乗換案内など公共交通の利便性を高めるアプリケーションの開発が,日本だけでなく世界的に盛んになってきており,その背景のひとつとして,バスや鉄道の路線図や時刻表,リアルタイム位置情報などを誰もが使えるデータとして公開する公共交通オープンデータの普及がある.公共交通分野のオープンデータは,北米やヨーロッパで広まっている一方,日本ではまだ十分に浸透していない.これは,日本国内の公共交通事業者の多くが民間企業である上に,1990年代後半より乗換案内サービス事業者を中心とした時刻表データの流通ビジネスが確立しており[1],オープンデータを推進しなくても十分な品質の乗換案内などのサービスが実現しているためである.
しかし,現在は乗換案内サービス事業者がコスト負担する形でデータが流通しており,空路や鉄道,都市部の路線バスのデータはほぼ網羅しているものの,乗換案内サービス事業者が全国の路線バス事業者1社1社とデータ提供契約を結んで整備を進めているため,利用者が少なく検索数が期待できない地方の路線バスのデータ整備は十分に進んでいない.特に地方の路線バスは,小規模なバス事業者や市町村が運営するコミュニティバスが中心であり,十分な情報システムやITスキルがないため機械処理を考慮しない形式でしか時刻表データなどを用意できない.このため,データ入力のコストの点からも現在の流通の仕組みのまま全国の路線バスデータを網羅するのは困難である.
また,海外と日本との公共交通データへのアクセスの容易性の違いによって,公共交通分野におけるベンチャー企業が日本ではあまり登場しないなど,公共交通分野のITによる技術革新を阻害している可能性がある.自動運転技術やUberに代表されるように交通はITによるイノベーションの次のフィールドのひとつであり,JR東日本や東急がオープンイノベーションを目指した施策をはじめているものの,公共交通オープンデータが存在しないことが,国内から交通分野への挑戦を難しくするひとつの原因だと考えられる.
日本における公共交通オープンデータの推進組織として,2013年に設立された東洋大学坂村健教授を会長とする「公共交通オープンデータ協議会」が知られている[2].しかしこの協議会は首都圏の鉄道やバス事業者が主なメンバであり,地方の公共交通事業者にはまだ十分対応できていない.
筆者らは,静岡県においてOpenTrans.it(オープントランジット)[3]と呼ぶ公共交通オープンデータ配信基盤を2014年に共同開発し,静岡県のコミュニティバスのオープンデータを実現した.OpenTrans.itは公共交通の路線図や駅やバス停の位置,時刻表データなどをブラウザ上で入力することで,インターネット上で公共交通データを配信できるWebサービスであり,このあと5.1において説明するように,現在も静岡県内自治体のコミュニティバスのオープンデータ配信を続けている.
筆者らは,OpenTrans.itのいわば「横展開」にあたる活動として,2015年度以降特に地方の路線バスに注目した公共交通オープンデータの普及活動を続けてきた.2017年現在,全国で公共交通オープンデータを実現した事例や目指す動きが出始めた状況であり,筆者らの活動によって全国に公共交通オープンデータムーブメントが起こり始めているといっていいだろう.OpenTrans.itの開発が情報システムの構築と運用という側面を強く持つのに対して,その後の活動は,他の地域に対して,静岡での活動をアピールし,志を同じくする者を見つけて情報交換や技術連携を行う緩やかなコミュニティを作っていくという,社会活動の要素が大きい.
本稿では,どのようにこのムーブメントを起こしていったか,その活動から得た知見を「プラクティス」として紹介する.このプラクティスは情報技術そのものに関するプラクティスとは言えないが,現在黎明期にあるオープンデータにおいては,行政や企業におけるデータ公開の仕組みや制度作りにおいて情報処理技術者の専門知識が求められる状況がある.本稿は,事例を詳細に紹介することでそうした場での情報処理技術者の活躍を後押しするとともに,読者それぞれのフィールドにおけるオープンデータ推進のヒントとなることを期待して執筆した.再現性が期待できる純粋な工学領域ではなく,社会科学が扱う領域に近いからこそ,本稿をきっかけにさまざまな事例が積み重ねられ,今後情報処理技術者のオープンデータ領域における行動指針となり得る一般的な知見に昇華することを期待している.
筆者らは,OpenTrans.itの経験を踏まえて,公共交通の路線図や時刻表データを交通事業者がGTFS(General Transit Feed Specification)というフォーマットで整備し公開するオープンデータを提唱している.単一のフォーマットを用いることで,公共交通データを扱いやすくし,多くの利用者が期待できない小規模な公共交通事業者のデータに関してもその活用を促進することを狙っている.GTFSは,2005年にGoogleがオレゴン州ポートランドの交通事業者TriMetとともに策定したデータ形式であり[4],現在では,空路や渡船なども含む多様な公共交通の路線やダイヤ情報を記述できる汎用フォーマットに拡張されている.その仕様は,今はGoogleではなく世界の開発者コミュニティによって管理されている.現在,北米やヨーロッパを中心に公共交通事業者が自らのデータを自らのWebサイトでGTFS形式でオープンデータとしてダウンロード可能にすることが一般的になっている.Googleに限らず,Apple,MicrosoftなどがGTFSフォーマットによるデータを扱っており,このフォーマットによるデータを収集し乗換案内などを開発するベンチャー企業も世界中に存在する.また,transitland[5]やTransitFeeds[6]など世界中の最新のGTFSデータを収集しAPI提供するリポジトリも運用されている.
GTFSは,バス停の名称や位置,路線,時刻表や料金表などをそれぞれ決まった形式のCSVファイルに記述し,それをひとつのZIPファイルに圧縮したファイル形式であり,CSVというところから人手でも作成可能で分かりやすいという特徴と,形式が厳密に決まっているため,コンピュータを用いた処理を行いやすいという特徴を持っている.OpenTrans.itを開始した時点でGoogleは「Google乗換案内パートナープログラム」を提供しており[7],公共交通事業者が自ら整備したGTFSを乗換案内に取り入れることを正式に表明していた.ただし,Google Mapsに掲載されている日本国内の公共交通データのほとんどはジョルダンから購入したものであり,このプログラムを用いている公共交通事業者はほとんど存在しなかった.また,ジョルダン,ナビタイム,ヴァル研究所など国内の乗換案内サービス事業者は,GTFSやオープンデータに対する態度を表明しておらず,時刻表データの提供を望む交通事業者がいた場合,どのように対応するか明らかではなかった.
OpenTrans.itの経験を通して,GTFSが日本の路線バスデータを十分表現できる形式であることが分かっていたため,Googleに採用される道筋が見えていて,世界中のアプリケーションで利用される可能性がある形式であるGTFSを筆者らは公共交通オープンデータのファイル形式として推奨することにした.またGTFSのデータ構造は時刻表データをリレーショナルモデルで素直に表現したものであり,オープンデータの推進活動の中で目にした,各地で作られた独自のデータ形式がGTFSと似通っていたことも,標準形式としてGTFSを採用することに確証を与えることになった.
公共交通オープンデータの推進は,それ自体が利益に繋がる事業になるというより,公共交通の利便性を高め,新しい産業が興る土台を作る社会活動の側面が強い.大学の研究者であり,自らが継続的に事業を担う体制を持っているわけでない筆者にとって,その推進のためには,単に静岡での取り組みを拡大するアプローチより,多くの関係者を巻き込み,各地で自主的に公共交通オープンデータを進めるムーブメントづくりの方が現実的であった.関係する可能性が高いのは,地域の公共交通事業者,国や地方自治体職員,土木,交通分野の研究者や専門家,乗換案内サービス事業者,シビックテックなど地域社会での活動に興味があるITエンジニア,バスマップなどの地域の公共交通の維持や利用促進活動に興味がある交通マニアなどである.当初時点では接点がなかったこうした方々が,公共交通オープンデータという共通の目標を意識し全国各地で手を携えて活動を始める,というのが目標である.また,乗換案内サービス事業者がオープンデータの推進に理解を示し,公開されたオープンデータを積極的に活用するようになることも取り組みの目標である.さまざまなチャンネルを用いて,全国のこうした方々に公共交通オープンデータ実現というメッセージを届ける活動を行った.
土木,交通分野は,情報分野と比べて産官学の連携が強く,大学だけでなく実務者についても学会に積極的に参加し情報交換をする状況がある.学会には,地域の公共交通に関する協議会にかかわっている全国の地方大学の教員や交通コンサルタントも多く参加する.また,公共交通の利用促進などを目指した,産官学の交流の場となるイベントも多い.このため,OpenTrans.itの取り組みを土木計画学研究発表会で発表したり[3],日本モビリティ・マネジメント会議,くらしの足をみんなで考える全国フォーラムなどのイベントで発表し,関係者にGTFSによるオープンデータの実現を訴えた.これらの発表を通してGTFSというフォーマットの存在を知ったという声を何件も聞いており,この分野の専門家にGTFSやオープンデータを意識させたという点でも,こうした場での発表に十分な効果があったと考えている.
講演などで用いたスライド資料は,ほぼすべてインターネット上のスライド公開サイトSlideShareで公開している.表1に2017年5月時点でのアクセス件数上位のスライドを示す.講演直後に公開するため,FacebookやTwitterなどSNSでの拡散が主だが,検索からの流入もあり,長期にわたって閲覧されるスライドもある.ブラウザ上でスライドの各ページをめくることによる講演内容の確認のほか,pdfをダウンロードし資料として用いるなどの使途があるようである.
公共交通オープンデータを広めるために,論文による情報発信に加えて一般向けにブログ記事を執筆した.「公共交通オープンデータの現在 ロンドン編[8]/アメリカ編[9]」と題した記事では,海外の事例調査を行い,QiitaというITエンジニアが技術情報の交換を行うブログプラットフォームに記事として投稿した.この記事は2017年5月時点までにそれぞれ2,374件,5,184件のアクセスがあった.GTFS誕生の物語に公共交通事業者としてかかわった,アメリカポートランドのTriMetの責任者Bibiana McHugh氏が執筆した記事[4]を「オープンデータ標準を作る: GTFS物語」と題して翻訳した記事[10]には,5,290件のアクセスがあった.
事例紹介に関しても,5.3で述べる能美市の事例を「公共交通オープンデータ能美市の取り組みとその未来」と題してまとめ公開している[11].ここでは,のみバスの簡単な紹介から公共交通オープンデータを公開した経緯,Google Mapsを用いた乗車体験から自らが講師となった講演会の記録などをまとめている.
スライド資料やブログ記事はインターネット上で拡散しやすく,検索にもヒットしやすいため,これらの資料をきっかけとした筆者への問い合わせも1カ月に1件程度ある.国土交通省やある乗換案内サービス事業者との関係も先方の検索がきっかけであり,このような情報発信はこの取り組みにおいて重要な役割を担っていると考えている.
公共交通をITと結びつけ発展させていこうという機運を盛り上げるために,「交通ジオメディアサミット 〜 IT×公共交通 2020年とその先の未来を考える〜」と題したシンポジウムを企画し,2016年2月に東京大学生産技術研究所において200名近い参加者を集めて開催した.シンポジウムの登壇者を表2に示す.このシンポジウムでは,講演者として国土交通省,乗換案内サービス事業者3社,交通事業者,有志によるバスデータ整備関係者など公的な立場の講演者から趣味に近い講演者まで幅広く集め,議論の場を設定した.
筆者にとってこのシンポジウムは,学会や交通イベント,ブログなどで公共交通オープンデータについて半年以上訴えつづけた過程で,直接またはインターネット検索などを通して知り合った方々を一堂に集め,問題を共有するとともに解決のキーマンとなる人々の人的ネットワークを構築することが狙いだった.地方の現場をよく知るコンサルタントや乗換案内サービス事業者の中でもデータ整備に携わる担当者,地方でバスデータの整備活動を趣味として続けている方などが登壇し,特に地方に行くとデータ整備が進んでおらず,検索ができない現状,路線バス運行にかかわるデータが事業者の中でも分散し統一的に管理されておらず,データ整備が困難である状況,公共交通の詳細な利用状況を捉えた交通ビッグデータ分析が交通サービス改善につながる可能性などが示され,交通事業者と利用者とが相互に情報を流通させることで,公共交通を進化させていく未来像が提示された.ヴァル研究所の諸星賢治氏からは,同社の駅すぱあとにおいて路線バスデータをオープンデータによって収集するビジョンが示され,路線バス対応件数において乗換案内サービス事業者同士が競争している状況とは一線を画する姿勢を明らかにした.
1社とはいえ,乗換案内サービス事業者からオープンデータへの言及がなされたのは本シンポジウムの大きな成果であった.また,このイベントの登壇者や登壇企業の一部は4.1に述べる国土交通省での検討会のメンバになっており,筆者自身が検討会の座長を務めたことも含めて,このシンポジウムの波及効果が窺える.シンポジウムの様子は当日の発表資料や開催中のTwitterでのつぶやきなどが記録としてオンラインに残されたほか,オンラインニュースサイトであるInternet Watchにおいて「全国のバス情報,どうやってIT化を? 「交通ジオメディアサミット」初開催」と題して記事になった[12].このようにインターネット上で検索可能な記録が残ることで,当日参加できなかった方に対しても問題の存在を意識させる,インパクトがある催しとなったと考えている.
全国における公共交通のシームレスな検索の実現などを狙いとして,国土交通省では2016年度に筆者が座長を務める検討会を開催し,GTFSをベースとする標準的なバス情報フォーマットを策定した.この検討会を実施する背景には筆者らが開催したシンポジウムがあり,筆者が訴えていたバスデータの整備という問題意識を引き継いでいるだけでなく,検討会のメンバの一部もシンポジウム登壇者と重なっている.
国土交通省では,2016年度に総合政策局公共交通政策部交通計画が中心となり,標準的なバス情報フォーマット[13]を策定した.これは,インターネットの経路検索サービスへの対応が進んでいない小規模のバス事業者や自治体のコミュニティバスなどを対象に,データの流通を促すための施策であり,バス事業者が標準的なバス情報フォーマットでデータを整備することで,経路検索サービスにおけるデータ整備を促すことを目指している.
本フォーマットを議論するための検討会が,2016年12月より国土交通省によって開催された.この検討会は,筆者の伊藤を座長とし,国土交通省の担当室長のほか,国内の主要な乗換案内サービス事業者やバスダイヤシステムを開発する企業,日本バス協会などが委員となり3回にわたって開催された.またこのほかに,ワーキンググループと称して各関係者でバスデータを扱う企業などからエンジニアを集め,データフォーマットの子細を検討する会を東京大学で開催した.こうした検討を経て,2017年3月に「「標準的なバス情報フォーマット」解説(初版)」[13]と題する51ページの資料が公開された.ライバルでもあるこれらの企業が一堂に会してひとつのフォーマットに合意したのは,地域公共交通データの流通の担い手側の環境整備として,重要な一歩である.
ここで策定した標準的なバス情報フォーマットは,GTFSをベースに日本独自の項目などを追加したものであり,本フォーマットで整備されたデータは,GTFS形式のデータとして扱える互換性がある.公開した解説書は,GTFSの各項目について日本の路線バスをどう表現するかを実例を交えて解説するものとなっている.GTFSは,世界中の,鉄道やフェリーなどさまざまな交通手段を汎用的に表現できるフォーマットであり,Googleが公開していたデータ仕様書だけでは,日本の路線バス時刻表を表現する具体的なやり方がイメージしづらかった.そのため,日本の路線バスに特化したGTFSの解説書としても意義があると考えている.
一方で,路線バスの運賃や,平日と休日だけでなく学校やさまざまな地域行事で複雑に変わる運行パターンの表現などは,ワーキンググループで検討を重ねたものの,あらゆる場合を十分に表現できるとはいえず,実際に運用しながら問題に対応していこうという考え方でフォーマット策定を行っている.そもそも,フォーマットが決まるだけでデータ整備を目指した活動が進むわけではない.モデル地域での実証実験などを重ねながら,2017年度以降に,この取り組みをどう継続し発展させていけるかが引き続き重要になっている.
筆者らの活動と呼応しながら,全国でGTFSによる公共交通オープンデータ公開を実現している事例を以下に紹介する.筆者らの取り組みは,当初はOpenTrans.itが日本中で使われることを目指していたが,各地域での活動を知るにつれ,現段階では各地域にすでにある人的資源やソフトウェア資産などの実情に応じたオープンデータの実現が現実的であると考えている.ここに紹介する活動は,もちろん各地域における自主的な活動であるが,筆者らの活動を知ったことがひとつのきっかけであったり,筆者らが公開している情報を参照しながら進めるなど,筆者自身の活動から大きな影響を受けている.それ以上に,こうした各地の取り組みの主要人物が相互に知り合い,ゆるやかに情報交換や連携をしながら活動を進めていることが,こうした活動を持続させ,さらに広める原動力になっていると考えている.
2014年度に地域のIT事業者である大石康晴氏らに筆者らが加わって静岡県において開発,実証実験を行った,GTFSによるデータ配信機能を備えたコミュニティバスデータポータルであるOpenTrans.it[3]を用いて,現在は静岡県島田市・焼津市のコミュニティバスのデータ整備と公開が行われており,2016年よりGoogleへのデータ提供が始まっている.図1にスクリーンショットを示す.ここでは,データ整備の際に地元の商業高校の高校生の協力を得るなど,データ整備の段階から地域人材がかかわる体制を目指している.この事業にかかわる各主体の関係を図2に示す.現在は,静的な時刻表データの配信だけを行っているが,OpenTrans.itはスマートフォンを用いたバスロケーションシステム(バスロケ)機能を持ち,動的データのオープンデータ配信に対応する機能を持っているため,こうした先進的な機能を合わせた運用が実現することが期待される.
福岡県新宮町を走るコミュニティバス「マリンクス」のGTFSデータ整備が,九州産業大学の稲永健太郎准教授の研究室によって行われており,Googleへのデータ提供が実現している[14].マリンクスは,2路線61便(平日)を小型バス6台で運行し,細長い町域を結んでいる.稲永研究室は,福岡県の市町と連携してICTによるコミュニティバス運行支援をテーマに研究を続けており,タブレットを用いてコミュニティバスの利用状況を調査するツールなどを開発し運用を続けていた.GTFSデータの整備もそうした研究の一環であり,当初は学生が手作業でGTFSを作成し,その後作業の自動化を目指したExcel VBAツールの開発を行った.
より良いコミュニティバスの実現のために,その計画や運行に大学がかかわる事例は珍しくない.しかし,このように大学が主導してGTFSデータの整備を実現してGoogleへの提供まで実現した例はまだ珍しい.
石川県能美市が運営するコミュニティバス「のみバス」の時刻表データが,2017年1月に同市のオープンデータの一環として公開され,Googleへの提供によってGoogle Mapsからの検索が可能になった.のみバスは加賀白山バスが委託を受け運行するコミュニティバスで,合併前の各町域を回る3系統の「循環バス」と市域全体を縦断する「連携バス」という大きく分けて4系統が運行されている.ただし,特に連携バスにおいて実際の路線は時間帯によって細かく異なり,複雑なものとなっている.
能美市では,Code for Kanazawaの代表を務める福島健一郎氏が経営する地元企業の協力のもと,オープンデータの推進を進めており,特産品の九谷焼の写真をオープンデータとして公開するなどのユニークなオープンデータを進めている.のみバスの時刻表データの整備は,こうした下地の上で行われたものであり,同企業が内製のデータ整備ツールなどを開発することで新規事業としてGTFSのデータ整備事業を立ち上げ,そこでデータを作成し図3に示す能美市のWebページよりオープンデータとしてダウンロードできるようになっている.このデータ整備に関連して,市民とともに市内公共交通の利便性向上を考えるアイディアソンも開催した.
ITやオープンデータに熱心な地元企業が自治体に積極的に提案することで,自治体側の熱意もあって公共交通オープンデータを実現した事例であり,新しい試みに対する積極さが官民それぞれあったことで,短期に意思決定ができ,実現できる人材も揃った好例である.この事例は周辺の市へもアピールを行っており,次年度以降の横展開が期待できる.
山梨県内の大手バス事業者である山梨交通と富士急行,および一部のコミュニティバスの時刻表データが,2017年2月にGTFS形式によるオープンデータとして公開された[15].これは,山梨大学の豊木博泰教授らが中心となり開発され,山梨県バス協会が運用する県内の路線バス検索システム「やまなしバスコンシェルジュ」(図4)に,路線バス事業者の理解を得てGTFS出力機能を追加したことで実現したものである.現在,GTFSの項目数を基準として356路線,1,428便,2,210カ所のバス停データが含まれたGTFSファイルがダウンロードできる.大手路線バス事業者によるオープンデータ公開事例や,県内をほぼ網羅するデータが一括で公開された事例としては全国初であり,現在のところ日本では唯一のものである.
地域にすでにWebによるバス案内システムがある場合,そこに時刻表データを収集し管理するシステムが技術の面でも制度の面でもすでにできていると考えられる.本事例は,こうした既存の情報システムを活用することでGTFSによるオープンデータ整備を最低限の開発コストで実現した先進事例である.データを公開することで,他の乗換案内サービス事業者でもデータの利用が可能になり,自らのサービスへのアクセスが減少することが当然想定される.その問題を乗り越えて,ユーザにとっての利便性や外国人や来訪者にとっての利便性などを大局的に判断して公開に踏み切った点でも,注目に値する事例である.
岡山県の路線バス事業者である宇野バスでは,その情報システムの開発にスジヤシステムズ代表の高野孝一氏を招き,「その筋屋」と名付けられたダイヤ編成システムやスマートフォンによるバスロケーションシステム,案内所向けのデジタルサイネージなどの独自開発を続けている[16].これらのシステムの一部はフリーソフトとして公開されており,他のバス事業者においても採用が検討されはじめている.このシステムでは,公共交通オープンデータへの対応も積極的であり,ダイヤ編集システムにGTFSによるデータ出力機能が開発され,出力されたデータが乗換案内サービス事業者にも提供されているほか,GTFS Realtime[17]によるバスロケーションシステムのオープンデータ化とGoogle Mapsへのデータ提供が,2017年4月に,筆者が知る限り日本で初めて行われた.
三重県では,「三重県内の公共交通ネットワーク見える化」プロジェクトと題し,県内の公共交通事業者やコミュニティバスの乗換案内サービスへのデータ提供を支援している[18].ここでは,公共交通利用促進ネットワークの伊藤浩之氏が中心となってExcelによる公共交通データ入力手法を開発し,自治体のコミュニティバス担当者が自らデータを整備し,乗換案内サービス事業者へ提供する仕組みが整えられた.現在,ここでもExcelファイルの変換ソフトを開発することでGTFS形式によるオープンデータへの対応が進められている.
路線バス時刻表をGTFSフォーマットで整備しオープンデータとして公開することは,本稿でも取り上げたような事例が出てきたことや国土交通省による標準フォーマットの策定などもあり,OpenTrans.itの開発時と比較しても広く認知され,ムーブメントと呼べる状況になってきた.ライバルである複数の乗換案内サービス事業者も含めて,関係者にゆるやかな繋がりができ,非公式な場も含めて情報交換しながらオープンデータを進める体制もできつつある.筆者に対しても,2017年5月時点で地方自治体や地方のバス事業者,地域の有志団体などからの問合せが相次いでおり,公共交通の利用促進の一手段として,また有力なオープンデータ施策として注目が高まっている実感がある.これまで,データ整備に積極的に取り組むのは公共交通事業者の外部の人や組織であることが主だったが,国交省からフォーマットが公開されて以降,バス事業者からの問合せや事業者が開催する場での講演依頼などが相次ぐようになった.データを公開することで,スマートフォンのアプリに採用されバスの検索が容易になるという分かりやすい成果があるため,しばらくの間はこれまで利用促進に悩んでいたバス事業者や自治体などを中心に,オープンデータへの関心がさらに高まると考えている.
しかし,この動きを確かなものにするためには,さらなる後押しが必要だと考えている.本稿で論じている公共交通オープンデータは,公共交通事業者にデータ整備のための相応のコスト負担を求める構図になるため,このコストを下げる努力がないと,長期的な維持は難しい.以下では,今後の普及に向けた課題を整理する.
GTFSを出力できる時刻表システムや,GTFSを受け付けてデジタルサイネージに出力するシステムなど,GTFSデータを採用した路線バス向けシステムやツールが今後整備される必要がある.こうしたシステムが発展し,GTFSを媒介とした相互運用性が高まることで,GTFSの整備コストが下がり,長期的には,路線バス運行事業のIT化が進むことで業務改善に繋がると考えられる.GTFSデータを入力して,各種の申請書類やバス停へ貼り出す時刻表,車内アナウンス向けの原稿などが出力されるようになれば,データ整備の効果はさらに明らかになるだろう.このためには,路線バス向けダイヤシステムや運賃箱など車内装置を開発している事業者などへの普及活動が重要である.
システムやツールを整備することと並行して,公共交通事業者において,日々の運行やダイヤ改正などを含めて,データを中心とする業務フローを確立し,そのフローの一環としてオープンデータ公開も行うようにする必要がある.多くの事業者で,現在の業務は,装置や書類などが中心となっていて,それに向けて個別にデータを集めて整備するため,データが分散する状況が起こっている.マスタデータを1カ所で管理し,それを出力,変形,更新しながら業務を進めていくよう,システム構築の段階から意識するとともに,業務フローに組み込むことで,遅れのないデータ更新ができるようなシステム整備が必要である.
GTFSのデータ整備や公開は,日本においては小規模な事業者から始まったが,今はまだ,乗換案内サービス事業者にとってもダイヤシステムの開発企業においても,GTFSへの対応はコストとして認識されている状況である.この動きが大規模なバス事業者にまで広がり,規模の大小を問わず当たり前の方向となることで,GTFSへの対応にシステム構築や業務プロセスを単純化する効果が見えてくると考えている.この効果はバス事業者,乗換案内サービス事業者,運賃箱開発の事業者などさまざまな事業者に当てはまるため,社会全体におけるデータ整備や流通に対するコストの削減とデータ流通の促進に繋がると考えられる.
スマートフォンを利用したバスロケーションシステムが一般的となり,専用機によるバスロケと比べてコストが大きく下がったため,現在全国各地で,数多くの独自バスロケーションシステムが開発されている.これらから出力されるリアルタイムの位置データの流通と相互運用性の確保が,技術的には次の課題になると考えられる.GTFSには,バスロケ向けの関連する規格としてGTFS Realtime規格が策定されているので,この規格を評価し,日本においても対応を進める必要がある.一方,バスロケの導入の際には時刻表データやバス停の正確な緯度経度情報を含んだ路線図データの整備が必要になるため,データ整備の体制構築のチャンスでもある.こうした機会に,標準的でオープンデータという方向性とも合致したGTFSやGTFS Realtime規格が採用されるよう,情報発信を進めることが重要である.
本稿では,特に路線バスを中心とする公共交通オープンデータを推進するムーブメントがどのように作られ,現状どこまで達成しているかを筆者自身の取り組みやその波及効果を中心に紹介した.筆者自身による情報発信などがきっかけになり,現在,日本において路線バスにおけるGTFSフォーマットを用いた公共交通オープンデータが認知されつつあり,コミュニティバスなどを中心に静岡県,石川県能美市,山梨県などでGTFSデータ整備が始まっている.また,これも筆者の取り組みをひとつのきっかけとして国土交通省によりGTFSを元にした「標準的なバス情報フォーマット」が策定されたことで,さらにこのオープンデータ整備の動きが進んでいくと考えられる.
交通事業者がコストを負担する形での公共交通データの整備は,これまで日本において乗換案内サービス事業者がコストを負担しながらデータ整備を進めてきた状況とは異なるものであるが,都市部の鉄道やバスと比べて利用者数が極端に少ない地方の中小バスなども網羅した時刻表データの整備や検索を実現するためには,特に中小バス事業者にとっては現実的な選択肢と考えられる.交通事業者が主体となるデータ整備は,欧米での公共交通オープンデータの整備とも同一のアプローチであり,Google Mapsなど国際的なサービスへのデータ提供が行いやすいという利点もある.
今後は,筆者自身の情報発信などの活動を通して引き続きGTFSによる公共交通のオープンデータの整備を訴え,この動きが大規模なバス事業者や,将来的には鉄道事業者なども含めた幅広い公共交通機関に広がるよう,日本における公共交通オープンデータを後押ししていきたいと考えている.
2004年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了,2008年同博士課程単位取得退学.博士(政策・メディア).鳥取大学大学院工学研究科助教を経て,2013年より東京大学生産技術研究所助教.地理情報や公共交通にかかわる技術を中心に,ユビキタスコンピューティングの研究に従事.電子情報通信学会,地理情報システム学会各会員.
瀬崎 薫(非会員)sezaki@csis.u-tokyo.ac.jp1984年東京大学工学部電気工学科卒業.1989年同大学院博士課程修了.同年東京大学生産技術研究所講師.現在,東京大学空間情報科学研究センター教授.2000〜2003年国立情報学研究所客員助教授.2001年より電気通信事業紛争処理委員会特別委員.1996〜1997年UCSD客員研究員.通信ネットワーク,センサネットワーク,ロケーション&コンテクスト・アウェアネットワークサービス,GISの研究に従事.工博.IEEE会員.
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