デジタルプラクティス Vol.8 No.4 (Oct. 2017)

都市と地域をつないだ,地域と企業の共創による“縁”のデザイン

高嶋 大介1  須川 竜作2  田中 巌3

1富士通(株)  2港区麻布地区総合支所  3森ビル(株) 

港区の人口は1965年頃から下降し,1996年に初めて15万人を下回った.その後人口は持ち直し,現在は25万人が暮らしているが,新しく流入してきた若い住民の地縁に対する希薄さという課題をいまだ抱えている.その打開策として長く港区の都市開発に寄与してきた森ビル(株)では定期的にイベントを開催し,地縁をつなぎとめるコミュニティをつくってきた.そして地域コミュニティ活性化事業「ミナヨク」で“旧住民”と“新住民”が直接的につながる機会創出の場をつくってまちの課題解決に取り組んだ.第1期においては,デザイン思考を用いた「共創型の課題解決」を行い,プログラムから5つのアイディアが生まれた.そのうちの「子ども走るまち」では後に実証実験が実施され,“縁”のデザインの一翼を担うことができた.

1.麻布地区の地域課題と施策

1.1 はじめに

このたび,筆者らは「今の時代に合った新しい地域づくりを考えること」「次世代のまちの担い手を発掘・育成すること」を目的とした地域コミュニティ活性化事業「ミナヨク」を実施した.これは“みんなで良くする”をコンセプトに掲げたコミュニティデザイン活動であり,「港区の地域課題をみんなで解決する」という看板を掲げている.

1. 2 人口推移にみる港区の課題

そもそも港区全体の人口は25万1,455人(2017年5月1日現在)である[1].その人口推移を歴史的に紐解いてみると,1955年頃港区の人口は約25万人に達していた時期があったことがわかる(図1).しかし1965年頃からやや人口は下降し,1979年に20万人を下回った.その後数年間は横ばいを推移したものの,1985年頃から一気に人口減少が進み,1996年には初めて15万人を下回ってしまった.

図1 港区の人口推移(縦軸:千人,横軸:年)

ここから次第に人口は回復する.区民住宅の整備,民間の住宅供給の支援・誘導,さらには麻布・六本木エリアの交通の要衝ともなる南北線の全線開通(2000年)も相まって人口増加を後押しした.

こうして2010年には再び20万人を突破した.1995年頃から生産年齢人口(15歳以上65歳未満)の流入も多く,今この時点まで,常に人口増加傾向にある港区というまちは,国内でも非常に稀なエリアだといえるだろう.

区政が堅調な地域に見えても,港区は大きな課題を抱えている.先述した「25万人」という数値は,いわば常住人口(夜間人口)のことであり,昼間人口に目を移すとその数はおよそ「90万人」にも増大するからである(2010年)[2].

これはもちろん,芝地区総合支所管内に新橋等,都内有数のビジネスタウンを持つことが大きな要因となっている.港区の昼夜間人口比率(夜間人口100に対する昼間人口の割合)は2010年時点で「432.0」であり,官公庁やオフィス街を抱える千代田区(1,738.8),日本橋・八重洲・築地・銀座等のまちがある中央区(493.6)に続き都内の市区町村で第3位ということになる.東京都全体(118.4)よりも大きく上回っている数値である.

東京都の西部に位置する「港区」は,芝地区,麻布地区,赤坂地区,高輪地区,芝浦港南地区の5地区で構成され,各地区には総合支所が置かれているいるが,六本木という大きなビジネスタウンを管内に含んでいる「麻布地区」もそれは同様である.

麻布地区にも商店を営みながら「職住近接」で暮らす商店主(自営業者)がかつては多く,住民は商店街に店を構え,かつ,そこに自ら住み,まちのコミュニティ活動にも参加していた.しかし後継者問題などに端を発し,商店主の高齢化とともに,麻布地区でも古くからあった多くの商店が店じまいを余儀なくされ,その土地にマンションやテナントビルを建て,建物オーナーとして暮らすようになっていった.

なかにはそのオーナー自身は麻布地区から出て行き,ほかの土地に移って暮らしているケースも多く,昼間人口の増大とともにまちには若者に人気のカフェやレストランの出店も増えたもののその多くがテナント出店者で占められていった.

ここに麻布地区の課題がある.

かつてのコミュニティ活動に寄与していた元からの住民は区外に移り,また,麻布地区に流入してくる人は確実に存在しているが,その多くは働きにやって来る人,あるいは,住むためにやって来る人で構成されている.そのため,古くからいる“旧住民”とそれら“新住民”の活動の推移が交わらず,結果としてなかなか新旧が交わる地域のコミュニティが醸成されず,地縁が生まれない.すなわち,今麻布地区では人が入れ替わることによって,まちのなかで連綿と続いてきたコミュニティのつながりが薄くなり,シビックプライド(誇り・愛着)がなくなろうとしている.

1.3 課題に対する森ビル(株)の取り組み

前身である森不動産設立(1955年)以来, 「都市を創り,都市を育む」という考えのもと創発の場をつくり,創発を生み出す仕掛けをしてきた森ビル(株)[3]は,かねてより都市デベロッパーの立場から,まちのコミュニティを醸成する取り組みを当地で進めている.実際の取り組み例としては,六本木アートナイト,ヒルズマルシェ,Hills Breakfastなどが広く知られている.

六本木アートナイトは,2009年にスタートした一夜限りのアートイベントで,商業・文化施設が集積する六本木という場所で,まちのなかにアートや音楽を点在させ,非日常的な空間をつくり出し,来場者数は70万人に及ぶ.ヒルズマルシェinアークヒルズは,アークヒルズ内アーク・カラヤン広場で毎週土曜日に開かれる朝市(フードマーケット)で,こちらも2009年から開催されており,週末の賑わいの場として定着している.Hills Breakfastは,六本木ヒルズのヒルズカフェで月1回,定期的に開催されるライブトークイベントであり,毎回さまざまなジャンルから著名なスピーカーを招く当イベントは入場料を払えば誰でも参加が可能である.

これらは新しくできた都市と地域住民がコミュニケーションをとるための,いわばプラットフォームである.

このほかにも毎年8月には「六本木ヒルズ盆踊り」を開催している.盆踊りは2016年までに14回を数え,昔ながらの地域のお祭りとして,毎年多くの人が押しかける「麻布十番納涼祭り」とともに遊びに出かける人も多い.

地域に祭りが存在し,神輿を担ぐことで地域の人々が一つになれる.六本木ヒルズがオープンしたのは2003年のことであるが,東京の真ん中で大規模複合都市開発を行うには,多くの人たちとの共同事業で敷地を大きくまとめる再開発しか方法がなく,六本木ヒルズでは再開発の呼びかけからオープンまで17年の年月を費やし,400人以上の権利者とともに11haにおよぶ敷地を一体で再開発した.

都市の鮮度は時間の経過とともに落ちていくが,人々との絆は時間の経過とともに深まっていく.六本木ヒルズでは,こうしたタウンマネジメントによってさまざまなことを仕掛け続け,2003年の誕生から14年が経つが,今も年間4,000万人が訪れており,累計来街者数は延べ5億人を超えた.これは,「文化都心」という明確な意図をもってディべロップメント(開発)からタウンマネジメント(運営)まで「ひとつの街」としての最適を考え,実施してきたからである.

1.4 麻布地区の地域課題

港区は地域に根付いた若い人が少ないことに大きな課題を感じている.その背景には,まちが新陳代謝を繰り返すことによって古くからいる“旧住民”とそれら“新住民”の地縁の場がなくなっていることがあった.

それに対し,既存の解決策として森ビルではどんなに都市開発を進めていっても地域の縁が崩れないようにするため,六本木アートナイト,ヒルズマルシェ,Hills Breakfast,そして六本木ヒルズの盆踊りなどを定期的に開催し,“旧住民”と“新住民”がともに参加できるコミュニティをつくることで,まちは活性化に向けて着実に歩みを進めている.

しかしそうした地縁者(旧住民)と若い人たち(新住民)がもっと“直接的”につながり,交流を持つ機会は,今でもなかなか創出できていない.

それが地域コミュニティ活性化事業「ミナヨク」発足へとつながっていった.

1.5 富士通(株)の東北での取り組み

ミナヨクは地域コミュニティ活性化のための活動であるが,そのための“アプローチ”として1つの参考となったのが「家族iプロジェクト」である.

プロジェクトを推進し,ビジネス化を実現させた富士通(株)・生川慎二(同社デジタルフロント事業本部 デジタルフロントセンター シニアマネージャ)によると,サービス提供の背景にあるのは東日本大震災だった.

生川らは震災発生からわずか2日後に災害支援特別チームを立ち上げ,被災地支援を開始した.被災地支援活動から見えてきたことは「高齢者が社会から孤立せず,住み慣れた場所で安心して暮らせる社会への希求」であり,孤立者が頻出する被災地において「家族のつながり」がいかに強いかを実感し,血縁再生により家族の支え合いを循環されることが,解決の突破口になると考えた.

サービスの具体的な目的は「公共交通機関や自動車を使っても2時間以上離れた場所で暮らしている」という家族同士の“血縁”を再生させることだった.子ども世帯(40〜50代の現役世代)が申し込むことで利用できる同サービスでは,研修によって資格認定される新職種「家族クルー」(親子交流支援員)が親世帯(70〜80代の独居世帯・夫婦世帯)への宅内訪問を行い,さまざまなニーズを聞いてまわる.その様子は「家族iポータル」を通じ,レポートや写真・動画によって子ども世帯に報告され,タブレットやスマホといったデジタルサービスで親の様子を伺い知ることができる.

筆者はこのサービスにおいて「家族クルー」が大事な働きを担っていると感じる.家族クルーは認知症ケアや相続の知識や,ICTスキルを併せ持つ人物であり,家族iポータルは日々趣味に興じる様子はもちろん,相続の相談や認知症の予兆まで伝えられ,そうして両世帯から得た“本音”や“実態”はクラウドに集積される.さらにその先にはさまざまな民間企業のシニア向けサービスにもつなげられる可能性を持っている.

「家族iプロジェクト」は東日本大震災の復興支援というやや特殊な動きのなかで生まれたプロジェクトであるが,特別なスキルを持った家族クルーの存在が地縁(血縁)を取り戻すことに効果的だったということがよく分かった.

だからこそ港区でもコミュニティづくりのスキルを持った者が介入し,地縁を復活させる活動をすれば成果が生まれるのではないかという仮説のもと, 地域コミュニティ活性化事業「ミナヨク」を始めることとなった.

2.ミナヨクにおける実践について

2.1 みんなでまちをよくするミナヨク

行政側が「こうしていきたい」をいう方針を示し,住民の側がその恩恵を受けるだけというのが旧来のまちづくりの姿だった.しかし港区の課題や森ビル(株)の取り組みが示唆するのは「まちのつくりかたが変わってきている」ということである.

地域コミュニティの形成を担ってきた町会・自治会が深刻な高齢化を迎え,移り住んで来た住民の町会・自治会の加入率も低い今,住民からボトムアップ式にまちを変えていこうとする取り組みを始めようと考えた.

そして「住民からボトムアップ式にまちを変えていく」という新たな解決策こそが富士通(株)と港区麻布地区総合支所が協働で行っている地域コミュニティ活性化事業「ミナヨク」[4]である.

拠点会場となっているのは,デザイン開発やICT利活用のノウハウを活用し,ビジョン策定から具体化までを体験・研究開発することを目的とした富士通(株)の共創の場「HAB-YU platform」(東京都港区六本木)で,Human(人)・Area(地域)・Business(企業)の3者を多種多様な方法で「結う」ことを表すべくこの名称がつけられた.

ミナヨクのプログラムに組み込まれたメソッドは,段階的に「アイディアを生む」「アイディアを試す」「地域に根付く」を進めていくというものであり,まずは地域を知り地域をよくするアイディアをつくり,それを実際にまちで実行すれば,おのずと共感する仲間が現れると考えている.そうして社会実装が進められることで,やがてまちのなかにさまざまな変化が起こることも狙いとしている.

参加メンバには「まちの活性化に取り組む意欲のある人」「麻布でのコミュニティデザインに興味・関心のある人」など,20~40代の次世代の地域の担い手(学生,子育て世代,働いている方など)が選ばれた.

ここからは,2016年1月〜3月で実施された第1期の活動を紹介する.

2.2 デザイン思考という方法論

ミナヨクのプログラムに取り入れられているのは「デザイン思考」という方法論である.事業創造やものづくりにおいて正解や常識が通用しない今の時代,これまで当然とされていた方法とは異なる問題解決の方法論が必要となっている.

デザイン思考においては多様なバックグランドを持つ人々が,人間を中心として多様な視座で問題状況を探索し,その問題解決に向けて力を合わせていくという「共創型の問題解決」が図られている.

具体的に,デザイン思考は次の5つのフェーズからなる.

(1)フェーズ1:共感(Empathize)

新しいサービス・商品を生み出すため,その対象となる「ユーザ」を想定する.ユーザ本人も気づいていない本音・価値観を明らかにし,そのために人の行動・反応を深く観察し,人の行動に潜むインサイト(潜在的な気持ち・心の動き)を理解する.

(2)フェーズ2:問題定義(Define)

ユーザにとって何が問題なのかを明らかにし,解決の糸口を見つける.フェーズ1で発見したインサイトから人が求めているニーズ(要求・需要)やウォンツ(欲求)を明らかにし本質的な課題を探っていく.

(3)フェーズ3:創造(Ideate)

ステップ2で分かった課題に対して,さまざまな視座から解決策を創り出す.焦点を絞るのではなく大量のアイディアと多様なアイディアの両方を探り,フェーズ3〜4で検討しながらアイディアも見直す.

(4)フェーズ4:プロトタイプ(Prototype)

ステップ3で創出されたアイディアを“試す”ため,実際にプロトタイプ(試作品)で形にしてみる.「模造紙にまとめる」「ロールプレイング」(役割を決めた疑似体験)「アプリケーション」「ストーリーボード」(絵コンテ)など.

(5)フェーズ5:テスト(Test)

プロトタイプをもとにして,ユーザからの反応を得る.サービスをより良いものにするために,プロトタイプで解決策を摸索する.ユーザの反応次第では前のステップ(ステップ3,4)に戻り,アイディアの段階から練り直す.

一般的な地域活性の取り組みにおいては,まちづくりにコミットする人材(市民)の重要性が強く認識されており,なかでもその取り組みを担っていくリーダの存在が欠かせないとされている.

しかしミナヨクにおいては,主催する「港区麻布地区総合支所協働推進課」の要望により,地域にかかわってくれる若年層(20 ~40 代)の育成を大きな目的としたため,HAB-YU で培ったデザイン思考を活用して地域課題解決のプログラムを実施すれば,協働推進課の目指す人材育成も達成できると考えた.

第1期ミナヨクで行われた講座は6 日間の構成とし,前半3 回は港区のことやアイディアづくりの方法論を知るフェーズ,後半3 回は具体的にアイディアをつくって発表するフェーズとした.さらに講座のプログラムを設計するに当たっては,先述したデザイン思考の5つのフェーズを盛り込んだ.

DAY1=ステップ1 共感
DAY2=ステップ2 問題定義
DAY3=ステップ3 創造
DAY4=ステップ4 プロトタイプ
DAY5=ステップ4 プロトタイプ
DAY6=ステップ5 テスト

2.3 ミナヨクのプログラム

具体的には,次のようにプログラムを進行した.

DAY1(2016年1月20日)〜DAY2(2月2日)で実施されたのは「地域を知る」をテーマに「カタルタ」というカードを使ったゲーム感覚の自己紹介,そして「港区クイズ」「データから見る港区」などである.ここでまず,麻布地区という地域の特性を理解してもらいながら(共感),地域に潜んでいる問題を探ってもらった(問題定義).

DAY3(2月9日)から本格的なアイディアを生むためのフェーズがスタートした.第1期メンバに課したテーマは「イマドキのご近所づきあい」だった.今の時代に適した「ご近所づきあい」がどういうものなのか,まずはメンバ各々で仮説づくりを行ってもらった.そのために必要となる「デザイン思考」についても学んでもらった.

DAY4(2月13日)ではDAY3で考えた仮説が実際のところどうなっているのか,グループに分かれ,麻布地区管内のさまざまなところにフィールドワークへ出かけた.フィールドワークで感じたことは,再びHAB-YUに持ち帰り,メンバで共有した.そして,各人のアイディアをブラッシュアップし,投票形式でより共感の集めたアイディアを抽出した.第1期では5テーマがまとまり,メンバは各テーマごとにチームを結成し,麻布住民へのインタビュー,グループワーク,アイディア発表等を行った.

DAY5(2月20日)では,DAY4の最後に発表した結果を踏まえ,グループでのディスカッションが行われた.ここで創発されたアイディアを実際にカタチあるものにしていった.

またDAY6(3月5日)ではパネル化したアイディアを先述したヒルズマルシェで展示した.マルシェでのフィードバックを踏まえ,振り返りも行った(表1).

表1 ミナヨクのプログラム

これら第1期プログラム終了後,参加者は港区麻布地区総合支所からミナヨク「修了証書」を授与された.最終的に第1期では18名が修了した.

2.4 具体的な成果

最終的に第1期から生まれたのは,次の5つのアイディアである.

(1)じゅうばん連絡帳

麻布十番商店街を起点に,共通の話題を「紙媒体」に書き,回覧板として別のお店に手渡しして伝達することにより,挨拶や地域コミュニケーションを発生させていく.

(2)みんなの面白いがある街

街に設置された目安箱に「近所に○○があったら」といった願いごとを書いて投票し,毎月行われる集会でプレゼンを行う.共感が多かったものには使える資源や応援を街のみんなが提供する,といように住む人がほしい街を作る.

(3)つながるマンションプロジェクト

マンションの使っていない屋上を活用して,さまざまなイベントを開催する.入居者同士をつなげて仲良くなることで,普段は楽しみ,災害時には助け合うという良い関係が生まれる.

(4)ネコアシプロジェクト

ネコアシのアシとは移動手段としての「足」,サポートする「アシスタント」の二つの意味が込められている.猫のように地域を知り尽くした人々が,地域住民や観光者の移動をサポートする.

(5)子ども走るまち

ご近所付き合いなど地域のつながりが希薄となり,親は子どもを1人で出歩かせることに不安を感じている.商店街に協力してもらい,子どものおつかい体験を通して,地域の新しいつながりを作っていく.

なかでも「子ども走るまち」は,ヒルズマルシェでの展示がきっかけとなって,後にアイディアの実証実験が実施されている.

2016年7月2日,再びヒルズマルシェにおいて,このアイディアが体験イベントとして実現した.子どもが親から頼まれたリストを頼りに,実際に買い物をするという企画で,開催時間4 時間で想定を上回る64組の親子が参加してくれた.

参加親子からは「安全な場所で買い物体験をさせたかった」「このために初めてヒルズマルシェに来た」などの意見をいただいた。マルシェ主催者からも,想定以上の賑わいが創出されたとの声をいただき,2016 年11 月には第2 回も開催された.

2.5 ミナヨクから得た知見

第1期ミナヨクから分かったことは,実際に5つのアイディアが生まれ,それらが麻布地区の賑わい創出に一役買ったことはもとより,「デザイン思考」という方法論を盛り込んだため「参加者の地元に対する意識・行動に変化が生じた」ということにある.

実際にミナヨク参加者からはこんな声が挙がっている.

・ご近所や近くのコミュニティに参加し始めた
・自分の住む地域の掲示板を見かけたら思わず足を止めて見るようになった
・学生だが進路や卒業論文など,人生の大きな選択に影響があった
・自分の所属する町会でアイディアを発表した
・港区,そして麻布地区に愛着が湧いた
・まちの未来を語り合う仲間ができた

これらの声は港区の人口推移のV字回復からは読み取れない貴重な声である.

重要なことはその内容が「単に移り住んでよかった」ということではなく,「コミュニティに参加すること」「古くからの地縁者とかかわりを持つこと」が参加者にとってもシビックプライドになっており,ひいてはそれが地域の課題解決にもなっている点である.

数という点ではまだまだ「少数の声」ではあるが,これを繰り返し継続していくことで,ここから巣立ったミナヨク参加者たちが地域の担い手として次世代をも育てあげ,地域で循環型サイクルが回っていくことを期待している.

また参加したというだけでは終わらないというのがミナヨクの良いところであり,実際に参加した人同士が継続的に交流を続け,麻布地区で活動をやっていこうとする動きもある.ミナヨクをきっかけに移住してきた住民もいる.

自主的に地域にかかわる活動が生まれたことは,ミナヨクを企画・運営したことの一つの大きな成果であり,さらにもっとさまざまな属性の人(たとえば,麻布地区の商店街,学校の先生,ベンチャー企業の方々など)がテーマと紐付きながらミナヨクの参加者と有機的に結びつき,継続していけるような取り組みができれば,まだまだ可能性は広がると考えられる.

3.おわりに

電話やメールを使えば,親子間のコミュニケーションは十分にまかなうことができるかもしれない.しかし果たしてそれで“必要十分”なのだろうか.日々の生活や健康に多少の不安があっても,お互いがお互いを心配掛けまいとして相手を気遣い,本音を伝えることは難しい.

アナログ×ディジタルを掛け合わせた「家族iプロジェクト」も同様で,クラウドを活用した情報収集や管理の仕組みがプラットフォームを下支えする格好こそしているが,家族クルーという対面サービスが大きな役割を果たしているといえる.

ミナヨクで実施されたのは「ソーシャルデザイン」あるいは「コミュニティデザイン」と呼ばれる手法である.筆者の在籍する富士通・マーケティング戦略本部ブランド・デザイン戦略統括部では,単に「プロダクトデザイン」「UIデザイン」のような「カタチあるもの」のみならず,今回のような「まちづくり」の領域にあるものも「UX デザイン」と捉えデザインの対象と考える.

そのときには「デザイナーがデザインを行う過程で用いる特有の認知的活動」とも称される「デザイン思考」が必要な場合もあるし,また,多彩なステークホルダを巻き込んでいく必要があるため,結果的に「共創」という状態が育まれていくこともある.

社会課題を解決する発端になるのは,アナログなつながりからである.共通の課題があるからこそ,本物の地縁は生まれる.そのつながりを活かすことができれば,おのずと新たなビジネスモデルを生み出すプレーヤが揃っていくのではないだろうか.

単にモノをつくるだけでなく,つながりをつくるというコトを生み出すこともまた,これから民間企業が果たすべき役割になっているといえよう.

参考文献
高嶋 大介(正会員)d.takashima@jp.fujitsu,com

2005年富士通(株)入社.オフィスやショールーム等の空間デザインを経て,企業や自治体のビジョンやサービスデザイン.HAB-YUの企画・運営に従事.

須川 竜作(非会員)minato78@city.minato.tokyo.jp

2008年港区入区.2011年より麻布地区総合支所協働推進課へ配属.これまで地域振興,生活安全および環境美化に関する業務等に従事.

田中 巌(非会員)iwao.t@mori.co.jp

1999年森ビル(株)入社.設計部にて六本木ヒルズの設計監理に従事.上海プロジェクト,オフィス事業部を経て,2012年よりタウンマネジメント事業部にてアークヒルズエリアの運営企画を担当.明治大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了.

採録決定:2017年8月11日
編集担当:齋藤正史(金沢工業大学)