四国支部発足と全国大会開催の回想

高橋 義造

    情報処理学会の関西支部から中国四国支部を独立させようと言う運動が広島大学から起こり私にも賛同を求められたのは,東京から徳島に来たばかりのときであった。 それまで東京にいて足下しか見ていなかったが,始めて西の方角に関心を持つきっかけになった。 昭和59年3月に中国四国支部が設立され,初代の支部長には広島大学の中村昭教授が就任され,設立準備に奔走された中前栄八郎教授は翌年度に就任された。 私は評議員として参加したが,支部の活動は非常に活発で,役員会に出席する度に刺激を受けるのが楽しみであった。 その後数年して四国地区の会員数も増えたので,愛媛大学の相原恒博教授が四国支部の設立を提案され,御努力の結果平成元年4月に中国四国支部が中国支部となり四国支部が分離されることになった。 支部長には先の例にならって,設立準備に尽力された相原教授が次年度に回られ,私が初年度を担当することになった。 四国支部の発足に当たっては中国四国支部より支部運営のノウハウを伝授された外,当面の活動資金として財産分与を頂いたのが有り難かった。 また地元企業にお願いして新たに4社に賛助会員に加入して頂いた。 初年度の実質的な支部運営の仕事は幹事の青江順一助教授と事務局を勤めた井上富夫技官と3人で行い,2回の役員会,5回の講演会,研究会,見学会,講習会をそれぞれ1回づつ開催するなど無難に運営することが出来た。 中でも馬場則夫,大松繁両教授のご援助で東大の甘利俊一教授を招いて開催した「ニューロコンピュータと情報処理」の講習会には約90名近い参加者を集め,黒字収入を上げることができたのは幸いであった。

    支部が出来て4年目の平成4年10月に第45回の情報処理学会秋季全国大会を徳島大学で開催した。 支部ができた以上,大会開催の順番が早晩回ってくることは予想していたが,平成3年になって中村久一郎支部長から徳島大学で世話するようにとの要望があり,徳島大学の会員有志で相談の結果,引き受けることになった。 実行委員長には4年度の支部長に予定されている徳島大学の島田良作教授をという意見もあることを承知で,私が自ら名乗り出て引き受けることにした。 私は複数の所属学会の中でも活動の場を情報処理学会に絞り,地方開催の秋季全国大会には殆ど欠かさず学生を伴って参加するようにしており,この大会には格別の思い入れがあったのである。 早速実行委員会を組織して計画を練ったが,実質的な作業はやはり青江助教授と井上技官との3人で行った。 大会は10月11日から4日間徳島大学教養部(一般講演とシンポジュウム),徳島新聞放送会館のホール(招待講演),眉山会館(懇親会)の3会場で行った。 徳島県観光協会から全国大会誘致補助金を交付されたので,全出席者にスダチを配ったり,懇親会では阿波踊と地酒で供応し,藍染を配るなどして郷土色を出すことができた。 ご協力頂いた各位に深く感謝する次第である。

平成元年度 情報処理学会 四国支部 初代支部長
大阪工業大学 情報科学部