙間時間を活用しながらフレキシブルな働き方で完成させた.

図6のように論文内容のアイデア出しのための下打合せはカフェテリアのリラックスしたムードの中で,集中が必要な論文執筆作業はそれぞれのオフィス席やフリー・アドレスの個人ブースで,それぞれが執筆内容を持ち寄った論文を並べた後の全体推敲は,リラックスと集中の中間を生み出すために社員の発案から生まれたIBM本社の畳敷きのサロンで行った[29].また,このような形で物理的に集まって作業を行うのが難しい場合は,ビデオ会議システムやコラボレーション・ソフトウェアを駆使して,あたかもその場で共同作業しているかのような形で,最終的な論文をまとめあげた.

本論文のフレキシブルな執筆の様子(左上:オフィス・ワーク,右上:DDCサロンでの打合せ,左下:IBM本社アジャイル・カフェでの共創作業,右下:オンライン上での共創作業)
図6 本論文のフレキシブルな執筆の様子(左上:オフィス・ワーク,右上:DDCサロンでの打合せ,左下:IBM本社アジャイル・カフェでの共創作業,右下:オンライン上での共創作業)

それぞれの本業である,社内プロジェクト対応やアプリケーション展開,経営企画,お客様サポートに加え,育児や家事,介護をはじめとする,家族と向き合う時間,研修やセミナー受講などの個人を成長させる時間,そういったもののいずれも大きく犠牲にすることなく,ワーク・ライフ・バランスをとりながら執筆活動を続けることができた.

適切な情報を,適切な場所,タイミングで,適切な人と共有し,さらにそこから共創につなげることにより,勘と経験や個人の能力に依存していた現場の意思決定を向上・均一化し,企業として最善のサービスの提供につなげ,お客様の成功に貢献する.あわせて,社員1人ひとりが働きやすい環境を提供する.その実現のために「フレキシブルな働き方の実現」と「社員の視点とニーズに対して適切なIT施策の迅速な展開」の2点が重要である.

参考文献
丸山 文夫(非会員)fmaru@jp.ibm.com

2006年より13年間,日本アイ・ビー・エムのIT部門のマネージャとしてセールス・プロセスおよびサプライチェーン・プロセスをサポートする社内システムの導入・展開を担当.2015年からは社内ITチームで立ち上げたagile IBM Japanタスク・チームのリーダーとして,社内ITの推進・展開を通じて日本アイ・ビー・エムの働き方改革を推進してきた.現在は経営企画に所属.

水品 雪絵(非会員)mizuyuki@jp.ibm.com

2017年よりマネージャとして日本アイ・ビー・エムの社内人事システム・給与システムの開発・保守を担当.同年, agile IBM Japan タスク・チームに参画.ワーキングマザーとして自身のワーク・ライフ・バランス向上を模索しつつ,全ての社員が「輝ける」職場環境作りのためのアイディアを,タスク・チームと共に提案してきた.

斎藤 彰宏(正会員)saitoha@jp.ibm.com

日本アイ・ビー・エム株式会社シニア・コンサルタント/アーキテクト,IBMクラウドマイスター上席エンジニア.1972年生まれ.1995年日本アイ・ビー・エム情報システム入社.長野オリンピックプロジェクト参画などを経て,主にITアーキテクトとして企業・官公庁のシステム設計,構築に従事.研究分野は,クラウド環境における資源配置最適化,分散コンピューティングにおける実装アルゴリズム.

採録決定:2019年8月19日
編集担当:斎藤 彰宏(日本アイ・ビー・エム(株))

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