デジタルプラクティス Vol.10 No.1(Jan. 2019)

標準化団体のパテントポリシーとFRAND宣言の透明性向上の提案

小林 和人1

1情報・システム研究機構 

多くの標準化団体はパテントポリシーを制定して,会員に保有する標準規格必須特許を合理的条件等でライセンスする意思があるか否かを宣言させている(FRAND宣言).しかし,現状のパテントポリシーではFRAND宣言は会員の努力義務にとどまり,FRAND宣言を行う会員のメリットが反映された規程となっていなかった.これらが,標準規格必須特許を巡る裁判の争点の根本的な原因となっていたと考えられる.本論文では,会員が早期にFRAND宣言をするインセンティブを考察した上で,必須特許の早期開示と必須特許であることの説明の明確化により透明性を向上させたパテントポリシーとFRAND宣言の手続きを提案し,提案に関しての実践について述べた.

1.はじめに

標準規格を製品等に搭載するにあたって実施が不可欠な特許を標準規格必須特許(以下,必須特許)と呼ぶ.多くの標準化団体は,標準規格の策定に際しての必須特許の取り扱いをパテントポリシーとして制定して運用している.標準化団体によってパテントポリシーの細部の規程は異なるが,一般的には,標準化の会合(委員会等)で標準規格の提案をする会員に保有する必須特許を,無償あるいは合理的かつ非差別的な条件(以下,FRAND条件)でライセンスする意思があること(または,ライセンスする意思がないこと)を特許宣言(以下,FRAND宣言)させている.

FRANDとは「Fair, Reasonable, And Non-Discriminatory terms and conditions」の略称であり,ライセンスに際しての金額や条件が公正,合理的かつ非差別的であることを意味する.「公正,合理的」とは,特許権者のライセンス金額の算定に合理的な根拠があることである.「非差別的」とは相手によってライセンスの可否や金額を不当に差別しないことである.しかし,具体的にどのような金額や条件がFRANDであるかは明らかになっていなかった.

標準規格の策定後,必須特許の多くは必須特許を保有する企業等が形成したパテントプールでライセンスされる.「パテントプール」とは「特許等の複数の権利者が,それぞれの所有する特許等または特許等のライセンスをする権利を一定の企業体や組織体(その組織の形態にはさまざまなものがあり得る) に集中し,当該企業体や組織体を通じてパテントプールの構成員等が必要なライセンスを受けるもの」と公正取引委員会で定義されている[1][2].パテントプールは,必須特許権者と特許実施者が多数で,製品が量産品と見込まれる場合に,その有効性が顕著である.パテントプールの構成を図1に示す.複数の特許権者がパテントプールにライセンサーとして参加し特許をライセンスする.特許のライセンスを望む企業等はパテントプールにライセンシー(特許実施者)として参加し,特許をライセンスされる.

図1 パテントプールの構成

なお,発明した者が特許を取得するには,特許出願をして審査され,登録されることが必要である.取得した特許で第三者へのライセンス等により収入を得ることを特許活用と呼ぶ.ここまで説明した標準化・FRAND宣言、特許出願・登録、特許活用それぞれの段階の関係の一例を図2に示す.これらのプロセスは同期のとれたものではなく,特に特許出願から登録までのプロセスについてはほかのタイミングも存在する.

図2 標準化・FRAND宣言,特許出願・登録,特許活用のプロセス関係
 

しかし,技術分野によってはパテントプールが形成されないことがある.また,パテントプールには参加しない企業戦略等を背景理由として,単独で特許ライセンス活動を行う企業も存在している.これらの必須特許権者が,標準規格を使用した製品を製造等する企業に対して必須特許に基づく侵害訴訟を提起し,高額のライセンス料を要求する事件が多発してきた[3].

今日までの必須特許を巡る裁判例では,FRAND条件の解釈を巡って,適正な実施料の算定方法,差止請求の可否,その法的効力等が争点となってきた[4][5][6][7].これらの裁判が発端となり,日本や欧州等の独占禁止法(競争法)当局では,ガイドラインを整備し,FRAND条件でライセンスを受ける意思を持つ特許実施者に対する差止請求は制限されることを明確化した[8].また,一部の標準化団体はパテントポリシーを改定してFRAND条件の定義を明確化した[9][10].

しかし,ほとんどの標準化団体のパテントポリシーとFRAND宣言の手続きでは,いまだ特許の必須性の判断のための情報が不足し,その開示のプロセスに問題が残っている[11].本論文では,標準化団体のパテントポリシーとFRAND宣言の手続きに残存する問題を指摘し,パテントポリシーとFRAND宣言の透明性向上の改善手法を提案し,提案の実践について説明する.

本論文の構成は,次のとおりである.

第1章で本研究の背景を説明する.第2章では標準化団体のパテントポリシーの問題を分析し,研究課題を示す.第3章で代表的な標準化団体等のパテントポリシーを比較し,それらの持つ課題を考察する.第4章において課題解決の考え方を示し,第5章でパテントポリシーの透明性向上とFRAND宣言の具体的な提案と実践を示す.第6章は本研究の結論を示す.

なお,本論文は一般には馴染みの薄い法律関連の議論が多いため,内容の把握と取り扱いについては次の事項に留意いただきたい.

  • 本論文の議論や提案は,特許法ならびに独占禁止法や海外における同等の法の適法範囲で行われる
  • 特許の必須性の最終的な判断は,法律家(弁護士,弁理士)や裁判官等によって確定される性質のものである
  • 本論文で示された知見は技術者に有益な示唆を与えるものではあるが,法的な助言を構成するものではない
  • 具体的な事案についての法律的な判断は所属する企業の法務・知財部門や弁護士・弁理士に確認すべきものである

2.既存のアプローチの課題

2.1 問題の所在

FRAND条件の法的効力の解釈については,文献[3][4][5][6][7][8]の研究や報告を確認することができる.また,パテントポリシーとFRAND宣言の手続きについては文献[9][10]の研究がある.これらの研究で議論されていない標準化団体のパテントポリシーと FRAND宣言の手続きの問題を3つ指摘することができる.

第1は,FRAND宣言書等において特許の必須性の説明が不足している問題である.特許の必須性の説明が不足しているため,FRAND宣言された必須特許が真に必須かどうか,標準化団体も判断はしていない.その結果,必須性の判断は標準規格を策定する委員会等においては他の会員に,規格策定後においては第三者に委ねられ,大きな負担となっている.

第2は,FRAND宣言の時期の問題である.パテントポリシーで標準規格策定の早期段階でのFRAND宣言を規定していても,現実的にはFRAND宣言の時期は遅れがちであり,標準規格のドラフトの完成の直前となる場合も少なくない.実際に,標準規格に自らの標準規格の提案を反映させて,必須特許を埋め込みたい会員の時期遅れのFRAND宣言の事実があるとされている.

また,これらの時期遅れのFRAND宣言をした会員への反動として,その会員の標準規格の提案に他の会員が反対し,標準規格策定のやり直し等による標準化作業の遅れがあるとされている.

第3は,FRAND宣言は未登録特許も対象としているため,未登録特許の場合はFRAND宣言の段階ではいかなる手立てでもその特許が必須特許であることを確定的に判断できないことである.

2.2 研究課題

前節で述べた問題を分析すると,3つの問題の背景に次の研究課題の存在を指摘することができる.

  • FRAND宣言の特許権者に対するインセンティブ不足

また,前節で述べた問題を分析すると,それぞれについて次の研究課題を挙げることができる. 

  • 必須特許と判断するための情報の開示不足
  • 標準規格が明確になるまで,特許の必須性判断は不可能
  • 未登録特許の取り扱い

第1は,FRAND宣言が特許権者に対するインセンティブとして十分なものではないという点である.その裏返しとして特許権者に対する早期のFRAND宣言や必須特許の保有の調査等は努力義務にとどまっている.これはFRAND宣言が,特許権者の誠意に委ねられ,特許権者の積極的なメリットではないことを示している.

第2は,必須特許と判断するための情報の開示不足である.特許の権利範囲は特許明細書の中の特許クレームで規定される.必須特許とは標準規格として記載された技術を使用すると,特許クレームの構成要件のすべての技術が実施(使用)されることになる特許である.したがって,必須特許の判断においては所定の標準規格に対する特許番号が提示されているだけでは必須性の判断は困難であり,また可能であっても専門家の作業の負担が大きい.仮に,標準化団体が費用負担や作業の遅れなどの課題を克服して必須特許の判断をしようとしても,パテントポリシーで必須特許と判断できる情報を特許権者が開示することを規定していなければ,その実現は困難である.

第3には,特許権者が早期にFRAND宣言しようとしても,標準規格の原案が明確になるまでは,特許が標準規格と関係あるとは断定できないし,ましてや特許の構成要件と標準規格のどの部分と関係があるかと説明しようもないという事実を指摘することができる.

第4は,FRAND宣言の対象に未登録特許が存在する課題である.これは標準化団体の標準規格策定と特許庁の行政手続とが,別々の組織体で取り扱われているという点に根本的な問題がある.

3. パテントポリシーの実例

問題の検討を進めるにあたって,代表的な標準化団体(ITU,IEEE,ETSI)のパテントポリシーとアメリカ法曹協会(American Bar Association)のパテントポリシーマニュアルを対象として,必須特許であることの説明およびFRAND宣言の時期がどのように規定されているか調査を行った.

3.1 ITUの例

3.1.1 ITUパテントポリシーのFRAND宣言時期

ITU(International Telecommunication Union)は,国際連合傘下の専門組織であり,その内部組織であるITU-Tで電気通信の国際標準化,ITU-Rで無線通信の国際標準化を行っている.ITUは2007年にパテントポリシーを改定してISO(International Organization for Standardization)およびIEC(International Electrotechnical Commission)と共通化した.

ITUの「Guidelines for Implementation of the Common Patent Policy for ITU-T/ITU-R/ISO/IEC」[12]では,標準規格の策定において早い段階での必須特許の開示が標準化作業を効率化させること,また会合において議長は適切なタイミングで参加者に必須特許の存在について問い合わせなければならない旨を規定している.

3.1.2 ITUパテントポリシーの必須特許の内容説明

ITUの宣言フォーム「PATENT STATEMENT AND LICENSING DECLARATION FORM FOR ITU-T OR ITU-R RECOMMENDATION | ISO OR IEC DELIVERABLE」[13]では,必須特許の内容の説明として,宣言する特許に関する情報について,登録済か出願中か,登録(出願)国,特許番号(出願番号),タイトルの開示のみを要求している.

また,ITUのPatent Databaseを検索すると,提出された宣言書では標準規格ごとに宣言した者と特許番号の関係が確認できる.しかし,特許のどのクレームのどの構成要件と標準規格のどの章・節のどの記載が対応しているかの説明は確認できなかった.

3.2 IEEEの例

3.2.1 IEEEパテントポリシーのFRAND宣言時期

IEEE(The Institute of Electrical and Electronics Engineers, Inc.)は,米国電気電子学会と訳される電気工学・電子工学の分野の研究者の学会である.IEEEにはその組織内にIEEE-SA(以下,IEEEと総称)と呼ばれる標準規格策定の部門があり,Working Groupと呼ばれる委員会で,委員からの標準規格の提案を元に議論を行って標準規格の原案を策定する.

IEEEの「IEEE-SA STANDARDS BOARD OPERATIONS MANUAL」[14]の「6.3.2 Call for patents」ではWorking Groupの議長が毎回の委員会で参加者に対して,必須特許になる可能性のある特許があるかどうかを尋ね,そのような事実があれば委員会の議事録に正式的に記録する責任があること,また必須特許と思われる特許の保有者はLOA(Letter of Assurance for essential Patent Claims)(FRAND宣言書に相当)を提出して特許宣言するように要請しなければならないことの記載が確認できる.

また,「IEEE-SA STANDARDS BOARD BYLAWS」[15]の「6.2 Policy」 では,標準化の作業着手が決定されてから標準規格が承認されるまでの,できるだけ早い時期にLOAを提出することを要請している.同文献は,その理由として,早くそのような情報が提出されれば,標準規格の提案の採択に役立つからであると説明している.

3.2.2 IEEEパテントポリシーの必須特許の内容説明

LOAでは,必須特許の内容の説明として,特許(出願)番号の記載が必須事項として要求され,タイトルとその内容,特許クレームについて任意の記載欄があることが確認できる.しかし,特許クレームのどの構成要件と標準規格のどの章・節のどの記載が対応しているかの説明の要請は確認できなかった.

3.3 ETSIの例

3.3.1 ETSIパテントポリシーのFRAND宣言時期

ETSI(European Telecommunications Standards Institute)は,欧州電気通信標準化機構と訳される,ヨーロッパの電気通信の標準化団体である.ETSIは携帯電話等の国際標準規格策定プロジェクト3GPPに参加して中核的な役割を担っている.

ETSIのガイドライン「Guidelines for the implementation of Annex 2 of the Rules of Procedure」[16]では,作業部会や技術部門の委員会は議長による「Call for IPRs」(FRAND宣言の呼びかけ)によって開始しなければならないこと,その目的は会員にETSIのパテントポリシーの存在と必須特許の速やかな開示をリマインドすることにあると記載していることが確認できる.

また,その理由として時期遅れの必須特許の存在が発覚すると,標準規格の修正や策定のやり直し等の問題を生じさせるためと説明している.同ガイドラインには,口頭または書面での呼びかけ方法の具体例が示されている.

3.3.2 ETSIパテントポリシーの必須特許の内容説明

ETSIの「IPR Licensing Declaration forms」[17]では,必須特許の内容の説明として,標準規格の情報として標準規格名,標準番号,章(Section),バージョン,特許の情報として必須特許を保有する企業等名称,出願番号,登録番号,出願(登録)国(EP),関連するファミリー特許(国,番号)の開示を求められている.しかし,特許のどのクレームのどの構成要件と標準規格のどの章・節のどの記載が対応しているかの説明の要請は確認できなかった.

3.4 ABAマニュアルの例

3.4.1 ABAマニュアルのFRAND宣言時期

アメリカ法曹協会(American Bar Association)では,標準化団体のFRAND宣言に関連する事件の多発を契機として,標準化団体や標準化団体に助言を行う弁護士らに対して,包括的かつ中立的な立場で,標準化団体のパテントポリシーマニュアル(以下,ABAマニュアル)を発行している[18].

ABAマニュアルは,FRAND宣言時期の候補として,標準化団体への加盟時,寄書による技術提案時,必須特許を知ったとき(もしくは,その後の最初の会合時),標準規格の原案の投票前の所定期間内,標準規格の発行後の所定期間内,標準化団体(会合の議長)の呼びかけ後の所定期間内,を挙げている.

3.4.2 ABAマニュアルの必須特許の内容説明

ABAマニュアルでは,必須特許の内容の説明としては,宣言者が保有する必須特許と思われるものの特許クレームと説明する旨にとどまっており,特許クレームと標準規格の関係をどのように説明すべきかの規程は確認できなかった.

3.5 小括

以上のとおり,FRAND宣言の時期については,ABAマニュアルでは会合の開始時から,標準規格の原案の投票前までの選択肢を例示している.ABAマニュアルがFRAND宣言の時期を限定していないのは,ABAの中立的な立場として,標準化団体に選択を委ねるという方針に基づいていると推認される.一方,標準化団体の規程では,早期の開示のための厳密なルールとしての「期限」はなく,議長の会合での呼びかけに基づく努力義務としている点が共通している.厳密なルールの「期限」を規定しなかった理由としては,委員会の事情にあわせて委員長等が臨機応変な対応をとることで,会員等との信頼関係に基づいたスムーズな会議の進行とFRAND宣言への誘導が図られると考えたものと推認される.

また,必須特許の内容の説明については,標準化団体,ABAマニュアルに共通して,標準規格ごとに特許番号の開示を要求するレベルにとどまっていた.ETSIは標準規格の章番号への言及が確認できた.ABAマニュアルとIEEEでは特許クレームへの言及があった.任意記載項目として特許についての説明の欄が提供されていたが,その具体的な説明の欄の記載の仕方についての説明は見つからなかった.

本章でとりあげた標準化団体とABAマニュアルのパテントポリシーの特徴の比較を表1にまとめる.

表1 標準化団体等のパテントポリシー特徴の比較

4. 研究仮説

4.1 FRANDの義務からFRANDの権利・利益へ

これらの根本的な問題を解決するためには,その解決策が,必須特許であることの説明の明確化という特許実施者(他の会員および第三者)のメリットを実現するともに,FRAND宣言者にメリットを与えるものであることが望ましい.それはどのように実現できるかといえば,パテントポリシーをFRANDが義務であるとともに権利・利益であるように明確化し補強することである.

まず,必須特許の保有を主張する特許権者はFRAND条件で必須特許を実施許諾する意思表示の宣言をすることによって,その約束を履行する義務を負う.これがFRANDの義務である.

この義務と対応関係にあるのが権利・利益である.ここで「権利」とともに「利益」を記載したのは,法的に定められた権利ではない側面もあるからである.

「権利」の側面として近年の独占禁止法当局の改定ガイドラインや裁判例を挙げることができる.日本や欧州の独占禁止法(競争法)当局の改定ガイドラインでは,ライセンスを希望する特許実施者が特許権者のライセンス提案に対して誠実な対応をしない場合には,特許権者の差止請求が許されることもあることを示している.

一方,Unwired Planet v. Huawei訴訟(英国高等法院,2017年)では特許実施者も「FRANDプロセス」に従わなければならないと判示されている[19].すなわち,特許実施者にもFRAND条件に即した誠実な態度で交渉に応じる義務があることを示していると理解される.この特許実施者のFRAND義務には特許権者のFRANDの権利・利益が対応することになる.

さらに, FRANDの「利益」の側面としては,第1に十分な情報開示を伴うFRAND宣言によってFRAND宣言者の提案する標準規格の提案が円滑に審議されて標準規格として採用される期待が挙げられる.現状のパテントポリシーでは,他の会員が FRAND宣言者の特許の必須性が判断できない.そのため必要以上にFRAND宣言者の規格提案の採用を拒んだり会議を遅延させたりする行為を防止する仕組みを備えていない.パテントポリシーを改定し FRAND宣言では十分な情報開示を義務づけることでFRAND宣言者の提案が円滑に審議されて標準規格として採用されうる利益が実現する.

FRANDの「利益」の側面として,第2にはFRAND宣言で公開したクレームチャート(次節で説明)を特許実施者へ送付することでライセンス交渉の準備が可能となる.これは将来のライセンス収入という利益を促進するものである.さらには,複数の FRAND宣言者の協議によるパテントプールの結成を含めた特許の早期活用を促進する利益が期待できる.

FRANDの「利益」の側面として,第3には適正なFRAND宣言は,標準化団体による必須性の判定ではないものの,標準化団体に受理,公開されたことがその正当性の証として訴求できるものとなる.

しかし,現状のパテントポリシーでは特許権者が早期に誠実かつ正確に特許と標準規格の関係を示した FRAND宣言をしようとしても,標準規格の原案が明確になっていない段階ではそのような宣言ができない.また,早期にFRAND宣言した後は適切に内容の変更ができない.そこで,パテントポリシーは,FRANDの権利・利益を望む特許権者が積極的かつ誠実にFRAND宣言できるように明確化・補強すべきである.少なくとも特許権者の一方的な不利益を回避すべきである.

4.2 クレームチャートの開示義務

必須特許の開示に際しては,先に指摘したように第三者が特許と標準規格の関係が明確に理解できるようなクレームチャートで示されることが望ましい.クレームチャートとは,特許ライセンス交渉の実務にあっては,特許権者から特許実施者に対して提示される資料であって,特許と規格の関係(特許侵害)を説明するものである.法律上,特許侵害の立証責任は特許権者にあることからも,特許と標準規格の関係を特許権者が FRAND宣言でクレームチャートを提示して説明することは妥当であろう.

4.3 必須特許の候補の出願番号の早期開示義務

しかし,特許権者の立場として,標準規格の原案が整っていない段階では標準規格のどの章と特許のどの構成要件が対応関係にあるかクレームチャートで説明することは困難である.すなわち,標準規格の原案の完成と必須特許の開示はニワトリとタマゴの関係にある.そこで,標準化作業における標準規格の原案ドラフトの完成度に応じて,特許権者から開示される必須特許に関する情報のレベルアップを要請するようなパテントポリシーの設計が望ましい.その一案としては,早期の段階,たとえば標準規格の作業開始時に,特許権者が標準規格と関係がありそうだと考える必須特許の候補について出願番号のみの提示を義務づけるとともに,作業が進行して標準規格の原案の完成度が上がった段階で(少なくとも標準規格の最終原案までに)クレームチャートを提示するよう義務づけることが現実的かつ妥当であろう.

標準化の委員会の他の会員の立場としては,早期に出願番号等を知ることができれば,特許保有者のFRAND宣言の時期が遅れることになったとしても,その特許権者からの標準規格の提案によるおおよその知財リスクの把握とそれに基づく提案の支持等の判断が可能となる.その上で,標準規格の原案の完成までにクレームチャートの確認ができれば一定範囲の予見可能性は確保できる.特許権者としても出願番号開示は一方的な不利益ではない.委員会としても標準化作業の遅延ややり直しが回避され,標準化の推進上大きなメリットとなる.

4.4 オプトアウトと変更の手続き

早期の段階で必須特許の候補の特許番号の提示を求めるようにルール化した場合,出願段階で宣言した特許が拒絶査定された場合や審査の過程の補正手続で特許が標準規格を含まないようなクレームになる事例の発生も想定できる.また,当初の標準規格の原案ドラフトが修正されていった結果,特許番号の開示やFRAND宣言した特許が必須特許ではない,あるいはクレームチャートに詳細な記載の追記が必要となる事態も考えられる.

したがって,他の会員や第三者の無駄な評価を減らし,特許権者は誠実な対応ができるよう,標準規格と関係性を持たなくなった特許について特許番号の開示やFRAND宣言をオプトアウト(事後の自発取下げ)や変更ができる規程を備えることが好ましい.

4.5 義務の厳格化はさける

宣言者の行為が確実に履行されるためにルールを厳格化し,ルールが徹底されなければ罰則を規定する考え方は適正でない.独占禁止法の適用明示や義務履行の厳格化は避けるのが望ましい.

たとえば,時期遅れのFRAND宣言や必須特許に関する情報開示不足の問題に対して履行されない場合に特許権者が不利益になるような規程を設定することや,極端な例としては所定の行為を独占禁止法(競争法)違反と示唆する選択も考えられる.

しかし,ルールの厳格化だけでは,標準規格策定へのインセンティブを減退させるだけの側面が大きい.FRAND宣言者の立場では,標準規格の原案が定まっていない段階では,間違いなく必須性を説明することは不可能であることを認識すべきである.また,大企業であれば標準化活動を推進している研究所がほかの事業場保有の必須特許を発見できないこともある.民間の当事者間の取り決めで所定の行為を独占禁止法に違反する可能性があると示唆することは誤解を生じかねない.

一方,特許実施者のリスクの観点で見ると,FRAND宣言違反と解釈される行為をした者の権利行使が制限された今日までの裁判例等を,FRAND宣言者は熟知していると理解される.

そうすると,適正なFRAND宣言をすることは特許権者にとっても得策という認識が多くの企業等の特許権者で定着したものと理解してよいであろう.そこで,FRAND義務違反行為に対するペナルティはその後の裁判で判断されることを前提としても特許実施者の利益は損なわれないと考える.以上からFRANDの権利・利益を考慮の上,パテントポリシー上では義務を厳格化しないことが妥当と考える.

4.6 未登録特許の取り扱い

FRAND宣言における未登録特許の問題を解決する考え方として, FRAND宣言の対象特許を標準化作業の開始までに登録になった特許に限定することが挙げられる.この限定によって標準規格と対比される必須特許のクレーム(特許請求の範囲)は確定される.この考え方を採用するに際して,標準規格策定の作業中に生まれた特許発明をどのように取り扱うか規定しておく必要がある.1つの考え方は,そのような特許については FRAND宣言を認めないというものである.このような特許に基づいて権利行使をした場合,FRANDの義務は負っていないが,特許権者の行為は誠実性に欠け,裁判等にあっては不利な評価を受ける可能性が高い.

もう1つの考え方として,そのような発明は標準化作業にかかわった会員等の共同発明として無償ライセンスすると規定することが考えられる.ただし,そのような無償ライセンス等の是非は個々の標準化団体の業界や方針等に依存するところが大きい.以上のとおり,未登録特許の取り扱いの解決方法を検討したが,いくつかの問題も残っており最適解には至っていない.

4.7 研究課題と研究仮説の対比

第3章の研究課題と第4章の研究仮説の対比,研究仮説がFRAND宣言者および他の会員それぞれにもたらす権利・利益を表2にまとめる.

表2 研究課題と研究仮説の対比

5. パテントポリシーの提案とその理由

前章までで,現状のパテントポリシーの課題とその解決策について述べた.本章では,実在する標準化団体のパテントポリシーをベースとして,これを修正することでパテントポリシーを提案する(表4).元の規程と提案の規程を比較することで,本論文で説明した問題の解決が明確化できる.具体的には TTC(情報通信技術委員会)の「工業所有権等の取扱いについての運用細則」[20]を一部修正して元の規程として用いた.なお,本論文と実際のTTCの規程等は何ら関係がない.

5.1 パテントポリシーの提案の要点

提案のベースとなる「元の規程」では,標準規格の策定の過程で,特許権者は必須特許に該当するものがあるか調査の上で,できるだけ早く宣言書を提出すること,また,実施許諾の条件(無償/FRAND/許諾しない)に変更があったとき,できるだけ早く再提出することのみを規定している.

これに対し「提案の規程」は,次の要点の変更・追加を行った.

  • 要点1:標準規格策定開始時の必須特許の特許番号の開示
  • 要点2:特許番号の開示は可能性のあるものすべてとする
  • 要点3:標準規格の作業完了までに特許宣言書を提出する
  • 要点4:特許宣言書ではクレームチャートを示す
  • 要点5:公開されていない特許出願の開示
  • 要点6:変更があった場合は開示,宣言は取り下げできる
  • 要点7:クレームチャートで具体的な説明がない宣言書は却下

なお,第4章で取り上げた未登録特許の取り扱いは,継続検討すべき事柄が多いため,改定の提案では取り上げなかった.

表3に研究課題と研究仮説とパテントポリシーの提案の概要の対比をまとめる.

表3 研究課題と研究仮説とパテントポリシーの提案の概要

5.2 提案するパテントポリシーの具体内容とその根拠

本節では,前節で述べたパテントポリシー提案の要点を元に,具体的な変更内容を提示する.

  • (1)「作成開始時」の議長の呼びかけから「2カ月以内」に「特許権の保有に係る開示書(開示書)」を提出することとする.標準等の作成開始時としたのは,できるだけ早期に必須特許に関する情報の開示が望ましいからである.
  • (2)「特許権の保有に係る開示書」には,「出願人,出願番号及び発明の名称等の情報を記載」するものとする.クレームチャートによる特許と標準規格との関係開示や実施許諾の意思の記載を求めないのは,標準等の作成開始時には標準規格の内容が明らかでなくいずれの行為も不可能だからである.
  • (3)「特許権の保有に係る開示書」では必須特許の「可能性があるもの」を記載するものとする.
  • (4)必須特許の「可能性があるもの」としたのは,標準化の作業の開始時には,間違いなく,と要請することは負担が大きく,可能性のあるものすべてとする方が他の会員等にとっては予見性が高まって有益だからである.
  • (5)標準等の作成完了までに「特許権の実施許諾に係る宣言書(宣言書)」を提出するものとする.作成開始時には,必須の可能性のあるものの出願番号の情報しか提示できなくても,作成完了までには,特許と標準規格との関係や実施許諾の意思は明確にできるからである.また,作成完了までに宣言書が提出されなくては,宣言者からの標準規格の提案の採択に際して宣言書を判断材料とすることができないからである.
  • (6)「特許権の実施許諾に係る宣言書」には,「標準規格の原案の章・節と特許権の構成要件の対比をクレームチャートで具体的に示さなければならない」ものとする.クレームチャートが提出されれば,必須特許であるか否かの第三者の判断の負担が大幅に軽減するからである.
  • (7)クレームチャートで標準規格の原案と特許権の対比が「具体的に示されていない」場合,宣言書は却下されるものとする.かかる宣言書で示された特許の特許権者にはFRAND宣言者の利益は享受されるべきではないからである.
  • (8)「具体的に示されていない」とは,技術的な記載内容で判断するのではなく,空欄等その記載の不備が自明なものに対する判断とする.本提案は標準化団体がクレームチャートの技術的な正しさを判断せよと求めるものではないからである.
  • (9)「却下される」とは,標準化団体がFRAND宣言を受理しないことである.当然に,特許権者のFRAND宣言は有効ではなく,FRAND実施許諾の意思表明は法的な効果を有しない.このような特許権者はパテントプールへの参加等を含めた特許の早期活用の機会を逸することとなる.
  • (10) 「公開されていない特許出願の内容について第三者から要請があった」場合は,「秘密保持契約等」を条件として開示できるものとする.特許の内容がわからなければ,第三者が必須特許かどうかの判断をすることができないからである.
  • (11) 開示書・宣言書は修正,取り下げできるものとする.標準規格の原案のドラフトが作業の過程で変更になる場合や特許が補正・拒絶査定される等によって,クレームチャートの内容を含む特許と標準規格との関係や特許権の保有等についての記載が事実とは異なるものになることもあるからである.

「元の規程」と「提案の規程」の対比を表4に示す.「提案の規程」において「元の規程」と異なる部分は下線で示した.また,「提案の規程」において,要点の番号(①~⑦)を表中に示した.また,提案における標準化,FRAND宣言,特許出願,特許活用のプロセスの関係を図3に示す.なお,図2と同様に,これらのプロセスは同期のとれたものではなく,特に特許出願から登録までのプロセスについてはほかのタイミングも存在する.

表4 パテントポリシーの提案
パテントポリシーの提案
提案の標準化・FRAND宣言,特許出願・活用のプロセス
図3 提案における標準化・FRAND宣言,特許出願・登録,特許活用のプロセス関係

5.3 実践

(1)実践において存在していた課題
 筆者がかかわったある標準化団体では標準規格の策定を積極的に推進していたが,標準規格の策定が停滞する事態となっていた.その原因はパテントポリシーに起因する問題(本論文第2章の第1の問題と第2の問題)であった.

(2)課題に対する対応
 筆者は,このような状況にある標準化団体のパテントポリシーの改定の検討に参加して本章で要点を示した改定の提案を行った.実際に提案したパテントポリシーと具体的な議論は開示できないが,おおむね提案が採用されパテントポリシーが改定された.

(3)確認された効果
 パテントポリシー改定の効果として,早い段階でのクレームチャートの提出,特許の必須性の判断の容易化,標準化の議論の促進が確認できた.

5.4 標準規格を使用する技術者等の留意点

本論文で示した標準化団体のパテントポリシーをめぐる問題に対して,標準規格を使用する技術者等はどのような点に留意すべきか述べる.策定の進んでいる標準規格の将来の使用を検討するに際しては,標準化団体での FRAND宣言の状況を確認し,標準規格と特許の関係を把握しておくべきである.早い段階でそのような情報を確認しておくことで,必須特許ライセンス料の支払いリスク等を把握することができるからである.

また, FRAND宣言された必須特許についてライセンスを受けると判断した場合,特許権者との交渉ではライセンスをとる意思を明確に態度に示して交渉すべきである.前向きの回答をしながら交渉日程を先延ばしにしていると,特許権者から差止請求等の訴えを提起され,裁判所で訴えが認められるリスクが高まるからである.使用しようとする標準規格に関係する他社の特許の存在と内容の精査については所属する会社の知財部門に相談することが妥当であろう.FRAND宣言がどのような法律的な効力を持つかについては,国内外の裁判で争われており,特許庁がガイドラインをまとめているので確認しておくことが望ましい[21].

6. おわりに

標準化団体のパテントポリシーにおけるFRAND宣言の手続きに残存する問題を指摘した上で,代表的な標準化団体等のパテントポリシーを調査して,その根本的な問題を分析し,パテントポリシーの改善案を提案した.さらに,提案の実践について述べた.

参考文献
  • 1)公正取引委員会「標準化に伴うパテントプールの形成等に関する独占禁止法上の考え方」(2005).
  • 2)特許庁・発明協会「パテントプール」(2009), https://www.jpo.go.jp/torikumi/kokusai/kokusai2/training/textbook/pdf/Patent_Pools_jp(2009).pdf (2018年4月30日現在)
  • 3) 小山田和将:ITを巡るプロパテント/アンチパテントの潮流,インプレスR&D (2016).
  • 4)藤野仁三:特許と技術標準:交錯事例と法的関係,八朔社 (1998).
  • 5)和久井理子:技術標準をめぐる法システム,商事法務 (2010).
  • 6)小林和人:標準規格必須特許のRAND実施料率に関する裁判例,パテント,Vol.67,No.7,pp.46-57 (2014).
  • 7)上池 睦,小林和人,平塚三好: FRANDをめぐる裁判例にみる標準規格必須特許の実施料算定方法に関する研究,パテント,Vol.68, No.10, pp.119-133 (2015).
  • 8)日本の公正取引委員会の知的財産ガイドラインの改正:http://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/h28/jan/160121.html (2018年4月30日現在)
  • 9)小林和人,平塚三好:IEEEのパテントポリシーを巡る最新の動きとその分析,知財管理,Vol.68, No.2, pp.127-138 (2018).
  • 10) 小林和人,平塚三好:標準化団体のパテントポリシー改訂の動向とその影響の分析,情報処理学会,研究報告電子化知的財産・社会基盤(EIP),69(19),(2015).
  • 11) European Commission: Communication from the Commission the European Parliament, the Council and the European Economic and Social Committee, Setting out the EU approach to Standard Essential Patents (2017), http://ec.europa.eu/transparency/regdoc/rep/1/2017/EN/COM-2017-712-F1-EN-MAIN-PART-1.PDF (2018年4月30日現在)
  • 12) ITU:Guidelines for Implementation of the Common Patent Policy for ITU-T/ITU-R/ISO/IEC (2015), https://www.itu.int/oth/T0404000001/en (2018年4月30日現在)
  • 13)ITU:PATENT STATEMENT AND LICENSING DECLARATION FORM FOR ITU-T OR ITU-R RECOMMENDATION | ISO OR IEC DELIVERABLE (2015), https://www.itu.int/oth/T0404000002/en (2018年4月30日現在)
  • 14)IEEE: IEEE-SA STANDARDS BOARD OPERATIONS MANUAL (2017), https://standards.ieee.org/develop/policies/opman/ (2018年4月30日現在)
  • 15)IEEE: IEEE-SA STANDARDS BOARD BYLAWS (2017), https://standards.ieee.org/develop/policies/bylaws/ (2018年4月30日現在)
  • 16)ETSI: Guidelines for the Implementation of Annex 2 of the Rules of Procedure (2011), https://portal.etsi.org/directives/37_directives_apr_2017.pdf (2018年4月30日現在)
  • 17)ETSI: IPR Licensing Declaration Forms (2017), https://portal.etsi.org/directives/37_directives_apr_2017.pdf (2018年4月30日現在)
  • 18)Contreras, J. L. (ed.): Standards Development Patent Policy Manual, American Bar Association (2007).
  • 19)小林和人:FRAND条件をめぐる裁判例とその考察 ─Unwired Planet v. Huawei英国訴訟─,パテント,Vol.71, No.9 (2018).
  • 20)TTC:工業所有権等の取扱いについての運用細則 (2017), http://www.ttc.or.jp/files/1115/0457/9169/ipr-unyou_20170904.pdf (2018年4月30日現在)
  • 21)特許庁:標準必須特許のライセンス交渉に関する手引き (2018).
小林 和人(正会員)kobayashi.papas.kazuto@gmail.com

1986年3月早稲田大学理工学研究科修了.同年松下電送(株)(現パナソニック(株))入社.画像処理LSI設計,インターネット機器の研究・技術標準化・事業化に従事.知財部門にてライセンス,知財戦略の業務に従事.2018年情報・システム研究機構 産学連携・知的財産室長.標準規格必須特許・データの知的財産法による保護等を研究.弁理士.

投稿受付:2018年5月6日
採録決定:2018年11月8日
編集担当:浦本直彦((株)三菱ケミカルホールディングス)

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