デジタルプラクティス Vol.8 No.1 (Jan. 2017)

IBMフェロー 浅川智恵子氏 インタビュー
ICTとダイバーシティ社会

インタビュアー 土井美和子(情報通信研究機構)
司会 中野美由紀(産業技術大学院大学)

ICTが時代とともに進展する中,自身のダイバーシティを糧に情報アクセシビリティの新たな課題解決に向けて技術を深化させようと日々研究に取り組んでいる浅川智恵子さんと,これまでの道のりや,社会的課題をチャンスと捉えて研究を進めていく意義などについて語り合いました.

浅川智恵子氏
1985年日本アイ・ビー・エム(株)東京基礎研究所に入社.以来,非視覚的ユーザインタフェースの研究・開発に従事.2003年米国女性技術者団体(The Women in Technology International)殿堂入り.2004年東京大学工学系研究科先端学際工学専攻博士課程を修了,工学博士.2009年IBMフェロー就任.2013年紫綬褒章受章.本会フェロー.現在カーネギーメロン大学客員教授を兼務.

中野 司会をさせていただきます産業技術大学院大学の中野です.今日は初めまして.よろしくお願いいたします.まず簡単な自己紹介と,ICT産業に従事されたきっかけ,あるいは,その後ご自分がなさってきたことについて,紹介していただければと思います.浅川さんのほうからお願いできますでしょうか.

浅川 私は小学校高学年のときにプールで目をけがして,それがきっかけで徐々に視力が落ちていき,中学2年生のときに完全に失明しました.それまでは,私は体育系の道を歩んで将来はオリンピックを目指す,という夢を真剣に心の中に描いていました.

突然,失明という状況に直面し,今後どうやって自立していくのかなど,いろいろと悩みました.高校は盲学校に通い,点字など生きていくために必要なさまざまな基礎的なトレーニングを受けていく中で,あきらめかけていたスポーツを楽しめることも知りました.以来,陸上,水泳,スキー,スケートなど,何でもチャンスがあれば挑戦しています.大学に行くときも,まだ自分に何ができるのかまったく分からない状況でした.ただ,目が見えないからといって夢を諦めるのではなく,何か自分にしかできない仕事に就きたいという一筋の思いだけはありました.

大学では,英文科に進みました.もっと英語を勉強して通訳を目指すべきだろうか,視覚に障がいがあって通訳になれるのだろうか,といろいろ考えました.当時はインターネットもなく,情報のアクセシビリティも非常に限定されていたため,1つの会議の通訳を務めるために多くの資料を読まなくてはならない通訳を目指すのは,非常に厳しいと感じました.

そんな中,偶然,視覚障がい者の新たな職種として,情報技術,ITエンジニアという分野が開けつつあることを知りました.また,視覚障がい者向けの情報処理に関するさまざまなトレーニングがあることも知りました.コンピュータや情報処理の勉強に加え,どのようにして画面の情報を読むかなど,目が見えないということを補ってそのような仕事をするためにさまざまなトレーニングを提供する専門学校に2年間通いました.その後,IBM東京基礎研究所で1年間,学生研究員として,与えられた研究課題に取り組み,正式に研究員として採用されました.

長々とお話してしまいましたが,新たな職種への扉を開いていきたいという思いが,私にとってのきっかけです.その背景には,限られた選択肢の中から自分が惹かれるような職業を選んで,その仕事ができるよう,必要な技能を修得していった,ということがあります.

中野 ありがとうございます.土井先生お願いします.

土井 私は37年前に就職をしたのですが,その当時は,マスターを出た女性というだけでことごとく断られてしまい,大丈夫と言ってくれたのが東芝1社だけだったのです.

その東芝に入って,私はプログラムが嫌いだったので,前年の1978年に東芝が作ったワープロの分野で,プログラムを書かずにできることをやろうと思いました.

中野 マスターのご専門は何でしたっけ.

土井 専門は制御工学です.といっても,産業連関表などを使った経済シミュレーションで,計算機を使うのは少しでした.

これからは誰もが文章を作ったりすることをコンピュータを使ってやる時代が来るから,それにかかわるヒューマンインタフェース,当時その言葉はありませんでしたけれども,それをやろうと思ったのです.

中野 それは入社されてからですか.

土井 そうです.

中野 ちょうどワープロの研究開発が始まったときですね.

土井 何年かして,情報処理学会の全国大会かどこかに行ったときに浅川さんをお見かけしました.IBMは,障がいのある方ももう情報処理産業にかかわるようになっているなんてすごいなと思いました.女性がいるだけでもすごいという時代に,さらにもう一歩進んでいるのだなととても印象に残りました.

浅川 ありがとうございます.そういう意味では,何か共通点がありますよね.土井さんもとても少ない選択肢の中から東芝に入社され,ちょうどタイミング良くワープロの開発が始まって,そこで活躍されたわけですよね.

土井 そう.運が良かった.

浅川 私も視覚障がいを持つ研究員になった当時,タイミング良くアクセシビリティの研究を始めることができたので,とても運が良かったと思います.

中野 お二人とも,初めて出会った機会をすごくうまくつかんで,いろいろと技術を作られてきたのではないかなと,今,お伺いして思いました.

かなり長い間,ICT産業に携わっていらっしゃって,自分で生み出された技術の成果などを,コントリビューションされていると思います.アクセシビリティの研究,ヒューマンインタフェースの研究という中で,自分としてはこんなものが生み出せて一番良かったとか,楽しかったとかいう技術などを,ご紹介いただけるとありがたいと思います.浅川さん,いかがでしょうか.

浅川 私は今,大きく分けて,自分の研究活動の第3の段階に来ていると思っています.やはり,入社して最初に取り組んだ点字のデジタル化プロジェクトが最初の貢献だと感じています.

まだ,パソコンもインターネットもない当時,点字タイプライタを使って,ボランティアの方々が直接紙に点字を打っていらっしゃったのです.点字は紙の上に凸で表現されるため,複製も修正もできないなど,さまざまな情報のアクセシビリティ上の問題がありました.この問題を低減するため,ワープロを使って点訳するソフトウェアを開発しました.1980年代後半,全国の点字図書館をネットワークでつないで,点訳されたデータを共有するためのシステムを,ボランティアの皆様や点字図書館の関係者の方々のご協力を得ながら作りました.当時,てんやく広場と呼ばれていたのですが,今はサピエ図書館というデジタル点字図書館に生まれ変わって,インターネット上で活用されています.その基礎を作ることに携われたことは大きな喜びでした.

当時,一番気を使ったのはユーザ・インタフェースです.点訳作業を点字タイプライタからワープロに置き換えるわけですから,タイプライタを使っている感覚でワープロで点訳ができる,と思っていただけるようなユーザ・インタフェースを絶対実現しなければいけないと考え,頑張りました.また,ソフトをつくりっぱなしではなく,より多くの皆様に活用していただけるように全国の点字図書館で講習会を開きました.

次に研究をしていて良かったと感じたのは,IBMのホームページ・リーダーという音声ブラウザの研究開発です.一般の健常者が当時マウスをクリックするだけでページが開くといった感覚でインターネットにアクセスされていたのと同様,視覚障がい者も容易にインターネットにアクセスできるようにしたいと思ったのが開発へのきっかけでした.視覚障がい者はカーソルが見えないためマウスを操作することができません.マウスのかわりに数字キーパッド(テンキー)を操作するだけで,リンクを読んだり,探したり,Web上の情報を行読みしたり,パラグラフ読みできるようにすることを目標に開発しました.その結果,初心者の方々を含め多くの視覚障がい者が簡単にインターネットにアクセスできるようになりました.

このソフトウェアは,その後,Webの標準化を推進する業界団体ワールド・ワイド・ウェブ・コンソーシアム(W3C)が,ウェブ・コンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン(WCAG)を作成する際に参照されたり,米国のリハビリテーション法第508条にも参照されるなど,ノンビジュアル・ウェブアクセスというものが普及する初期段階での貢献ができたのかなと思います.それもユーザ・インタフェースが大きかったと思っています.

土井 素晴らしいですね.

中野 健常者も使いやすくなるというところがキーポイントですね.今でもデジタルデバイド系のお年寄りの方が使いやすいスマートフォン(スマホ)など,いろいろと議論が出ておりますが,あの当時,最先端のICTの中でそういうことを考えられていたというのは素晴らしいと思います.

浅川 ありがとうございます.

中野 土井先生,いかがでしょうか.

土井 私もそういう意味では2つあって,1つは入社して4年目ぐらいのときのことです.ワープロを小型化するときに,被験者の皆さんに取説を読んで操作していただくと,それまでワープロは上書きモードだったので,何か違うキーが押されると全部上書きされて,せっかく入れたものが消えてしまっているということがありました.

中野 インサートモードがなかったのですか.

土井 インサートモードがあるのとないのがあったのですが,原稿用紙に書いたものを写すという発想だったので,デフォルトが上書きモードだったのです.これではまずいということで,インサートモードをデフォルトにしましょうというのと,今ではコントロールZのやり直し操作は当たり前なのですけれども,やり直しができるようにしましょうと改良しました.

2つ目は,今で言えば「パーソナルナビゲーション」です.東芝だと「駅探」です.携帯電話で世界で初めて乗り換え案内と道案内をやったのは,実は東芝の「駅探」なのですよ.

1999年にウェアラブルを始めたときに,1つはダイエットをやりたい,もう1つは道に迷わないように,道案内をやりたいという思いがありました.当時,パソコン上に経路を表示することはできましたが,携帯電話では図を出せなかったので,文字に直さないといけませんでした.私たちはそれを読み上げて,音声でナビをやりたかったのです.経路をテキストに直すと,そのままiモードになりますから,まずそれをぜひやらせてくださいと言って,その技術を作りました.それがそのまま公式サイトで始まりました.私たちはそれを音声で聞き取れるように音声を合成しました.メーカやベンダはいろいろ違いますけれども,今ではもう当たり前に皆さんが一番使っているものになっていることが良かったなと思います.

ユーザが一体何をしたいか,どうしたいかというのを考え,それをどうやって技術的に解決していくかというところにフォーカスを当てて考えました.

中野 お二人とも開発された技術はかなり共通点がありますね.文章をデジタル化して,アウトプットをどうするかとか,あるいは音声をうまく使って,ユーザに対してのサービスを提供するというところで.

ちょうどITがどんどん変わってきたときの最初の初期の段階で,お二人ともものすごく技術をうまく利用して,サービスを作り上げられているなと思いました.本当にもう感心してしまい,一緒にプロジェクトさせていただきたかったです.

土井 そうですね.

中野 それはもう未来に向けての,次に新しいものをいろいろつくらなければいけないのですけれども.

デジタルプラクティス特集号の話題に入りたいと思います.お二人ともまず女性で,浅川さんはさらに視覚障がいがあるということで,日本のICTにおいて非常に少数派で,しかも初期の段階から開発で培われてきたものがいろいろあると思うのですけれども,それを培う上で苦労したこと,このICTの分野に入って苦労された,あるいは今も苦労されていることなど,ございましたら教えていただけますでしょうか.

浅川 よくそういう質問をいただくことがあります.私は,あまり負の方向に考えないせいか,苦労したことをあまり覚えていません.多分それを乗り越えて今があることが大きく影響しているような気がしています.また,IBMという会社が外資系で,早い時期からダイバーシティに取り組んでいたこともあるかと思います.

強いて考えてみると,当時の情報のアクセシビリティが厳しかったと思います.たとえば,みんなと一緒に研修に出ても,いろいろなところに出席しても,読めない,見えないという問題に直面していました.当時,それに対応するための技術がそれほどあったわけではないので,自分で努力して情報にアクセスしなければなりませんでした.当時,1週間に1回,普通の図書館に通いました.図書館には朗読サービスというのがあるので,読みたい文献を持ち込んで,いろいろ読んでもらったりして勉強を続けるなど,自分なりに工夫をする必要がありました.その際,しっかりと上司と話し合うことが重要だったと思います.なぜそういうことが必要なのかなど,問題について一緒に話し合いながら解を見出してきたように思います.また,周りの研究員が皆私の先輩みたいな感じで,いろいろ教えてくれたので,とても恵まれていたと思います.

一番苦労したのは,女性だから,障がい者だからというよりは,自分のやりたい研究を社内外に認知,サポートしてもらうということです.障がい者向けのアクセシビリティ技術がもたらす可能性は,社会貢献の域を超えるものであることを,筋道を立てて,障がいを経験されていらっしゃらない方々にどうやって理解してもらえるのかといろいろと考え,悩みました.周りの方々が納得のいく説明をすることを常に心がけるようにしています.

私は,このような経験を積めて良かったなと思っています.そういう経験があったからこそ,自分の提案が受け入れられなくても,そこで負けないという強い意志が培えたと思います.また,プロジェクトを推し進めるというスキルが,苦労を通して培えたかなと思っています.

中野 認知して,ゴーしましょうというふうに言っていただくのに,大体,どれぐらいのサイクルがかかったのでしょうか.

浅川 たとえばホームページ・リーダーの開発のときは,今までの研究の蓄積があったこともあり,半年ほどで実現しました.そのとき一番苦労したのが,目が見えない人がWebページを読んで情報が得られるということを,健常者に理解してもらうことでした.当時,インターネットが一般に普及してきた時期とはいえ,画像や図などがたくさんあったこともあり,音声で読み上げて目が見えない人が理解できるということを,健常者が理解することは難しかったのだと思います.そこで,プロトタイプを作って,自分にしか分からないことをしっかりと周りに伝えていく必要があると感じました.私のダイバーシティを活かせるチャンスでした.プロトタイプを作って,こうやればこういうふうになるということを,具体的に示さなくてはならないので,半年,1年はかかりました.2年かかるときもあったかと思います.

中野 予算取りも含めて,最初のプロトタイプなども,ほとんどご自分一人でされたのですか.

浅川 当時は,少ないチームメイトとともに取り組みました.今では本当にたくさんのメンバに囲まれて,とてもありがたく思っています.

中野 今の浅川さんのお話を踏まえて,土井先生はいかがでしょうか.

土井 浅川さんが言われたように,女性だから苦労したというよりは,プロジェクトを立ち上げて,ではそのお金はどこから持ってくるのかみたいなところで苦労しました.

中野 お二人とも,企業人だから.


土井美和子
 土井 私が,こういうことをやりたいと言うと「え,何で」とけむたがられました.大体5年か10年先の話をするので,また土井さんが変なことを持ってきた,ということもありました.

中野 では,その一方で,苦労の話の続きというよりは,その裏返しだと思うのですけれども,その苦労のご経験の中で,ご自分の成長,技術者の飛躍の支援となったこと,あるいは飛躍のポイントとなった一番大きなことはありますでしょうか.たとえば企業の理解と家族の支援,社会的な制度などの中で,これがあればとか,ここを改良したよということがありましたら,教えていただければと思います.

浅川 私の若いころの経験を踏まえると,やはり周囲の理解を得ながらプロジェクトを立ち上げ,進めていくことによって,より多くのサポートを得られる道は開けることを実感してきました.

やはり提案は,ストラテジックでなければいけないと思います.組織,大学,企業など,その組織のニーズ,要件などに沿って,自分のやりたい研究を組織の目標と調和させていくということが非常に重要だと感じています.また,社会的な課題に取り組む研究を行う上では,世の中の動きを制度面など多面的に捉えていく必要があると感じています.アメリカでADA(障がいを持つアメリカ人法)や米国のリハビリテーション法第508条が2000年代の前半に改定されました.その中で,政府およびその関連機関が購入するIT機器は,ソフト,ハード含めて,アクセシブルでなければならなく,そうでなければ調達してはいけないというような法律が出ました.そのことによって,一気に流れが社会貢献からビジネスへと転換しました.制度が世界のアクセシビリティの研究開発に及ぼした影響は,非常に大きかったのです.

社内支援という意味では,ダイバーシティについてさまざまなことが制度化されていきました.女性という点ではありませんが,社内制度を利用して社会人博士課程に入学して,勉強することができる制度がありました.もちろん,働きながら両立するのですが,私は2001年にその制度に応募し2004年に博士課程を無事修了することができました.やはり,周りの理解を得て制度を利用できたことは,とても良かったと思っています.2004年に社会人ドクターが取れたということが自分の自信につながり,その後のキャリア形成にもつながっていきました.2005年にIBMでいうとSenior Technical Staff Memberというのがテクニカルリーダのステップ1なのですが,それになり,2007年にその次のステップ2であるDistinguished Engineerになりました.そして,2009年にIBMフェローになりました.

中野 それは素晴らしいですね.最近,情報処理学会もアクセシビリティ部会を立ち上げて,活動しようとしているけれども,まだこれからです.

土井 そうでしょうね.

中野 アメリカに比べたら,その分野はすごく遅れをとっていて,もう少し頑張ってほしいです.

それは研究支援や研究グラントをもっと通してあげたり,障がい者支援を目標とした研究プロジェクトを公募したりしていかないとダメでしょうね.やはり各ラボだって,ファンドが適宜必要ですから.そういうことは国に働きかけたらいいのでしょうか.

土井 省庁の仕切りとしては,おそらく厚生労働省になると思います.研究者がグラントをもらうのは文部科学省系のJSTだったり,科学研究費はJSPSだったりして,ライフサイエンス系のことを文部科学省系から出しにくいということがあるかもしれません.よく分かりませんが,そういうこともありそうな気がします.

中野 厚生労働省は介護に力を入れていますが,日本だと人の支援という話になると,アクセシビリティというよりは,介護を支援する形のことが,話題になってしまっています.でも,全体を考えたら,介護をする高齢者の人も含めて,社会全体の中でのダイバーシティを,ハンディキャップとか,段差がある部分を支えてあげましょうという形にすることが,これからの日本においては重要なのかもしれません.

浅川 課題をポジティブに捉えるべきだと思います.さまざまな予算的な限界や制限もあると思いますが,やはり日本はこの高齢社会をどう乗り越えていくかというところに,アクセシビリティの研究を深く結び付け,助成を受けられるようにして,新たなテクノロジーを開発し,それが高齢者にも障がい者にも幅広く使えるようにしていくといったストラテジーを取らなければいけないと思います.

土井 そういう意味では,オーグメンテーションというのをどう考えるかという問題もあります.ただ,その流れは少しあって,SIP(戦略的イノベーション創造プログラム)のものづくりの中でも,東京大学の山中俊治先生は,スポーツ用の義足をやっていらっしゃるし,3Dプリンティングのファブラボみたいな流れの中では,慶應義塾大学の田中浩也先生が,今回,金属を使わない義足をお作りになりました.そうすると,飛行場のセキュリティを問題なく通れるようです.別のものづくりの枠組みの中で,少しずつ入ってはいるのですよね.忘れないように入っているというか,きちんとそういう気配りもされています.それをメインにすると,なかなか大きなお金にはなりにくいので,全体的にそういう形で少しずつ入るようにしていくとよいのかもしれません.

浅川 広げていくことは,重要ですね.

土井 ええ,重要だと思います.

浅川 そのような流れが助成を受けるための重要なポイントとなってくるかと思います.

土井 そうそう.だから,介護という枠組みの,歩行弱者という中に,いわゆる高齢者も入っているし,あるいは車椅子を必要とするとか,そういう関係で障がいを持たれている方も入る,という形で申請をされている先生も多いですよね.

浅川 まさに,そうですね.

土井 介護のほうのグラントが多いから,そういう中で上手に取られているというか,取らざるを得ないところがあります.でも,そうやって成果が出てくると,その積み重ねで,次にまた進んでいけるのだと思うのです.


中野美由紀
 

中野 そうですね.土井さんに制度について伺ってもよろしいですか.

土井先生は社会制度や企業の理解度,あるいは家族のサポートなど,どこが今までの中で一番キーポイントになったり,ターニングポイントになったりされましたか.

土井 社内的に言うと,34~35歳ぐらいにグループのリーダになって,コンピュータグラフィクスの研究を始めました.設備は1年前ぐらいに申請するので予算申請時にはカタログに価格が出ていなかったのですけれども,お金が使える4月の時点で出てきたマシンで,シリコングラフィックス社のグラフィックワークステーションにしたいと言ったら,かかるお金が全然違うのです.3人のチームなのに「それで25人分の経費を使うのか」と言われて,「そうです.ちゃんとその分,成果を上げます」とこたえました.できるというめどは何も立っていませんでしたが,でも,そのままだとできないことは,やる前から明らかになっていたので,そこは粘って取りました.できないと思って諦めるのではなくて,一度は扉をたたいてみるというのが必要かなとそのとき思いました.

中野 浅川さんもおっしゃっていましたけれども,ストラテジックに周りを説得するということですね.

土井 そうそう. あとは,グラスシーリングの世の中で,自分がこれ以上乗り越えるのは難しいかなと思っていたときに,第2次男女共同参画の流れがありました.国のいろいろな委員に女性を3割入れましょうという話の中で,総務省の審議会のメンバになりました.来られる方は皆さん,すごく年上でした.今まで東芝という1つの企業,あるいは学会という自分がよく知っている集団にしか入っていなかったのが,そうではないコミュニティの中に入りました.ある意味,流れに乗った感じですけれども,もう少し広い目で世の中を見ていかなければいけないのだと考えるいいきっかけになったなと思います.視野が広がりました.

浅川 そういう意味では,私は障がい者ということもあると思いますが,さまざまなタスクや委員会の委員を務めさせていただいて,意見が言えることにとても大きな意味を感じています.ですから,そういう機会はぜひ受けたほうがいいと思います.

土井 そうですね.学会の役員にしても女性にお願いすると,女性だからといって選ばれるのは嫌だと言って断られる方がいらっしゃるのですけれども,それは間違いだと思うのです.やはりチャンスですから.

やってみて,自分の時間をつぶすだけと思ったら,そこで辞めればいいだけで,継続しなければいいのだと思います.

浅川 私は今,経済産業省主導で行っているロボット協議会,おそらく,9月の後半に第2回の委員会があるので,そこで正式名称が決まるかと思いますが,そのボードミーティングのメンバに加わっていますが,すごいダイバーシティです.女性もいるし,さまざまな職種の方々もいらっしゃるし.

土井 そうそう.

中野 新聞に出ていましたね.

浅川 宇宙飛行士の山崎直子さんとかいらっしゃる中,なぜ私が,と感じます.私のようなものもメンバに加えていただけていることを考えるだけでも,すごいと思います.メンバは,その協議会に何を求めているかについて,さまざまな意見を出すのですが,どれもとても興味深いものばかりです.

私はやはり自分の視点からコメントすることしかできませんので,子どもをもっとフォーカスしなければいけないという意見が出たら,いや,ぜひ高齢者,障がい者も忘れないでください,といった発言を一生懸命させていただいています.そうすると,皆さん,そうだったよね,と反応してくださる.改めて,ダイバーシティはとても重要だなと思います.

中野 つまり,自分で今までの環境以外のところに入って,さらに視野を広げ,かつ,自分がやりたかったことを企業よりさらに次の広い場所で説得したり,理解していただくことにつなげたりすることはすごく重要だということですね.

浅川 ネットワークも広がりますし.

土井 そうそう.

浅川 そこで出会う人たちは,本当に個性的でダイバーシティに富んだ方々なので,より自分の視野を広げる上でも重要だと思います.

中野 ダイバーシティでネットワークをつくろうと言って,ネットワークをつくる会を立ち上げても,なかなか広がりません.

浅川 IBMは,米国本社を中心に女性支援のネットワークがしっかりしています.

中野 それは浅川さんが入社されたころからあったのですか.

浅川 私が入社したころは今ほどしっかりしたものではありませんでした.徐々に発展していったという感じです.私がテクニカル・リーダとしてキャリアを積み重ねていく上で,このようなネットワークがあったことはとても幸運だったと思います.

中野 ネットワークづくりはITの方たちの中でも本当に難しいです.私も情報処理学会の女性部会で,ネットワークをつくろうとしているのですけれども,広がりを見つけるのに苦労しているところです.またぜひ先輩方として何かご意見を頂戴できればと思います.

技術の話について,いくつかお尋ねしたいと思います.1つは,Webの世界についてです.たとえばホームページ・リーダーが成功したのは,一様のアクセシビリティとでも言いますか,一般人にとっても,すごくアクセスしやすい中で,コンテンツは多様な価値観や,異なるルールがあって,それでいろいろサービスを生み出すという形になっているからだと思います.

カーネギーメロン大学もやっているように,それが世界に通じる技術になって広がるときと,世界的にはこんなに進んでいるのだけれども,日本だと,携帯電話でもあったように,地域的な特性みたいなのがせめぎ合って,ICTの中でもどうしても小さく迫ってしまうときがあると思うのですけれども,そのあたりのユーザインタフェース,あるいはアクセシビリティという観点から,これからICTはどのように貢献できていくかということについて,ご自分の研究も含めて,お話をしていただければと思います.浅川さん,お願いします.

浅川 アメリカの高齢者をそんなに多く知っているわけではないのですけれども,60代以上の全盲の高齢者の方々によく実験参加者としてお会いしてお話しする機会があります.みなさん,私よりスマホを使いこなされていて,私は「そのアプリ,どうですか」とたずねて,「これ,なかなかいいんだよ」とお返事をいただきついでに教えていただいているくらいです.

日本では,スマホを使いこなされていらっしゃる全盲の高齢者の方々にめぐり合う機会がないせいか,まだ多くの高齢者がスマホを使えていないのではないか,と感じることが多くなりました.そう言いながら,私の母も使えていないので,身近な課題もまだ解決できておらず,大きなことは申し上げられないのですが,より多くの高齢者がスマホやソーシャルネットワークなどを使いこなせるようになれば,高齢社会の風通しがもっと良くなるような気がしています.私自身,なぜ高齢者の方々がスマホを使えていないのかすら,まだ理解しておらず,課題が見えるよう努力しなくてはならないと思っています.たとえばスマホへのアクセスのハードルをもっと下げるユーザ・インタフェースがあればどうでしょうか.日本の高齢社会の課題を,スマホのユーザ・インタフェースの研究を通じて1つずつ解いていく,というような研究をしてみたいですし,より多くの方々にも携わっていただきたい研究テーマの1つと考えております.

土井 今日,持ってくるのを忘れたのですけれども,私は『ICT未来予想図』(共立出版)という本を上梓しました.

中野 格好いい名前ですね.

浅川 面白そうですね.

土井 一応,未来予想図とは言っているのですけれども,技術の予想をしているのではなく,そういう技術が行き渡ったときにどういう問題が起こりそうかという問題のほうを予想しています.そういう意味では,その点はすごく重要だと感じますね.

浅川 その本には,問題とポジティブについて,こうなっていく,というようなことも書かれているのですか.

土井 ポジティブも書いてあるし,こういうところが問題になるでしょう,という予想もしています.たとえばロボットがどんどん進化していって,石黒浩先生のアンドロイドみたいな,きれいな女性が介護士さんにいたりすると,恋をする可能性もあるかもしれません.

そういうことを考えるとどうかということが書いてあります.人間側からの認識とアンドロイド側からの認識がお互いに共通していればいいけれども,人間同士も一緒ですが,どこかで認識間違いがあるとおかしなことになるかもしれません.結論は出ませんが,そんな話をいろいろ考えだすと面白い.

私のスタンスはポジティブで,まずとりあえず進んで,それで法律を直さなければいけないのだったら直し,そういう問題を考えて対処策を考えればいいと思っていますが,日本人はどちらかというと,こういう問題があるからやめましょうという意見になりがちではないですか.そうなってほしくないので,書いたという感じです.

浅川 日本人は,どちらかというと慎重になってしまう傾向にありますから.そういえば最近,Uberがアメリカのペンシルベニア州ピッツバーグの公道で開始した自動運転車の試験走行が話題になっていますよね.自動運転する車が公道を試験走行するとはいえ,運転席にはドライバーが座って,車の上に搭載されたさまざまなセンサやカメラなどが性能測定や地図データ収集などを行っています.私も現在,ピッツバーグに住んでおりますが,住民の方々もあまり細かいことを気にする様子もなく,普通に受け入れているように見えます.私も配車依頼でまだ自動運転車にあたったことはないので,せめて写真をと思っていますが,なかなかタイミングが合わなくて,まだ撮れていません.ピッツバーグにあるカーネギーメロン大学では,長年自動運転技術に関する研究を行ってきているせいか,ピッツバーグという都市も,現実世界での研究実証の支援には積極的な印象を受けています.そのうち,ピッツバーグが世界有数の自動運転におけるロールモデル都市の1つになるかもしれませんね.

中野 いろいろと面白い話ばかりで,怒濤のように時間が過ぎてしまったのですけれども,最後のほうに行かせていただきます.ICT分野において,Diversity and Inclusionといいますか,多様性をテーマに技術の研究開発を今までおやりになった経験から,これからの若手の研究者,技術者に向けて何かコメントがありましたら,ぜひお願いします.今の法律の難しさを自分たちで打開しなければいけない,こうやれば未来に向かってICT,特にダイバーシティをメインにしたときに使える,などご意見を頂戴できればと思います.

土井 今の話題とも通じるのですけれども,障壁があるからそこで立ち止まってしまうのではなくて,障壁は越えるためにあるわけで,それをどうやったら越えられるか考えることが,やはり技術を進展させる1つの要因になるのだと思います.そこをポジティブに考えるということが非常に重要ではないでしょうか.

ドイツのマルクス・レーム選手という走り幅跳びの選手がいらっしゃいますよね.今の保持記録が,オリンピックの記録よりも上回っています.そういう方でもオリンピックではなく,パラリンピックに出場されたというのは残念です.きちんと記録や成果を出しているのであれば,障がいを持っているとか,女性だとか,そういうことではなく,成果に応じた待遇やリスペクトをしていくことは大事だと思うのです.リスペクトされるということは,自分もほかの人たちをリスペクトできるようになっていないといけないと思うので,ぜひ若手には障壁を越えてほしいです.

中野 ありがとうございます.

浅川 日本の技術力をよく外国の技術力と比較して議論されることがあると思います.客観的に考えても,日本の技術者は,世界に通用するすばらしいものを持っていると思います.

私の今いるカーネギーメロン大学のある学部では,学生の約7割がインド人か中国人で,アメリカ人が約3割といわれています.つまり,世界の優秀な学生がアメリカに向かって行っているわけです.日本のあそこの大学に行って研究したいと思ってもらえるような大学が増えれば,世界のスキルが日本に来るし,世界的な交流が日本で起こり,国際的に日本のすばらしさをより理解していただけるのではないでしょうか.日本も,世界から優秀な人材を呼び寄せることができるような研究や研究体制を確立していかなければいけないと思うので,ぜひ,若い世代の方々には世界を見てほしいなと思っています.時間がかかるようなことがあっても,それは絶対無駄にはならないと思います.

中野 ありがとうございます.これから,ICT分野において,Diversity and Inclusionをテーマとした技術の研究開発はどのような形で進むとお考えですか.また,若手の研究者,技術者になにかコメントがありましたら,お願いします.現在,日本では安倍首相の「ウーマノミクス2030」(2020年には管理職等の30%を女性に!)と女性活躍推進を積極的にアピールしています.また,東京オリンピック・パラリンピック2020に向けて,さまざまな障がい者支援サービスの検討が始まっています.日本のICT分野は,世界と比べるとやや遅れをとっているとの声もありますが,今,奮闘している若手技術者に向けて,メッセージをお願いします.

浅川 今2020年の東京オリンピック,パラリンピックという話が出ましたが,これは日本のICT分野,若手研究者にとっても2020年に向けて,すべての人々にアクセシブルな東京を実現するいい機会なのではないかと思っています.

現実社会では,交通,リテールといったさまざまな業界や街や市民の方々と一緒にアクセシビリティ実現に向けて研究開発に取り組んでいかなければなりません.その際,ICTはそれを支えるインフラになると思います.

そして,その街にはさまざまな人々が暮らしています.女性,障がい者,高齢者,外国人など,すべての人々にアクセシブルな街を実現するためにはダイバーシティの力が必須です.

今回,この特集を読まれたダイバーシティの方,そうでない方も,さまざまな方々との協働を通じて,すべての人々にアクセシブルな社会の実現に,機会があればぜひかかわっていただきたいと思っています.

中野 ありがとうございます.すごく重要ですよね.今日は長時間にわたって,本当に貴重な時間を使っていただいてありがとうございました.

編集担当:那須川哲哉(日本IBM)

左から:土井美和子,中野美由紀,浅川智恵子氏