情報処理学会四国支部設立の経緯

相原 恒博

    それは昭和58年8月,夏休み中のある暑い日に始まった。 広島大学工学部の中前栄八郎先生(当時)が愛媛大学の私の研究室へ見えられた。 用件は,情報処理学会中四国支部を設立したいので強力して貰いたいと言うお話である。

    当時,中国,四国地域は情報処理学会関西支部に属していたが,中四国の会員は関西支部の行事に参加することは地理的に困難であり,その恩恵に浴す機会は少なかった。 また,支部のレベルでいえば,電気工学は電気学会を,電子工学は電子情報通信学会を活動の母体としているのに対し,情報工学専攻の研究者や情報関連の業務の方は支部活動の,身近な母体を持たなかった。 そのような理由もあり私は二つ返事でお受けした。 そして情報処理学会中四国支部は昭和59年4月に無事誕生した。

    しかし,中四国支部はその設立当初から,四国支部が分離独立することを暗黙のうちに認め合っていた。 それは,当然の了解事項でもあった。 と言うのは,香川,徳島,高知県の方々は,中四国支部の拠点である広島よりも,関西(大阪)が近い。 便利になるのは愛媛県のみであるという批判もあるであろう。 四国地域が,中四国支部の中に組み入れられるのは,かえって不便になるという主張は当然である。 また中国地方の会員の方も,このような考えを持っておられた。

    中四国支部の運営も軌道に乗った昭和63年,私は四国支部設立の旗振り役をすることになった。 世話人には,徳島大学情報工学科,NTTデータ通信,四国日本電気ソフトウェア,愛媛大学情報工学科の方々にお願いした。 学会の支部設立は,国立大学などの学科新設に比べると,遥かに簡単である。 支部予算は支部所属の会員数により自動的に配分されるし,人事をめぐる軋轢もない。

    しかし,支部設立のためには,四国支部規約を作らなければならない。 規約(案)を持って情報処理学会本部事務局へ相談旁々,支部設立の意向(要望)を伝えた。 本部事務局も,四国支部を独立させたいという方針を持っていたらしく,逆に,「宜しくお願いします」と激励して頂いたのを記憶している。 初代四国支部長は,徳島大学情報工学科の高橋義造先生に,役員は主として世話人,高専の先生方にお願いすることにし,体制は整った。

    情報処理学会四国支部設立総会,記念パーティーは平成元年春爛漫の4月初旬,本部役員のご出席も頂き,愛媛共済年金会館で和やかに挙行された。

    それから十年,昨今取り沙汰されている「2000年問題」にも見られるように今や社会は,コンピュータ無しでは成立し得ない。 情報処理学会四国支部の益々の発展を祈っている。

平成2年度 情報処理学会 四国支部長
広島工業大学