国際標準化機構(ISO : International Organization for Standardization)の159番目の技術委員会(TC : Technical Committee)であるTC 159が人間工学の規格を担当している.このISO/TC 159の中の分科会(SC : Sub Committee)の1つであるSC 4では,人間が扱う対象をコンピュータシステムとし,人間とシステムとのやりとり(対話:インタラクション)に着目し,人間にとって望ましいシステムに関する規格を審議・策定している[1].表1にインタラクティブシステムに関する人間工学規格体系(ISO9241シリーズ)を示す[2].このシリーズは,従来はオフィス業務におけるVDT (Visual Display Terminals)作業のハードウェアとソフトウェアに関する人間工学的要求事項を扱ってきた.しかし,時代の移り変わりや技術の発展とともに改版すべき内容が増えたことと,将来的に規格が増えることを見据え,幅広くインタラクティブシステムを扱うようになった.
今回,これらの中で特に日本が積極的にかかわっている領域,または今後積極的にかかわっていく予定の領域として,「ディスプレイ/映像」,「人間中心設計とユーザビリティ」,「ソフトウェア」,「ワークプレース」,「ロボット/自律システム」という5つを取り上げる.筆者の1人はSC4の主査を2016年から務めている.それぞれの領域の規格の方向性と日本での産業や技術に基づいた取り組むべき方針の決定,さらに譲れない日本の考え方の主張や対応の仕方など,主査として取り組んできたことについて述べる.
表1に示すインタラクティブシステムに関する人間工学規格は,設計規格とプロセス規格に分けることができる.製品・システム・サービスを主な操作対象とし,設計規格は,それを「直接」使う利用者が疲れず快適に操作できるように,操作対象をどう設計すればよいか,または,操作対象が置かれた環境をどう構築すればよいかを規定している規格である.一方,プロセス規格は,それらを作る・構築するための手順や考え方を規定している規格である.当然であるが,いずれも「利用する」利用者視点の規格となっている.そのため,利用者によって操作対象や環境の受け止め方が異なるので,世界で一律の規格とするのが困難なケースがある.たとえば文字サイズの縦横比などはアルファベットと日本語文字ではその値が異なるが,双方とも受け入れられなければならない.また,配色に関しては,国や地域文化によって意味やとらえ方が異なるため,物理量だけで設計指針とするのは危険である.このようなことから,日本から人間工学規格の標準化策定に参加する際には,人や地域によってとらえ方が異なることを前提に参加し,何気なく決まってしまうような規格でも,日本に適用したらどうなるか,という視点で取り組む必要がある.
現在,人とコンピュータとのインタラクションの多くは,電子ディスプレイを介して行われている.電子ディスプレイの技術は,従来のCRTからFED(Field emission display)などのいわゆるフラットパネルディスプレイや携帯型端末のディスプレイにまで対象が広がってきている.そしてこれらの技術を用いたモバイルディスプレイ,3Dディスプレイや,さらにHMD(Head-mounted display)などが登場したことで,新たなディスプレイデバイスやシステムが身近なものになってきた.
ISO/TC 159/SC 4 傘下の作業グループWG 2(Visual display requirements)では,たとえば見やすさなど,ディスプレイにおける人間工学的研究の結果をまとめて,規格原案を作成することが行われてきた.現在これらの規格は,適用範囲と対象をFEDであるPDP(Plasma display panel)や反射型LCD(Liquid crystal display)等に拡大し,2008年に新しい国際規格ISO 9241-300サブシリーズ(9241-300~307)として統合・発行された[1].
一方,近年の映像メディア技術の革新的な進展は,映像を人々にとってこれまで以上に身近なものにするとともに,さまざまな情報を伝える有益な手段として欠かせないものになっている.しかし,その一方で生体への安全性について十分な配慮がなされていないと,光感受性発作,映像酔い,立体映像による視覚疲労など好ましくない生体影響を引き起こす可能性がある[3].ISO/TC 159/SC 4 傘下のWG 12では,日本からの提案により,光感受性発作の軽減に関するISO 9241-391:2016[4]が,また3D映像による視覚疲労の軽減に関するISO 9241-392:2015[5]が,それぞれ発行されるとともに,さらに映像酔いでは,現在までに技術報告書ISO/TR 9241-393が承認され,発行待ちである.
ディスプレイ関連は,技術的な規格について1980年代から各国が積極的に取り組んできた.その中で,日本を中心としたアジア系2バイト文字の扱いについて,その必要性が理解されず,当時発行されたディスプレイ関連規格ISO9241-3では,規定から除外されたことがあった.その経験を踏まえ,それ以降日本がとった戦略が2点ある.1つ目は,ディスプレイ技術者だけでなく,人間工学研究者を複数名会議に参加させ,人間への影響を学術的に説明し,それが技術的に実現可能であることを示したことである.2つ目は,欧州と日本との環境の違いを理解してもらうためのラウンドテーブル実験の提案と実行である.具体的には,国内でディスプレイ産業が盛んであった1990年代に,同一環境でその操作性や視認性などを各国持ち回りで評価し,共通点や特異点を抽出し,問題点を共有するラウンド評価を日本から提案・実施した[6].その結果,実施した実験で得られたデータに基づいて,ISO9241-7での画面の反射測定環境について日本として譲歩できない項目を入れ込むことに成功した.これは前述の2つの戦略が規格化に大きく影響を与えたこと,結果として規格全体の質の向上に貢献したことが評価されているからである.
現在,WG2においては,ISO 9241-300シリーズの見直し作業を実施するとともに,電子ペーパーなどの反射型ディスプレイやHMDといった新規の表示デバイスに対する規格策定を進めている.前者の電子ペーパーについては日本からWG 2に技術報告書を提案し,検討が進められている.後者のHMDについては2016年にWG 2やSC 4にて,光学特性,VR酔い,装着特性の3つの視点[7]で規格化検討を行うべきとの提案を日本から行い,現在これらの検討が開始されている.
また,映像の生体安全性に関する国際規格化の取り組みは,日本が主体的に進めている.この端緒を開いたのは,日本の提案により2004年12月に東京で開催されたISO国際ワークショップ「映像の生体安全性に関する国際ワークショップ」とその国際ワークショップ合意文書(ISO/IWA 3:2005)である[8].現在この領域には,ディスプレイソリューション,映像コンテンツ活用,電子ディスプレイなどの企業や国の研究機関などが参画し,基本的に日本主導で規格化が進められている.このように近年はディスプレイ/映像領域では,日本の影響力が高くなり,日本からの提案が多数実施されるようになった.
2010年に人間中心設計の規格ISO 9241-210が発行された[9].この規格は,製品,システム,サービスを使いやすく,有益にすることを目的として,それらを開発するための人間中心設計アプローチを示したものである.規格では,「人間中心設計(HCD : human-centred design)には4つの活動があり,これらはプロジェクトを通じて実施されることが望ましい」と記されている.具体的な活動としては,
である.
この規格では,ユーザエクスペリエンス(UX)という言葉が,「システム,製品又はサービスの利用および/または予想される利用に起因する利用者の知覚および反応」として初めて定義された.当時は業界でもUXという言葉は流行っていたので,その時点では特に日本からは異議は生じなかったため,そのまま規格となった.
また,ユーザビリティ(使用性)は,元々はソフトウェアを対象として1999年に発行されたISO9241-11 (Guidance on usability)に記載された.そこでは,「使用性」を有効さ (Effectiveness),効率 (Efficiency),満足度 (Satisfaction)の3 側面で規定した.しかし,その後,ユーザビリティはソフトウェアだけでなくインタラクティブシステム全体にかかわると認識されるようになってきた.そのため,改定作業が行われ,主にインタラクティブシステムの直接利用者(一次利用者,二次利用者)を対象とし,利用による成果としてユーザビリティが位置付けられることとなった(図1)[10].
一方,人間工学規格とは別に,ソフトウェアエンジニアリング規格の中に,ソフトウェアの品質に関するSQuaRE (Systems and Software Quality Requirements and Evaluation)シリーズという規格群がある[11].この中に,CIF (Common Industry Format for Usability:ユーザビリティのための工業共通様式)というユーザビリティに関するサブシリーズが存在する[12].このSQuaREシリーズを国際的にリードしているのは日本の情報規格調査会内のチームであり,人間工学の委員会と連携しながら進めている.日本の情報処理領域および人間工学領域では,ユーザビリティをソフトウェアの品質の一部として扱うのはの共通した考え方となっている.
前述のISO9241-210では,このUXという言葉は規格の中では特に使われず,定義だけされたため,日本としては特に注意は払わなかった.
一方,2019年発行に向けて準備中のISO 9241-220がある[13].この規格は,人間中心設計プロセスを適用する際の考え方(最低限考えなければならないこと)を示すことが目的である.人間中心設計プロセスの「有効性を示し」,「実行し」,「評価する」ために何をすべきか?を規定することで,具体的なプロジェクトへの適用方法を示すものではない.この目的自体に異論はないが,人間中心設計を適用する目的として,“Human-centred quality(HCQ)”なるコンセプトを実現することと記されるようになった.このHCQは,「ユーザビリティ」だけでなく,「アクセシビリティ」,「ユーザエクスペリエンス(UX)」,「使用による傷害の回避」の4つの特性を含むと定義されてしまった.
しかし,日本の委員会はUXはユーザビリティやアクセシビリティなどと異なり,利用者が感じる価値を示す概念であるため,品質(quality)に含めるべきでないと,さまざまな事例を出して猛反発した.しかしながら,他国では,UXとユーザビリティは,定義などの表現は違っても同じように捉える傾向にあり,いずれも最終的に賛成多数で可決されてしまった.また,ユーザビリティに関しても,日本から提案した図1では,原案作成時には,「利用による成果」はユーザビリティとその他であったが,国際規格(International Standard : IS)発行時には「利用による成果」=HCQとなり,ユーザエクスペリエンスが含まれていた.
本領域の日本のメンバは,IT関連企業,HCD関連やマーケティングの研究者や実務者である.今回日本の提案が受け入れられず,日本側の理解と異なった概念が規格に入ってしまった理由は3点ある.1つ目は,日本のメンバにはこの領域の専門家が多いにもかかわらず,実際の会議参加者が日本からはほぼ1人であり,それに対してUXの概念を入れると主張したエディタ側の国は議長を含めて複数名参加していたこと,2つ目は,日本は事例を出して反発したが,これがUXが品質ではないという事例が中心だったため,水掛け論になってしまったことである.ここでは,UXを規格に入れることでどれだけの不便・不利益があるかを示すべきであった.3つ目は,他の規格団体(ここではSQuaREシリーズを扱っているJTC 1,SC 7,WG 6)の協力を得て,違う観点から反対意見を出してもらうようにすべきであった.
上述のように,日本が反対していた,原案作成時にはなかった記述がIS発行時に書かれていることに抗議しているが,すでに発行済みとのことで受け入れられていない.これは現在も抗議中であり,国際合意できていないことでもあるため,日本は国内に向けてはHCQからUXを除外して発信するという委員会決議を採択すること,HCQにおけるUXの記述は日本国内では受け入れられないとの国内委員会判断で,国内向けにはこの図からユーザエクスペリエンスを削除した状態で用いることとした.2018年8月から本規格を国内規格(JIS)化する委員会が立ち上がったが,ここでもユーザエクスペリエンスは削除する方針で進められている.
また,現在,SQuaREシリーズでの品質モデルの見直しが行われており,最初の草案ではHCQの考え方が取り入れられていた.しかし,ここでは日本(筆者)がエディタを担当することに成功したため,品質モデルにおけるHCQからUXを削除し,それを新たな国際規格とする方向で原案作成を進めている.そのモデルを9241-220および9241-11の見直し時に提案し,最終的にHCQからUXが削除された国際規格にするという戦略を取ることにしている.
ソフトウェアの人間工学的な面について,従来は,情報表示,メニュー形式,空欄書式など,画面表示に関する人間工学的基本要件が規格化されてきた.近年は,UIの要素,GUI,Auditory UI,ジェスチャーUIなど,すでにデファクト化されているUIの設計ガイドラインをあえて国際規格にしようとする動きになってきている.しかし,UI関係は世の中に多数のガイドラインが存在し,その領域毎にUI表現も異なる.そのため,従来からある基本的なUIの考え方を国際規格として統一する必要性は認めるが,それ以外の個別のUIについては,たとえ国際規格であっても,推奨事項のみの規格となってしまうため,リソースを費やして国際標準化する意味/必要性はないと,国内の標準化委員会や参加企業,業界団体などは考えている.このような規格を作ることを目指した活動に対し,日本は,当該WGの複数議長に事前ネゴした上で,WG内ではなく,上位のSCの総会で,規格の乱発を問題視し,新しい規格策定の提案に対してより厳しい審査基準を設けるよう提案し,受け入れられた.そのため,日本からは,この領域については,表1で示した9142-110(対話の原則)[14]の改訂作業の審議のみに参加するようにした.もちろんこの規格改訂においても,関連するUI系規格は視野に入るが,日本としてはUIは日本独自の作り方もあるため,規格にとらわれないという戦略を取ることとした.
第3章では,これまでの人間工学規格策定の取り組みと,それらの成功要因や必ずしもうまくいかなかった要因などを振り返った.本章では,最近審議が始まった領域での取り組みについて述べる.
この領域では,元々はVDT作業環境として,VDTのハードウェア(キーボードなどの入力装置),VDTを取り巻く環境要因(机,椅子,照明など)をPC作業者の視点から規格化してきた.しかし,ハードウェアについては,キーボードやマウスの仕様がほぼ固定化してきたことに加えて,音声入力やタッチパネルなどの技術開発により自由度が増し,人間への影響にアプリケーション依存性が強くなったため,規格化の役目が終了した.一方,環境要因としては,近年,PCを用いた働き方が多様化し,単に人とコンピュータとのインタラクションを考えるだけでは人にとって好ましい作業場/作業環境が規定できなくなってきている.また,ドイツを中心とする欧州において,オフィスはすべての作業場で太陽光が入るように設計しなければならないとする法律や規格の変更があり,ディスプレイへの太陽光の映り込みの人間への影響が問題視されるようになった[15].しかし,この課題は,従来の決められた時間に決められた場所で作業するというスタイルを変えない限り解決できない.そのため,この規格検討グループでは,人間の作業に対応した作業環境や什器の設計ではなく,働き方やオフィス内外の行動に即した設計規格を目指すように方針が変わってきた[16].まさに,国や地域・文化の違いを考慮した規格化の重要性が増している領域である.
このため,他国では主に家具メーカやそれにかかわる人間工学研究者がメンバとなっているが,日本では現在,家具メーカだけでなく,第2章で示したディスプレイ/映像領域のメンバも含め,IT業界全体で考えるよう国内委員会で準備を進め,主導権を握れるように働きかけている.
近年人工知能技術が急速に発展し,ロボットの自律化に向けた研究開発が進んできている.ロボットそのものについては他の技術委員会ですでに規格化されており,インタラクティブシステムという面では,ロボットと人がインタラクションする際の人間工学的課題に着目する.そのためのソフトウェア要件を規定しようという検討チームが,2017年秋に立ち上がった.ロボットに対する捉え方は,欧米ではあくまでもツール,日本ではツールではあるが,擬人化されたもの,と大きく異なり,そのため,インタラクションに対する人間側のふるまいも異なってくる.人間工学的観点では,ロボットと人とのインタラクションが中心になるので,ロボットに対する捉え方は非常に重要な要素である.現在,実際の写真や動画を紹介することで日本の状況を説明しているが,その効果や課題なども整理して,日本の文化を組み込む戦略が必要である[17].
人とシステムのインタラクションに関する人間工学のテーマは多岐にわたっている.しかし,それらをすべて規格として記述するのは困難である.また,国や地域,文化が異なれば,インタラクションに対する考え方も異なる.そのため,人間工学の規格は,基本的かつ最低限必要な内容のみにとどめるべきである.そうであっても上述のように,欧米と日本とでは考えが異なり,受け入れがたい点も生じてくる.数の上では日本は欧米に対して不利ではあるが,黙っていては何の解決にもならず,規格自体が形骸化してしまう.
このような規格策定の現状ではあるが,「3.1ディスプレイ/映像」で述べたように,各国の意見・状況を真摯に受け止め,日本主導で委員会等を立ち上げたりすることで信頼を得て,さまざまな提案をすることができるようになった.一方,「3.2人間中心設計とユーザビリティ」のように,根本にある考え方が異なると,何を言っても通じない場合もある.その場合には,いったん日本は他国とは違うことを示し,関連するが異なる領域の規格策定の主導権を握り,そちらを確定させてから元々齟齬が生じていた規格を日本案に合う形で受け入れさせるというやり方もある.
今後も日本としては日本の状況を踏まえた提案を行い,受け入れらない場合は日本国内に展開する際の方針を委員会や学会で議論し,進めていく.
慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程修了.NEC勤務を経て理化学研究所AIPセンター研究員.工学博士.生理心理や人間工学をベースにユーザビリティや品質,技術の社会受容性の研究に従事.ISO TC159/SC4国内主査及び国際エキスパート.
東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程修了.ヨーク大学(カナダ)博士研究員等を経て,現所属.上級主任研究員.ISO/TC 159/SC 4/WG 12コンビナ.視覚心理物理学を基盤に,人間工学,映像の生体安全性に関する研究開発や標準化活動を行っている.
会員種別ごとに入会方法やサービスが異なりますので、該当する会員項目を参照してください。