【1】ありかな? てごろでがっちり情報保障  「ありかな? てごろでがっちり情報保障」という題の企画セッション。  静岡大学の秡川 (はらいかわ) が学会かつツール企画・設計者の立場から,デジタルセンセーションの坂根が情報系研究者かつ企業開発者の立場から,NTTサイバースペース研の織田 (おりた) が企業かつ聴覚情報保障の立場から,筑波大学の青柳が人間系研究者かつ視覚情報保障の立場からそれぞれ話題提供。  その後、会場からの質疑もまじえてパネル討論。まずは秡川から話題提供。 【2】セッションの趣旨  はじめに、「情報保障」という用語について。端的にいえば、障害のある人に、聞こえていない、あるいは見えていない情報を伝えること。私は、文科省の科学技術振興調整費の支援を受け、機器連携によるアクセシビリティー向上の研究の一環として情報保障に取り組んできた。「てごろでがっちり情報保障」というタイトルは、ふざけているようでいて、実は大マジメ。  人に優しい社会の実現や製品開発に重要なことは、傷害のある方々とともに考える機会と、情報保障に対する個々人の普段からの関心。  「てごろでがっちり」というのは、素人にもできる手頃なアイディアをみんなで広く実践しようという呼びかけ。仲間を増やし、よいアイディアはぜひ共有しましょう。 【3】講義・講演会での情報保障の方法  本来、大学,企業,学会における福祉的な配慮というのは、情報保障に留まらない。移動保障というべきか、エレベータやスロープの有無,通路の確保なども話題としてありうる。また、最寄のバス停からの触知図を用意するなどは広義の情報保障として捉えるべきかも。が、手始めとしては、室内での情報保障からとりあげたい。  現在行われている情報保障には概要の点訳,手話通訳,要約筆記などがありそれぞれに得失があるが、実際問題としてあまり広くは実施されていない。これは、どう手配したらいいかわからないという問題のほかに、費用的な面も。  一方で、手頃な情報保障は、高品質な情報保障と相補的に、私たち自身も取り組もうというもの。素人芸だけに、役に立つのか、情報の粗製乱造ではないかという疑問は当然ある。 【4】ありかな? 素人芸の情報保障 (学部棟エレベータ視覚バリアフリー化)  素人芸でも奏功するときもある。たとえば、静大情報学部で行なった学部棟エレベータの視覚バリアフリー化の例。  さしあたり重要なのは a) 目的階の指示と b) 到着階の知覚を保証すること。  ボタンに点字テープ (もしくは点字使用者以外も対象にできる浮き出し文字) を貼って終わりのように思えるが、b) こそ重要。途中階で止まるかもしれず、たとえ目的階が押せても着いたかどうかわからない。  一般には b) は合成音声でなされている。新設エレベータはそれでよいが、既設分をどうする? というのが問題。エレベータの改造が許されず、音声合成で知らせようにも現在階の信号が取り出せない。  手頃な情報保障で出てくるのは、いつもの静大自慢。情報学部は、工学系の情報科学科と、文科系の情報社会学科がともに研究する体制。本当にいい学部だと思う。  エレベータの視覚情報保障では、どう対応するか文工融合のゼミ討論をした。 【5】いかに到着階を知らせるか? (静大情報学部,文工融合の底力)  教員はさすがに優秀。到着階をなんとか検出できれば音声合成は可能なので、階数ランプに光センサをつける方法,デジタルの数値表示をビデオカメラで撮像し認識する方法など、さまざまなアイディアが無尽蔵に出る。しかし、エレベータ内で半永久的に電源を取る方法がない。みんなで頭をかかえる。  そのとき、情報科学科の学生さんが、「じゃあ、中に装置をつけるのはやめましょう」と言い出し、みんなで首をかしげる。しかし、そのアイディアは、廊下に「3階です,3階です,…」としゃべり続ける装置を設置してはどうかというとんでもなくすばらしいもの。たしかに、ドアが開いたら中に音声が届く。それに反射センサをとりつけて、ドアが開いているときだけしゃべる装置にしてはどうかというふうにまとまりかける。  すると、情報社会学科の学生さんが、「音声じゃなくちゃダメなんですか?」と言い出す。もし音声でなくてもいいなら、もっと広く実現できる妙案があるという。 【6】60点の落としどころ (ローテクは世界を救う :-)  そのアイディアは、エレベータの2重扉構造を利用し、外扉に階数表示の点字テープを貼るというもの。たしかに、外扉は階ごとに入れ替わる。  すると、情報科学科の学生さんが、安全のためエレベータ内部に矢印テープを貼付することを提案。このテープは、階数表示テープの現れる高さを予告して階数確認を容易にし、また、扉に衝突検出用の安全バーがあることを示す。矢印テープを見つけた視覚障害者は、安全バーを押さえつつ安心して階数確認ができる扉であることを知る。安全バーのない側の扉には階数表示テープも矢印テープも貼ってはならない。  合成音声と比べると非常にローテクだが、広く実施できる。貼付位置がまちまちでは価値半減なので、対象者の聞き取り調査を行い、階数表示テープは下から 80cm の位置に統一することに。 【7】“手頃な” 情報保障の思想  静大方式の特徴は、エレベータに点字テープを貼るだけで済むこと。必ずしも音声でなくともよいという歩み寄りが得られるなら、我々には簡易法であるかわりに規格化して広く実施するという歩み寄りが。  エレベータの回路知識は不要。誰にでも広く実施可能で、どこに出かけてもエレベータで困らない社会に手が届くかもしれない。  “手頃な” 情報保障の思想は、決して高品質ではないが、広範囲で継続的に実施し、改善していこうというもの。お互いの歩み寄りでいろいろ実現させてみませんか。 【8】そう考えると、歩み寄りで 広くできそうなことはいろいろある  そう考えると、歩み寄りで広くできそうなことはいろいろある。  たとえば、要約筆記には、講演者があらかじめ内容を伝えておく「前ロール」という手法がある。即興的な発言のサポートが限定されていいなら、プレゼンノートを利用した字幕提示システムを提案できる。  弱視の方に自分のPCを持参してもらえるなら、手元まで無線で画面を送る提案ができる。色弱であれば色マッピングを変えられるし、強度の弱視であれば手持ちの画面拡大ソフトと組み合わせてもらってもいい。  墨字の予稿が読めないというケースであれば、訳質に一定の妥協が得られれば、全講演の点字資料を提供できる。 【9】1) プレゼンノートを利用した 手頃な字幕提示  講義・講演等での聴覚障害者向けの情報保障として、字幕提示を検討。  通訳者等なしで福祉関係の講演を行った経験が発端。スライドの下部にセリフをすべて字幕として付与して保障。1 枚のスライドに関するセリフは一言ではなく、20 分の講演で、94 枚のスライド (実質的には 23 枚) 。  そこで、プレゼンテーションノートを活用するノート抜き書きソフトウェアを着想。講演メモをノート領域に書いておくと、PC間の連携でスライドショーに同期して副プロジェクタから投影する仕掛け。将来的には、視聴覚の重複障害のある方へのサポートとして、点字ディスプレイとの連携も計画中。 【10】なかなかノートを書いてもらえないのでは?  字幕を変えながら何枚もスライドを作るよりはラクとはいえ、書いてもらえるのか?  発表者はメモをもとにリハーサルをしているはずだから、そのメモをノートに書き込んでもらえば字幕化できる。話題提供者のための準備を情報保障に役立てる。  スライドのノートはスライドと一体化しているから、一度ノートを書けば、つぎはぎでスライドをつくっても字幕が付いて回る。つまり、つなぎ部の小修正ですむ。  福祉社会システム実務研のように、研究会のデザインごと工夫する手もある。予稿をなくし、スライドの縮刷を講演録に。講演録をなさないとの指摘には、ノートとあわせて印刷すれば講演内容はわかるとして合意。  講演者は、6ページの原稿を書くかわりに、ノートを書く。これは、そのまま講演録になり、また、当日字幕として使え、後日の情報保障用に再利用できる。  情報保障専用ではないかたちをデザインしてはじめて、継続的に実施できるのではないか。 【11】2) プレゼン画面の手頃な手元配信  次に、弱視者への情報保障として、画面の手元配信を検討。  これは、PCのリモート操作に利用するリモートデスクトップシステムVNCをそのまま利用。  システムの機能のうち、入力イベント送信機能を無効化し、閲覧専用に。 【12】無線 LAN つき PC を持ってきてもらえれば、手元まで画面を送ります  手元配信の利点を生かして、色弱の方へ色覚情報保障機能も付与。  ホットキーによる色相環の ±120°回転 + 輝度反転機能を設けた。さらに複雑な演算もできるが、今回このようにしたのは、色相環の ±120°回転により赤緑系色の片方が青色系に移り、区別容易になること。  また、これが奏功するならRGBケーブルのつなぎかえというシンプルな方法で、我々の手の及ばないところでも情報保障が可能。CADの職場などでは、色を入れ換えるスイッチを作ることでも喜ばれるかもしれない。  色弱学生 2 名からは、とくに折れ線グラフや輪郭のトレースの場面で、色調を随時切り換えられる機能に好感触を得ている。 【13】3) 講演受付と連動した手頃な点字資料作成  予稿が読みたいという視覚障害者の意見がある。予稿集の販売が学会・研究会の収益のひとつであることもあり、副次利用の虞からテキストそのものの配布にはなかなか主催者の理解を得にくい。公表された出版物の点字による複製及び公衆送信が著作権法で認められているので、その配布から着手。徐々に主催者の理解を得る戦法。  全講演の点字資料を準備するためには人手による全文訳は無理。そこで機械点訳による方法を検討。別に目新しくないが、講演原稿受付システムと組み合わせると面白い仕掛けができる。  機械点訳の問題として、図表,数式の点訳が困難であるほか、本文中でも読み違いによる誤訳が散見されることがあげられる。人間でも誤読はありうる。にんぎょうカステラは美味しそうだが、ひとがたカステラは気味が悪い。  著者は原稿中の全ての読みを知っているはず。著者に任意校正の機会を与えてはどうか。ただ、問題もあり。一般の著者が点字に関する知識を持っているとは思えない。また、校正に必ずしも協力的でないかもしれない。 【14】講演受付と組み合わせてみた  これを講演受付システムとくっつけると奏功。著者のワープロ文書入稿と同時にテキスト,読み,点字ファイルを瞬時に生成するシステムを試験運用してみた。 (フリー版の点訳ソフトを試用させていただいた関係から外部に公開することはできず、実際の入稿操作は試作者が代行)  このとき読みファイルを同時に生成するのがミソ。基本的にひらがな (と英数字) で書かれているので、点字が読み書きできなくても誤読は修正可能。入稿のタイミングで読み校正に協力を求め、少しでも協力を得やすくする。  もし任意校正にまったく協力が得られなくても、最低限のデータである題目と著者名は正しい読みを保証。仕掛けは簡単。講演受付システムと連動している点を生かし、講演者登録フォームの登録内容を利用。  こうして、全講演に対する点字データを自動生成。サーバさえ設置してしまえば、非情報系研究会でも継続的に運用可能。 【15】素人芸でも,情報保障をはじめませんか?  完全さを要求されなければ、自分たちで情報保障に貢献できそうなことはいろいろある。  まず、手頃に改善できることからはじめ、周囲の人々の関心を喚起し巻き込むことから提案したい。興味を持って自ら研鑽する人々、私たちよりいいアイディアを出す人々が必ず現れ、あたらしい牽引者になってくれるはず。大学,企業,学会,福祉施設等の前例に学び、できるところは採り入れつつ、ステップアップしていきましょう。  それから、不完全な情報保障の実施は決して無責任じゃない、と思う。完璧な情報保障が理想だが、実施そのものがむつかしい。70点の落としどころでも、広く行える方がいいという考え方もあるかも。  むしろ注意すべきは、不完全な情報保障の実施で満足してしまうことだろう。20点の落としどころからはじめ、改善していきましょう。 【16】できることからはじめましょう  すぐできることはいくつか思いつく。  まずは前方の見やすい、聞きやすい位置に優先席を確保すること。  視覚情報保障としては、テキストデータを福祉目的に配布すること。現在は図表の表現が難しいので、予稿集の売上にもそう影響しないのではないか。また、CD-ROMで予稿集を製作しているケースもあるが、それこそテキストファイルを入れてもかまわないはず。  また、スライドの工夫の奨励もある。コントラストを高く,文字は可能な限り大きく。色覚情報保障として、グラフは色だけでなくパターンでハッチングすることを奨励するなど。 【17】できることからはじめましょう  聴覚情報保障としては、たとえばタイピンマイクの積極利用。講演者自身の手話はもちろん、身振りや手振りもしやすくなる。講演音声をFMラジオに飛ばす方法も有効。最近はUHFで飛ばしたほうが、テレビ付き携帯電話で聞けていいのかな。  それから、発表メモのスライドノートへの書き込みの奨励。字幕ツールでもいいし、当日ノート入りPDFを持ってきてもらって副プロジェクタで映し、座長補佐がレーザポインタで追うのだってあり。OHPに手書きの発表メモを焼いてきてもらうのだってあり。  あとは、専門家を呼ぶときにも、ペンとメモの準備。手話通訳と要約筆記は同じ役割のように思えるが、要約筆記者は手話が必ずしもできるわけではないから、発話が困難な手話利用者からの質疑を受けることができない。最悪、ペンとメモがあれば、書いてもらって代読できる。 【18】そしてステップアップしていきましょう  かんたんなことからはじめて、次第にステップアップ。電子情報通信学会の福祉情報工学研究会では、手話通訳者,要約筆記者等による情報保障を、障害のある人の希望に応じて実施している。また、発表者,運営者マニュアルなどをウェブページで公開しており、とても参考になる。  ユビキタス,家電,放送,教育などなど、さまざまな研究会でも、年に1度福祉特集をやってみては。普段は手頃な情報保障で節約しつつ、福祉特集のときには専門家を呼ぶなどすれば、障害のある人に来て意見をもらうこともでき、一般参加者も専門家の情報保障に触れることができる。お金はかかるが、年1回なら10万円もみておけば。 【19】不完全な情報保障には批判の声も…  しっかりとした知識を持っていないものが中途半端な情報保障を行うことに対しては、批判の声も強い。たとえば、昨年6月の日本経済新聞では、点字案内ミス多発として、「現在位置」の表示が逆さま,「専用・非常時解放扉」が「センヨウ・ヒジョウジカイホウトビラ」とマス空けなしで書かれていた事例をとりあげている。(ついでにいうと、ウ列長音も正しくない)  手頃な情報保障も、同じように情報の粗製乱造になる可能性がある。試験問題や重要書類,児童や生徒が触れる児童書,公共の案内板の類などは手を出すべきではないと考えられる。手を出してもよいところ,いけないところ,最低限知っておくべき知識などは、セッション後半で討論したい。 【20】しかし、歩み寄りなしにははじまらない  一方で、情報保障は完全でなければならないというのは、ある面で、障害者の情報理解能力を甘く見ているのかもしれない。著者に直接コンタクトをとってテキストをもらい、機械点訳の結果をプリントして会議に持参する人もいる。誤訳はもちろんあるが、一部の点訳ソフトの出力は、我々が想像する英和翻訳ソフトなどの訳質と比べて格段に高いこともあいまって、その点訳は非常に役に立っている。こんな中で、著者からテキストをもらって機械点訳にかけるというプロセスを代行することが無意味だとか無責任だとは思わない。  場面と適切な手段を選べば、手頃な情報保障も有効ではないか。  生命保険だって、いくつものプランがある。掛け金が大きいほど、当然ながら保障も大きい。掛け金を払えないから保険に入らないというわけではなく、身の丈の延びに応じてプランを選ぶ,年に1度の海外旅行のときだけいい保険に入る、などの工夫をしている。少ない掛け金で大きい保障のプランも続々登場している。 【21】ちょっとした智慧が集まると、ぐっとよくなる (各ツールの現状)  ちょっとした智慧が集まると、ものごとはぐっと進展する。たとえば、プレゼンノートの字幕化では、自動実行USBメモリを採用して挿すだけで接続できるようになったり、即興的発言がサポート可能になった。  手元配信では、ハードウェアVNCエンコーダを採用し、講演者のひとりひとりにVNCサーバをインストールしてもらわなくてもよくなった。これで、全講演者の画面配信が可能になった。  手頃な点字資料作成では、スタイルシートを活用することで、より点字表記に近い書式になるように、フォーマッタを改良した。また、HTML形式の出力も可能とした。これによって、一部の音声ブラウザで章,節などのスキップが可能になった。また、最近の原稿にはJISコードで表現できない記号類も使われ出している。読み上げ自体の問題はあるが、ともあれマルチリンガル,マルチフォントを表現するためには、いずれメタテキストに移行していくしかない。また、表や数式 (MathMLで) をサポートできる可能性がないかも話題にあがっている。 【22】そこで、2007年3月 第70回 情報処理学会全国大会では…  そこで、来年の今、2007年の情報処理学会第70回全国大会では“手頃な情報保障”一般セッションの開設を提案したい。そこでは、現場に役立つ技術なら、ハイテクは拒まず、ローテクも大歓迎したい。また、実践報告や課題,問題提起も歓迎。このセッションは予稿はスライドの縮刷でも可として、情報保障を含めてよいプレゼンテーションを投票し、ベストプレゼンテーション賞受賞者には豪華粗品を進呈したい。  最後に、来年、みんなで実施できそうな、素晴らしいツール,アイディアを続々登場させましょう。情報保障をする側どうしでも、もちろん受ける側も交えて、互いに忌憚ない討論をし研鑽しましょうと呼びかけて、私からの話題提供としたい。ありがとうございました。