No.06

私の詩と真実

3月9日 9:30-12:30

会場:第7イベント会場

講演者 Speaker

司会

写真和田 英一(司会)
(株)IIJイノベーションインスティテュート 所長

パネリスト

写真水谷 静夫
東京女子大学 名誉教授

写真山本 卓眞
富士通(株) 顧問

概要 Abstract

情報処理学会歴史特別委員会ではオーラルヒストリのインタビューを進めているが,大先輩のお話は毎回大変示唆に富み印象的なので,これを広く会員の方々,特に若い世代の会員に直接お聞かせできないものかと検討してきた.そして海外の事例なども参考にし,コンピュータパイオニアあるいは情報処理学会会長経験者,またはそれらに相当する経歴の大先輩をお招きして,若い頃の研究生活の思い出や今の若い世代に伝えたい経験談などをお話いただくシンポジウムを企画した.なお本シンポジウムは第70回大会から開催しており今回が第3回目となる.

プログラム Program

9:30〜10:10 【第1部】情報処理技術遺産認定式

昨年から始まった情報処理技術遺産と分散コンピュータ博物館の認定を今年も行います.今回もわが国の貴重な技術遺産の所有者および貴重な技術遺産を保存,展示しているコレクションの責任者をお招きして情報処理学会会長から認定証をお渡します.

10:20〜11:20 【第2部】シンポジウム「私の詩と真実」講演(1):「棒ほど願って」

水谷 静夫

そもそもの触れ初めは電気試験所の翻訳機械ヤマトだ.この実習で,計算機にやれと命じた通りを非情に遂行するアルゴリズム実行といふわざを思ひ知らされた.このころ新しく得た友人たちに,クラス論理や計算機システムも教へて貰った.やがて日本語で書け連糸操作で働く言語《朱唇》を設計し,協力を得て処理系も実現した.連糸操作の上に国語理論の客観化を夢見た.「棒ほど願って針とやら」であっても,願はなければ針さへ得られまい.

11:30〜12:30 【第2部】シンポジウム「私の詩と真実」講演(2):「先人に学ぶ」

山本 卓眞

まず,幼年,少年時代の生い立ちを通して,戦前の日本の一端を紹介する.幼年学校,士官学校の教育は総じて正常なエリート教育だったが,戦争末期の鍛錬は激烈であった.卒業後の明野飛行学校で,鹵獲された米軍機により技術の差を直感させられた.
 終戦時,部隊長の訓示「生きて祖国の再建に力を尽くせ」は生涯の指針となった.また極限状況での長たる者の心得も教えられた.復員,僥倖もあって進学,自家用農業をしながら工学部へ.心に残る法哲学・尾高朝雄教授の教えで級友も道を誤らなかった.星合教授の押し込みで富士通入社,交換機配属,幻滅したがディジタル技術の先駆者となった.
 事業家・小林大祐課長の下で天才池田敏雄と共にリレー計算機開発に参加する.
 老練な岡田完二郎社長の経営.計算機に社運を賭ける.M&A,技術偏重?,損益管理
 天才の閃き=国際互換性の成功と死闘.  そして雲の果てに.

講演者略歴 Biography

和田 英一
1955年東京大学理学部物理学科卒業.1957年修士課程終了.1957年〜1964年小野田セメント調査部統計課.1964年~1992年東京大学工学部計数工学科.1992年~2002年富士通研究所.2002年~IIJ技術研究所.IFIP WG2.1 メンバー,WIDEプロジェクトメンバー, 情報処理学会プログラミング・シンポジウム委員会運営委員長,情報処理学会会誌編集長などを歴任.

水谷 静夫
1926年3月東京の浅草に生まれる.48年9月東京大学文学部国文学科卒業.49年2月〜64年3月国立国語研究所員.64年4月〜91年3月東京女子大学文理学部日本文学科助教授,68年以降教授.91年第6回山内業績賞を受ける.

山本 卓眞
大正14年熊本県生まれ.陸軍士官学校卒業後,満州国奉天にて終戦.帰国して東京大学第二工学部卒業後,富士通信機製造(現富士通)株式会社入社.社長会長を歴任して日本の通信,コンピュータの事業にかかわった.現在偕行社会長,国策研究会会長,日本ユニヴァーサルデザイン協議会会長など多くの団体で活動を続ける.勲一等瑞宝章,藍綬褒章,名誉大英勲章受章.著書に「夢をかたちに」「志をたかく」がある.